一般に光の世界や神について意識を広げ、理解を増し、つながりをつくっていくと、神にまつわるすべてのエネルギーがその人間に関与していきます。それはその神と敵対するものもすべてそこに関与していきます。日本においては太古の昔から神と相反するエネルギーが常にまとわりつき、神を求めるものの心に常に何らかの影響を与えてきました。心弱き者はそのエネルギーにごまかされ、惑わされ、神でないものを神と拝み、自ら堕落していきました。
でも私たちは何が神であり、何が神でないのかを明確に言うことはできません。皆さん方一人ひとりが自分で見分ける能力を身につける必要があるからです。今まで皆さん方に与えられてきた多くの情報は、何が神であり、何が神でないのかを見分ける材料に過ぎません。皆さん方はそれを使って光と光でないものを見極めていく必要があります。
一般にエネルギーが分かり始めたころ、見えるようになったり話ができるようになったころがまず第1段階の落とし穴にはまる時期となります。神でないものがその人間に何度も干渉し、いかにも神であるかのように見せつけていきます。しかし本当に光を理解し、意志の強いものはそういう惑わしに負けることはなく、自らの心の基準によって光だけを追い求めていくでしょう。そして第1段階を自分の力で乗り切ったものはさらに光が訪れると同時に、その光を妨害しようとする働きも強くなっていきます。ホンのわずかな心の隙や甘さにどんどんと付け入ってきて、何とかしてその光から逸れるように、光から離れるように、執拗な干渉が続いていきます。
第2段階の試練として、もうその人は十分に1人前になり、今までの流れから離れるように、もう自分一人でも十分にやっていけるようにという思いを与えていきます。これは光から離れさせるためのいちばんのやり方になります。そして光から離れると同時に、その人には今までとはまったく違う流れがつくられていきます。その人は本当にそれを光と信じ、自分の人生がやってきたと信じ、どんどんその流れを進めることになります。この段階においては、光でないものも巧妙に光のように演ずるために、決して自らの姿を見せることはありません。真実の光であるかのように、ずっと見せていきます。そして仲間を増やし、そこにやってくる人々をどんどん増やしていきます。そして本人は仕事がうまく進み、自分の流れが自分のペースで進むように感じられていきます。
しかしいつかの段階で、光が流されていないことの苦しみがだんだん表面化することになります。常に何らかのトラブルが付きまとい、心からの安らぎがなかなか得られることがありません。本来、常に光と一緒であるならば、心に不安や心配はいっさいないはずなのに、常に不安や心配ばかりが襲うようになってきます。これはもう光から離れている証ともいえます。しかし本人はそれをそこに集まってくるものや社会のせいにしていきます。そして浄化が必要である、何らかの儀式が必要であるといって、そういったワークを行なうようにというようになります。その段階から、金銭的にもいろんな問題が起こり始め、周りのものたちに金銭を求めたり、それを集める方法を工夫し出したりしていきます。
今まで日本における活動のエネルギーはほとんどがこういう流れによって広がってきました。真実の光は常にそういうものたちによって妨害されつづけ、なかなか大きくなることはありませんでした。真実の光だからといって、確実に広がっていくとは限らないのです。真実の光を妨害するものが常に存在しており、心弱き者やまだ心をコントロールできていないものたちは、そういうものたちに巧妙に操られてしまい、真実の光の広がりを妨げていきます。何が真実の光であり、何が光ではないのか。この見極めは一人ひとりにとってとても難しいでしょう。それは単純に表現できるものではなく、また事実そんな簡単に見分けられるものでもありません。
しかし皆さん方には一人ひとり、真実の光とつながる心があります。どの人間もすべて真実の光とつながる心を持っております。どのような事態に陥ろうとも、どのような強い光でないものがやってきたとしても、自分は真実の光とつながる心を持っております。自分が真実の道を歩こうとする思いがある限り、自分は真実の光と共に歩くことができます。
多くのものが誘惑や甘さでごまかされてしまうのは、どうしてもまだどこかに、自分が有名になりたい、一番になりたい、目立ちたい、素晴らしい人間であると評価されたい、という心を持っているからでしょう。純粋に光とつながろうとしているものは、光とつながっているだけで喜びがあり、満足感があり、それ以上求めるものはありません。真実の光とつながっていないために、さらに何かを求めようとします。真実の光とつながっている限り、より高い波動とつながるとか、より上の波動につながるという考えはほとんど出ることがありません。真実の光は真実の光であり、それに上下はありません。ただ人間の価値観によってそう思わせる働きはあります。
