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2002/9/11■水曜瞑想会から

マインドでつくったエネルギーに惑わされる

@自分を妨げている波動をワーク

私たちはある集まりの仲間としてお話をいたします。今日は皆さん方のワークのために私たちが特別に集められ、皆さん方のワークのためにいろんな状況を設定しておりました。今日は初めに時空に関しての話と浄化についての話があり、それを組み合わせて一人ひとりの成長に役立つような仕組みがつくられておりました。


Yukikoさんのワークにおいては、あなたの見たビジョンはまさしくあなたがつくり上げた自分のエネルギーであり、また今までそこでいつもつまづいていた波動でもありました。自分の愛、自分は愛をいっぱい胸に持ち他の人に与えようと思っても相手には伝わらなかった波動、自分では愛と思っても他の人は愛と感じてくれていない波動。そういったエネルギーでつくられたイメージでした。自分が愛と思っていることと他の人がそれを愛と感ずることの間には大きな違いがあります。それを超越することが一つのテーマになっております。自分では自分をしっかり愛と感じている、他の人がそれを愛と感ずるかどうか、そこの違いが何であるのか、それを理解してもらうためのワークになっておりました。基本的に自分自身が愛そのものになり、自然そのものになる。相手という区別をしている限り愛にはならず、相手と自分を隔てるものすべてを取った時に本当の愛が流れていく。また流れるというよりも愛そのものになっている、それを実感していただけたものと思われます。

Izumiさんにおいては、あなた自身の学びにおいて、次の段階に向うべくワークが行なわれておりました。神とは何であるか、それは永遠のテーマになるでしょう。今はまだ概念やエネルギーレベルで感ずることが精一杯だと思われます。でもマスターになっても天使になっても神とは何かを学んでおります。当然そこにおける神の学びはエネルギーや概念ではありません。まったく別のレベルで神を学んでおります。そしてあなたにおいても同じように神を思う概念やエネルギーで学ぶ時期は終わっております。次の段階として何を学んでいくのか。もうそのレベルに入ってきております。神を思う時、概念やエネルギーで思うのではなく、別のレベルで神との学びをやっていく、そう考えた時、自分は神から何を学ぶのか、何を教わっているのか、そういう観点でまたいろんな学びを進めていってください。

??koさんのワークにおいては、あなた自身の成長のために大きな壁になっているのは、あなたが自分でつくり上げた自分の偶像があり、また自分の世界があります。しかしそれを良いとか悪いとかいう価値観を与えてはいけません。良い悪いではなく、それがあなたのつくり上げた世界そのものであるということ、まずはそれを認めることが必要です。それを否定したり、壊そうとしたり、もっと良いものにしようとかいう考え方自体が自分の世界を破壊させていきます。まず今の自分の世界そのものを受け入れること、それが自分であるということ、それを認める必要があります。自分が見ている現実を否定している限り、本当の自分に出会うことはできません。先ず自分をしっかり受け入れる、どのような思い、どのような状況になってもそれが自分そのものである、先ずはそこからすべてが始まっていきます。自分を認めることができない限り出発点には入っていきません。

Kyokoさんのワークにおいては、あなたの今日のワークにおいてとても面白いシンボルが現れておりました。そのシンボルにはそこの奥のところで留まっている人々と、彼らがどうしても入ることのできない世界、自分たちの世界で必死になって苦労している様、いろんなものが現れておりました。これはどの人の心にも入っている落とし穴であり、誘惑の種になっております。いわゆる皆さん方を光の世界から取り除き、別のところに向わせようとする落とし穴、光の世界から離れさせようとする落とし穴が実にそういう風に見えております。そして落とし穴に落ちた場合でもほとんどの人はそれを落とし穴とは気がついていないのです。さらに進むべき山があり、目標があり、頂上がある。その頂上こそが我々の進むべき光の頂点であり、神であり、天国であり、ユートピアであり、シャンバラである。そう教わっているために、その更なる頂上を目指して学びを続けようとします。これが闇のものが皆さんに与えた落とし穴の姿なのです。落とし穴に落ちていることすら気がついていないのです。そこから立ち上がるにはどうしたら良いのか。単純に自分が神であり、光であると思うだけで光のエレベーターが現れてくる、とても良いシンボルでした。その自分が神であり、光であるということを信じている限り、どのような落とし穴でもそこから出ることは出来るのです。しかしそれに気付かない限り絶対に出ることはできません。絶対にできないこと、すぐにできること、それは自分が神であるか、それを信じるかどうかのたった一つになります。とても素晴らしいシンボルをシェアしてくださいましてありがとうございました。

