私たちが言っている光と皆さん方が捕らえている光の意味が必ずしも一致していないために、こういう争いが起こってしまいます。確かに皆さん方は生まれたときから光を宿しております。それは本当に一人ひとり本当に素晴らしい輝きであり、その人の人生において方向性を照らしたり、自分を導き、自分の理性を発達させ、成長させるための光となっております。ただそこの光はまだ経験が豊富ではなく、その光だけで善悪を判断したり、いろんな問題を次々と対処できるわけではありません。経験を通し、考え、間違いを重ねて光はより成長した光に近づいていきます。
確かに光は光として輝きがあり、純粋さがあり、一人ひとりのもつ波動も宿っております。でも私たちの世界から見ると、十分にトレーニングを重ね、鍛えられ、成長している光と、ほとんど経験することなく、ただそのままで時間を過ごしている人とでは、本質的な輝きがかなり違っております。それぞれはそれぞれのもっている輝きに応じていろんな現実が与えられていきます。それはその光がより輝きを増し、より遠くまでその光が届くようにするための経験となっております。
今の普通の地球人類の光はまだまだある意味では初歩的な段階の光であり、自分の心すらも光で満たすことができない輝きとなっております。そのためにすぐに迷い、悩み、恐れ、心配してしまう心の働きとなっております。自分の心の中の光をもっともっと輝かせれば、不安や恐れ、心配はかなり減っていきます。そして自分の心を完全に光で照らすことができるようになると、もう自分は完全にポジティブで、前向きで、積極的に人生を楽しんで歩むことができるようになっていきます。
この段階にまで成長すると、心の光は自分だけではなく、ほかの人にも確実に影響を与え、ほかの人の方向性や道しるべを与えることができるようになっていきます。ライトワーカーを目指して学びを重ねている人は、ほかの人にも役に立つことができるように、ほかの人の進むべき方向性、ほかの人の光をもっともっと明るくするための手助けをしていく。そういう役割のためにいろんな学びを進めていきます。
したがってライトワーカーを目指して学びを重ねるというのは、本来宿している光をさらに成長させ、ほかの人にも自分の方向性や皆の進むべき道が分かるように、光を照らしていく。悩みや問題を抱えていたとき、それを克服することができるように、光を見せていく。そういう役割のことを意味しています。
多くの人はまだまだ自分の光を見ることができないために、つい否定的な考えを表に出したり、自ら迷い、心配し、光の波動をどんどん弱くしてしまう場合があります。これは光を学んでいる時期においてはごく普通のことであり、それ自体を否定することはできません。そういう経験を通して光は次第に強く、遠くまで発することができる光へと変わっていきます。
もし自分以外にも何か手助けして、その人がうまく歩けるような道しるべとなってあげたい、という気持ちを持っている人がいたときには、自分の光をまず完全に自分でコントロールする必要があります。自分自身の心は完全に自分の光で満たされ、本来の光、宇宙やいろんな世界の光をも自分で扱うことができ、自分はその光の使い手となって光を自由に操っていく必要があります。その光の使い方をマスターしていくと、目の前にいる人、周りの人に対して、自分はその光を使ってうまくその人が満足するような現実へと導くことができます。
ライトワーカーとして光を学ぶとき、多くの人が闇を学ぶことになります。自分の心の中に宿しているプライド、傲慢さ、自分のいろんなエゴに働きかけるエネルギーがあり、そのエネルギーを通して自分の心を見ることになります。自分の心を完全に光にするためには、光でないものの影響を完全に手放していく必要があるのです。自分はどういう光に関係し、光でないものの影響をどこまで受けているか。それを見ていく必要があるのです。そして自分の心の中に光でない部分を見つけたとき、それを自分でよく見つめ、自分の心のどういうエネルギーからこの波動がつくりだされたのか。
光でないエネルギーをいつ、自分がどのようにしてもってきたのか。それを見ていく必要があります。光でない部分を完全に取り外して、本来の光と完全に一体化していく。これを目標にして、はじめライトワーカーは学びを重ねていくでしょう。そして自分は本当に光という実感を得ることができ、光の役割を演じているという実感が心から沸いてきます。光でないものを完全に追い出して、光とだけワークをしていく。これはもうライトワーカーとして活動する人にとっては最低限必要なことであり、ライトワーカーとして完全に光と一体化していることが本当に大切な条件になります。
