まず、皆さん方に是非とも、理解していただきたいことがあります。何か分からないことが出てきても、どうして良いのか、迷っているとき、多くの人がいわゆるチャネリングという方法を通して答を引き出そうとしております。しかしそれは根本的な解決にはなりません。皆さん方は自分で答を導き出す必要があるからです。チャネリングという方法によって手にした答に何の価値があるでしょうか。善か悪か分らない。自分で考え、自分で答を見出した人は、それはそれで十分な判断力を身につけているといえます。しかしチャネリングという方法を利用し、それで答を手にしたからといって、それで本当に自分は解決できたといえるのでしょうか。
善か悪かの判断能力は何一つ身に付いていないのです。日本人の多くが、ただ答だけを引き出そう、早く答だけを手にしたいという人があまりにも多く、そういう考え方自体に私たちも愕然とする場合があります。なぜ、考えようとしないのか。なぜ、自分で導き出そうとしないのか。ただ答だけを探し求めている。答だけ合っていれば、それで良い。そういう考えがあまりにも浸透しており、勉強することがただ単に正解の道だけを歩んでいくことのように勘違いしている人がたくさんいるのです。
皆さん方の多くがリチュアルマスターというプログラムに入っており、自分で直接、判断し、選択し、歩いていく必要があるのです。にもかかわらず、自分で答を出さず、他人の答ばかり気にしている人、他人の答ばかり集めてそれで正解の道を探し出そうとしている人がたくさんおります。これではいくら正解を探したようにみえても、私たちから見ての正解の道には辿りついてはおりません。自分は何も分かっていないからです。
皆さん方に本当に理解していただきたいのですが、宇宙における試験は筆記試験ではありません。ただ答が合っていれば良いとか、うまくやっている人の真似をすれば良いとか、間違っていない人の後を付いていけばよいとか、そういうわけで合格点がとれるわけではないのです。にもかかわらず、皆さん方の生き方がいかにも筆記試験的な生き方になっております。ただ回答だけを探し求め、正解の通りに行動する。正しい答に合わせていく。私たちから見たら、何という愚かな行為、としか見えないでしょう。
考え方そのものを変える必要があるのです。ただ答だけを合わせようとして、闇雲に必死になって勉強していく。間違ったらどうしよう、どれが正解だか、早く教えてほしい。分かっているんだったら、なぜ早く教えてくれないのか。黙っていてずるい。そういう意識が完全に身に付いており、自分で考えるということの責任をまったく感じておりません。自分で答を導き出せない以上、何も分かっていないものと同じなのです。答ばかりを寄せ集めて、私たちに見せたところで、何の正解にも結びつきません。
何が正しく、何が誤っているのか。正しい人の後をただ付いていって真似をしても、それは正解にはならないのです。自分で答を導き出し、自分で必要なときに自分で判断する必要があるのです。これは今まで教わってきたやり方とはまったく違うかもしれません。でも皆さん方はそれを身に付けなければなりません。ほかの人の後ろをただ付いていく。うまくやっている人の真似だけをしていく。もうそういうやり方は通用しないのです。
一人ひとりテーマが違い、課題が違うために、当然も答も自分だけの答になります。人の真似をしても、それは正解にはなりません。うまくいっている人の真似をして、自分にとってはそれが間違いであるという場合すら、あるのです。自分にとっては何が正解なのか。今、自分はどうすることが自分にとっていちばん良いのか。そのときそのとき自分で考える必要があります。自分で考え、自分で導き出した答は自分だけのものであり、自分だけが責任をとります。ほかの誰も悪いわけではありません。自分が出した結論です。
しかし、うまくいかないと、それを人の所為にする。あの人が嘘を教えた。ちゃんと教えてくれなかった。何も言ってくれなかった。やたらと人の所為にします。自分の問題なのです。なぜ、自分で答を出さないのか。自分で考えようという考えができないものは、いつまでたっても答を手にすることができませんね。自然にやってくるわけではなく、誰かが教えてくれるわけでもないのです。自分で見つけねばなりません。多くの人は、いかに楽して自動的に手に入るか、そればかりを考えているのです。
早く、楽に、無駄なく手に入る。それがうまくいくことだと勘違いしているのです。決してスムーズに進むことだけがうまく進んでいる証ではありません。むしろその中で一人ひとりがどこまで成長し、どこまで愛を身につけ、人のために尽くしたか。それによってそれは評価されます。短い時間でうまくいったからといって、何一つ愛が入っていなければ、私たちはそこに何の評価も見出せないでしょう。いくら効率良く、うまくいっている人の真似だけをしていって、一見、分かったような振りをしても、そこに何一つ愛が入っていなければ、私たちは何の成長も見ることができません。