確かに神の波動とマスターの波動では、違う雰囲気を得る人が多いでしょう。でもそれは実際には神がマスターより優れているという意味ではありません。単なる現われの違いであり、光の面においては同じ光です。そして皆さん方の心に現れる場合でも同じ光なのです。ただ現われが違うだけであり、それはそのときの現れ方によって一番適当な姿をまとっているに過ぎません。真実の光はその人の心の波動を教えるために、わざと低い波動で現れる場合があります。また必ずしも高い波動で現れたからといってその人が優れているという意味でもありません。あくまでも、今、その人が今、いちばん必要としているのが何であるのか、その人自身の今の状況においてはどういう波動がいちばん好ましいのか、それを考えて、いちばんふさわしい波動を選んでやってきます。
皆さん方はこういう学びを何年も続けてきました。真実の光を求め、自分が光となり、神となるためにいろんなワークを続けてきました。今、あらためて皆さん方は何を学ぶのでしょう。自分が真実の光であるということはどういうことか。自分が神であるというのはどういうことか。神はすべてを愛し、慈しみ、またすべての中に潜んでおります。しかし神はみずから神と名乗ることはありません。皆さん方が気づくかどうか、一人ひとりの認識にまかされております。
自分の心の中に神を見る人は多いでしょう。神を見ることができない人もいるでしょう。神は自分の心の中で見つけるものであり、それ以外で見つけようとしてもみつかるものではありません。神と一つになるというのは、常に自分の心の中に自分の神を見ることができ、神として生きることができることを意味します。自分が心の中の神と一つになったとき、ほかの人の心の中にも神を見ることができます。一人ひとり、違う輝きの光をもっている。一人ひとり一番ふさわしい光をもっている。その神がもっともっとその人間を通して表に出てきたら、どれだけ素晴らしいことか。
神と一つになるというのは、人によっては永遠のテーマになるでしょう。見ることも感ずることもできずに、所詮は概念にしか過ぎない場合もあるでしょう。でもそれでもその人は神との一体化をずっと求めることになります。自分の心の中に神を見つけるまで、自分が神であるというのを思い出すまで、それは続くでしょう。
神は一人ひとりを長い目で見ております。一回や二回、うまくいかなかったからといって、失敗したからといって、あきらめたり投げ出すことはほとんどありません。自分は神であるということをはっきりと分かるまで、学びはずっと続いていきます。一人ひとりに与えられている環境も、三次元的な問題だけではなく、その人の神の意識レベルにおいても取り組んでいる場合があります。
Tamamiさんの場合、家庭においてすぐトラブルが起こるという話がありました。日常生活において、話がなかなかうまく合わない、話にならない状況ということ。三次元の生活においては、楽しくないかもしれません。なぜこうなってしまったのか。これは一人ひとりの神のレベルにおいて仕組まれたものでもあります。
神でありながらも人間であり、人間であるからにはどうしても感情的なものが動いていきます。自分としては心を大きく、相手のことを尊重しようと思って行動しても、相手はそう感ずることなく、感情的に受け取ってしまう場合があります。一度感情的なエネルギーで相手に入ってしまったものは、それを元に戻し、クリアな状態にもっていくためには、かなりの時間がかかってしまいます。感情的なエネルギーは簡単に解消できるものではなく、それ以上の愛を込めて表現することしか方法はありません。
しかし普通の人間が愛の波動を素直に出すということは難しい状態となっております。この感情的な思いを一人ひとりが完全に手放して、クリアにしていくためには、お互いのもっているいちばんイヤだと思う波動、我慢できないという波動をしっかりと見つけ、それを手放していく必要があります。相手に対していちばん許せない波動は何であるのか。一番我慢できない波動は何であるのか。それを見つける必要があります。そしてその一番我慢できない波動を光に変えていきます。その人の素晴らしいエネルギー、その人の輝きという風に理解し、それを信じて、本当に光に変えていくのです。
