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2000/10/16■月曜交流会から

方向性が合っていれば問題なし

@光の道を歩むという学び

私たちは光の仲間として話をします。光と光でないものの学びで悩み、混乱し、自分について考え方や認識の仕方を作りなおしている人もいるようです。皆さん方の肉体のレベルで光を学び、光の道を進むというのは簡単なことではありません。誘惑が多く、失敗し、ミスを犯す人間として光の道だけを歩きつづけるというのはたやすいことではありません。ただ、毎回、常に光の道を進むという意味ではなく、皆さん方の方向性が光に向いているということ。細かいところではミスをしたり過ちを貸したり、混乱したり、他人に嘘をついたことがあったとしても、皆さん方の方向性が光に向いている限り、皆さん方は自分を責める必要はなく、私たちもそれを責めることはありません。

したがって光の道を歩むというとき、方向性が光に向いている、自分の意識が常に光に向いている、これをまず理解するようにしておいてください。一つひとつの言動、細かな動作の一つひとつが光に合っているかどうかを気にするのではなく、自分の方向性が光に向いているかどうか。ほかの人のことを考えたり、何かをしてあげるとき、それが方向性として光に向いているかどうか。本当にその人のことを思い、その人が光に溢れ、愛に溢れる方向に進むように自分が何らかの言葉を与え、行ないをしたかどうか。

自分としては相手のために必要と思い、相手のことを思って言葉を与えた。でも相手はそれによって傷つき、落ち込み、元気がなくなってしまった。これは本人の意識的な方向性としては確かに光を考え、光に向いています。ただ結果的に相手は落ち込み、元気をなくし、光をなくしてしまった。これはある意味ではその人自身が自分の責任で光をなくし、皆さんが与えた光を受け取らなかったという状況ともいうことができます。では自分のそのときの行動が完全にそれで良いのかどうか。光の方向性としては間違ってはおりませんでした。ただ相手を思いやる気持ちが足りなかったり、相手に必要な言葉を与えることができませんでした。すなわち愛が足りなかったといえます。

方向性としては光を考え、光を意識していたのにもかかわらず、愛が入っていなかったということ。したがってほかの人にアドバイスを与えたり、言動を通して何らかの奉仕をするとき、方向性として光を考え、光に沿った行動であったとしても、結果的に相手が拒否し、光から離れ、愛を感じなかったときには、自分の言動は愛のある言動ではなく、また好ましくはなかったということができます。

ただ一概にこれが間違っているということはできません。相手が愛を感じなかった。でも自分は光を意識し、光の方向性を示しているにもかかわらず、相手はそれをまったく感じなかった場合、その人そのものにも愛が足りなかったということができます。仮に愛を持って言葉を与え、行動をとったときに、相手はどう対応してきたか。示した光を見抜けない以上、愛をしっかり受け取ることもできていないでしょう。おそらく優しさとか、気持ち良さという愛情を感ずることはできたとしても、その人を成長させる真実の愛を感ずることはできないでしょう。したがってその人はもともと本当の愛を感ずるだけの能力もまだ身についてはいなかったということになります。

愛はそれを受け取る側においても愛を感知する能力が必要であり、愛を与えたからといって皆が同じように愛を感ずるわけではありません。この段階において、いくら光を示し、方向性を言ったとしても、それを愛を持って受け取るもの、愛なくして拒否するもの、感じないもの、いろんな人が存在することになります。

もし、相手が愛を感ずることなく、無視したという場合は、自分の心のほかの人の愛を素直に受け入れる気持ちができているかどうか、自分が同じようにされたとき、自分はそこに愛を感じ、感謝のエネルギーを出すことができるかどうか。これを考えてみる必要があります。つまりせっかくしてあげたのに相手は愛を感じなかった、というときには自分もほかの人の愛に対して愛を感じない波動があるということを意味します。ほかの人が光を当ててくれたとき、その光を自分は感ずることができたかどうか。方向性を示してくれたとき、それを受け取ることができたかどうか。

ほかの人のとる言動は、自分の心の表れであるということを思い出す必要があります。その人のためにせっかくしてあげたのに、無視された。あの人のためにわざわざやってあげたのに、何も応えてくれなかった。これは自分の心の中にそういう波動を持っているということを意味します。自分は素直に感謝の気持ちを出したかどうか。光の方向性を口に出し、自分もその光の方向にしっかりと進もうとしている。自分の考えていることが本当に光の方向であるかどうか。どうやって光の方向を見つけ出すのか。