あたかも試験問題に答えるように、ただ答だけを探し求め、その通りだけをしておく。早く答を見つけ、先に自分だけが進もうとする。そういう意識の人があまりにも目立ち過ぎます。必然的に他人と比較し、誰がどこまで成長したか、誰が一番進んでいるのか、自分はどの辺に位置しているのか、自分より分かっていない人があとどれだけいるのか、そんなことばかり考えています。何の意味もありません。自分は分かっていると思っているものほど愚か者であり、謙虚な人間ほど素晴らしい波動を身に付けております。三次元的に評価できる基準がすべてではありません。
私たちはそんな三次元的なことで人間を評価することはほとんどありません。知識がいっぱいあるからとか、早く進んだからとか、要領が良いとか、ミスが少ないとか、そんなことは何の材料にもなりません。まったく私たちは考えることもありません。それよりもいかに他人の成長のことを自分は考えているか。自分より分かっていないものがいたら、なぜ教えようとしないのか。その人が一番成長できるために、自分はどうしたら良いのか。自分の成長のことばかり考え、他人の成長のことを考えていない人。
いくらいろんなワークを受け、知識を身に付け、新しい体験を増やしたとしても、私たちが皆さん方に対してこの評価方法を変えることはありません。いくらイニシエーションを受け、エネルギーを身に付けたとしても、根本的なところでは何一つ、私たちは見方を変えることはありません。他人の成長を願い、愛を身につけ、自分がこれまで身につけてきたいろんな道具をいかに使いこなしていくか。人々の幸せのために自分は動いていくか。この根本が身に付いていない以上、いくら知識を身に付け、エネルギーを身に付け、先に行ったように見えても、私たちはあまり評価はしないでしょう。
日本人はあまりにもそういう意識が強すぎるために、口には出さなくても競争意識がとても強く、すぐ比較をしたり、得意になったり、自身をなくしたり、そんなことの毎日を過ごしております。ほかの人と純粋に喜びを分かち合うということがなかなかできなくなっております。同じ仲間のように見えてもすぐに比較をしたり、嫉妬をしたり、うらやましがったりしてしまうのです。真の友達といえる人がどれだけいるでしょう。嫉妬を感ずることなく、競争心を持つことなく、比較することなく、純粋に喜びを分かち合える友人がどれだけいるでしょう。
皆さん方が求めている社会は、そういう友人ばかりが集まっている社会ではありませんか。にもかかわらず、皆さん方の心が創り出しているのは競争相手ばかりなのです。どうしてそれで皆さん方の未来がそういう素晴らしい人間だけの社会になるのでしょうか。自分の心の中に、自分の身近な人に、真の友人が少ないということは、皆さん方が目指すべき方向性は真の友人が現れにくいということなのです。比較することなく、競争することなく、嫉妬することなく、純粋に心を分かち合って、喜びを分かち合って、楽しんでいく。是非ともそういうエネルギーをまず心の中に作り、未熟な人々の中で作り上げ、そしてそれを広げるようにしていってください。
手放したように見えても、またいろんなことを原因として表に出てきてしまいます。でもそれでも皆さん方の場合には、今まで何度も心を癒し、エネルギーを浄化しているために、これからの可能性としてはとても良いものが感じられております。だからといって油断をしてはいけません。油断をすると、あっという間に心が変わり、気がついたときには別のエネルギーに完全に染まっている場合があるからです。油断をすることなく、常に自分の心をバランスをとりながら、素直に見ていく必要があります。
こういう競争心や比較のエネルギーはやはり西洋的な文化で育っているものには強いものがあり、したがって日本人がそういう人々から知識を受け入れるときに、知識と一緒に比較のエネルギーが入ってくるケースがあります。本来、日本人はそういう比較のエネルギーを持っていなくても、日本にやってくるいろんな西洋人の人々を通して日本人の心に比較のエネルギーがつくられていく場合があります。皆さん方もどうしてもそういう書物を読んだり、そういう知識を入れる傾向が強いために、知らず知らずのうちに比較のエネルギー、競争心のエネルギーが育っていく場合があるのです。
これからはそういったことによく注意しながら、いろんな知識を入れるとき、比較や競争心を育てることなく、純粋な知識だけを取り入れていく。そのためには、どれだけ知識を取得したかとか、あの人は自分より知っているとか、自分はまだ知らなかったとか、これを知っていないと損をするとか、そういう気持ちを初めからいっさい、持たないように、常に意識化しておく必要があります。どのような知識が与えられようとも、自分に必要なものだけをただ取り入れていく。自分に必要でないものは取り入れない。一人ひとりがそれを行なっている。常にそれを理解する必要があります。
