前へ戻る
2003/2/3■月曜交流会から

光の道とシャンバラの建設

@好きなことを自由にできるのがシャンバラなのか

私たちは光のハイアラーキーの仲間としてお話をいたします。多くの皆さん方がこの場を使って自分自身の成長を考え、また他の人々への奉仕ということに意識を向け毎日を有効に活動していることをとてもうれしく思っております。先ほど話があったように地球人類全体の意識を眺めた時、新たなる地球の波動の意識レベルに見合う人がどれほどいるか考えるとまだ難しい状態にあります。

しかし、人間の意識はある意味ではとても急速に進化する場合もあります。皆さん方の身近な人で力のある人がたまたまサイキックなことに興味を持ったり、そういう体験をするとその仲間たちが全員その波動の中に意識が目覚めたり、興味を持ったりする場合があります。

そういったことをうまく使うと短期間で意識を変えることが可能になります。ただそういうやり方はある意味では正しいやり方ではなく、奇跡や超能力的な興味をもたらすために自分もそういう能力を身に付けたいとか、誰が優れているとかいう争いにも結びつきやすく、危険性がとても多く伴います。

そのために今、まず第一段階としてそういうエゴを出さないやり方を先に身に付けさせ、こういう学びやワークをしていても自分より優れた人がいても、嫉妬や非難をせず、また自分に能力あるからといって自慢したり、他をコントロールしない意識をまず身に付けさせ、それで十分に多くの人の間で比較や争いの波動がなくなった時に、能力のあるものたちの協力によって大きな奇跡が起こり、それを目の当たりにした人々が次々と意識を変えていく、こういう流れが考えられております。

しかしこれを明らかにすると必ず、じゃあ誰がそれを行なうのか、私のところの教祖こそがそれができる、私の知っている人こそがメシアであり、それを行なう役割を持って生まれてきた、そういう言動を取る人がたくさん現れてきます。

もうその段階でエゴのぶつかり合いであり、奇跡を起こすことは不可能になっていきます。奇跡が起こる前にエゴを完全に取り除く必要があるのです。したがって、社会全体を見回した時、サイキックやスピリチュアルな面において、エゴのぶつかり合いがあるうちは奇跡はまず起こらないと理解しておいてください。

何故皆さん方が奇跡を求めるのか。今までいくらやってもできなかったこと、苦労しても苦労しても報われなかったこと、たくさんあるでしょう。自分は正しいことと信じ本当の光を求めて神に誓い、努力してきた。家庭が貧しくても、生活が苦しくても、神と光を信じ真面目に努力してやってきた。でも現実を見たら何も変わらず、報われず、決して楽な生活にはなっていない、そう思っている人もたくさんいるでしょう。

ライトワーカーという人々でも、ある意味では大多数の人がそういう不安を心に持っております。本当に光の道をちゃんと歩いていて報われるのだろうか、こういう真面目なことばかりやっていて本当に楽しいのだろうか、それよりは好きなものを食べ、好きなことをやって人生を有意義に生きた方がよっぽど楽しいのではないか。そう考えている人もたくさんおります。

何年間もライトワーカーとして努力してみて結局何も報われないから諦め、ごく普通の人生に戻ったという人もたくさんおります。光の道を歩くということ、普通の人生を歩くということ、それが分離しており、光の道を歩くためには普通の人生を諦めなければならず、普通の人生を歩むとすれば光の道を諦めなければならない、そういう二者択一が多くの人にやってきています。

皆さん方の頭の中に正しい、正しくない、褒められる、非難される、認めてくれる、無視される、こういった価値観がある限りは光の道と普通の道との対立が常にやってきます。本来の正しい光の道を歩むということと、普通の人々のように好きなことをやって自分の思い通りに生きるという生き方、こういう価値観がある限りはこの選択が常にやってきます。

結局光の道を諦め、自分の好きなように生きる、やりたいことをやる、そういう道を選んだ人、今まで皆さん方の友達でもたくさんいるでしょう。そして何年か経ってその人と出会った時、その人は本当に楽しい人生を歩んでいるでしょうか。やっぱり光から離れて良かった、好きなことをやって良かったと言っている人がどれだけいるでしょうか。

確かに中にはそういう生き方で喜びを見出した人もいるかもしれません。常に相手のことを理解し、許し、認め、自分の欲よりは相手が成長することを考える生き方をしていくと、自分の時間が自分のためではなくあたかも他人のためのような雰囲気に感じられてきて、自分の存在感が分からなくなり、生きていること自体に疑問が沸いてきた、そういう人がたくさんいました。