光の方向について考えるとき、光の方向で流れを見たときには、そこにおいては喜びの波動しか現れず、混乱したり悩んだりしたりする現実は本来は与えられておりません。ただ現実的に光の方向に進んでいても、混乱が起こったリ、争いが起こる場合があります。時々、お互いが正しく、お互いが光の方向に進んでいながら、お互いで争う場合があります。光の方向というのは、単純にすぐ分かるものではなく、一つひとつの状況においてその場が本当に光の方向に向かっているかどうか。調和とバランスがとれた流れに入っているかどうか。それを考えていく必要があります。

光は皆さん方に力を与え、勇気を与えていきます。光である限り、皆さん方は光の仲間と一緒に行動することができます。光と共に歩く。自分は常に光と共に歩き、迷うことなく、常に喜びが得られる方向へと進んでいくことを理解するようにしておいてください。


A光でないものを否定する必要はない

さて、光と光でない道についての話がありました。皆さん方の普通の状況においては、自分が何か新しいことをしようとしたり、セミナーやワークに参加するとき、これが光のメッセージであるかどうか、自分はそれを受けて良いかどうか、それを考える場合があります。ほかの有名な人のワークショップ、初めての人のワークショップを受けるとき、これが光のものかどうか。それを知ろうとして、いろんなことを試みる場合があります。

ここ以外のワークを受けようとするとき、ほかの人から紹介されて何かを受けてみたいと思ったとき、基本的にそういうワークは自分の意志で自由に受けて構いません。確かにほかの人から何かそういう紹介があったときには、ある意味では受けなさいというメッセージであったり、受けても大丈夫というメッセージの場合があります。ただたまに例外として私たちのメッセージではなく、別のものからの誘惑によってそういうセミナーが皆さん方に紹介される場合もあります。

ではそういうセミナーに気がついたとき、自分はどういう行動をとっていくのか。初めから気が進まず、明らかに光でないと気がついたとき、それを自分の意志で断り、初めから参加しないという方法もあります。それによって自分のエネルギーは光以外のものに染まることなく、純粋性を保つことができます。しかし逆に、わざとそういうセミナーを受けに行く場合もあります。光でないものと分かっていながらも、それを受けに行く。そういうときには、そこに光を入れていくという役割が演じられているときです。光以外のものに染まるのではなく、逆に真実の光をそこに送り届けてくる。自分の体を通して、真実の光を置いてくる。これが演じられる場合があります。

そこにおいて光でないものは、真実の光がやってきたことに対し、混乱し、そこにとってのいろんな経験が起こることになります。光以外のものたちがそれによってとても居心地が悪くなり、場合によってはもう二度と皆さん方を呼ぶことがないかもしれません。それはそれで問題がなく、真実の光をそこに置いてきたということだけで役割を演じております。したがって自分は常に真実の光とつながり、自信を持って迷うことなくそこに光を届けてくる。こういう気持ちを持っている限り、自分は迷うことはなく、混乱することはありません。

光以外のものに関係し、自分は初めはそれを光と勘違いし、その光をどんどん入れてしまった場合、自分は光と信じている以上、その光でないものは光として皆さん方の体の中に深く入りこんできます。そして皆さん方をコントロールしようとして、体の中の隅々まで調べ、隙を発見し、細かいレベルにおいてつながりを作り上げていきます。そのやり方はとても狡猾であり、計算尽くめであり、1回や2回の除霊ではまったく出ることができないような仕組みを作り上げていきます。

こういう状態は皆さん方がいちばん嫌っているものであり、いちばん好ましくないものと理解をしております。でも皆さん方がそれに対しおびえ、不安を感じ、心配の気持ちを出すと、光でないものはよけいに強い力を発揮し、皆さん方によけいにしがみつき、出ることができないように頑丈に作り上げる働きが強くなっていきます。そういうエネルギーに関与したとき、無理して取り外そうとか、なくそうとかする思いを作ることなく、自分はただ本当に光とだけつながっている、真実の光とだけ学びをする、常にそこに戻る必要があります。

ただその光でないものを真実の光と誤って理解していたとき、これは本当にその人に深く関与したまま、真実の光のように影響を与えていきます。本人が気がつくまで、それは真実の光として作用しつづけていきます。そしてそれは真実の光でないと気がついたとき、そういうエネルギーとの対決が始まっていきます。皆さん方がその段階において不安を感じ、恐れを感じ、心配のエネルギーを出すことにより、彼らの力はますます強くなっていきます。気がついた段階で、自分の意識はまた本来の真実の光に意識を向け、自分をだましていたエネルギーや光でないエネルギーには意識を向けることなく、常に真実の光と意識を合わせておく必要があります。