ほかの人が自分より知っていたとしても、それはその人にとって必要な知識であり、自分に必要であるとは限りません。自分にとっては常に必要なときに、必要な情報が入ってきます。それを完全に信ずることが必要です。したがって比較したところで、何の意味もありません。ましてや自信をなくしたり、優越感を持つことには何の意味もないのです。西洋から入ってくる知識には、いろんなエネルギーが入っております。分かっている人間、分からない人間、教えようとするエネルギー、自分は分かっていないというエネルギー、いろんなものが入り込んでいます。
でも自分がしっかりし、隙を見せなければ、そういうエネルギーは心には入ってきません。しかしホンのわずかでも隙を見せたとき、自分は知らなかったとか、まだ分かっていなくて駄目な人間だとか、あの人よりは自分は知っているとか、そういう心が隙を作り、気がついたときにはもう完全にそのエネルギーに染まってしまい、もう比較をしたり、嫉妬をしたり、見下ろしたりするエネルギーが普通になってしまうのです。これからいろんな知識を手にしたとしても、常にその原点に戻り、知識の多さで比較をしたり、まだ必要でない波動をエネルギーとして取り入れることをしないようにしておいてください。
西洋から入ってくる知識には、それなりに良いものもたくさんあります。体系化されている知識には、古代からの智慧がたくさん入っており、これまで皆さん方が考えても考えても分からなかったものが実際には智慧として体系化されている場合がたくさんあります。ただそれらを前提にすることが良いのかどうか。皆さん方はそれに時々、悩む場合があるでしょう。ここではそういったことはあえて何も説明することなく、私たちは皆さん方と直接、話すことができておりました。したがって古代からの智慧を使わなくても、実際には皆さん方は十分に私たちと話をすることができました。
では何のために知識をわざわざ手に入れているのか。確かにここに来ている多くの人はそういう学びをしなくても、私たちと直接、話をすることができました。ただそれは全員ではありません。ある意味では私たちと約束をしたもの、私たちと契約をしたものだけがここの場にやってきて、話を聞くことができたのです。では私たちと契約をしていない人はどのようにして私たちと接するのでしょう。結局、そういう人のために用意されたのが知識を通して私たちと接する、古代からの智慧を通してそれを道具として使って私たちと接する、という方法なのです。
したがって今までここに来ることができなかった人は、古代の智慧を通し、そういう道具を使って私たちと接することができるようになります。でも初めからここで何度も勉強していた人は、本来はそういう道具をあえて使う必要はなく、十分に私たちとのコミュニケーションをとることができます。ただ、以前から私たちからの話ができたからといって、私たちがいちいち皆さん方にいろんな知識を与えたことは一度もありません。一人ひとりの生き方におけるアドバイスを与えることはできます。しかし古代からの智慧をここで教えることは許されておりません。それはやはり古代からの智慧を管理する存在たちが全体を仕切っており、皆さん方がその智慧を手にするためにはその存在を通してでないと手に入らないようになっているからです。
私たちはその存在の管理を優先しているために、やはり古代からの智慧はその管理をする存在たちから皆さん方に流していただくように、お願いしております。したがって皆さん方が古代からの智慧を手に入れる方法としては、今、学んでいるように、それを身につけたものから教わる、それを手にしているものから実際にいろいろと教えてもらう、という方法によって伝わるようになっております。私たちはあくまでも皆さん方の日々の生き方、日常の生活の仕方についてアドバイスをすることに意識を向けております。これからもそういった一つひとつ、分からないことや疑問なことがあれば、何でもここで話して解決し、心にわだかまりや不信感を抱くことなく、皆が本当に一つになって学びを続けていっていただきたいと思っております。それでは少し、休憩をとります。ありがとうございました。
何もせずに楽して愛が身に付くということはほとんどありません。そんなつらいことをして、なぜわざわざ愛を身に付けていくのか。むしろそういう体験を通して身に付く愛だから、愛が尊く、貴重なものなのです。愛のある人はそれだけ大変な経験をしてきているのです。愛にはそれだけの価値があるのです。一人ひとりがつらい思いをし、自分がイヤになり、人を信じられなくなったとしても、またそこで立ち直り、自分を許し、人を許し、力強く生きていく。そうやって愛が身に付き、光が出てきて、ほかの人を愛せるようになっていくのです。