自分の心の中に光でないものを見たとき、自分はこれをどうやって手放していくのか。光でない部分が心の中にある。プライド、コントロールのエネルギー、執着的なもの、これらの心を自分で見つけたとき、それをどうやって手放していくのか。ある人はヒーリングで手放す人がいるでしょう。ある人は瞑想で手放す人がいるかもしれません。でも本当にその人の心の中に光でないものが巣食っているときには、そんなやり方では手放すことはできません。心に巣食っている光でないエネルギーはそこに強く居残り、何とかして光でないエネルギーで心を支配しようとします。心の中のエネルギーを次々と光でないものへと変えていきます。
したがってあまり心を見つめたことのない人は、自分の心がどんどん変わっていってもその変化に気がつくことはあまりありません。自分は自分、何も変わっていない、としか思えない人もおります。心の中に光のないものは、それをまず見つけたとき、光でないエネルギーを無理に取り外して捨てるとか、無理に戦おうとすると、自分の心がどんどんおかしくなってしまいます。それらは奪い取るものではなく、切り取るべきものでもないからです。
光がないのは単に光がないだけです。光を入れることを学ばねばなりません。光がないものは敵対するわけではなく、歯向かってくるものでもなく、単純に光がないのです。そのために分かっていなかったり、弱かったり、甘えていたり、落ち着きがなく、いい加減であり、理性がないのです。光がないからといって無理に取り払おうとしたり、無視したり、それをやっつけようとしても、意味はないのです。光がないところに光を入れていく。それはまるで、始まったばかりの弱い光を長年かけて育てていくようなものです。そして光を強くして、理性にあふれ、遠くまで届く光へと成長させていく必要があるのと同じように、光のないものを光に入れていく必要があるのです。
自分の心の中に見つけた光のないものは、そうやって光を入れていくのです。それを無理に、手放す、取り払う、取ってしまうという考えは、単純に光のないエネルギーをほかのところに移したり、ほかの人に分配しているだけであり、根本的な解決にはなっていないのです。そしてそういうことをしても、自分の心は満足することはありません。自分の心は心で、完成された自分のものがあり、何かを取ってしまうということは必ずしも正解にはならないのです。今の自分の心のエネルギーが最高のエネルギーであり、一番バランスがとれております。
何かを取ってバランスがよくなるということはありません。今の状態そのものが非常にバランスがよく、今の現実のためにいちばんよいエネルギー状態になっているのです。自分の心を見つめていく。光っていない部分がある。取り払うのではなく、そこに光を入れていく。自分の愛をもっともっとそこに送り込んでいく。
Sさんの心の中に、もし何かに対して不安や恐れ、心配があったなら、恐れや心配は光のないエネルギーであり、それは心を弱くします。前に進む力を弱くします。どうやったら心配がなくなるのか。心配を取ろう、不安をなくそうと思うと、余計に不安のエネルギーが強くなってしまいます。不安に光を入れていく。心配に光を入れていく。これはどういうことか。不安は光がない現れの一つの側面です。光がないために無知であり、理解できず、安心することができません。
不安や恐れは一般に自分は無知であるという思いから作られてきます。本来、知っているべきことを知っていない、皆分かっているかもしれないが自分は分かっていない、皆はこれがすぐにできるけれども自分はできない、そういう気持ちから不安が作られてきます。そこにどうやって愛を入れていくのか。分かっていない自分をまず認める必要があるのです。自分はまだ人間としての学びの途中であるために、分からないことはいっぱいあり、それが普通であるということ。分からないことがあっても何も問題はないということ。できないことは分からないこと、皆より劣っているところがある。それでいいんだということ。
それが今の自分の状態であり、それを素直に認める必要があります。まだ、これではダメだ、早くここまでしたい、という思いが不安となり、焦りとなり、いろんな混乱を作り出していきます。不安を愛する。心配を愛する。それは今の自分をそのまま認めるということになります。今の自分はそのままで何も問題はなく、何も劣っておらず、これが一番のバランスのとれた状態であるということ。まずはそれをしっかりと心から理解する。それによって今の自分のすべてを肯定的に見ることができ、否定する材料は消えていくでしょう。無理矢理不安を取ろうとするのではなく、不安に光を入れていく。そういうやり方で対処していきます。
