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1999/5/17■月曜交流会から

大自然と共に在るという気持ちを

@日本人の持つ思いやりやいたわりと西洋的個人主義

私たちは日本の流れを創っている仲間です。日本人が今、なぜ、こういう現実を造り、これからどこに向かうのか。日本という流れの中で、今はとても重要な役割を演じております。今までの日本人の役割は日本という国が世界で通用する意識を持つための学びをしてきました。日本人が世界の国々と交流し合い、意識を合わせたり、文化に接したりすることによって、いろんな国の人間が存在し、いろんな文明、いろんな暮らし方があるということを理解することが一つありました。

その中で、日本人は地球という場を学び、自然と呼ばれているものが日本人の理解した大地だけではなく、さらに広大な大地、偉大なる山々、静かな海、輝ける大空、この大自然の恵みを感じ、この大自然の下でいろんな人間が生存している。そういう事実を認識することにより、日本だけではなく、いろんな国において自然と共に必死になって生きている人間がいるということ。自然と人間の在り方を学ぶのがひとつのテーマでした。

そして日本人は海外からの知識を吸収し、地球についてさらに学び、大自然の神秘を学んできました。今、いろいろな国々について理解をし始めた日本人は、人間について改めて学ぶ時期に入っております。日本人が身に着けていた思いやり、いたわり、物を大切にする気持ち、これらの思いが薄れてきて、物質を所有する喜び、独占する喜びを育ませてきました。そして改めて物質が心を豊かにするものではないということ。むしろ心を惑わすものであるということに気がつき、改めて人間の心について目を向け、心を豊かにするには何が大切なのか、人間が分かち合うためには何が必要なのか、それを学ぶ時期に入りました。

近年の日本は戦争を経験し、軍国主義というエネルギーの中で身を国に捧げ、生きること自身に必死になるという流れがありました。今、やっと貧しさから解放され、人々を物質的な豊かさへと変えるエネルギーが流れてきました。しかし日本人で心が豊かになったものがどれだけいて、さらにそれを広げようとしているものがどれだけいるか。心が豊かになるためには何が大切なのか。

今、多くの人が豊かさについて学んでおります。日本は今のままでは執着的なエネルギーだけが強くなり、解放させるエネルギーが失われる状況になっております。今のまま、ただ欲望に従い、楽することばかりを考えている者は、せっかくの豊かさのエネルギーがうまく使われず、人間の心を豊かにすることなく、消えてしまいます。人間の心を豊かにするためにはどうするのか。

誰もが皆、豊かになろう、豊かになろうとして働き、身を捧げております。しかしそれがうまく反映されない。自分の豊かさだけを考えており、ただ自分が楽すること、自分が恵まれることしか頭にないからです。豊かさのエネルギーは一人の人間が独占するためにあるわけではなく、お互いに分け合う、皆で分け合うという場で豊かさを発揮します。しかし日本人はいつの間にか、自分一人で豊かさを感ずる、自分だけ豊かになるというエネルギーを造り上げてしまいました。これは豊かのエネルギーではなく、執着的なエネルギーになります。そのために豊かさのエネルギーがうまく回らず、経済的にも混乱が起こるようになってしまいました。

しかしこのままで良いとは誰も思ってはいないでしょう。自分だけの快楽を求めても一時のものであり、永遠のものではないと知っているからです。今、目覚めつつある日本人と何も分からず、ただ好き勝手にやっている日本人がおります。日本人が豊かさや分かち合い、喜びといった波動を思い出して、その本来の使い方をうまく発揮すれば、今、支配的になっている個人主義がまた新たな面で日本人の下で変わるようになっていくでしょう。

しかし日本人が無力化していることも事実です。やるべきときにやらず、逃げ回り、責任逃れをする。こういう日本人が増えてきて、その場だけうまくごまかして生きる。刹那的に生きる人間が現れてきました。日本という国のこれからを真剣に考え、本来のエネルギーを取り戻し、世界で通用する日本人としての働きを活性化するには、日本人が自然に持っていた、分かち合う、自然と共に生きる、感謝と尊敬の念を常にもって物事や人間すべてに思いやりやいたわりを感ずる、ということが大切になります。