自分の好きなことをやり始めた時、もう他人のことはいちいち考える必要がなく、自分の食べたい物を食べ、やりたいことをやり、自由に表現できる、そうやって生き生きと輝きを戻した人もおります。しかしその人が本当に良かったかどうかはそれだけでは単純に計れるものではありません。

光の道を歩いている人は同じく光の道を歩いているもの同士が集まってきてお互いで学び合い、磨き合いながら成長していきます。光はより強い光を欲し、さらに光の強い人が近づいていきます。したがって生き方がより自分を律する方向へと進み、より自分のエゴを無くす方向へと進んでいくでしょう。

一度そこから離れた人は、囚われがなくなり、好きな物を食べ、好きなことを行ない、自由に表現する生き方ができるようになり、光の生活から見ると自由を手にしたかのような雰囲気が出てくるでしょう。そしてそこにおける人間関係は同じように自由に生きる人、思ったことを何でも口に出し、相手が嫌ならば嫌とすぐ口に出し、相手が気に食わなければどんどん非難する、一見それを素直と思い、それこそが人間性だと言って堂々と生きる人がたくさん近づいてきます。

他を非難するも、足を引っ張ることもすべて自由であり、それこそが本当の生き方だと思ってどんどんお互いに足を引っ張っていきます。そして自分たちはそれこそが生きがいであり、生き生きとしているために、光から離れているという感覚は一切ありません。自分の心はむしろ生きがいを感じ、より一杯のお金を手にし、より多くの喜びを手にしようとしてさらに自分の求める方向へと進んでいきます。

他をコントロールする味を知ったものは、より多くの人間をコントロールしたり、自分の思うように操ることに喜びを感じ、コントロールの波動をさらに強くしていきます。その流れに入っている人は多くの人間をコントロールすることが喜びであり、人生であり、そこに自分のエネルギーをすべて注いでいきます。

光の道を歩くということが自分の心に喜びを見出さない、神のため、光のため時間を費やしても自分の喜びにならない、こういうライトワーカーが意外と多いのです。こういう人々は何のために神を求め、光の道を歩んでいるのでしょう。何故神の世界に行こうとしているのでしょう。

多くの光の仲間、ライトワーカーがいる中で、そういう意味で見た時、本当のライトワーカーとして活動している人はまだまだほんのわずかなのです。本心から本当に神の世界に、光の世界に進みたい、この世界を本当に素晴らしいシャンバラにしたい、そう願っている人はそんなに多くはありません。

でも、多くの人が光の仲間、ライトワーカーとして活動しています。何故でしょう。皆さん方の心の中にある本質なるもの、その本当の心がそれを求めているのです。皆さん方の心の中の本当のものが神を求め、光を求めているのです。でも人間として実際に肉体をまとって生きている中で肉体を使うための環境を考えた時、何らかの形で感情や、経済、健康的な問題が常に押し寄せ、不安を引き寄せ、現実生活にいろんな波を持ってきます。

肉体生活を続ける以上は、これを避けることはできず、常にそういう波動の中で生きていく必要があります。しかし皆さん方の本質の光は神の光を目指し、地球のシャンパラを目指しているのです。皆さん方はそのジレンマの中で毎日過ごしています。

本当は好きなように毎日肉体の楽しいことを求めて生きたい、肉体が満足することをしたい。しかし、本質なるものが真の光を求め、神の世界を求め、そこに近づくための学びをしている中で、ああしてはいけない、こうしてはいけないという概念がやってきて、その概念の通り真面目に正しく生きなければならない、そういう考えで毎日がジレンマの繰り返しで生きることになります。

本当は何の囚われもなく、自由な世界でのびのびと生きたい、皆さん方はそれを目指しています。ではシャンバラという社会は本当にそうでしょうか。皆が自由に好きなことを行なっているでしょうか。残念ながら実際には今の世の中以上に宇宙の法則がそのまま現れており、そこに住めるものは宇宙の法則や神の意志に沿った生き方を皆がしております。今の意識に比べると好きなことはそれほどできないかもしれません。でもシャンバラなのです。ではシャンバラとは何でしょう。

何でも自由に好きなことができる、それはシャンバラではなく、今のこの地球なのです。命を奪おうと思っているもの、何人でも奪うことができます。自分の産んだ我が子でさえも命を奪おうと思えば奪えるのです。自分を生んでくれた母親でさえも命を奪おうと思えば奪えるのです。一度に大量の人間を殺そうと思えばボタン一つで可能なのです。好きなことができるのは今のこの社会です。シャンバラではありません。

皆さん方の求めているシャンバラ、理想の世界とは何でしょう。誰でもが自分の思ったことを自由にできる世界でしょうか。何故皆さん方はシャンバラを目指しているのでしょうか、シャンバラに行きたいと思っているのでしょうか。

