前へ戻る
1999/6/7■月曜交流会から

勝ち取った自由はいずれ奪われる

@制限を解き放った自由は真の自由とは違う

私たちはこれからの日本の流れについて説明をしていきます。少しずつ日本のエネルギーが変化してきております。これまで日本を支配してきた独特のエネルギーが解放されつつあり、新たなる波動に向けて変化してきております。今まで日本を支配してきたのは、一人費ひとりがなるべく判断したり考えたりしないで、偉い人の話だけを聞いて言うとおりにする、力のある者の言うなりになる、権威ある者たちの声だけを聞く。それによって一人ひとりの考える能力を失わせ、全体を思うように操るというエネルギーが日本に流されておりました。

そのためにほとんどの日本人は、考えるということが面倒臭くてできなくなったり、自分だけの意見を言うということができなかったり、ほかの人のやることをただ気にして、それに合わせるという生き方が中心になっておりました。自分の考えということを表現すると、おかしいと思われたり、非難される状況が起こるために、なるべく目立たないようにして、自分もほかの人と同じ意見だという感じで生きてきました。

このエネルギーが少しずつ日本から切り離されており、それによって今までの束縛から解放され、自由な表現をとる人が増えてきました。しかしそれまで束縛されていた人が解放的になるのは、問題ありませんが、初めから自由にやっていた人がさらに自由なエネルギーを吸い取って、自分だけが楽しければよい、自分だけ満足できればよいというやり方で、自分勝手な行動をとる人も増えております。

今、流されている精神的な自由を受け取っているのは、今まで制限されていた人間ではなく、むしろこれまで自由にやっていた人がさらに自由なエネルギーを吸収して思う存分に好きなことをやるという傾向も強くなっております。今、改めてそういう観点で見たときに、心を解放させるエネルギー、自由に表現するエネルギーが全員にうまく分配されたわけではなく、制限されている者は相変わらず制限されたままであり、自由な人間がさらに自由を享受するという状況になっております。

したがって今、そういう状況を見たときに、今まで制限されていた人がいかに解放的になるか、今まで自由を享受していた者はその自由さをいかにほかの人に分配していくか、といったことが新たなるテーマになってきております。自分は自分なりに楽しんでいる、自分は十分に表現している、と思って特に問題を感じない人もいるでしょう。その人にとっては自分の範囲内で十分に満足しており、自由な表現をとっているように感じられております。

しかし本来の自由を味わっている場合には、その自由は自分だけではなく、周りにいる人の心をも解放するエネルギーが出ていくものです。自由にやっている人の近くに行くと、自分も心が楽になっていろいろやりたくなってみる。自分も同じように、いろいろ表現してみたくなる、という雰囲気に変わっていきます。したがって自分では自由に表現しているように見えても、近くに人がやってきてそういう自由さを全然感じていないのであれば、実際にはその人は自由なエネルギーを使いこなしているとは言い難い状況になります。

本当に自由を味わって、自由に生きている人はあえて口から、私は自由にしているとか、自由を楽しんでいると言わなくても、近くに寄っていくだけで十分に感じとることができます。言葉の一つひとつ、行動の一つひとつに自由が溢れ出ており、その人の近くにいるだけで心が解放的になっていくものです。そういう意味で、本来、自由というものは次々に広がっていき、本当に心を解放するだけのエネルギーが備わっております。

今の日本において、そういう自由のエネルギーがまだまだ十分には使われておらず、一部の人間だけの範囲に留まっており、相変わらず制限されている者や表現できない人々がたくさん残っております。したがって今まで制限され、表現しにくい環境で育ってきた人が本当に自由を味わって、自由な生き方、自由な表現力を身に着けるためには、何が必要なのか。

自由を語るときに、ほとんどの人は必ずしも自然な形の自由ではなく、制限されていたことがなくなる、誰かの支配下から離れる、束縛から解放される、という感じで自由を考えていきます。そういう考えの自由は常に制限されるというエネルギーを造り出してしまい、本当の自由とはかなり質的に違う自由が作られてしまいます。束縛や支配のない自由、それがどういうものであり、それは何を表しているのか。それが理解されていないために、自由を語ろうとしても、どうしても制限や支配を前提とした自由が考えられてしまいます。したがって日本人にとって自由に生きるということ、自由に表現するという意味がまだまだ理解されておらず、言葉だけの世界になっている場合もあります。

自由を語るときに、単にそれが良いことだから、それが自然だから、そうしないといけないからという理由だけで、自由を求めている者は実際には本当の自由とは何かを理解していない場合があります。真の自由は奪い取るものではなく、勝ち取るものでもなく、初めから本来、そこにあるものです。何かの制限を剥ぎ取ってそこで勝ち取った自由、それは実際にはまた次の争いを造り出していきます。争いによって手に入れた自由はいつか争いによって失われる経験が伴うものです。