もともと思いやりやいたわりを身に着けていた日本人がなぜ、急速に手放そうとしたのか。楽して快楽を身に着けたい、早く快楽を感じたい、という思いから日本人の心は西洋のものに明け渡す状況になってしまいました。日本人として目覚めるためにはどうしたらよいのか。日本人としての働きを演ずるには、何が必要なのか。

日本人が自分だけのことを考えずに、周りや地球のことを考えて行動する。しかしそれを具現化しようとしても、周りの者に受け入れられず、うまく進めることができない者、こういう人がたくさんおります。しかしあなた方は、だからといって西洋的なやり方に合わせてしまったり、それと共に歩む必要はありません。西洋的な個人主義は、一見、自分に快楽を与え、自分だけが得するような状況が造られていきます。しかしそれは真の幸福を与えるわけではなく、人間の弱いところばかりを攻めてきて、さらに欲を駆り立てようとします。

楽をしたい、楽しみたい、という思いがそういう現象を引き寄せていきます。そういうものに惑わされず、日本人は日本人としてしっかりと生きていく。皆さん方も心の中ではそう感じ、日本に受け継がれてきた文化や大切なものをこれからも続けたいと思うでしょう。しかしなかなか現実が合わず、現実が日本に受け継がれてきたものを無くそうとする方向へ動いていきます。ではそういう大切なものをどうやってこれからの日本に根づかせていくのか。

一人ひとりがそれを本当に大切に思い、具現化していく。周りからどのようなことを言われても、自分は本来の日本人の在り方を進めようとする。こういう気持ちがとても大切です。多くの人が、口では自然を大切にしよう、日本を守ろうと言いながらも、西洋的な観点で、それを認識している人がおります。人間を本当に大切にし、日本という国を大切にしたいのであれば、日本で受け継がれてきた大切なものを自分一人でも良いから具現化し、残そうという気持ちを強くすること。これが必要です。

実際に自分がそれを具現化し、残そうという気持ちを強くすることによって、それは本当に残っていきます。しかし日本人は非常に移り変わりやすく、あることを決意しても次の日にはそれをまったく無視してしまったり、元に戻ってしまう場合もあります。それが日本人にとっていちばん難しいものであり、それは本人にしか分かりません。いくら約束しても自分で無視してしまう。そういうことが何度も起こります。

自分にとって自分の生き方をどうすればよいのか。いろいろ難しいテーマもあるかもしれません。でも自分が美しいものを残そうという気持ちを持っている限り、それは本当に残っていきます。日本人にとって日本人の本来を理解するというのは、ある意味ではかなり難しいでしょう。でもそれは不可能とか、できないというものではありません。自分の心と常に相談し、自分の心で思う通りにやっていくと、うまく進んでいきます。一人ひとりがもっている大切にしたいもの、日本人の心として後世に残しておきたいもの、それが一つでもあるのであれば、それは本当に残したいという思いを強く持っておいてください。

日本人はまだまだこれから世界で働きを演じていきます。いろんな国においての影響力も強くなっていくでしょう。日本人にとって、日本人の大切なものを残すというものほど、難しいものはありません。ほとんどの人にとっては、今の生き方とまったく違っていたり、通用しないものがあるでしょう。でもそれは大切なものです。いたわる、思いやる、助け合う、日本人の素晴らしい文化でした。

今でも個人主義に走ろうとしても、どうしても皆と一緒に、同じように楽しんでいきたいという流れに入ってしまう人がたくさんおります。なかなか個人主義には入りきれない人です。それはそれで構いません。皆との中において、いかに満足する毎日を造っていくか。


