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2000/2/21■月曜交流会から

善悪を知らずに勝手な行動をとる地球人たち

@何故地球人は善悪を知らないのか

私たちは人間という生命形態を学ぶためにやってきました。私たちは私たちの世界においていろんな生命を学んでおります。しかし人間という生命はまだ学んでおらず、その意味を知ろうとして仲間を使って調べていたところ、ここに連れてこられました。私たちは生命という意味をとても素晴らしく感じております。私たちの世界において、生命はとても強く、美しく、発展性があり、とても意味のあるものとして認識されております。

私たちの世界がおかしくなったのは、人間という生命から発せられるエネルギーによって私たちの世界が崩れてきて、私たちがそれが理解できず、長い間、混乱しておりました。この混乱の理由を探ろうとして、皆で調べ、対策を練っておりました。原因を調べているうちに、人間という生命から発せられるエネルギーが原因と分かり、それをどう解決するか。それを考えている最中に、ここに呼ばれました。

私たちの世界では、お互いに理解し合い、一つになり、協調し合うということははじめから当たり前のことであり、勉強とか、教えるということが必要なく身についている意識でした。にもかかわらず、人間という生命から発せられるエネルギーは、私たちの世界の秩序を乱していき、私たちが混乱の中に入るように流れていきました。私たちの世界でこれを解決するために、いろんなものたちが対策を練り、工夫し、改善すべきうことを考えておりました。

しかしいくら私たちが防御を造っても、人間のエネルギーの力が強く、すぐに壊されてしまいました。人間は何故、こういう破壊のエネルギーを常時、止めどなく出し続けているのか、私たちにはそれが分かりませんでした。人間という生命から休みなく放出されているこのエネルギーは、常に私たちの世界を混乱にいたらしめ、私たち自身の世界が混乱のままで続くようになってしまいました。

人間という生命を調べているうちに、これだけの強いエネルギーを放出しながらもそれに気づいていない人がほとんどだということが分かってきました。これだけ大きな影響を与えていながらも、ほとんど何も理解していないのです。そのエネルギーのために、私たちの世界はもうどうしようもできないぐらいに破壊されたものがあります。お互いに信頼し合っていた関係が次々と崩れてきて、疑いという新しい人間関係、生命関係を作り上げる状況を生み出したり、不信感、差別、騙し合うというエネルギーでさえも私たちの世界を脅かしております。

これだけのエネルギーを大量に出しながらも、それをほとんど自覚していない人間という生命形態。私たちはそれが不思議でたまりませんでした。人間はそういうエネルギーを出せば、自分もそのエネルギーを受け、自分がほかの人からだまされたり、苦しめられたり、不快な思いを経験するということが分かっていながらも、不快なエネルギーを出し続けております。私たちにはその理由が分かりませんでした。ほかの人を苦しめたものは、自分が苦しむと分かっていながらも、ほかの人を苦しめるのです。ほかの人を悲しませたものは自分が悲しみに合うと分かっていながらも、ほかの人を悲しませております。私たちにはそれが分かりませんでした。

何故、ほかの人を苦しめて平気なのでしょう。人間という生命を学び、理解しようとして皆さん方の意識を今、解析しております。Okadaさんの意識は、自分はそんなに悪くはない、自分はマトモだという意識で造られております。しかしその波動はとても荒く、とうてい私たちの世界では受け容れることのできない波動になっております。Kojimaさんの意識は精神的な未熟さがまだ感じられ、私たちの精神構造とはまだかなり違う状態に見受けられます。Kamiyamaさんの意識は一人ひとりの違いを理解する能力がまだ不十分なように感じとられます。Aikawaさんの意識は私たちの波動に近いところを少し、身に着けており、その波動に関しては私たちはとても受け容れやすい状態にあります。Inoueさんに関しては、私という意識に弱さがあり、自分の言動、自分の行動にとても弱い波動が感じられます。Kanzakiさんの意識はあなた自身の感じている感覚的な波動に特徴的なものがあり、私たちの世界においてとても勉強になる波動を身に着けております。Tabaさんの意識は私たちにはまったく理解できない波動があちこちにあり、解析できない状態にあります。

皆さん方一人ひとりの意識を解析してみて、私たちなりに今、学んだことは、多くの人間の意識がそもそも何が正しく、何が間違っているのか、という基準が確立されていない意識のように思われます。そもそもそういう基準を考えたこともなく、それを日常生活で具現化しているという意識すらももっておりません。一つひとつの言動が、正しいか正しくないかという観点で行なわれておりません。これは私たちにとってとても驚くべき結果でした。自分の言動が正しかろうが、正しくなかろうが、何も感じていないようです。

私たちの世界ではホンのわずかな過ちでも、それは本人にとってとても大きな学びを要求され、皆でそれを修正する方向へと働きかけていきます。何が間違っているのか。どうすれば改善できるのか。それを皆で考え、光の方向へ、正しい方向へと進むように働きかけております。皆さん方の一人ひとりの意識はそういう働きがほとんど行なわれていない状況のように思われます。人間のすべてがそうなのか。たまたまここにいる人がそうなのか。私たちには分かりません。少なくとも、皆さん方に関していうと、そういう結果が感じられます。

