頭で一生懸命、考え、思考のエネルギーを一生懸命、出しているとき、私たちはそのエネルギーをキャッチし、その人の思考のレベルを理解することができます。私たちは日本語を理解することはできません。皆さん方が思考のエネルギーとして出された表現形態は、日本語という一つの仕組みの中で論理がつくられております。それを私たちは私たちの概念に合うように変換させ、そして私たちはそれを解釈していきます。
ここまで具体的に思いを出していなくても、もう少し雑念的な感じで、漠然とした思いを出している場合があります。そういう場合には私たちはそれをうまく翻訳することは難しく、あまり私たちもそこに意識を向けることはありません。したがってそういう程度の思いに関しては私たちは皆さん方の思い受け取ることはありません。したがって私たちが皆さん方の思いを感じたり、理解するときには、思考レベルにおいてかなり具体的に詳しく考えたり、判断しているときに、それを受けとると理解しておいてください。
また論理的に思考していなくても、イメージ的に明確に思考している場合、シンボルとかデザイン、色のようなものを強くイメージし、それを頭の中でいろいろ組み合わせている場合、その場合には私たちはそれをそのまま見ることができます。頭の中に描いているいろんなシンボル、色のようなものを私たちも感ずることができます。したがって私たちが皆さん方を調べるときには、皆さん方が出している色やエネルギー的なもの、それと日本語という表現で思考のエネルギーを出しているもの、それらを分析して一人ひとりを調べております。
そして私たちはそれに対しての何らかのメッセージを与える、渡すという場合、同じように思考のエネルギーを日本語の表現に合うように変換して戻す場合、あるいはエネルギーやシンボル、色として戻す場合、両方があります。皆さん方はそれを受け取って、何らかの思いやインスピレーションを感じたという風に表現していきます。こういうやり方を普段は何気なく行なっており、皆さん方はいちいちそれを理解しているわけではありません。だからといって、常に毎日、毎分、そういう風に行なっているというわけでもありません。時々、必要に応じて行なっているだけであり、基本的には皆さん方の人生を皆さん方の自由意思で進めるように仕組んでおります。
ただ、こういうやり方をずっと続けてきて、皆さん方の思い、考え方についていろいろと私たちなりに理解したことを話してみようと思います。
多くの日本人は頭の中で考えたり、分析するときに、必ずしも論理正しく分かりやすく考えているわけではありません。相手が話したこと、説明したことを何とかして自分の論理に当てはめようとする、自分が学んできたやり方に合わせるように、という風にして思考がつくられていきます。相手が何を言おうとしたのか、相手がどういうことを表現したのか、相手に合わせて論理を変えるのではなく、逆に自分の場合はどう、自分の考えの場合はどういう風に当てはまり、そういう風にして常に自分のやり方に合わせようとして考えていきます。
したがって相手が正しく表現しようとしても、どうしても自分の解釈の中に変換されてしまい、相手が言おうとしていることと、自分が解釈したことの間に大きな食い違いが起こることがあります。でも普通の人はそれを当たり前と思い、それが普通の状況として理解しているようです。そして自分が解釈し、自分が理解した状況をそのまま口に出して正しいことであるかのように表現していく。それが相手の表現したことと違う場合であっても、自分の方が正しい、自分はこう思う、という風に論理を進めていこうとします。お互いにこれをやっているために、お互いに話が合わず、同じテーマを論じていながらも、それぞれが自分の見方、自分の考え方を主張して、意見が一致しない場合があります。
自分の考え方を自分で理解し、自分の経験を大切にすることは、それはそれで大丈夫です。しかしそれはお互いに、相手の場合も認める、相手が経験し学んだことを認めてあげる、これと同じことを意味します。自分たちが一方的に自分のことを正当化し、相手の判断を無視するという場合、これは正しいやり方とはいえません。あくまでも相手の言うことを尊重し、相手の表現を大切にする。これが前提であり、この流れに沿っていろんな現象がつくられていきます。
お互いにいろいろと理解し合おうとして表現し、思ったことを口に出して、それでもうまく通じなかった場合、その原因がどこからくるのか、なぜ自分の思いが相手に伝わらないのか、それを自分なりに分析し、理解する必要があります。相手が理解できなかった、その理由は自分の考えが相手と違っている場合、相手の考え方と自分の考え方が根本的に違っている場合、あるいは相手が願っていることと自分が願っていることが違っている場合、こういうときにはお互いに相手の言っていることが理解できない状態になってしまいます。
相手の考え方を少しでも理解しようとする。相手が思っていることを分かろうとする。こういう気持ちがあるときには、相手が少し、表現力が劣っていても、あまり問題なく理解できる場合があります。自分が本当に相手を理解しようと思っている場合、理解したいという気持ちが強いときには、相手が少しぐらい表現がおかしくてもそれが分かる場合があります。つまりお互いのコミュニケーションがうまくいかないとき、それは表現力の問題だけではなく、相手を理解するという気持ちがどれだけ入っているか、これが大きな鍵を握っております。