A大自然が日本人に訴えたいこと

日本人について、今、少し説明がありました。残しておきたいもの、大切にしたいものという表現をとっても、自分ではなかなかイメージできないものがある、という人もいるかもしれません。日本人が本来身に着けていた大切なもの、それは本当に大地に生きているという思いがありました。田を耕すもの、畑を耕すもの、山で竹や茸を取るもの、海や湖でさかなを取るもの、皆自然の中で生きているという一体感がありました。

山に入るときには山の神の許しを得る、海に出るときには海の神の許しを得る、それぞれ自然の許可を得て、自然の恵みを受けておりました。そこには自分だけの力ではなく、大自然のおおいなる力を常に感じ、それらの恵みを持って生きているという感覚がありました。そういう感覚が失われてきたのは、言葉がどんどん西洋化し、自分だけ恵みを手に入れたい、自分だけ楽して豊かになりたい、という思いが自然との繋がりを引き裂いていきました。

皆さん方は個人の自由を手にすると同時に、大自然の恵みを捨ててきたのです。そして今ではそれが当たり前になっているために、改めて大自然の恵みを手に入れようとすると、何をどうして良いのかが分からなくなっております。個人の自由を手にしたままで大自然とつながろうとするからです。皆さん方は大自然の恵みを得て、繋がりを元に戻そうと望むのであれば、代償として手に入れてきた個人の恵みや自由をある程度、戻す必要があります。

大自然と共に喜びを感じながら生きて、必要最小限の恵みの中で生きるのか、大自然から離れて個人の自由や恵みを最大限の追い求めていくか。それによって流れがかなり変わっていきます。日本として、日本人自身が大自然から恵みを受け、喜びの中で生きようとするのであれば、勝ち取った個人の自由や恵みを大自然に戻す必要があります。しかし、やはり個人の楽しみをもっともっと追及し、三次元の喜び、三次元の豊かさをもっともっと追及したいと思っているものは、大自然と離れた領域でそれらの喜びを手にすることになるでしょう。


日本の大自然は皆さん方に常に訴えております。

なぜ、私たちから離れようとするのか。私たちから離れて、あなた方は幸せなのか。私たちの言葉をなぜ、聞かないのか。私たちは人間を愛している。大自然は決して人間を敵にはしない。欺いたりもしない。人間とともに生存し、人間の味わった喜びを私たちも一緒に味わいたい。

人間が私たちからの恵みを得て感謝するとき、私たちも同じように神に感謝をする。人間とともに生存できた喜びを神に感謝する。なのになぜ、人間は私たちから離れていくのか。

食べ物がない。人間はそういって自然に不平を唱え、ほかのところから愛の入っていない食料をただ集めようとしたりしている。大自然が人間に与えようとする恵みは、私たちが人間を愛しているという思いで人間に渡している。機械で合成的に作られた食料に私たちのような思いは入っていない。人間はなぜ、私たちを避けるのか。どこまで離れていくのか。いつになったら戻ってくるのか。

山の神、自然を維持するのにいまだにずっと頑張っている。森の神、人間によって滅ぼされようとしても、生命ある限り守っている。海の神、人間の感謝の念がなくなっても、人間を責めたりせずに、自然の恵みが得られるように維持し続けている。風の神、雨の神、雲の神、それぞれ生命を育むために最適な場を造り上げている。人間はいつ、気づくのか。いつ、思い出すのか。

山の神が怒っている、海の神が怒っているといって、そこから先に入らずに戻ったり、さっさとおとなしく引き上げたあの頃は何だったのか。今は山の神や海の神が危険だからと知らせても、勝手に奥に入っていく。それ以上、手を下してはいけないと叫んでも、勝手に荒らしていく。あなた方はそこまで離れてしまったのか。なぜ、大自然の気持ちが分からなくなったのか。

しかし私たちは人間を責めたりはしない。日本人である限り、きっといつか、戻ってくると信じている。必ずいつか、大自然の下に戻って、そして神の心を思い出し、神々との繋がりが復活するだろう。私たちはそれを信じている。だから人間が戻ってくるまで、私たちは大自然を崩壊させたくはない。大自然を残そうとしている。人間が戻ってこれるように。戻ってくると信じている。