また、人間という生命エネルギーから常時、出されてくる破壊の想念をとらえてみると、おそらくほとんどの人間がそういう意識であろうということは十分に想像できます。であるならば、人間はそういう意識状態でありながらも、これだけ強いエネルギーを放出する能力が与えられていると認めざるを得ません。宇宙の法則はそれを前提にして機能しているのか。それとも人間が宇宙の法則を無視しても良いように創られているのか。私たちには分からないことがたくさんあります。今の皆さん方のエネルギーの強さとその判断力を認めた場合、宇宙は混乱にしか進まないように思われます。何故、皆さん方がそこまで許されているのか。


A自分から正しい行ないをしていくように

私たちは別の観点からお話をいたします。今、話があったのは、ある惑星における一つの進化過程の意識を皆さんに紹介したものです。皆さん方一人ひとりのエネルギーは宇宙全体に広がっております。それは人間に限らず、ほかのすべての生命形態に影響を与えていきます。一人のわずかな否定的な思いが宇宙の生命ずべてに影響を与えていきます。何気なく人をののしったり、不快に陥れたエネルギーでも、宇宙のすべての生命に影響を与えていきます。そしてほとんどの生命はそれによって苦しみ、傷つき、エネルギーが不安定な状態を経験します。

まだ生命がそれほど進化していないものたちは、それがなぜ起こったのか、何故混乱が始まったのかが分からず、原因を探ろうとします。でもほとんどの場合、その原因を見つけることはできません。人間のエネルギーによって混乱が起こったという結論を得るのにはかなりの進化が必要となります。皆さん方がそれだけの力を持ちながらも、地球上で生存することが許されている。それは皆さん方に、それ以上の希望が与えられているからです。

今はあくまでも学びの段階であり、皆さん方が神となって行動するまでの教育費のようなものとして、多くのものたちがそれを許しております。いずれは一人ひとりが、今までに放出したエネルギーをすべて愛に変え、同じ容量の愛を自らの体を通じて放出することを望んでいるからです。皆さん方が宇宙全体の生命に与えた苦しみをすべて愛に変え、大いなる愛を通して生命に優しさ、希望、やすらぎを与えていくのです。

ただ、そこに至るまでに、耐えきれず生命を失うものもたくさんおります。惑星同士が混乱に陥り、惑星自身が消失したところもあります。人間のエネルギーによって崩壊したのです。でもそれでも皆さん方を許しております。それは皆さん方が持っている愛に望みをかけているのです。今は確かに、何が間違いであり、何が正しいかは分からないでしょう。そういう基準で行動することもほとんどないでしょう。でも、少しずつ少しずつそれを変えていく必要があります。

そしてやはりホンのわずかでも、他を罵ったり、他を不快に陥れる言動は好ましくないこと。自分を責めたり、自分を惨めにする思いすらも好ましくないこと。いろんなことが分かってくるでしょう。そして分かった段階でそれを具現化する必要があります。頭で分かってれば良いというわけではなく、具現化しなければ意味がありません。行動で示していくのです。常に楽しく、良いことを口から出していく。自分が元気になり、楽しいことを表現していく。生きていることの素晴らしさを常に言動で表していく。それが必要になります。

そしてそれを持続させることにより、一人ひとりの愛が宇宙に広がり、それまで出していた否定的なエネルギーが愛に変わって、放出されることになります。今はまだ許され、大目に見られている時期です。でもいつまでもいつまでもそのままで良いというわけではありません。やはり宇宙にも限界があり、このまま放っておいて宇宙が破壊するという段階に至ったときには、さすがにそのまま放任することはできないでしょう。今は皆さん方が自分で理解し、気づき、分かる時期になってきております。もうこのままでは良くない。やはり自分から変わらなければ意味はない。自分から愛を出さなければいけない。それが分かる時期に入ってきております。

分かったら、すぐに行動に移すことです。ほかの人がどうであろうとも、自分から行動することです。まず自分から愛を出していくことです。それによって変わっていきます。一人ひとりがそれに目覚め、明日からではなく、今からすぐに言動を変えていかれるのを望んでおります。


B挨拶

私たちも今の話を聞いて、少し、理解できました。皆さん方も学びの最中であり、完成した人間ではありません。でも、だからといって何をしても良いというわけではありません。確かに学びの段階においては、過ちも許されるでしょう。でもそれは過ちをしても良いという理由にはなりません。できるだけ過ちをなくし、正しい方向へと持っていく。そういう意識は必要であると私たちは理解しております。私たちは皆さん方の意識レベルに応じて、私たちの世界が少しでも改善できるように工夫をしていきます。


C謎に秘められている人間の神秘

私たちから少し、話をして休憩にいたします。人間にはまだまだ隠された神秘の部分がたくさんあります。確かにエネルギーが宇宙全体に広がるということは皆さん方には理解できないかもしれません。でもそれは真実であり、本当に宇宙全域に広がっていきます。皆さん方の一つひとつの思い、一つひとつのエネルギーがすべての宇宙に影響を与えるのです。そしてそれ以外にもいろんな神秘が隠されており、それを理解するに連れて皆さん方は今までの自分の言動がいかにとんでもないことをしていたか、また愛を出すだけで宇宙がいかに改善されていくか、その仕組みがよく分かるようになるでしょう。