シャンバラに行くことによって自分の人格の良さを認めてもらえる、神に許されたという証が手に入る、そういう意識でシャンバラを目指している人はシャンバラには来れません。それは今のこの社会と同じ波動です。シャンバラを創る原動力の波動にはなっておりません。

ライトワーカーとして光の道を求め、一生懸命やっても何にも変わらない、楽しくない、この時点でシャンバラの波動とはかなりずれています。今の地球の波動そのものなのです。本当にシャンバラを求めている人、それが皆さん方の心です。肉体を持った人間は肉体に快楽を与えようとして肉体が悦びを感ずるものを求めていくでしょう。

でも皆さん方の心は光を求め、神を求めています。これが皆さん方の毎日の価値観を決めながらも常に揺れ動き、何が真実か、自分の本心が何なのか分からず、常に揺れ動いている証です。皆さん方が揺れ動いているのは、肉体の快楽を求める意識と、光や神を求める本当の心の間を行ったり来たりして揺れ動いています。

それは自分の今の状況そのものであり、それをしっかりとまず理解する必要があるでしょう。そしてそれに気づいた時、では肉体を満足させようとする意識、肉体の求める快楽を満たそうとする意識がどういう意識なのかをまずはっきりと理解していく必要があります。

それは自分にとってどういうエネルギーなのか。食べ物への執着なのか、服や自分を美化するための執着なのか、肉欲的な執着なのか、あるいは、自慢や少しでも評価してもらいたいという思いからくるのか。いずれにしてもすべて肉体生活を行なう上で自分が満足するエネルギーから創られてきました。

そしてそれとは別にやはり神の方向に行って、神の働きをしたい、神と一つになりたい、もっともっと真理を追究し本当の事を知りたい、本当にいろんな人が一つになって楽しく喜んでいる社会を実現したい、こういう本当の思いもあるでしょう。

この両方の波動を常に皆さん方は両手に持ち、その与えられた材料の中で何かを選択していきます。私たちの世界から見て、皆さん方のそういう行動を決して非難したり、とがめることは一切ありません。すべて皆さん方の自由意志であり、すべてを認めております。

ただそれによって皆さん方の心がどれだけ満足し、喜びを感ずるのか。肉体的な快楽を求めて行動した場合、同じような波動を持っているものがたくさん集まってくるでしょう。そしてそこで繰り広げられるドラマは感情的なエネルギー、概念のエネルギーのやり取りであり、いつのまにかお互いに非難し合ったり、否定し合ったり、ぶつかり合う関係になっていきます。

しかしそれ以上に光を求め、神を求める波動が強ければ、そういうものたちと仲良く、前向きに向上心のある生き方を求めることになります。そこには神や光の波動を求めるという強い意志が必要になります。神や光を求める意志ではなく、皆が行くから自分もついていく、そこに行かないと落ちこぼれと言われそうだからついていく、周りから否定されたくないのでついていく、そういう気持ちがあって神や光を求めていても、それは本当の神や光の世界には繋がりません。

神や光の世界へ行くのは、本当にその人の意志が必要であり、そこへ向かうという思いがまず必要になるのです。ただ漠然とついていく、やりたいことをやって自然とその世界に入れるということはまずありません。常に光と愛や他を思う気持ちがない限り、そこへは中々進んでいくことができません。

何も考えず、ただその場の満足する方向を考えるとどうしても肉体の快楽の求める方向へと進んでしまいます。皆さん方一人ひとりが今何を大切にしてどこへ向かうのか、それを考える時期に入ってきています。今までの自分の人生と今の人生、そしてこれからの人生をいろいろ思い浮かべた時、今までの人生はすべて価値があり、今の自分があるために必要な体験でした。

一見時間が掛かったり、無駄なことをしたように見えてもすべて役に立っております。これからも同じように必要な流れが自分に常にやってきます。しかしだからといって何も考えず、ただ与えられたことを行動していこうという思いがあれば、神や光の流れとは違ってきて、肉体がただ満足をする流れに進んでいきます。

シャンバラを求める気持ち、神や光の世界を実現する気持ちが本当に必要なのです。今自分はどこに向かっているのか、どれだけ強い意志を持っているのか、よく考えてみてください。


A光の道を歩む

私たちは今の話に関連してまた少し話をしていきます。皆さん方がこういう学びをしていて、本当にこれで良いのかどうか、自分の人生、特に仕事を変えたり、パートナーを変えたりした人は、本当にそれが正しかったのかどうかいろいろと悩んでいることと思われます。

三次元的な基準から考えた時、人生の流れやパートナーの関係を見た時、うまく進んでいるという基準は意外と分かりやすく見ることができます。富に恵まれ、美しい、素晴らしいパートナーを手にした時、自分は本当に三次元がうまくいっている、とても良くできたと誰もが評価するでしょう。