Wさんの心の中に、迷い、やる気、行動力が何か心配になったり、それによって否定的になってしまうと感じたときに、それをどうやって肯定的に変えていくか。できないという思いがだんだん強くなってくると、また不安が出てきたり、思いきって前に進めなくなってしまう。この否定的な気持ちをポジティブに変えるためには、行動できない、進めないという思いは、自分がこのとおりやって本当によいのかどうか、ちゃんとやるとすぐにうまく結果が出てくるかどうか。それをやってもうまく結果が出なかったとき、それは失敗ということになってしまうのかどうか。
何か確実に得られるものがないと行動できないというエネルギーになっております。はっきりこれをやると大丈夫、このとおりにやると大丈夫、そういったものを求めており、それに合っていないときには不安を感じたり、うまく行動できない場合があります。今の人間という形をまとって体験しているとき、人間のいろんなエネルギーがお互いに関与し合い、それによって自分の思いが正しく実現されることはありません。そのために自分の思っていたとおりに進まなかったり、思いもかけないような状況が現れたりします。
そういったことをなくして、すべてが自分の思いとおりにちゃんと進む、考えたとおりにいく。それを求めていると、現実がそうはならないために、いろんな不安が押し寄せてきます。これを、光を入れて、光でないものを完全になくすためには、自分自身はあくまでもこの現実の社会で今、学びをしているということ、現実で学びをしているためにお互いの現実のエネルギーが巧妙に関与し合い、自分の思考の現実化のエネルギーがうまくいかない、それが当たり前であるということ、むしろうまくいかない中で自分はどれだけのものを現実化させることができたか。これだけいろんな人の現実化の思考がお互いに関与しあっている中で、自分の思いがどれだけうまく現実化できるか、そこに焦点を当てていくやり方があります。
できなかったことではなく、できたことに意識を向け、そして自分の思考が自分の現実に現れたとき、素直にそこに喜びを感ずる。考えたとおりに、この部分はうまくできている。これは思ったとおりに進んでいる。そうやって自分のエネルギーの思考の部分をうまく現実に照らし合わせ、現れてきている部分を素直に認めていく。こういうやり方によって自分の思考と現実化の部分のエネルギーにどんどん光が入っていくやり方があります。これは一度、うまくその基本を身につけ、そのエネルギーの流れをさらに強くしていくと、自分の思ったことが現実化しやすい状況によりいっそう進んでいき、さらに自分の現実化がよく確認できるようになります。
ほかのやり方として、現実はすでにいろんな人間が学び合うための場であり、自分は自分の現実を通して学んでいても、ほかの人の学びも自分はすることができる。自分の現実にほかの人のいろんな現実が飛び込んでくる、ほかの人の現実も自分は楽しむことができる、まずそういう観点で現実を見るやり方があります。自分の現実がうまく進まない、そう考えるよりも、ほかの人が現実化させようとしているのを自分のエネルギーを使ってうまくその人が現実化している、ほかの人は自分のエネルギーをうまく使ってその人のために現実を作っている、という見方をすることもあります。
そうすることによって自分の現実がうまくいかないとか、ほかの人に何かされるとか、お互いにぶつかるという発想が次第に薄れていき、自分は単純にほかの人の現実のために何かの協力をしてあげている、ほかの人の現実化のために自分のエネルギーが使われている、単純にそう判断してみることにより、現実をより大きな観点から楽しんで見ることができるようになります。こういうやり方によっても、光でない部分に光を当てて、自分の現実そのものを光のエネルギーとして見ることが可能になっていきます。
Tさんの心の中に執着的なエネルギー、忘れようと思ってもさらに強くなってくるエネルギーがあったとき、自分はこれをどうやって光に変えていくのか。執着は手放そうとして手放せるものではありません。なぜならば、手放すことができないエネルギーを執着と呼んでいるからです。したがって執着に対して手放すという考えは本来、意味がありません。それでは執着と付き合うためにはどうしたらよいのか。執着は光に変わることが可能なのです。どういう光に変えたらよいのでしょう。愛といってもいろんな種類の愛があるために、単純に愛に変えるという発想では明快な答は出てきません。