自分が我慢できないと思っている波動を光に変えていく。そのまま見とめることができる。許すことができる。これを行なうことによって、今までつい沸き起こってきた否定的な思いが少しずつ肯定的な思いへと変わっていきます。家庭において、いつも繰り返されてしまう。同じような光景。これはまだ修復可能な状態なのです。あきらめる必要はありません。無視する必要もありません。まだまだ変えることはできます。よい流れになることはできるのです。これからの流れをもっともっとうまくもっていくために、決してあきらめずにひたすら信じて、神としての行動をとるようにしていってください。
Yukikoさんの家庭についての話がありました。この場合のお互いのエネルギーはまたかなり違う状況であり、単純に話し合えるものではありません。お互いのエネルギー的なものとしては、お互いにもっているエネルギーが何らかの方法によって次第に近づき、そして理解し合えるような環境へと移っていく。それを目指して仕組みがつくられておりました。お互いはあまり接点がないまま交流が増え、そしてお互いに理解し合う方向へと進んでいく。こういう流れの中で、自分はどういう立場で相手に接していくか。自分は何を求めて相手と接するか。自分は自分の考えをどう変えると、相手との関係が動くのか。そういったことを考える時期がやってきています。
自分のペースで一方的に進めるのではなく。相手との関係の中で自分を見つめ直し、そして最適なものを与えていく。今、それを学んでいる最中といえます。相手を理解しようと思っても分からない場合があります。理解し合うという意味すらも分かっていない場合があります。一人ひとりそれを出発点にして、そもそも理解するということはどういうことか。一緒ということはどういう意味か。それを学んでいく必要があります。
今、自分が身につけている肉体、スピリット、その中においてエネルギーがどういう状態にあり、どこに流れていくのか。それを見分けるのはとても大切です。自分は自分の現実の流れの中で、自分の流れを変えてみたいもの、エネルギー的に変更したいもの、そういうものに気づいたときに、新しい光を受け取ってそれをどんどん変えていくやり方をしてみてください。光にもそれなりに特徴があり、愛の現れ方も変わっていきます。少なくとも皆さん方が求めれば、確実に光はやってきます。自分にとっての光が何であるのか。それをよく調べて、自分の力で現実を変えてみてください。
さて、今、光と光でないもののエネルギーに関しての話がありました。これについてはこれまでも何度も話がなされ、十分に理解している人もいるでしょう。しかしこれはいつの時代でも起こっており、またこれからも何度も起こることでしょう。光の仲間として行動していく。そのためには、自分は本当に光とつながっている必要があるのです。自分の心の中にしっかりと光をみつけ、常にそれが心の中で輝いている、それをしっかりと活性化させることによって、自分と光とのつながりを強くしていってください。
この光は皆さん方が生きようとする意志があり、光を信じている限りはいつでも現れることができます。今までのように、何か特殊なことをしないと光と出会えないとか、神と出会えないということはなく、誰でも自由に神と出会うことができます。光の仲間にはたくさん種類があり、皆さん方と十分に交わることができる存在がたくさんおります。そしてどの存在も人間とかかわりを持ち、いろんな学びをしようと思っております。彼らももっともっと人間を理解し、人間のために奉仕しようとしているのです。
ただ、今のところ皆さん方がまだそういうエネルギーをつくり上げておりません。まだ自分の概念の中で通用する自分だけの神の世界になっているのです。それをもっともっと先へ進めていって、いろんな神とつながることができる、いろんな神の中で活動している、という意識を持つことはとてもよいことです。今までとは違うやり方で、いろんな神とのつながりをつくってみてください。
それでは少し、休憩をとります。ありがとうございました。
真実の愛は自分の心をも満足させねばならず、真実の愛を発揮している状態で自分は喜びを感じ、また家族やパートナーをそのまま許すことができます。家族やパートナーを愛し、許したように見えても、どこかで自分が納得できない、満足できない、という心になるときには、まだ本当の愛を身につけていない段階といえます。では、愛とはなんでしょう。真実の愛とはなんでしょう。確かに表現として、無条件の愛、相手を許し、相手をそのまま認めておく。言葉として言うことはできます。でも心の動きやエネルギーとしてどれだけ皆さんは実感を感じているでしょう。