Yasuhiroさんのワークにおいては、あなたはずいぶんマインドに捕らわれているということを気にしていますが、気にしていること自体がマインドの世界で創られた一つの状況といえるでしょう。ただ今のあなたの学びの段階においては、それは仕方がない状況かもしれません。あなたの今の波動を見た時、一気に今から開放されるとか、波動が変わるということはそんなに私たちも考えておりません。あなたの今のマインドレベルで見た時、今の世界を十分に楽しむということ。まだ知っていない世界から別の状況へ向おうとか、何かを変えようとか思うよりも、今の現実の世界そのものを十分に楽しみ、味わい、堪能し、喜びを感ずる。私たちから見ると単純にそれで十分なように感じられます。何か早くこの世界から脱却して何か聖者に早くなりたい、どうもそんな感じが受け取られます。でも、そんなに無理しないで今のこの世界で十分喜びを感じ、愛を分かち合い、人々と喜びを分かち合う、まずはそれが大切なように感じられます。

Masayukiさんのワークにおいて、中々実感が得られないという話がありました。実際にあなたの話した言葉は、別に否定的なことではなく、また劣っているとか悪いとかいう意味はまったくありません。むしろ今の地球のごく普通の意識であり、ほとんどの多くの人がそういう状態にあります。むしろいろんなものが見えたり、対談できる人が異常な人間と言えるでしょう。したがって今の自分をあえてこういう集まりの中で否定的に思ったり、自分をおかしく見る必要は一切ありません。まだ今の自分の意識レベルで見た時、これは光の道を歩むものとしてどういう風に捉えていくのか。自分が感じられず、分かち合うこともできない状態にある時に光の道を歩くということはどういうことなのか、それについて考えることはとても良いことだと思われます。基本的にライトワーカー、光の道を歩むものは、光を失い悩み苦しんでいる人に光を与えていく。今迷っているもの、苦しんでいるものに光を与える、これが唯一の光の仲間たちの役割になります。自分が見えようが、見えまいが、理解しようが、しまいがそれはほとんど意味がありません。自分の周りの人で困っている人、自分に何か相談をもちかけてきた人、悩んでいる人、そういう人が目の前にいたらそれは確実にあなたからの何らかのアドバイスを求めているということです。それを知らんふりしたり、無視したり分からないと言って否定するのではなく、まずは聞いてあげる、一緒に話してみる。何か手伝えることがないか考えてみる、これが光の仲間の第一歩になります。したがって別に超常的なことに意識を向けるのではなく、現実レベルで他の人の心に目を向け、共有してみる、先ずはそれをしっかりとできるように練習を進めてみてください。

Michikoさんのワークにおいて、今日は自分なりにいろんな体験をして、とても良い波動の状態で進められておりました。基本的にいろんな存在たちが人間と関わり合う時、本当にその人が喜びを持ち、楽しさをもってワークをしている時、いろんな精霊や仲間たちがどんどん集まってきて、一緒に分かち合おうとします。そして人間と一緒に喜びや楽しさを分かち合う時、いろんな存在たちが同時に喜びを感じ、地球全体がとても良い波動に変化していきます。今日のわずかな時間においてもそういう時が何度もあり、あなたが喜びを感じている時、地球のいろんなスピリットも喜びを感じておりました。何かが分かるとか体験できるとか、意識できるということも確かに意味はありますが、それだけではなく単純に喜びを分かち合う、地球のいろんな存在たちと一緒に楽しんでいく、これはとても良いことです。瞑想にもいろんな色があり、いろんな波動があります。そして一人ひとりその波動が違います。ある人はどんどん先に進み、どんどん闇を光に変え、地球の人間たちの意識に届く働きをする人もいるでしょう。でもそれとは別にただ愛と喜びを分かち合う、それもとても大切な働きです。一人ひとりできること、できないこと、得意、不得意があります。他の人と比較することなく、自分は自分で自分のやり方で宇宙と分かち合う、地球と分かち合う、常にそれを忘れずに練習を進めていってください。


今日は皆さん方がそれぞれ自分の得意とするところでワークができ、それなりに素晴らしい成果があったことをご報告いたします。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2002 CentralSun
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