では、光の道を進んでいるものは本当に光の道を進んで良かったと思うのは、どういう時でしょう。金銭やパートナーに恵まれた時は、三次元の方がうまくいったと、つい解釈してしまいます。皆さん方の光が強く、たくさん光を扱えるようになっても自分で理解している人はほとんどいません。

ましてやそれが現実で現れてきたとしても中々理解することはできません。では、現実でこの光を感ずるのはどういう時でしょう。現実でこの光の変化を確認しようと思っても、やはりそれはできることではありません。現実で確認できることは、どうしてもその人の三次元的な思いや言動から創られてきます。

光で感じられるのは光の世界での変化であり、光がはっきりと分かる人はその光の状況で変化を捉えることができます。しかし光の世界が中々感じられない人、分からない人は、現実でしか判断できず、つい自分には何も変わってないように思われてしまいます。

光の世界をよく理解して、その変化が感じられる人、それは生き方に現れてきます。その人の考え方、生き方、生活の仕方が変化してきます。現実で変わるというよりは、生き方、物事を肯定的に捉えたり、積極的に生きるようになったり、人と出会っても喜びを持って出会えるようになる、生き方で変化していきます。

したがって、自分が光の道を確実に進み、どんどん光が増えてきた、それは自分が前よりも否定的な考えが出なくなり、肯定的に積極的に考えることができるようになった、自分の所にやってくる人がすべて自分にとって良い人と感じられるようになり、喜んで迎えることができるようになった、いろんな人と出会っても違和感をまったく感ずることなく、すべてを喜んで受け入れることができるようになった、こういう人々は光の道を確実に進んでおり、光が多く入ってきている証になります。

自分の人生の流れにおいて本当に光の道を進んでいるのかどうか分からない、エゴの道なのか、光の道なのか、区別がつかないという人は、今の観点から考え、自分がどれほど意識的に喜びや満足のいく生き方になっているか、そういう方向に向いているかをチェックするようにしてみてください。

それでは簡単にアドバイスをしてみます。

Sachikoさんの場合の光の道を眺めた時、あなたに与えられている光の道は非常に喜びがあふれており、あなたがそれをしっかりと受け入れれば喜びは何十倍にも、何百倍にもなる可能性を秘めております。その喜びをあなたの意識レベルでどこまで受け入れることができるか、これが大きな鍵になっています。魂レベルで非常に喜びを感じても、あなたの意識では喜びと感じない場合があります。そのために現実と魂の思いが合わなかったり、あなた自身の意識においても混乱が起こったりしてきます。これはまだまだあなた自身が自分の思い、自分自身を大切にしているところからやってきています。またそれを魂はよく理解しております。ですから自分の思いそのものは決して否定的にとらえる必要はありません。むしろ自分の思ったことを本当にとことん追求し、そしてどの時点で折れて魂の思いに近づいてくるのか、魂はそれをずっと観察しております。自分のやりたいこと、願っていること、それをやってみるのも良いでしょう。でもいつかの時点で魂やハイヤーセルフの思いが確実に分かり、その方向に進んだ時、初めて本当の喜びを実感することができます。

Norikoさんの光の道を考えた時、あなたの今歩んでいる光の道は、着実に一歩一歩自分のものとなり、自分の流れとなり、そしてハイヤーセルフと一つになった流れになりつつあります。ほとんど大きな流れで見た時、自分とハイヤーセルフの方向性がかなり近づいてきて、十分に満足を得ることができるようになってきました。この流れにおいて、喜びをどう実感していくのか。ハイヤーセルフの感ずる思いをあなたがそのまますべて受け入れることができるかどうか、それによって喜びの度合いが違ってくるでしょう。今の段階ではまだ一生懸命やることに意識が向き、魂の喜びそのものを感じている段階ではありません。まだ一生懸命やること、とりあえずやってみるという方に意識が傾いております。魂の思いを少しずつ感ずる練習をし、波動を合わせ、楽にすると、魂の喜びが感じられやすくなるでしょう。いつかの時点で喜びそのものが魂と一つになるのを目指してみてください。