執着の出発点は、自分のために、自分を守るために作られてきました。自分が喜びを感ずるために、自分が楽をするために、そしてそれが長く続くように、この喜びや幸せが長く長く続くように、という思いから執着が作られます。したがってこの執着を光に変えるためには、根本的なレベルからこの部分を修正していく必要があります。自分は何のために毎日、生活しているのか。確かに自分の喜びを求め、自分の人生が楽しくなることを求めています。でも自分一人では喜びを感ずることはできません。やはりほかの人があり、ほかの人との交流があって喜びが感じられてきます。
自分だけ喜びを感じようとする。喜びを独り占めしようとする。これは執着を作り出していきます。したがってお互いが本当に楽しく、二人でうまく満足し合える環境を作りたい、純粋にそう思ったときには普通は執着にはなりません。それが執着になるということは、どこかで自分がもっともっと喜びを味わいたい、自分だけのものにしたい、というエネルギーが入っていることを意味します。したがってもし自分がそういうエネルギーを感じたとき、どこかで自分が、自分だけで喜びを味わいたいと願っていたとき、そのエネルギーを素直に認めたあとに、そこに光をどんどん入れていくことになります。
どういう光を入れていけばよいでしょうか。あなたの持っている心の中で、一番素晴らしい光は何でしょう。何とかその人に役立ててもらいたい、その人に何か分かってもらってほしい、気づいてほしい、この部分の純粋な光があります。ただこれに感情が入ると、執着に変わりやすい要素をもっております。それにあなたの光はまだ弱さがあり、完全に手放してその人に送り届けることができない光となっております。純粋にその人に光の部分だけを送る。そういうやり方に変化させる必要があります。
人間関係を考えるときに、自分の観点から考えていたやり方をなるべく両方が対等の立場で、あるいは中間地点で考えるというやり方が必要になります。高いところからお互いを見ている感じでお互いがうまくいくやり方、自分が出発点ではなくそこにいる人たち全員を一挙に光で照らすという感覚、そういうものの見方が必要になります。そうすることによって光は自分の心の中だけで存在していたのが、周りの人全体に広がるように変化していきます。これは光の質的な変化を作り出していきます。
そしてそういう光はそこにいる人々全員に喜びを与え、安心感を与えていきます。自分の感覚だけで、自分の心の中だけで自分の喜びを求めている光は、どうしても周りの人には喜びとして伝わらない場合があります。そこにいる人全員のことを上から見下ろしている感じで光を流していくとその光は確実に周りの人にも届いていくのです。そういうやり方で執着に光を入れていくと、この光も質的に変化していき、自分の心自身が根本的なレベルで変化していきます。これを日常的なものとして練習していくと、執着のエネルギーは光へと変化させることが可能です。
自分の心の中にある光でないものを恐れる必要はありません。無視する必要もありません。しかしそれを理解し、光に変える必要はあるのです。光でない部分があったからといって自分を責める必要はありません。相手を責める必要もありません。それは光に変わる前のまだ未熟な光であり、まだまだ赤ちゃんに過ぎない状態なのです。そこに光を入れていき、どんどん成長させていく。強く遠くまで届くような光に成長させていく。そういうやり方で心の中の光でない部分は真実の光に変化していきます。自分の心を変えると、周りにもその光は伝わっていきます。自分の心の中の光でない部分に光を送る。素直に自分のものとして認める。そしてそれ自体が自分の心の成長であるという喜びを感じていきます。
時間はかかるでしょう。自分の力では無理な場合もあるでしょう。でもそれしか方法はないのです。それがライトワーカーとしての役割なのです。自分の心を光でびっしりにした後、その光でほかの人にも光を流していく。そういう基本的なことだけはしっかりと理解しておいてください。それでは休憩に移ります。ありがとうございました。
確かに、つらく、苦しい期間が長い人もいるかもしれません。私たちはそういう人間をずっと見てくると、その中でもいろんなことを理解することができました。皆さん方が今、人間として体験しているこの時空においては、愛を身につけるということが本当に大切なテーマになっております。今、いろんな人が存在して、いろんな人と分かち合い、いろんな人と交流を深めることができます。
人間としての生活を終え、別の時空へと移行していくと、愛を身につけるのがとても難しくなります。自分の心の成長がスムーズに進まず、自分とまったく違う価値観の人を許したり、認めるということがとても難しくなってしまうのです。別の空間においては、そういう存在と出会うことすらできないできないからです。およそ波動の違うもの同士が出会うということはほとんどできません。