そして奪われるという不安が常に付きまとい、真に心を解放することには繋がりません。勝ち取った自由はいつかは奪われてしまうのです。今までの地球上の歴史で、勝ち取った自由が永遠に残っているという国があるでしょうか。力で手に入れた自由は、いつかは力によって奪われていくものです。したがって自由を語るときに、そういう自由ではなく、そもそも奪い取ったり、勝ち取ったりするものではなく、初めから存在している自由、単に人間が気づかなかった自由、今、ここにすでにあるのにもかかわらず、見向きもしなかった自由、そういう本当の自由を考えていく必要があります。

本来、日本人はそういう自由を理解するのにとてもよい民族でした。国全体がどこかに支配されたり、占領されたということがないために、外国の勢力を解放することによって自由を勝ち取るというエネルギーがそんなに作られてはおりません。しかしほかの国々の多くは、奴隷制度や植民地の経験を通して、自由は勝ち取るものであり、闘うことによって手に入れることができるものと信じられております。したがって彼らにとって自由は闘うものでもあるのです。

日本人はそうではなく、それ以前から人間と自然が一体であり、そのまま自然の持つ自由さを人間も感じていたのです。それがいつしか次第に失われてしまい、自由というのが何であるのかも分からなくなり、ついには欧米的な考えによる支配が入り込んできて、自由でないエネルギーがどんどんと流れ込んできました。そしてそれらを取り除くことによって自由が得られると勘違いもしております。今、改めて自由を考えるときに、そういう制限から、支配からの解放によって得られる自由とはまったく質が違い、本来、自然と共に存在している自由、この区別を日本人が理解し、そして本当の自由を一人ひとりが身に着けていく時期に入っていきます。

今、地球に流れ込んできている新たなるエネルギーの中にはいろんな種類の自由のエネルギーがあります。制限をなくそうとする働きのエネルギー、支配や束縛を解放させようとするエネルギー、それによって自由にさせるという働きも確かにあります。しかしそれは西洋的な条件の強い国や、そういう考え方に染まっている人に流れてくる自由のエネルギーです。それとは別に、本来の、生命が持っている自由、自然と共に生き、生きること自体が楽しみであることを理解している自由なエネルギー、それを思い出させようとする働きのエネルギーもあります。

そして日本にはこれらのエネルギーが複雑に入り込んできて、これが今、いろんな人々に影響を与えております。これまで日本を支配し、束縛してきたエネルギーは確かにあります。欧米的な考えを日本に取り入れ、それによっていろんな制限が作られてきました。それを解放させようとする働きのエネルギーがまずあります。そして今、そのエネルギーがいろいろと流れ込んできて、これまでの制限から解放させようとする働き。日本人が作ってきたいろんなしきたりや制度といったものを次々と取り払って、一人ひとりがもっと楽に生きるようにもっていかせようとする働きのエネルギー、これが一つあります。

そしてそれとは別に、本来の生命として自然に自由に生きるために思い出させようとする働きのエネルギー、この2種類の自由のエネルギーが今、流れてきております。でも、今、表に出てきているのは、初めに述べた自由のエネルギーであり、これまでの制限や束縛、支配を元に戻そうとする働きのエネルギーです。そしてこれを自然に受け取ってそれを享受している者はそれで構いません。しかし初めに述べたように、実際には、元々自由に生きている者がさらにそのエネルギーを取り入れてより自由になろうとしているだけであり、制限された人はそのまま制限のままで生存し続けているという状態が続いております。

束縛から解放されようとして、闘って武力で手にいれたものはまたいつか、武力によって自由を失われる経験を造り出していきます。そしてそれとはまったく別に、本来の自然の中に含まれている自由なエネルギーを少しずつ表に出させようとして、今、いろんな計画が作られております。このエネルギーはまだ表には出てきておりません。皆さん方がこれからどういう働きを為し、毎日をどういう風に生きていくのか、生きるということ、今を楽しむということにいかに自由を見出していくか、これが大きな鍵を握っております。

私は自由に生きている、そう表現した場合の自由がどういう意味であるのか。昔は制限されていたが、今はその制限がなくなった。昔はパートナーや家族を考えなければならなかったが、今は一人で自由にできるようになった。こういう意味の自由はいつかはまたそれが自分に影響を与えるような経験を作るかもしれません。したがってそういった、勝ち取ったり、身に着けたりする自由のエネルギーではなく、本来、自分の生命そのものが持っている自由のエネルギー、生きていること自体に自由を感じているエネルギー、こういう自由のエネルギーがいかに自分の心の中から造り出されていくか。これからはそういう自由の学びに入ることになるでしょう。