Kenjiさんの光の道を見た時、今あなたにとっての光の道は、自分にとって掛け替えのない道として映っており、自分がその道を歩けることに喜びを感じ、とても大切なものとして位置付けられております。それはあなたの魂自身の喜びでもあります。この光の道を求めるために、どれだけの流れを経てきたのか。光を理解するためにいろんなことを体験し、苦しみ、悩んできました。そしてやっと手にしたこの光の道、この貴重さがあなたにははっきりと感じられております。他の人が口にする光の道とあなたが口にする光の道では重さがまったく違います。本当に苦しみ、もがき、やっと手にしたこの光の道を決して逃すことのないように、二度と離れることがないように自分のものにしようとしております。これこそがあなたに本当の喜びをもたらすでしょう。光の道から離れることの恐れや不安が常に付きまといますが、それに換えることのできない喜びが入っております。あなたにはそこに隠れている本当の喜びを手にすることができます。そしてそれは確実にシャンバラへと導いてくれるでしょう。それを決して失うことなく進んでいってください。

Yoshieさんの光の道を見た時、あなた自身の頭で理解している光の道と、ここの多くの人々が考えている光の道ではいろんな違いがあると感じているかもしれません。まだ自分はそんなに一生懸命考えたこともなく、理解しようとしたこともなく、漠然とした感覚の光の認識になっています。これはこれでとても大切な光であり、光の側面の一つを現しています。光というと直線的に鋭く、まっすぐ突き進むという波動ばかりが重んじられ、ついその道だけを進むという意識が広がっていきます。しかしあなたの持つ光の特性はそういう直線的な光ではなく、多方面を同時に照らしていく、多方向に向かって常に示していく、いろんな光を一つの光で統合させて新たなる光へと創り変えてしまう、そういう特性を持った光になっています。したがってあなたにとっての光の道は必ずしも前に進むという光の道ではありません。むしろその光を維持する、その光をその状態を維持しておく、それがあなたの光の道になっております。これは光の道を進むという意識を持っている人には理解できない働きになってきます。でもシャンバラを創るためには、これは一番必要な光であり、それ故に多くの直線的な光を統合化することができます。まだ自分では意味が分からず、使い方も分かっていないために、自分の価値がないかのような感じになっております。でも光の特性の一つをはっきりと理解したうえで今の自分の光そのものを先ず維持し、そのまま繋いでおくようにしておいてください。

Ritsukoさんの光の道を見た時、あなたの光の道は他の多くの人の光の道と異なり、いろんな意味であなたしか歩むことのできない光の道になっています。これは一直線の道でなければ、ガードレールや道案内のついている道でもなく、分かりやすい道でもなければ、皆が先を歩いてくれてる道でもありません。でもその道は他の多くの人が自分の道を歩くためには必要な道であり、あなたがその道をしっかりと自分で歩いて初めて他の人が自分の道を歩けるようになります。もしあなたがその道を踏み外したり、別の道を歩んでしまうと、それに関連する多くの人が自分の道を見失ってしまいます。それ故にあなたの役割はとても大きく、また、あなたにしかできない特別な役割になっています。この道ははじめは孤独感や寂しさがあるかもしれません。しかしだんだんこの道の歩き方や、進み方が分かってくると、そのルールが理解でき、むしろ他の人よりはスムーズにうまく進めるやり方が身についてきます。そうすると自分がうまくその道を進むだけで数多くの人が自分の本来の道を歩けるようになるという関連が理解できるようになります。自分の苦労する一つひとつが多くの人の喜びの一つひとつに繋がっていきます。その関連を見つけるのははじめは難しいかもしれません。何故ならばまったく関係ないからです。自分の苦労して身につけたことと、そこから得られる他の人の喜びにはまったく関係がありません。同じような現象や体験の話で理解できるものではありません。したがってそういう考え方は無くしたほうが良いでしょう。ただ自分は自分で、自分が必死になって自分が生きるために道を歩いている、結果的に他の人が自分の道がスムーズに行けるように変化していきます。そのコツが分かってくると、あなたはそれを喜びとすることができます。そうすると一段階高い上から見て、そもそも人々の時空の流れがどうなっているのか、一人ひとりの人生というのは何であるのかが理解できるようになっていきます。あなたはそれを超越する能力を身に付けているために、普通の人とはまったく違う観点から人生を見るようになります。その能力をうまく使って光の道を自分のものにしていってください。

Kenjiさんの光の道を見た時、あなたの光の道は、今確実に自分の意志と繋がり始め、自分の意志によって瞬時に光の道が現象化できるようになってきています。それは長い間あなたが求めていた生き方であり、また、神に宣言していた生き方でもありました。決められた道をただ歩くのは自分にとって満足できず、かといってまったくないのも自分にとって満足できず、自分が何らかの意志によって動きながらもしっかりと自分で創っていく、こういう生き方を考えておりました。それに沿って光の道が創られるようになっています。そこにおいては光の道を創る一つのルールがあり、あなたはそれを学ぶことになります。今学んでいる多くはそれに関連するものであり、このエゴの道を創るのではなく、光の道を創る時のルール、やり方を学んでいることになります。そしてそれが理解でき、自分のものとなった時、自分の意志をそのルールに照らし合わせて現実化させていきます。この光の道はあなたにとって単にクリエーションだけではなく、そもそも生きるということはどういうことなのかを教える役割も持っております。単に道を歩くのではなく、道を創るということ、生きるということをクリエーションしている作業である。生きるということを一瞬、一瞬創っている作業、これが分かるような流れになっているのです。歩くというのではなく、今を創っている、その感覚を味わうようにしていってください。