一般にお互いにコミュニケーションをとるとき、相手を理解しようというよりは自分のことを理解してほしい、自分の言っていることを分かってもらいたい、というエネルギーを全面に出して、それでいろんな問題を引き起こす場合があります。相手の思っていることを本当に理解しようとする。
こういう気持ちがあれば、お互いのエネルギー的なもの、お互いの思いの波動をそのレベルでそのまま自分が直接、感ずる場合もあります。いちいち言語のエネルギーとして受け取るよりも、その人のエネルギーをそのまま感ずる。そのまま受け取るということが可能になってきます。したがって自分はまず本当に相手のことを理解しようとする気持ちがどれだけあるのか。理解してもらいたいのではなく、理解しようという気持ちがどれだけあるのか。これが鍵を握ることになります。
そしてこれは皆さん方と私たちの間においても同じ状況になります。私たちは皆さん方の考えを少しでも理解しようとしております。皆さん方の思いを少しでも分かろうとしている。そしていろんなエネルギーの変換をしてみたり、言葉を分析して皆さん方の思いを感じようとしている。でも皆さん方は私たちの思いを感じようとか、受け取ろうとする気持ちはほとんどありません。したがって私たちは皆さん方の思いを理解することはできても、皆さん方が私たちの思いをなかなか理解できない。考えていることが分からないという状況がつくられてしまいます。
もし皆さん方が私たちの考えをそのまま理解したい、そのまま分かるようになりたい、と思っているのであれば、そういう気持ちを本当につくりだし、私たちの気持ちを理解したい、私たちの思いを感じたいうというエネルギーで私たちと接触していく必要があります。初めから、どうせ無理だから分からない、そんな面倒臭いことはしない、という考えでいる場合には、私たちは皆さん方にいつも訳の分からない存在として理解されることになります。私たちが皆さん方をいろいろと調べて、皆さん方の考え方や行動の仕方が理解できてきたのと同じように、皆さん方も私たちの行動の仕方、考え方を理解していく必要があります。
皆さん方の日々の中にも、いろいろと自分たちだけで工夫してみる要素がたくさんあります。それによって自分自身の考え方、言動のとり方を根本から見ることができ、そしてこれからの自分のためにそれらをうまく使い分けていく状況も用意されます。私たちとのつながりで、皆さん方はどういう思いを出していくのか。どういうレベルで私たちと接触するか。それを自分たちで調べて、そしてその方向性にうまく進むことができるようにしていってください。
あなたの考えはこれまでに教わってきた考え方、身につけてきた考え方であり、今、どうすればよいのかという観点から見た考え方ではありません。そのためにその時その時にあなたが出した考え方と自分が本当に今、すべきこと、今、本当に理解すべきこと、そこにおける食い違いがいろいろと感じられてきます。こういうときに自分はどうするのか、こういう状況の時には何がよいのか、そういう判断の材料がまだ完成されておらず、どうしても今までの経験の中で物事を進める傾向があります。自分が身に着けてきた考え方、論理の仕方を自分なりにいろいろと分析し直し、少しでも私たちとの交流がしやすくなるように、エネルギーを工夫してみてください。
Keitaさんの思考のエネルギーに意識を向けたとき、あなたの思考にもいろんな特徴があり、普通にいわれている思考のエネルギーとはかなり違うものを感じさせます。思考とはいっても、かなり直感的なもの・思いというエネルギーをうまく使っており、自分自身の単独の思いには結びついていない状態にあります。自分の感ずる思い、大きな流れで見た場合の思い、そういう思いがしっかりとつくられており、その路線に従って自分の思いがつくられていきます。この場合の思考のエネルギーをいろいろと調べた場合、私たちにはとても理解しやすく、分かりやすいエネルギーとして分析されます。
今、思考についてのいろんな話がありました。この思考のエネルギーについて分析する場合、日本人にとってとても難しい話があります。考えとか思考とかいっても漠然としており、それが特定的なエネルギーを示す用語にはなっておりません。したがってこういったことを説明する場合でも、思考とか思いとかいう言葉だけでは実際のことがなかなか伝わらない場合があります。今の話にしてもやはり一人ひとりが受け取ったメッセージの意味と私たちが言おうとした本来の意味とに食い違いがあり、私たちの思いがそのまま伝わっているわけではありません。
でも私たちはそれでもいろんな協力をし、手助けをして、皆さん方と共に学びを続けております。この思いは永遠に必要なものであり、これは肉体がなくなっても皆さん方に必要な働きとなります。したがって肉体レベルに執着するのではなく、もっと高いレベルにおいてこのエネルギーが自分にどう影響を与え、今後の流れをつくっていくのか、それを理解していく必要があるでしょう。自分の思い、自分の感じたこと、それの一つひとつが皆さん方に確実な成長をもたらしていきます。自分の場合、どういう風にして流れを変え、表現力を変え、自分の思考が正しく宇宙に届くように行なっていくか。自分が感じたもの、それをそのまま自分の思いとして受け取って良いかどうか。いろんなテーマがあります。
