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1999/12/20■月例セミナーB[月曜]から

神の思いは必ず完了させるように流れていく

@キリスト意識は完了させるエネルギー

私たちはキリスト意識における新しい波動としてやってきました。キリスト意識といってもいろんな側面があり、いろんな現れがあります。先ほど、皆さん方に説明された現れは、今までのキリスト意識の現れの一つでした。今までのキリスト意識にもいろんな現れがあり、国によって、民族によって現れが違っておりました。日本人においては日本人に見合った現れ方があり、それはやり遂げるとか、成し遂げる、奉公するという言葉で説明されておりました。

私たちは次の段階に向かおうとしております。これから地球には新しい波動でキリスト意識と繋がっていただきたいと思います。今までのキリスト意識は宗教的なエネルギーを使って、人間と接しておりました。神とメシアが一体化され、宗教とキリスト意識が同じエネルギーで形作られてしまいました。新しい波動におけるキリスト意識は神の概念とはまったく違うところに存在しております。新しい世界においては、一人ひとりは神となって行動するでしょう。一人ひとりは自分のやりたいことを自分で行ない、完結させる。自分の能力をフルに活性化させ、多くの人と喜びを分かち合う。そういう神の姿が展開されます。

そこにおけるキリスト意識は、神となって動き出した思いを完全に実現させるまで地球で役割を演じていく、自らが造り出したエネルギーを完結させるまで地球で役割を演ずる。そういう波動に変わっていきます。したがって新しい世界におけるキリスト意識は、自分が神であり、やるべきことがあり、それが完了するまで戻ってこないという一つの役割が造られます。地球と一人ひとりを結びつけるのは、やるべきことが完了するまで地球から戻ってこれないようにしたこと。そういうエネルギーとしてキリスト意識が創られます。

その場合の宇宙から見たキリスト意識は、さまざまな側面を持つ神のエネルギーを宇宙的な大いなる神の御胸とつなぎ合わせ、一人ひとりの神が大いなる神の御胸から離れることがないようにしっかりと結びつけておく。大いなる源から飛び出した一人ひとりの神を切れることがないようにしっかりと結びつけておく。そういうエネルギーとしてキリスト意識があります。すなわちキリスト意識は自らが神であるということを常に意識させるエネルギーでもあります。神の御胸からやってきて、神として行動し、役割を終えたら神の御胸に戻る。その一連の流れを創るのがキリスト意識になります。

大いなる源が何かをやりたいと思うとき、そのすべてのプロセスを確実に創ります。そしてその思いが確実に実現されるように、精妙にエネルギーを創り上げていきます。その一連の流れ、そのベースになっているのが神の基本的な思い、そしてそれを人間の言葉でキリスト意識と呼んでおります。したがってキリスト意識は常に自分が神であり、神の御胸に戻り、でも神の思いを実現させるものとして行動する。そういう意識を持っております。

これを一人ひとりがこれから身に着け、演ずることになります。自分の心の中を一度、クリアにして、自分が大いなる源から分かれてきたときの雰囲気を感ずるようにしてください。はじめに大きな大きな意思があります。とても壮大な意思であり、大きく、すべてを包み込む意思があります。その意思の一部が思いを創り、何かを成し遂げるというエネルギーを創り上げていきました。何かを為したい、そういう思いが次第に形をつくり、そしてそれを実現させなければならないという思いが強くなってきました。その思いを実現させようとして、皆さん方がその役割を演ずることになりました。

その思いを自分が成し遂げる。その大きな大きな意思から自分の流れがつくられ、そして何かを達成しようとしていろんな経験を重ねてきました。そして地球で形を創り、本当の神の思いを実現させようとしてさらなる成長を重ねております。いつの日か、大元が何を考え、何を願っていたのか、一人ひとりの心の中で明確に分かるときがやってくるでしょう。じぶんはこれをやりたかった。大元はこれを考えていた。それを理解できるときがきます。そして自分は肉体を纏っていることに喜びを感じ、やるべきことが明確に分かり、自分は神の思いの一部となって行動していることがはっきりと分かっていきます。自分は地上で何をやろうとしていたのか。神の思いを実現しようとしていた。