そういう観点から、自分の存在というものを考える見方を養うようにしていってください。それでは休憩をとります。ありがとうございました。


D善悪の基準

私たちは皆さん方の状態を見ながら、話をしていきます。先ほどの話の中で、いくつか説明をいたします。一人ひとりが善悪について、いろいろと混乱しているところがあります。私たちが善悪という言葉を使うときには、それは皆さん方に光の存在を理解し、自分をその方向に導くエネルギー源として善という状態があるというのを理解していただきたい、という観点でいう場合があります。その場合の正しい方向、善という方向は、皆さん方に成長をもたらす方向と思っておいてください。

しかし多くの人はたとえ、間違ったり、過ちを犯しても、自分が成長できるならば、それで良いんではないか。そういう人がおります。しかし多くの場合、善でない方向の場合には、ほかのものの成長を妨げております。ほかのものの成長を妨げる場合には、それは善とはいいません。いくら自分のためになったとしても、ほかの人が誤ったり、成長を止めたり、つらい思いをしたり、悲しんだりすれば、それは基本的には善とはいえません。したがってただ自分だけが成長できればよい、自分だけがうまくいけばよい、という観点で善悪があるのではなく、ほかの人の成長を妨げていないかどうか、ほかの人の光の方向にいくのを妨害していないかどうか、それが基準になるのです。

ほかの人に関与せずに、自分だけに関係する場合においては、それは自分の成長だけを考えて構いません。しかし一般に、善か悪かを問う言動というのは、ほかの人に何を為したか、ほかの人にどういう言葉を発したかがポイントになります。したがってそこにおける善悪の基準は、ほかの人の成長を妨害していないかどうか、ほかの人の気づきを遅らせたり、甘やかしていないかどうか、ほかの人の心を無視して自分本位で進めていないかどうか。それが基準になります。ほかの人がそれによって妨害され、成長が留まった場合には、それは善とはいいません。そういった観点で、善と悪を考えるようにしてみてください。

Kanzakiさんの話で、ひもという言葉が何度か出ておりました。一般にビジョンとして現れてくるひもは、その人自身を手助けする道具の中でも、いちばんシンプルで、使いやすいもの、またその人が器用であればあるほど良い使い方ができるもの、自分の器用さに応じて能力が拡大するもの、というシンボルとして現れてきます。それに対し、杖の場合には自分はそれを使いこなすのではなく、杖自身の能力、杖自身が持っている特質によっていろいろ自分の能力が発揮される状態を意味します。したがって杖の場合にはどういう杖を持っているのかによって能力がかなり変わってきます。しかしひもの場合には、ひも自身はシンプルでありながら、自分がそれをいかに使いこなすか、自分自身にひもを使いこなす能力があるという意味が隠されております。

そしてあなたの場合に限定していえば、あなたはひもの達人と理解しても構いません。それは自由にそのひもを使いこなすことができ、それによって脱出することができれば攻めることもできる。いろんな使い方ができ、自分自身の能力を十分に使いこなす道具として理解しておいてください。しかしそれは今の三次元の世界においてはあまり意味はありません。あなたの特別な場においてそれが出てきて、それを使いこなすことにより能力を発揮する領域があるからです。それはその領域に関して特に有効なだけであり、三次元の世界においては必ずしもそれは意味がありません。


少し、別の話をして終わりにいたします。今日、ここで行なわれた話は、皆さん方にとってはまだ実感がなかったり、何をどうして良いのか、分からない場合もあるかもしれません。でもいずれは少しずつ、皆さん方はそれを体で感じる状況がやってくるでしょう。つまり、善悪を考えずに何気なくとった行動が自分に災いをもたらしてしまう。自分は正しいと思ってやったことが実際には相手に迷惑をかけて、あらためて何が正しいのかを考えさせられる。ほかの人に何気なく言ったことが、ほかの人はそれを信じて正しいことと思って行動したところ、それが反対になってその人がとても苦しんでしまう。いろんな状況がやってくるかもしれません。そしてそれによって、何が正しく、何が間違っているのか。やはり善悪をしっかり知らないと、相手を混乱させてしまう。そういう学びが訪れてくる可能性があります。

したがって今は実感がなくても、そのうちにそういう経験を通して、あらためて善悪を学ぶ状況がやってくるかもしれません。したがってその時になって、急に混乱したり、逃げ出すよりは、今のうちからわずかでも善悪について考えていた方がやりやすいという状況があります。先ほど、話された基準を考えて、一つひとつの言動で、何が正しく、何が間違っているのか、それを自分なりに見つけ、それに従って行動できるように意識を持っていってください。

皆さん方にとってホンの少しでも成長に役立てれば、私たちは喜びと感じます。それでは、ありがとうございました。


(c)1999 CentralSun
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