一人ひとり、自分は自由かどうかを考えたときに、何をもって自分は自由であり、何をもって自分は自由ではなかったのか、それをまず考えてみて、自分は本当の自然界の自由を味わってきたかどうか、自分の求めている自由が真の心の自由であったかどうか、それを一人ひとりが考えるようにしてみてください。


Aエネルギーの解放の仕方

日本人がこれから学ぶべきテーマとして、解放する際の意識の持ち方、意識の使い方を学んでいく必要もあります。制限されたいたものが解放される。閉じ込めていたものを解放する。良くそういう言い方を使います。しかしそれを実際に行うときに、自分の心に造り上げてきたいろんなものをただ解放する、ただ手放すという考えで自分の流れを変えようとしても、なかなかうまくいかない場合があります。

自分はお金に執着しない、もうお金についての執着を開放する、手放す、と思って、心の中で、もう金銭に執着しない、金銭に執着しない、と何度も唱えながらも、結局は執着してしまう現実が続いている人がおります。解放する、それは口では簡単に言えますが、エネルギーレベルでそれを成し遂げるのはとても大変なことです。ただ口でそう述べて信じただけではエネルギー的な解放には繋がりません。

それではエネルギー的に解放するには、どういう手順が必要なのか。何かを解放するときに、ただ単にそれを出すという思いをもつのではなく、初めからそういったものはなかった、初めから束縛されたり制限されたりした事実がなかった、という意識をまず造り上げることが必要になります。自分の心が金銭に執着していた。だから執着をなくそう。こう思っても、なかなか執着は解放されません。しかし初めから、金銭に対して何の問題もなく、金銭自身の学びはすでに終わっている、という意識にまずもっていきます。

そしてその後で、金銭との関わりは、執着を学ぶのではなく、ただ単に数字的なやりとり、お互いの人間関係を確認するものとして金銭が近くにあり、それを通して人間関係を学んでいた、人間とのやりとりを金銭というものを使って交換していた。純粋にそういう意識に造り変えていきます。そうすると、金銭が入ったり出たりするのは、単純に人間関係の中でエネルギー的なやりとりが行われていたに過ぎず、お互いに必要なもの同士を交換しあったに過ぎません。その時々に必要なものを金銭を通してやりとりしている。交換しているという意味です。

したがってこれからも自分が必要なものは、ただ金銭と交換する。まずはそういう仕組みを完全に造り上げてしまいます。そうすると、自分が金銭に執着していたのは、どういう理由からか。それは金銭がほしいのではなく、ものがほしい、ほかの人の物がほしいという思いが先にあることに気がついていきます。金銭があることによっていろんなものを交換できる。ほかの人の物をいろいろと手に入れることができる。つまり金銭の執着ではなく、物に対する執着が先にあります。したがっていつしか金銭に対する執着をなくすと同時に、次は物に対する執着がテーマになってくるでしょう。

このようにして皆さん方は段階的に解放するということがどういう手順で行われ、自分は本当にエネルギー的に解放できたかどうかを一つずつ経験していく必要があるでしょう。そして自分が心の中に、何かを手に入れたい、何かがほしいという思いを持っている限り、心から解放することはできません。何かほしいという気持ちを持っているにもかかわらず、心から追い出そう、心から解放させようと思っても、それはとても無理な話です。まずは根本的に、何かがほしい、自分のところにあれば良いという気持ちそのものを先になくすことが必要になります。

そういう欲をなくしてから初めて、解放するというエネルギーの学びができるようになります。解放するということを本当にやってみたい人は、まずはエネルギーレベルにおいて、ほかの物をほしがるという気持ち、人の物を手に入れようとする気持ちそのものをまずなくし、自分のエネルギー的なやりとりをもっと高いレベルに変えていく必要があるでしょう。心を解放する、執着を手放す、これはただ単純に考えたり、願うだけで実現できるものではありません。一人ひとりがそれをよく考えて、自分はどういう心の持ち主か、どういう風にエネルギーを解放していくか、それを考えるようにしてみてください。



日本人の心には、物質的な所有欲にとても強いものがあります。ほかのひとが持っていると、自分もほしくなる。自分にないものがある人を見ると、羨ましくなる。そういう波動がとても強く、いかにその物を手に入れることができるか、早く手に入れるにはどうしたらよいか。そればかりを考えている人がたくさんおります。日本人を本当に解放させるためにも、この物質に対する所有のエネルギーを一人ひとりがうまくコントロールし、無闇に所有することを望まないように持っていく心の持ち方が必要になるでしょう。自分の心のエネルギーがどうなっているのか。それを一人ひとりが客観的に見るようにしていってください。