一人ひとりが大いなる神の御胸から離れるとき、約束をしてきました。Yukikoさんは神がいつも考えていた感覚的なもの、感ずること、それを肉体を持って体験するとどうなるのかを探ろうとして肉体を創っていきました。Taeさんは神から離れるとき、神には絶対にできないと思うことを自分で見つけ出し、それをこっそりと自分で身に着けて、大元をビックリさせようとしてやってきました。Hiroakiさんは神の故郷を出るとき、神が本当に困ってどうしようもできないとき、自分が助けてあげようと言って、神と約束をして出てきました。Masahiroさんは神の世界から離れるとき、神の持つ神聖さ、尊厳さを人間のレベルで表現したい、崇高な思いを実現させたいと思ってやってきました。

Hiromiさんは神の持つ端正な気持ち、洗練された流れ、細やかさ、そに中に秘められている壮厳さ、そういったものを三次元の世界でかいま見ようとしました。Sumikaさんは神の持つ思い、考え、それを肉体のレベルで完成させたいと思ってやってきました。Keikoさんは神という言葉を使わなくて神である証を得るために何が必要なのかを見つけようとしてやってきました。Yoshikoさんは大いなる大元の確立された大いなる智慧、逞しさ、そこに秘められている強さ、それを人間に伝えようとしてやってきました。Michikoさんは神を人間の形に創るときに、人間の体では絶対に表現できないもの、人間の肉体では絶対に無理なものを寄せ集めてあなたの体を創り出していきました。

Mariさんは考えること、思い、そして感覚的なこと、これを人間の世界で体験するとき、神の世界との違いをどこまで理解できるか、それを見つけようとしてやってきました。Setsukoさんは人間の持つ悩み、疑問、未解決、そういったものを理解するヒントを見つけようとして、人間自身の中に隠されているものを引き出そうとしてやってきました。Michiyoさんは、神がものを創るとき、創造のプロセスを人間で現した場合、人間のやり方と神のやり方で違うところを見つけ、人間ではできないことをスピリチュアルな能力を使って達成させようとしてやってきました。

Chiyakoさんは、大元と人間の根本的な違いを明確に理解し、人間であることの喜び、人間ではできないことの悲しみ、人間であるがゆえの喜び、それをしっかりと理解した上で大元の喜びを感じようとしました。Akikoさんは大元の心、自分の心、それはどこまでいっても同じものであり、違うものではないということをはっきりと理解できるように流れをつくってきました。


皆さん方が大元から離れるとき、大元といろんな話をしたり、約束をして出てきました。そしてその思いを達成させようとして肉体を創り、今、経験を重ねております。そして確実に神として行動してその思いを達成させて戻ろうとしております。皆さん方がキリスト意識をしっかりと身に着けている限り、確実にそれを実現させて戻ることができます。キリスト意識が皆さんを大元のところにまで導いていきます。一人ひとりの思い、そこには必ずキリスト意識が入っております。でもそれはメシア思想や宗教的なエネルギーではありません。自分が自分であるためのエネルギーです。神に戻るためのエネルギーであり、神であるためのエネルギーです。

そしてそれに気づいたからには、皆さん方はもう神の思いを十分に達成できる時期に入ってきていることを意味します。ここにいる人々はもう十分に神となって行動する用意ができている者です。自らの心の中のキリスト意識を目覚めさせ、しっかりと神として行動し、そして神の思いを実現させて無事に戻ってこれるのを待ち望んでおります。


私たちは一人ひとりが確実に神のところまで戻るまで、皆さん方と共に学び、経験をし、分かち合っていくでしょう。皆さん方が大いなる大いなる源にしっかりと戻ってくるまで、私たちと一緒に学びを続けていきましょう。それでは少し、休憩をとります。ありがとうございました。


Aメシアを放棄したとき、真のメシアが見える

私はイエスとしての波動で下りてきました。メシアというのは宗教的にいう救世主、あるいは社会を建て直す人間として呼ばれる場合があります。しかしそこに秘められているイメージは一人ひとりまったく違います。メシアはこういうものとか、何をする人、どういう存在、そういう定義は存在しておりません。したがって人によって、宗教によって、民族によって、すべて思いが違います。今、弾圧されている民族にとっては、彼らを解放するのがメシアでしょう。貧しき者は自らが富める人間になるのをやってくれるのがメシアと思うでしょう。国の政権が侵されているものは正常な働きに戻るのを遣ってくれるのがメシアと考えるでしょう。