その人を本当に心から愛する。愛しているように見えても、自分は愛されていないと気づいたとき、愕然として落ち込んでしまう。一方的に愛しただけで、損をした。そういう気持ちが沸いたのであれば、それは真実の愛ではありません。相手がどう思おうとも、私は完全に相手を許している。私はそのままで喜びを感ずる。相手が自分のことを愛していると言ってくれなかった、でも私はそれでも気にしない。相手を認めている。これは確かに相手を愛している状況の一つとしていうことはできるでしょう。ただ真実の愛はそういう言葉で表現したり、理解できるものではありません。
あくまでも心の波動であり、自分はそのとき、どういう心の波動になっているのか。相手がどのような表現をとり、どのような行動をとったとしても、自分は相手をそのまま許し、認め、信頼していく。そういう心の動きによって見ることができます。パートナーとの間で、自分はどれだけ相手を愛し、またこれからどういう風に愛していかねばならないのか。今の皆さん方の普通の人間のレベルにおいて、人を本当に愛するというのはまだまだ難しい状況といえます。
そのために皆さんにはいくつかの段階が与えられており、パートナーであったり、家族であったり、友人であったり、いろんなレベルで愛を学ぶことができます。家族における愛はどうしても執着が入っており、コントロールが入ってきます。友人との間の愛においては、何らかの御利益やコントロールのようなエネルギーが入り込んでしまいます。そういったものを一切入れることなく、純粋にただ相手の光を認め、存在を許していく。それは一つひとつ体験して身につけることしか、自分のものにはなりません。頭で理解できるものではなく、行動によって身についていくのです。
したがってそれほどまだ愛する経験が多くない人、まだ本当に人を心から好きになったことがない人、そういう人はまだまだ練習が必要になる場合があります。お互いに喧嘩をよくする人、仲の悪い人、こういう人たちは今、愛で何が一番大切であり、何が必要かをよく知ることができます。相手を否定してしまう。相手を無視してしまう。そこに原因があり、それを解消すれば、自分の愛の波動は急速に高まることを教えています。
愛は実践し、愛することによって身についていく。頭で理解したり、分析で身につくものではありません。しかし執着的な愛であるか、宇宙的な愛であるかは自分なりの理性との兼ね合いで変わっていきます。何も理性を働かすことなく、ただ闇雲に愛している場合では、執着的な愛と宇宙的な愛との区別はつかなくなってしまいます。執着的な愛を自分の心の中で見つけ、執着を手放し、本当にその人を心から認めることができるようになった、あるがままを許すことができるようになった、こうやって自分なりに自分の愛を身につけることができるでしょう。
本来ならば、それを一人ひとりに行なっていき、一人ひとりとの間で愛を作っていく必要があるのです。多くの人にとって、そこまで意識が回らない場合があるでしょう。そういう人にとってはやはりパートナーや家族はとてもよい愛の学びの材料になります。家族との間における愛は普通の愛とはまた違う愛の学びが入ってくるでしょう。相手を許す、そういう場合でも、考え方の違いや年代の違い、性別の違いによって、根本的に話の合わない場合があるのです。自分は相手のことを認めようと思っても、相手が一方的にそれを許さず、どうしても争いに入ってしまう。そういう場合もあるでしょう。
自分はそこで何を学んでいくのか。やはりそこでなおかつ相手を許し、自分は愛の波動を出すということを学ぶ必要があるのです。うまくいかないかもしれません。余計に仲が悪くなるかもしれません。でもそれでも自分は相手を愛していくのです。自分は愛の波動を出しつづける。これをずっとずっと続けていくと、相手の波動も本当に変わっていくのです。時間はかかるかもしれません。でも本当に変わっていくのです。
今まで聞かなかった話を聞いてくれるようになった。いつも無視していたことをちゃんと扱ってくれるようになった。いろんな変化が訪れてきます。一度や二度やって、あきらめていたのでは本当の愛はなかなか身につきません。本当の愛を身につけさせるためには、二度も三度も四度もやり直してみて、そして自分の真実の光を本当に出していく必要があるのです。
光の仲間たちと一緒に学ぶというのはそんなに簡単なことではありません。光の仲間と一緒にいたとしても、やはり試練はあり、努力すべきことが訪れてきます。楽しくないこともあるでしょう。でもそれによって相手を許す気持ちが強くなり、相手を尊重する気持ちが強くなっていきます。愛する能力を身につける。その目的のために、いろんな現実が与えられているのです。なぜ愛さねばならないのか。なぜそこまでして愛するのか。そういう疑問がある人は自分が自分のペースで満足のいくことをしてみてください。