したがって不安や恐れをいっさい抱くことなく、常に真実の光に意識を向けておく。それによって自分のところに近づいてきた光でないものとのエネルギーの関係を切り離すことができます。でも一般にこういう学びをする人は光でないものたちから見て、かなり邪魔になる存在であり、そこまで力が、光が強くない人はわざわざ彼らが近づいてきて入り込むことはありません。わざわざ皆さん方に近づいてくるというのは、ある意味では死を覚悟しているような存在であり、そういった意味においては決死の覚悟でやってきております。

自分に近づいてくる光でないものたち、それは自分の光の強さに応じてやってきているものであり、皆さん方がしっかりと光の道を歩んでいる限り、彼らもそんなにうかつに近づくことはありません。ただ隙を見せ、誘惑に負けたとき、瞬く間に彼らが入りこんできて、皆さんをコントロールしようとします。光の道を歩もうとしているものたちはこういう経験を何度も重ねることになります。こういう経験をまったくすることなしにただ毎回、光の道を進みつづけるというのは、現実的にはできるものではありません。何度も何度もだまされ、ごまかされ、挫折し、落ち込んだりしてはじめて光でないもとたちのやり方を理解し、彼らとの決別を図り、自分は自分の光と一緒になって自分の光だけを見て前に進む。こういうことができるようになっていきます。

光と光でないものの区別はそんなに容易ではありません。皆さん方に関与するエネルギーは特にそうであり、とてもずるがしこく、巧妙に光のフリをして現れてきます。でも自分がしっかりと光の方向性を見つめ、光と一体化している限り、惑わされることはありません。不安を持つと彼らにエネルギーを与え、彼らを引き寄せることになります。不安や心配をいっさい出さないこと、自分の光を信じて進むということ、常にここを大切にして進むようにしていってください。


先ほどの話で、1日ごとに自分の心の状態が大きく変化するという話がありました。一人ひとり体験すべきエネルギーがあり、時間によって違い、環境によって違います。でも本人が体験すべき学びは一貫しており、普通は対立的なエネルギーを交互に経験することによってその学びを解消できるように作られていきます。喜びとなるエネルギーがあれば、悲しみとなるエネルギーも経験していく。得意な分野があれば、苦手な分野も経験していく。こういう流れによって現実が進むように作られております。

でも普段の意識で見たとき、交互にきているというう感覚はなく、どちらかに偏っているという風に感じてしまう。普通はそういう感覚になっております。交互にくるというよりもどちらかが一方的に繰り返してやってくる。でも実際には交互にやってきています。自分がそれを受け入れていないだけであり、認めていない証ともいえます。その交互にやってくるエネルギーをうまくコントロールし、自分の流れに持っていくと、そのエネルギーの学びが終わり、そんなに何度も繰り返すことがなくなっていきます。交互にやってくる場合でも、その両極端のエネルギーを一つひとつ、自分の学びとし、そのエネルギーの学びから解放できるようにうまくコントロールしていく。そういうやリ方で体験をみるようにしてみてください。

それでは少し、休憩をとります。ありがとうございました。


B他人とのコミュニケーションを大切に

私たちはハイアラーキの仲間として話をします。一人ひとり体験している現実が違うために、お互いに自分の話をしても時々通じない場合があります。一見、同じような体験をしても、学んでいるテーマが違っている場合には、そこで求められている解決の仕方や自分の理解の仕方がかなり違うことがあります。だからといって会話することやお互いの話しに意味がないというわけではありません。いくらテーマが違っても、お互いに話し合い、自分の思いを表現し、相手の思いを理解しようとする気持ちにはとても大きなものがあり、そういうコミュニケーションを通して自分の理解すべきことを知ることができたり、新しい出来事に発見がある場合があります。したがって一人ひとり学びが違い、自分は自分、その人はその人と理解していても、コミュニケーションは必ずお互いにとるように常に意識をしておいてください。

それでは個別にアドバイスをしていきます。Masahiroさんの最近の学びについて、自分なりにいろいろと考え、テーマを持ち、真実の光と真実でないものとの体験を過ごしてきました。でもそこから何を手にしようとしているか。自分は何を学ぼうとしているのか。何かそこで明確な答えやテーマを見つけようとしても、それは明確に頭で理解できることではありません。今の三次元の肉体のレベルでは、光と光でないものの狭間における体験は最後まで付きまとうことになり、解決するとか、二度と関与されないということは不可能といえます。

したがって光でないものに関与することを恐れたり、関与されないようにするという発想そのものを取り除く必要があります。むしろ光でないものがやってきたとしても、それを利用していく、うまく扱っていく、というやり方で接するコツを身につける必要があります。自分はそれを恐れたり、無視したり、消そうとするのではなく、むしろ自分の成長のためにうまく利用していく。そういう観点で見るようにしていってください。