私たちは少し、休憩をとります。ありがとうございました。


B感情も質的に変化していく

私たちは今までの話を聞いて少し、コメントをしておきます。まず、Tさんがいろいろと話をなされ、自分の感情や解放についての説明がありました。あなたの感情のエネルギーを見たときに、あなた自身が今まで体験し、学んできたエネルギーとこれからの人生において必要な感情のエネルギーとの調整がとられております。今、身に着けている感情のエネルギーでも、これからの学びで必要がないものが少しずつ、整理されてきております。しかしこれからの流れでも、感情のエネルギーを使うもの、感情のエネルギーが必要なものもいくつかあります。それに関しては、感情のエネルギーをそのまま使うことにし、それによっていろんな流れを作ろうとしております。

したがってあなたが解放させようとするエネルギーがこれからの流れに必要のないものは比較的、容易に手放すことができるでしょう。しかしこれからの学びでも必要な感情のエネルギーに関してはあなたと一緒にまだ学びを続けることになります。それをいちいち否定的にとる必要はありません。元々、人間関係は感情のやりとりでもあり、感情を通して親しくなったり、楽しい気持ちが湧いてきたり、人生を味わうことができるのです。感情がなければ、人と出会っても喜びが出てこなかったり、お互いの協力体制によって得られるものがまったく違ってしまいます。

したがって感情を持っていたり、感情を体験すること自体は人間として当然であり、それ自体、悪いということは何一つありません。ただこれからの学びにおいて、感情のエネルギーが質的に変化していく必要があります。これまでの感情は、自分を表現したり、相手を理解するために造られた感情が中心でした。これからの感情は自分と相手だけではなく、人間全体としての思いや、地球との繋がり、ほかの動物や大自然、といった総合的なつながりにおいて感情を感じていく必要があります。

人間に対して感情が湧くのと同じように、動物や自然に対しても感情が沸き起こってくるのです。そうして、ある植物や場所に出会うと、感情が急に高ぶってきて、とても好きになったり、悲しくなったり、あたかも相手が人間であるかのような感情が沸き起こってきます。これは次の段階における感情であり、そういう段階に来て感情をコントロールするということがどういうことであるのか、感情に巻き込まれずに純粋に喜びを感ずるにはどうもっていくのか、それがこれからの学びになっていくのです。

したがってあなた自身のその感情をいかに次の段階にまでもっていき、その中で人間に限らず、いろんな自然や植物との間の感情を自分が味わえるようにする、感情を通じてコミュニケーションがとれるようにする、といった学びにこれから進んでいくことになります。自分自身の感情をそういった意味で、これからより良いものへと高めていくように意識を向けていってください。


Kaさんの意見で、報酬ということに対しての金銭のエネルギーを質問しておりました。自分が何か、肉体的な労働を提供することによって、金銭を得る場合に、それは執着になるのかどうか。それはまず、報酬とか労働とかとはまったく関係ないレベルで執着ということが論じられているということに意識を向けていってください。本来、労働であろうと、金銭という代貨であろうとなかろうと、ないものを一方的にほしがったり、自分一人のためだけにしようとする気持ちが執着であり、それをいつまで経ってもずっと思い続けるということが執着をさらに大きくするものになります。

したがって初めから金銭の獲得を前提にして行動しようとしたり、それを続けようとする思いがあれば、それは執着に繋がっていきます。しかしそれを初めから何一つ期待することなく、単に自然との接触を望んだり、野菜や果物を作ることを喜びとして自分の身を使い、その報酬として金銭が得られる分においては、それは執着のエネルギーにはなりません。したがって自分はただ単に与えられた環境で、自然の中で自然の作物を作り出すということ自体は何一つ問題はなく、それをいちいち疑問に思ったり、それを投げかける必要もいっさいありません。

あなた自身の心の中には、執着的なエネルギーはそんなに強くは作られてはおりません。あなた自身が持っている執着は金銭ではなく、むしろ宇宙的なことや神秘的なこと、不思議なもの、そういった能力を手に入れたいとか早く体験したい、という執着の方が強く感じられております。したがって物質的な執着ではなく、やはり自分自身の能力や自分自身をより高めようとする思い、の執着をコントロールできるようにしておいてください。