Sayokoさんの光の道を見た時、あなたの歩んでいる光の道は、あなたの求めていた光の道をうまくベースにしながら多くの光の仲間たちが巧妙にあなたにしかできない役割を盛り込んでいます。したがってあなたにとっては現実をそのまま歩んでいるように見えながら、それ自体が光の道になっております。したがってあなたにとってはエゴの道と光の道を区別することが中々できないかもしれません。区別しようとする発想もないかもしれません。これは一見楽な生き方のように見えるかもしれませんが、ややもすると光の道が自分では意識できない状態になる場合もあります。普通の現実的な流れが本来は光の道になっているために、現実の方に意識を向けてしまい、光ではないと解釈してしまう場合もあるからです。現実の流れが本当は光の道の上に創られたものであるということを理解し、現実の人間的な波動に意識を向けるのではなく、その中に含まれている光のエッセンスを常に理解し、光のエッセンスをベースにした生き方を自分のものとする、それによって現実をうまく持っていくことができます。光の道を歩みながら、現実をそのままうまく持っていく一番やりやすい流れになっております。そのコツをうまく自分で理解し、自分の流れがスムーズに行くような意識を身に付けていってください。

Seikoさんの光の道を見た時、あなたの光の道はあなた自身の意識の中で今芽生えており、現象化されてきて、少しずつ自分のエネルギーの中に入り込んできました。しかしまだ自分の体全体で光の道を歩いているという実感は得られていない状況と思われます。まだ光の道という意味や、そういう具体的なものが整理されていないために自分でも何がどうなのか、理解しにくい状態と思われます。今あなたが少しずつ感じている光の道は、あなたの背後にある大いなる存在たちとあなたの本質の光が創り出した流れであり、あなたがこれからさらに意識を高め、光を身につけることによってこの流れは確実にあなたのものになります。このペースであなたが光を身に付け、成長していくと、あなたの今創り上げている光の道はあなたに大きな意識的な変化をまずもたらし、そのあとで光についていろんな特性を学び、見につけていく流れに入っていきます。それによって自分の持っている光の特性をいろいろと活性化させ、自分が光だと気づかせる現象が何度も訪れてきます。そして自分が光の存在であり、自分の光が他の人にも喜びを与え、癒しを与えることが確認できるような時空が訪れ、その時空の中で自分の光がさらに輝き、そして光の道を歩いているという実感がはっきりと得られてきます。今自分の流れているこの流れが本当の光の道なのか、エゴの道なのか、自分でもはっきりと定義できないかもしれません。今の段階ではまだ区別する必要はなく、先ずは自分の光を活性化させ、その光の流れをしっかりと自分のものとして進む、そして光を信ずること、自分の光を認めること、先ずこれが一番初めの課題になります。これをしっかりと自分のものとして光の道を確実に自分と繋げるようにしていってください。

Naomiさんの光の道を見た時、あなたの光の道はとてもしっかりと創られており、もうすでにかなり先まで流れがあり、また、やるべきことも準備されております。そしてこれはあなたがかなり以前の頃から考えていたエネルギーであり、思いでもありました。やるべきことがたくさん用意されていますが、ほとんどが自分で創り上げたエネルギーになっております。したがって一つひとつには喜びや満足感が得られる波動になっております。それを光の道として創り上げるために一つひとつに奉仕を、人のために活動するという現実がセットされております。そしてあなたにとっての光の道はそういう人間関係を通して自分が描いていた喜びを感じながら他の人に奉仕をしていく、それが光の道になっております。これがずっと創られており、あなたはそれを一つひとつ歩いていくことになります。あなたにとってそれは望んでいたものであり、本来の喜びに近づいていくでしょう。ただ意識が変わり、あなたの光や波動もシフトした時、今のその喜びがそのまま喜びとして受け取れるかどうかは別問題となります。したがってあなたが次の段階に入ったとき、次の波動に入ったときに何を喜びと感ずるのか、その度合いによって流れが変わるかもしれません。今はまず自分の創り上げた光の流れを楽しんでいってください。