Minoruさんの学びでは、あなたにとっての大きなテーマが今年、いくつかありました。今は主に感情レベルにおいて、あなたが自分の真の感情を使い、表現し、表に出すという学びが始まっております。ほかの人の愛を受け取るためには、自分の真の感情を表に出すという練習が必要になります。自分の真の感情を出さずにいたのはどういう理由であったか。無意識のうちに相手の愛を避けているところがありました。相手の愛をわざとストップさせ、自分は自分の世界で十分という思いがありました。でも今はあなた自身が積極的に他人と交わり、愛を交換しようという意識になってきております。そしてそれと同時に、今、感情のエネルギーが動き出し、感情を通して他人と接しようとして働き出しております。

恐れることなく、恥ずかしがることなく、感情を表現し、他人と交わり、そして自分の愛を積極的に出していくという流れに入っていくでしょう。光と愛の学び、ここから抜け出ることはできません。そのためにも、愛を本当に体で表現し、分かち合い、体験していく。この学びは不可欠のものであり、また確実に身につけていくべきエネルギーです。あなたの愛に満ちた新しい学びが始まろうとしております。自分の愛を信じ、他人の愛を信じ、豊かな人生に作り変えていってください。

Shuheiさんにおいては、一人ひとりの考え、自分の思い、これらを無理に統合しようとしたり、一つのものにしようとしても、必ずしも論理的に一つになるわけではありません。分析したり、評価したり、論じたとしても、それらが一つになることはありません。一人ひとりの考え、意識はかなり差が大きく、すべてに共通点があるとも限らないのです。自分は自分の考え、自分の理解の仕方があり、ほかの人にはほかの人の理解の仕方があります。自分は自分だけの考えで進めても構いません。しかしほかの人はほかの人の考えで進めている。それを認める必要があります。自分と他人を無理にひとつに統合しようとしたり、共通的にくくってしまうことはあまりしない方が良いでしょう。自分の成長と他人の成長、それぞれ別のエネルギーで動いているというのを理解しておいてください。

Yukikoさんの場合は、あなたに与えられているテーマのうち、自分自身に関するエネルギー的な学びはかなりあなたに理解されております。自分自身のエネルギーの中でも、自分の真の成長に結びつく波動についてはまだ完全に理解されていないところがあります。自分自身の真の成長に結びつくのは、あなた自身の考えの中に自分だけの特殊な考えの部分があり、それを成長させ、発展させることによってあなた自身の特徴に合ったエネルギーが活性化されていきます。自分自身に与えられているオリジナリティ、自分だけのもの、そこに気づき、目覚め、活性化させて、それによって自分の光を広げていくやり方を見つけていってください。

Narumiさんは自分の考え、自分の思いが周りの人にいろんな影響を与えており、それはあなた自身にもまた影響を与えていきます。周りの人に影響を与えてからその人の波動を通じて自分に戻ってきます。あなたはそれを自分のものとして受け入れる必要があります。ほかの人の所為ではなく、すべて自分の責任であるということ。自分の出した波動がそのまま戻ってきているということ。それを素直に受け入れ、コントロールし、自分のほうから先にエネルギーを変えるというやり方を身につけていってください。

Mizuhoさんは自分なりに作り上げたいろんなエネルギー、人間に対しての価値観や判断のエネルギーが確かに残っております。そしてしばらくは確かにそれによっていろんな状況が起こるかもしれません。でも今、話されているように、これはあなたが自分で解決できるように現実の流れが進んでおります。まだ自分では実感がなく、どう対応して良いのか分からない、うまくできないと思っているかもしれません。でも現実の流れは確実にあなたがそれをコントロールできるように、うまく自分がそれを使いこなせるように現実が進んでいっております。

したがって今の段階においては、自分はもう十分にいろんな人に光を与え、信頼し、許すことができるということ。自分はそれだけのエネルギーを持っている。まずはそれを信じることが必要です。今まで関与したいろんな人も自分は許すことができる。自分自身をも許し、愛し、認めることができる。まずはそれを今、しっかりと心に刻み、普段の意識状態がそうであるように持っていってください。


一人ひとり、心にいろんな問題を抱えたり、人にはなかなか話せないテーマがあるでしょう。でもそれは皆さん方をいずれは光で包み、愛で包む種ともいえます。したがってそれ自身を否定的に受け取ったり、ましてやなくそうとか手放そうと思う必要はありませんね。その種に愛と光でエネルギーを与え、愛の花を咲かせれば、それはそれで十分なのです。今、体験している不快なもの一つひとつは愛の種であり、いずれは愛の花が咲くということ。そういう解釈で毎日の人間関係を進めるようにしてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2000 CentralSun
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