したがって今、人間としての肉体をまとい、いろんな考えの人が同時に存在しているというのはとても貴重な時間であり、本当にわずかな成長のチャンスなのです。確かに皆さん方からすれば、自分と合わない人がたくさんいて、理解してくれない人がたくさんいて、自分を非難する人もたくさんいるでしょう。でも今は私たちから見ると、そういう人と出会えるだけでもなんとうらやましいことかと考えてしまいます。自分を非難するという人間は意識が成長すれば成長するほど、ほとんどいなくなってしまいます。人間だから体験できるのかもしれません。
非難されることに喜びを感ずるというのは私たちだけの感覚であり、皆さん方には通用しないこともよく分かります。確かに面白くなく、不快な感じが起こり、感情的にいらだってくるでしょう。その気持ちはよく分かります。でもそれを分かった上で、私たちはやはり今の三次元の皆さんの体験がいかに大切なものであり、いかに有意義なものであるのか、やはりそれをいわざるをえません。まだ自分の心がそんなに大きくなく、周りの影響を受けやすいときは不快感がどうしても先に起こってしまいます。でも自分の心が次第に大きくなり、光を入れていってほかの人が許せるようになると、ほかの人の心を本当に素直に見ることができ、一人ひとりを許して、尊重してあげることが可能になっていきます。
肉体をまとったレベルで相手を認め、相手を尊重することができるようになると、もうそれは素晴らしいエネルギーとなっております。おそらくどの次元に行っても、どの世界に行っても、それは素晴らしい輝きとなって現れてくるでしょう。肉体の間で身につけたこの素晴らしいエネルギーはスピリットのレベルで何十億年かけても手に入らない輝きを手にすることができるのです。それがいかに貴重なことであり、いかに素晴らしいことか。私たちはそれを本当にいうことができます。
苦しみをあえて堪(こら)えて我慢しなさいとか、耐えて相手の言うなりになれとはいいません。やはり自分の表現はしっかりとして、いいたいこと、やりたいことをやってかまいません。でも何をやるにしても、必ず相手を尊重し、相手を認める。このエネルギーだけは決して忘れないようにしておいてください。相手を尊重し、認めている限りは、必ず自分の光が相手に届いていきます。その光は相手を変えていくのです。
間違いを犯す人がたくさんいるでしょう。愚かと思われる人がたくさんいるでしょう。でもその人に対して、愚かと思ったとたんに、本当にその人は愚かであるというエネルギーが流されているのです。愚かだと思ったとたんにその人は賢いというエネルギーを流しておくと、その人の愚かさが少しでも消えるような働きが動いていきます。光を与えるということはどういうことか。自分は光の存在として生きるということはどういうことか。それを学ぶことができるのも今です。
三次元のいろんな人間を通して自分は光であり、光がその人を変えるということを本当に学ぶことができるのです。皆さんはそういうとても貴重な時間を過ごしているのです。自分は光であるというのを体験することができるのはどんなに素晴らしいことでしょう。自分はただ光って、ただ素直に行動するだけで、周りの人も変わっていくのです。無理矢理変えようと思うと、相手は余計に反発してきます。ただ自分は光り、ただ自分は素直に行動していく。それによって周りが変わっていくというやり方を完全に自分のものにしてみてください。
光がないもの、光を妨害してくるものはいつの世でもいるでしょう。一見、そのエネルギーはどんどん強くなり、真面目な人間や正しき者がいつもやられてしまうという思いをもつかもしれません。でも実際にはやはり光はどんどん大きくなり、光は勝っているのです。決して闇が勝っているわけではありません。常に光は光でないものをコントロールしております。皆さんもいずれはそれがはっきりと分かり、自分で光でないものをコントロールできるようになります。常に光を信じて、光として行動している限り、自分たちは光をコントロールできるということを信じてください。光のないものは光へと変わっていくでしょう。過ちを犯すものは真実が分かっていくでしょう。コントロールできなかったものがコントロールできるように変わっていくでしょう。常に光を信じ、光として行動し、光あるもの同士としっかりつながっていくという実感を味わっていってください。
皆さん方が自分の光をしっかりと見つめ、光を自分から発して周りの人に光を流している。そういった活動がはっきりとできるようになるのを私たちは信じております。皆さん方が光を信じている限り、私たちも皆さん方を信じております。これからもそういう気持ちを常にもって、お互いに交流を深めていきましょう。ありがとうございました。