Yasuhiroさんの光の道を見た時、あなたの光の道は着実に創られ、用意され、準備され、そして大急ぎで創り変えられている最中といえます。あなたにとって光の道は確実なものであり、直線的なものでした。しかしいろんな学びを進めるにしたがい、光の道は柔軟性を増し、いろんな人へと繋がる光の道に変化してきています。そしていろんな人との繋がりのところで喜びや奉仕が行えるようなエネルギーが用意され、それによって成長し合うという波動が確実に入ってきております。あなたにとって自分が成長するという喜びがとても理解しやすく、またそれこそが自分のやりたい流れでもあります。そしてそれが奉仕となって相手の喜びにもなる、その接点を今目指しております。自分の喜びが他人の喜びになる、そのためにはお互いの喜びという価値観をどこで共有し合うのか、お互いのエネルギーの違いをどこで変換させ、喜びに持っていくのか、その学びが押し寄せてきます。いろんな価値観や思いについて考えているのもすべてそこに至るものであり、いろんな人との心の繋がりにおいてうまく喜びを分かち合う学びを進めていってください。

Shogoさんの光の道を見た時、あなたの歩んでいる光の道は、あなたにとってとても安心のできる、信頼のできる光の道になっています。自分の内面に強い信念があり、その内面の真理の強さにしたがって、あなたを肉体部分が導かれております。したがってあなたの肉体的な流れが歩んでいるのは内面の強い波動から出る流れであり、そこにはお互いの暗黙の了解が取られております。したがってあなたはどのような流れに入ってもある程度それを受け入れ満足できる素養になっております。内なるものは光の道をしっかりと創り上げ、あなたが本来の役割が演じられるように仕組んでおります。それをあなたの...(テープ反転)...の切り替えで内なるものにどう合わせるとうまくいくのか、それが少しずつ見出されてきます。これからそのやり取りがだんだん細かい部分に入ってきて、そして自分の人生の流れすべてにおいてうまく流れを創るこどができるようになるでしょう。そうやって信頼感を極めながら、自分の流れを楽しんでいってください。

Michiko.Aさんの光の道を見た時、あなたの光の道はあなたにとってはいろんな変化があり、流れがあり、紆余曲折があるように感じられているかもしれません。いろんな光の仲間が近づいてきたと感じた時やその光の仲間が離れたと感じた時、いろんな思いが沸き起こってきます。光の道を歩いているように思いながらも何故か光から離れたような感覚を身に付けていると感ずる場合があります。でもそれこそがあなたの特質であり、あなたはいろんな光と触れ合いながらもその光の特性を少しずつ変えていく役割があります。いろんな人の光に出会って、その光を少しずつ変えていく、チューニングしていくという役割があり、そのために常にいろんな変化が訪れてきます。その変化をあなたは楽しむことができます。いろんな人がやってきたり、いろんな人が変化するのを楽しんで受け入れることができます。したがって光の道を一つの方向に決めたり、固定的なものにとらえる必要はありません。いろんな変化を楽しみ、流れを探そうとしていく、そういう光の道を歩んでいってください。

Hirokoさんの光の道を見た時、あなたの光の道は今、目の前にかなり現象化されており、少なくともこれが光の道と思える状況に入ってきています。ただどこかで何か不安があり、確実に飛び込めないエネルギーがあります。自分の感じている光の道と何故かそこに踏み切れない思いがぶつかり合い、結局一歩下がったところから光の道を歩く状態になっています。堂々と光の道を踏みしめ、感じ、しっかりと道を歩いている実感がまだついていません。これは今までのいろんな学びにおいて光の道と感じていて光の道ではない感じが出てきて、光の道を歩いていながら他の人から光の道ではないと言われたりしたいろんな経験から創られた思いがあり、それによって常に慎重に一歩下がって歩くという姿勢が身に付いたものと言えるでしょう。いろんな学びの過程においてそういう波動を持つ人はたくさんおります。いわゆるライトワーカーと言われている人でもかなりの人がそういう歩き方になっています。喜んで堂々と歩くというよりは周りの人の歩くのを見て自分も歩いている、一歩、一歩確認しながら前に進むという歩き方になっています。はじめのうちはそれでも構いませんが、そうすると周りの人も皆それに合わせ、後ろの人が先に進めなかったりして結局自分自身がそういう光の道の流れを止めているように働きをする場合があります。それが他の人から見て光の道ではないという印象にとられる場合があります。堂々とあなたが進めば進むほど、本来の光の道であり、光の道で立ち止まってしまうと光の道ではないように感じられてしまいます。したがって、今歩いている道は何の問題もなく堂々と喜びを感じながら進んでいく、まずはそういう意識をしっかりと創り上げるのが良いでしょう。もう今のあなたには惑わすものや、足を引っ張るものはほとんど存在しておりません。したがって堂々と前に進んで何も問題はありません。自分の行く道すべて光の仲間と一緒に喜びを持って進むようにしていってください。