Kiさんの話で、エタノールに関してのやりとりで、自分は何を学ぼうとしているのかを話しているのがありました。あなたがそういう現実を体験する原因となったのは、あなた自身の意識の中に自分のまだ分かっていないこと、理解していないことがやってきたときに、自分はどう対処し、うまくそれが相手に説明できるのかどうか、という不安がどこかに隠れていました。まだ自分のまったく知らないもの、理解できないもの、といった状況が訪れたときに、自分はうまく対応できるのだろうか、まだ経験したことのないものがやってきたときに、自分はどう対処したらよいのだろう、という思いがまだ残っております。

したがってそういう現実が自動的に作られてしまい、あなた自身の考えてもいない質問が来るという現実が造られていくのです。したがってそこから得られる学びは、細かいことではなく、むしろもっと大きな、自分が造ってしまったエネルギーが現実化を進めるということ、自分が不安に思ったり、自分が恐れているものが現実化しやすいということ、ただ単にそういう学びが得られていたと思っておいてください。


C本当の自由を楽しむ

私たちは少し話をして終わりにいたします。皆さん方が少しずつ、学びを重ね、新しい波動に向けて意識を成長させ、考え方を変えていっております。しかしまだ地球全体で見た場合に、人類の意識の成長がとても遅く、宇宙全体が望んでいるレベルに達するにはかなり難しい状況になっております。どこまで人を傷つけ、どこまで自分を傷つけたら、やっと分かるのか。自分の与えられた環境をうまく使うことができず、ただ周りに合わせてしまったり、自分の本来の能力を何一つ活用せず、そのままにしておいたり、常に自分がうまくできない方向へとわざともっていかせる人々もおります。

常に地球人類は何かの制限を受けており、自由に表現できず、自由に発言することもできない、ましてや行動することができない、という思いにとらわれて、自分で勝手に閉じこもっている人もおります。本来、いろんな教えは心を解放するものであり、自由に、そして自然と一体となって行動する人を作り出す役目がありました。しかしその教えがいつの間にか制限を作り、束縛を作り出してしまいました。何か新しい教えが出るたびに必ず新しい制限が出てしまうのです。

このように自由は常に制限を作り出し、その制限を解放させようとしてまた新たな教えが作られ、制限を生み出していきます。地球人類はそういう流れの中でずっと閉じこもっており、自由を獲得しようとしてまた別の制限を作り出しております。そういった制限に依存しない自由、本来の自由を早く皆さん方が身に着け、それを体感し、本当の自由はどんなに楽なものであり、どんなに自分の真実に戻ることができるのか、いかに自分が本来の自然の中に戻ることが喜びとなるのか、それを本当に味わっていっていただきたいと思います。

一人ひとりの心は本当は自由を望んでおり、自分が表現して大いなる宇宙と一つになることを望んでおります。にもかかわらず、制限のエネルギーが強いと、その中で何も行動できなかったり、いつも通りの流れに巻き込まれてしまう人がたくさんおります。でもそれは自分をやはり騙していたり、自分を惨めにさせる結果にしか結び付きません。本当に自分の自由を表面に出し、本当の自由とつながることによって自分が自由であるということが実感でき、喜びも感じられてきます。

いろんな制限が確かに地球には残っており、皆さん方に覆い被さっております。でもそれを破壊したり、それをぶち壊すことによって自由が得られるのではなく、本当の自由とつながることによって自分が自由になるということ。自分の心の中にある本来の自由を呼び戻すことによって、自分が自由になるということ。早くそれに目覚めて、自分を解放させるように行動をとっていってください。

私たち自身、いろんな人間を通じて、どんなに一人ひとりが制限の中で生き、自分に嘘をついて生きているのか、よく分かっております。言われていても体が動かない。頭で分かっても、口から出る言葉は、ついその場に合わせて出してしまう。そういう人がたくさん存在しております。でもそういった制限を作り出してきたエネルギーが次第に人々から離れつつあり、皆さん方もそういう影響をあまり受けないように変わってきております。したがって今、自分たちがそれに気づいて自由な行動を取らなければ、今、この時期を活かすことができなくなってしまいます。

むしろ、その制限を前提にして、こういう場では発言してはいけないから、こうしないといけないから、これは言ってはいけないことだから、という屁理屈ばかり造っている人はそういう制限を前提にした生き方しかできなくなってしまうでしょう。そして私たちは、そういう人とは心が合うことなしに別々の時空の中で別れていくことになります。私たちは、真に自由を求める者と共に歩き、人々を解放させる働きをする人とともに成長することになります。

皆さん方がこれから求める社会は本当の自由を味わう社会であり、自分が本当に自由に表現する社会でもあります。自分だけではなく、地球人類全員がそういう自由を味わうことのできるように、一人ひとりも自分の意識を変えてみてください。私たちはここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1999 CentralSun
前へ戻る