今、皆さん方が学んでいることは確かに自分を強くさせ、理解させ、意識を広げる方向へと進んでいくでしょう。でも最終的にそれが愛に結びつかない限り、単なる知識で終わってしまったり、単なる学びで終わってしまい、結果的に自分の成長に結びつかないこともあるのです。自分の愛のために、意識の拡大や知識取得がどこまで役立っているのか。それもできれば意識化できるようにしておいてください。
私たちなりの簡単なアドバイスをしていきます。
Yukikoさんは自分なりに新しいことにいろいろと気づき、目覚め、心の在り方が少しずつ変わってきております。確かに今のいろんな学びを通して身に付けたこともたくさんあります。でもそれ以上にあなたの仲間たちがいろんな努力をし、あなたのエネルギーが根本から変わるように毎日、いろんな体験を作り上げております。あなたには想像できないぐらいの大掛かりな仲間たちが毎日の体験を本当に巧妙に作りだし、短期間であなたの波動がどんどん変わっていくようにいろんな工夫をしております。
あなた自身が見事、それに応え、自分の波動を少しずつ精妙に変えていっていることを仲間たちもとてもうれしく感じております。あなたがそれを意識化できればできるほど、成長は早くなるでしょう。まだまだプライドや傲慢なところも少し残っていますが、それ以上にあなたの光が溢れ出てきており、ほかの人を丁寧に見る気持ちも育ってきております。自分の良いところをもっともっとこれから輝かせ、あなたの本来の明るさを宇宙一、輝かせるように持っていってください。
Mizuhoさんは先ほど、アストラルの世界でのいろんな話がありました。あなたに語り掛けた女性のようなエネルギーは、ある意味ではあなたの世界の管理者であり、あなたがいろんな次元に行くときの調整やそのときそのときのタイミングを作ったりしております。あなたがその存在と仲良くすると、さらにいろんな時限に行くタイミングを自分でコントロールすることができるようになっていくでしょう。
あなた自身がうまく自分の体をコントロールできるようになっていくと、あなたには想像もつかない働きが行なえるようになり、地球はさらにいろんな次元とのつながりがスムーズになるように変わっていきます。あなたはそういった意味で、今、とても大切な体験を重ねており、あなたの成長が地球自身の成長にもそのままつながっております。今のペースで自分の特徴いかしながら、どんどん興味を持って進んでいってください。
Narumiさんは今年1年の学びがまだまだ完結していないために、本当に学ぶべきテーマが自分で解決できるか、というテーマがしばらく続くことになるでしょう。自分のエネルギーを自分でどうコントロールし、使いこなし、自分のものにしていくか、自分の特徴をどこまで理解し、自分だけのものをどううまく使いこなしていくか。まだまだ自分について理解する必要があります。自分の世界に自分ひとりで入ることをもっともっとやる必要があります。自分自身の力で自分の本質とつながり、自分自身のすべてを自分の力で理解する。今年はその練習をずっと、ひたすら続けるようにしていってください。
Minoruさんは今年、あなたなりにいろんな意識的な成長を行なうことができました。あなたの去年までの認識とはかなり違う認識が作られつつあり、むしろ長い間、あなたが願っていたことが現実化されようとしてきております。それと共に、自分の本当の姿は何であるのか、自分は本当はどこに向かうのか、そういったことをはっきりと理解する必要性が出てきております。自分は一番どういったことをするのが自分に合っていて、自分はどういう特徴を持ち、自分にとって一番楽しいことが何であるのか、そういった方向で自分についてもっともっと分析し、自分のエネルギーを十分に使い、自分の現実を自分の力で作り上げていく、という方向へと変わっていくことになります。
自分についてもっともっと興味を持ち、面白くなる時期がやってくるでしょう。それと同時に、自分の本当のことを見つける時期も近づいてクルでしょう。そこに至るまでに身に付けるべきエネルギーがまだいくつか残っております。今年はそういうエネルギーをいろいろとあなたに流し、あなたとのつながりを作ることになるでしょう。自分自身のエネルギー的な変化を自分で感じ、体で分かるように練習を進めていってください。
皆さん方は一人ひとり、とても大きな成長を遂げております。十分に今のレベルに満足し、評価し、自分を誉めていってください。でもまだまだ自分は分からないことだらけです。分からないことがたくさんあります。焦る必要はありません。時間をかけ、ゆっくりと毎日の体験を通して自分の真の姿を見つけるようにしていってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。