本当に自分の好きなように、人を愛することなく、人を認めることなく過ごしたとき、自分は本当に喜びを手にすることができるかどうか。それで本当に自分の心が喜んでいるかどうか。それを自分で調べてください。愛を身につけるのは簡単ではありません。でも愛を手放すのは意外と速いのです。せっかく身につけてきた愛を一瞬にして戻してしまう人がおります。辛抱して辛抱して身につけてきて、人を許せるようになった。しかしたった一度の大きな裏切りによってすべてをまた失ってしまう。すべてを無にしてしまう場合があります。
したがっていくら愛を身につけ、我慢して努力してきたとしても、安心はできないのです。本当に最後の最後までその人を愛し続ける、認めつづける、その強さが必要です。それは簡単なものではありません。簡単ではない、先ほどから何度もいってきました。それゆえに愛が尊いのです。それゆえに愛に価値があるのです。そんな簡単に身につき、そんな簡単に手に入るなら、なぜ私たちがこんな、皆さん方が苦労する経験を通して愛を説くでしょうか。なかなか身につけることができない。なかなか許すことができない。でもそういう愛を身につけたとき、その愛は本当に大切なものであり、素晴らしいものなのです。
皆さん方がその愛の波動を持っているとき、なんと美しく輝いているでしょう。自分を嫌っている人を自分は許している。自分はその人を愛している。そのときの波動は特に美しいものです。一人ひとりがこれまで身につけてきたどのエネルギーよりもいちばん素晴らしいエネルギーなのです。それはエネルギーが見えなくとも、感ずることができなくとも、その人自身の素晴らしさとして愛の輝きがそこに宿っております。それだけ愛の光は素晴らしいのです。でも一瞬にして手に入るわけではありません。裏切られ、無視され、努力に努力を重ねて身につけた愛だから、尊いのです。
何かをすることによって単純に手に入る愛、簡単に手に入ってしまう愛は、そこに真実の光はなかなか宿っておりません。心を痛め、本当に人を思う気持ちで作られた愛はとても素晴らしい輝きをしております。Tamamiさんの心の中にある愛は、本当に光の原点の中のひとつの波動をそのまま現しております。本当にその人に楽になってほしい、その人がそのまま健やかになってほしい、という思いが染み透っている愛です。人を思う気持ち、人を認める気持ちが十分に宿っております。Yukikoさんの愛も、なんとかしてその人が明るくなるように、その人自身の輝きが出るように、自分の力を思いっきり使いたい、その人の輝きがもっともっと発揮されるように、自分を使いたい。そういう愛があります。一生懸命、身につけてきました。その人が輝くために、自分はあと、何ができるのか。自分はどうしたら、その人が輝くのか。いつもそういう波動の愛が流れています。二人とも素晴らしい愛の波動を持っております。そんなすぐに身についたわけではなく、いろんな努力を重ねてこの波動を宿すことができました。この愛の波動がこれからどう変わっていくでしょう。さらにもっともっといろんな方面で、いろんな波動が身についてきます。それをとても楽しみにしているのです。この愛の波動がどう大きく成長し、どう広がっていくか。とても楽しみなのです。自分の心の中にあるこの本当の愛を決して見失うことなく、そして最大限のエネルギーが発揮できるようにして、表に出していってください。
今日は家族や愛についての話がありました。確かに日本人にとって、家族や愛を考えるときに、複雑な事情が入ってきて、うまく話が進まない場合があります。でもどの人間も心の中では本当に相手を思っている心があるのです。具体的な愛の形にはならなくても、漠然と相手のために自分は役に立ちたい。何とか相手のためにしてあげたいという思いが入っているのです。これは愛の原点ともなっているのです。ただ皆さん方はまだまだ自分のその原点が見えておりません。したがって何をどう発揮してよいのかが分かっていないだけです。自分にとって、この愛の原点の波動はこれからどうさらに広がり、大きくなっていくのか。そこにも意識を向けておくと、自分の愛の方向性がいろいろと見えてきます。
愛の波動はとても大切です。育てるのが難しいのと同様に、愛の波動を自分のものにするのはやはり難しいのです。気づいていても、何も行動しなければ、愛は育っていきません。自分の心の中の波動の中の愛にもっともっとエネルギーを送り込み、そしてそれらを堂々と発揮できるようにこれからの意識を変えていってください。一人ひとりの素晴らしい愛の波動を私たちはとても喜びとして見ております。ありがとうございました。