メシアというのはそういう抽象的な概念であり、その現れは国や民族によってかなり違います。そういった意味において、誰がメシアかを論ずる場合、民族によって、国によって、宗教によって、すべて違います。支配している国からみれば、さらに多くの国を支配下に治めるように仕向けるのがメシアかもしれません。征服されている国からみれば、支配している国を粉々にするのをメシアと考えているかもしれません。

メシアは相対的な概念からつくられており、どの立場から考えるかによってメシアの定義が変わってきます。したがって人間が望んでいるメシアを実現させようとする場合、それぞれの国、それぞれの民族にとって都合の良いメシアをつくり出す必要があります。特に宗教において、それぞれの宗教でつくり上げたメシアがいるために、それぞれの宗教の争いがさらに激化することになるでしょう。

真のメシアが現れたとしても、地球上の平和が訪れることはないでしょう。それを望む人間の心、都合の良いように持っていかせようとする心、それをメシアという言葉でごまかしているのです。自分たちの甘い心、エゴ、醜い気持ちでメシアにやらせようとしているのです。メシアを送り出すということは、人間の欲望を満たすことになります。人間は早めに気づかねばなりません。メシアが平和を築くことはできないということ。自分たちはメシアを欲しないということに気づかねばなりません。

人間が自らメシアを放棄し、メシアを期待しなくなったとき、一人ひとりが自分のメシアとなるでしょう。メシアがメシアでないと気づくためには、それぞれの望んでいるメシアがいっぱい現れてきても、何の解決にもならないということを経験する必要があるのかもしれません。したがってこれからは自分がメシアだ、あの人がメシアだという論争があちこちで起こっていくでしょう。そして誰が本当のメシアか、誰が本当の救世主なのか、そこで論争が起こっていくでしょう。

あるものはさらにその中から真のメシアを見つけようとするかもしれません。しかしあるものはそういう論争自体、意味のないということに気がついていくでしょう。メシアに縋るおろかな気持ち、メシアをつくりだす哀れな心、自分たちの心をそこから見つけねばなりません。

メシアを手放す一つの方法として、自らが神であるということを本当に実感んする学びがあります。自らが、神の心から現れてきた。神の思いを達成させ、十分に満足して帰っていく。それを実感することにより、自分は神の思いを実現させるためにただやってきた、そしてただまた戻っていく。一人ひとりがそれをやっている。自分は自分のことだけをただやればよい。それに気がついていきます。

メシアに意識を向けることなく、一人ひとりが満足した生き方を理解するためには、自らが神であるということを本当に実感することです。自分が神である。自分の思いは神の思いである。それがはっきりと分かるような人間たちが増えてくると、メシアを期待するエネルギーもだんだん弱くなってくるでしょう。何かに縋る気持ち、任せる気持ち、そういう弱い心を早く追い出し、自分は自分のためにしっかり生きていく。そういうエネルギーをつくり上げるようにしていってください。


キリスト意識は自らが神であるということを常に理解しております。キリスト意識は神から離れることはできません。キリスト意識は、神である証として皆さんに現れていきます。一人ひとりがキリスト意識であり、神である。それを本当に心の中につくり上げて、自分の人生を満足したものにもっていけるようにしていってください。


B挨拶

私たちは少し話をして、終わりにいたします。今年の学びもあとわずかになり、新しい年を迎えることになります。それと共に皆さん方にもまた新しい波動がやってくるでしょう。自分が何であり、どこに戻るのか。自分は何を具現化したいのか。それに関する情報がさらに渡されるようになっていくでしょう。一人ひとりが神に目覚めるに従い、それに応じた情報が与えられていきます。自分を知れば知るほど、必要な情報が与えられていきます。皆さん方が着実に成長され、神の御胸に近づいてくるのをとても喜びとしております。私たちもさらにいろんな工夫をして、また新しい年で皆さん方とお会いしたいと思います。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1999 CentralSun
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