Keitaさんの光の道を見た時、あなたの光の道はとても広大で目の前に自分の歩くべき領域が果てしなく広い道になっております。この光の道にあなたは立ち止まりながら光の道の雄大さを誇らしげに感じ、見とれ、黙って立ち止まっております。この雄大なる光の道をただ見て楽しんでいる。自分のものにするためには歩かねばなりません。前に進み、しっかりと光を取り入れ、また、出していかねばなりません。光を取り入れ、自分のものとする、その意識が足りないといえます。光を見るのではなく、光を取り入れていく、他の人の光を見るのではなく、自分から光を出していく、これが必要になります。自分の言葉から肯定的な言葉、喜びを与える言葉がどれほど出ているのか、それを基準にして自分の光の道の進み具合をチェックするようにしていってください。

Minoruさんの光の道を見た時、あなたの光の道はあなたにとって自分の道がしっかりと出来上がり、信念を持って進めるような道になってきています。そしてこの道は自分が自分のために一生懸命創り上げた光の道といえます。あなたにとって満足できる喜びをもたらす光の道になってきています。この道があなたの大いなる本質から見た時、まだ見方が一つの見方に留まっているために、大きな光の道のほんの一部にしか道ができていない状態に感じられます。太い大きな道が用意されていながらその中の細い道を自分の道と思い、一生懸命喜びを見つけようとしてくまなく歩いている最中と言えるでしょう。これは光の道を歩む過程において誰もが経験する流れであり、これ自体を否定的に感ずる必要はありません。次の段階としてこの自分の道を限定するのではなく、さらに自分の考えられるものすべてが自分の光の道であるということ、自分の頭に思い浮かぶものはすべて自分の光の道であるということ、したがって頭に浮かんだ光の道から自分の道がどれかと探すのではなく、頭に浮かんだものがすべて自分の光の道であるということ、それをまず理解する必要があります。あなたの本質的なものは無駄なものは何も与えていません。必要なものをすべて与えています。あなたに考えられるものはすべてあなたのやることであり、進むべき道になります。そこから選ぶのではなく、それがすべてなのです。そういう考えで光の道をもう一度再統合して、大きな、大きな道を歩んでいってください。


皆さん方の光の道を眺めてみました。一人ひとりの光の道はとても素晴らしい道になっており、私たちも一人ひとりを見ながらとても大きな喜びを感じました。多くの人がやはりここでいろいろ学んだだめにしっかりとした光になっており、流れができ、また多くのサポートが得られております。

地球に関与している多くの神々が本当に真剣に皆さん方に協力して流れを創っております。私たちもこれだけ多くの存在が関与しているのを改めて実感することができました。皆さん方はあまり実感がないかもしれませんが、これはとても素晴らしいことです。

自分の光の道を本当に信じてこれからも神と光と一緒に学びを続けていってください。それでは少し休憩を取ります。ありがとうございました。


B個人の思いと魂の思いが合わさって現実ができる

今日は一人ひとりの心の状態から価値観や自分の心の純粋の仕方、光への進み方についてのお話がなされておりました。人間として生きる時、喜びを求めて生きていきます。何を喜びと感ずるかで価値観が分かれ、それが自分のエゴを満たす方向なのか、魂の思いを満たす方向なのかで、複雑な現実を現していきます。

基本的に自分の体験している現実は自分の思いが求めた現実と、魂の思いが創り上げた現実の合わさったものが常にやってきます。したがって現実には個人的なエゴで引き寄せたもの、魂の思いが引き寄せたものがあり、現実を通して魂と自分自身の思いを満足させることができます。

したがって今自分の体験している現実がエゴの道なのか、光の道なのかと聞かれた時、基本的には両方の道を同時に歩んでいることになります。ただその両方の道を歩んでいると言っても自分の心の中にエゴがほとんどない人は、結果的に魂の思いが優先しているように感じられ、自分のエゴが強い人は自分の現実を自分のエゴのために生きていることに感じられてしまいます。

したがって現実そのものから見た時に、中々すべてを判別することはできません。常に自分の思いと魂の思いから創られている状況であり、自分の心の中にエゴや光を求める思いがどの程度入っているのか、それだれが決めてになります。

したがって自分の心の中に他の人と喜びを分かち合い、他の人を明るく楽しくさせ、そして地球全体が一つになって、統合化に向うような流れになっていくのか、それとも自分だけが頂点に立ち、自分のために他人をコントロールし、自分が満足する流れに入っていくのか、それだけが唯一の基準になっていきます。

自分の流れをそういった観点から確かめて自分の道をチェックするようにしてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2003 CentralSun
前へ戻る