宇宙からある思いに関するエネルギーを流してみます。皆さん方がそれをどう受け取り、どう解釈したか、少し自分たちで話し合いながら、練習をしてみてください。それではエネルギーを流してみます。
それでは少し、休憩をとりますので、皆さん方で話し合ってみてください。ありがとうございました。
Keitaさんの場合は、あなた自身のオーラのある部分に少しずつ目覚めているエネルギーがあり、それを活性化させる役割がありました。あなた自身はそれを目覚めさせ、使いこなすことによってあるヒントを得やすくなっていくでしょう。その活性化のためのエネルギーが流されており、それを受け取ることが主な目的になっておりました。
先ほど、思考や思いについての話がありました。それぞれが今、受け取るべきエネルギーについて必要なもの、今、受け取っているエネルギー、活性化させるためのエネルギーが何であるのか、それに気づくためのヒントが与えられておりました。したがってもし先ほどの思いのところで自分が受け取ったもの、感じたものがあれば、それは今、与えられているエネルギーの活性化に必要なもの、それに関するヒントと思っておいてください。
今日は宇宙船からのエネルギーが中心に流されております。これは、今日に関しては宇宙船からでないと流せないエネルギーがあり、それを主に流しております。今日、活性化させているエネルギーのかなりの部分は宇宙船からの刺激によって目覚め、活性化するのに適しており、それはそれでただ毎日、エネルギーワークをしたからといって活性化できるものではなく、時期があり、時期に応じて宇宙船からのエネルギーの投影によって活性化されるようにつくられております。
今日は、そのタイミングに合わせて皆さん方がここにやってきました。こういったことはこれからも必要に応じて起こっていくでしょう。ただその時々によってエネルギーの種類が違い、宇宙船の種類も違ってきます。したがって皆さん方が感ずることはその時その時でまったく違っており、同じ印象を受けることはほとんどありません。活性化させるべきもの、受け取るべきものが毎回違っております。
今までの話の中で、私たちも少し話をしていきます。まずIsaoさんが農作物のことについての質問をしておりました。私たち自身があまり細かく言うことはできません。まずあなた自身がいろいろと調べ、学ぶ必要があるからです。メッセージを一方的に聞くのではなく、自分で知識を蓄え、自分で努力し、自分で経験してみる必要があるのです。自分の身体で体験し、身につけていく。そういうやり方をもっともっと自分のものにするようにしておいてください。
一般論として、農作物に影響を与えるいろんな害虫や虫と呼ばれているものは全体的なエネルギーやその場を調節するために仕組まれた一つの役割であり、彼ら自身は悪いことをしているとか、否定的な意味で存在しているわけではありません。したがってもしそれらを否定的なものとして認識し、それらを排除しよう、それらをなくそうという考えでいろんな処理を施した場合、仮にこれが一見、好ましいといわれているエネルギー的なやり方であったとしても、否定的なものを排除するという思いがある限りは、そこに否定的なものをつくりだしていきます。そしてそれはその場につくられたエネルギーであるために、その場に常に否定的なものを引き寄せるエネルギーを作り出してしまいます。したがってもしそういったものの影響を受けないようにしたいのであれば、まずはそれらの存在が否定的なものではなく、別に人間に害を与えているわけではない、自然に害を与えているのではないということをしっかりとつくりあげる必要があります。そして仮にそういう思いを持ったとしても、実際にいろんな害虫と呼ばれるものは現れてきます。彼らは自然のバランスを取るために、エネルギーの調整をとるために現れてきたものであり、人間に迷惑を与えるために存在しているわけではありません。したがってもし、そういう存在そのものをうまく移したり、現れないようにしたいのであれば、否定的なものがそこに来るのではなく、別のところに移してもらう、別のところで役割を演ずる、あるいは別の仕組みによってエネルギーの調整を行なう仕組みをつくりあげておく。そういう理解が必要になります。害虫と呼ばれるものと同じ仕組みをするエネルギー的なものを先につくっておく、あるいはそれを自分の思考のエネルギーで作り出してしまう、そういう工夫によってそういう被害を避けることもできます。
いずれにしても、人間がそういう否定的なものを信じて、それを追い出そうという考えを持っている限りは、彼らの影響に常にさらされることになります。人間の考え次第によって自然環境はどんどん変わっていきます。否定的な思いを持っている限り、人間に否定的な現象を表していきます。自分がどういう感覚で自然と接するのか、自然に対して自分はどういう意識をもっていくのか、そこにもっと意識を向けるようにしてみてください。
しかしそれでもきわめて難しい状態であり、少し油断をすればひっくり返ってしまうぐらいにとても危険な状態にあります。したがって皆さん方も安心したりせずに、常に自分たちはエネルギーを受け取って日本に広げていく、日本を常に光の状態に保っておく、という意識で毎日を生きるようにしていってください。
それではここまでにいたします。ありがとうございました。