大いなる大自然はいつもいつもこう訴えております。これを決して悲観的に受け取ったり、罪の意識で受け取る必要はありません。一人ひとり時期があり、それぞれの感性も違います。ただ皆さん方はそれらを感じとる能力を持っているはずです。自然を大切にする思いを皆が持っているはずです。日本人が日本人として活動するためには、単に日本人の優秀さを強調するのではなく、自然との一体化、自然を大切にする思い、自然の中で調和や自然の恵みをそのまま受け取る気持ち、こういったものを表に出して、どんどん表現してほしいのです。それが日本人の今、いちばんできる思いやりやいたわりです。そして神の心ともいえます。

自然な空気、風の音、囁き、鳥や蝶の飛ぶ様を暖かく、嬉しく思う気持ち、これは日本人の心ではないか。花が咲くと、自分の心の花も咲く。蛙がピョンピョン跳ぶと、自分の心もピョンピョン跳ぶ。大自然と一体となった人間をまず本当に思い出して、それを何とかして具現化できるように工夫をしてみてください。

私たちは少し休憩をとります。ありがとうございました。


B日本から離れようとしている者への警告

私たちは皆さん方の話を聞いていて、少しコメントをいたします。私たちが自然に戻るという表現をとったのは、何も昔のようにまた自然の中で人間が暮らすという意味ではなく、人間の意識が自然の中で生きているという感覚を続けるという意味を持っております。以前は自然の中で生きているという意識があり、そういう意識があるために、山から離れても、川から離れても、やはり山に入るときには山の神にお願いをしたり、海に行くときには海の神にお願いをする、自然には自然を司る存在がいるという感覚で過ごしておりました。

今は自然に自然を司る存在がいるという思いを持っている人がほとんどいなくなり、それによって意識的な繋がりが絶たれてしまっております。したがって自然に帰るというのは何も物理的な山に行くというのではなく、日常、例えばこういう部屋にいる場合でも、常に空気や気配や自然界のエネルギーを感じたりして、自然の中で生きているという意識を持ち続けるということ。夜になれば、夜の雰囲気が自分の体で感じられ、月や星が自然と体で感じられてくる。外に出れば、爽やかな空気が肌に触れ、夜というエネルギーが体内で刺激される。

そういう意味があり、いくら物理的に山や川から離れていても、自然界の中で生きているという意識を持ち続けるということ。これが自然との繋がりを元に戻すという表現をとったものです。したがってどれだけ人間が進化し、いろんな文明が発達したとしても、自然界の中で生きているという意識さえ持っていれば、人間と自然との繋がりが絶たれることはなく、人間の意識が乱れることもありません。逆に、いくら山の中や森の中でずっと暮らしていたとしても、山や森に対し、つばを吐き、逆らう者がいたとすれば、それはもう自然界との繋がりはないという意識になるでしょう。

したがって物理的なことを言うのではなく、意識的な繋がり、思い、思いやりのようなもの、こういったものにおいて人間が自然の中に戻ってくるようにという表現をとったことを理解しておいてください。


先ほど、話されたのは、必ずしもここにいるメンバーだけに伝えられた内容ではなく、日本人の中でも特に突っ走っている者、日本からどんどん離れようとしている者、そういう人々に向けての警告的なメッセージと理解をしておいてください。必ずしも全員が危険信号であるとか、反対の行動をしているという意味ではありません。むしろどんどんさらに突っ走ってしまい、日本人であることを忘れ、さらに西洋のエネルギーを引き寄せようとする者、西洋的な意識の中に入り込もうとしている者、そういう人間に対しての警告という意味があります。必ずしもここにいる人々に対してのメッセージと限ったわけではありません。

Tさん自身が、大いなる自然を感じ、その一体感を体で理解しながら、毎日を過ごしているというのは、それはそれでとてもありがたいことです。私たちはそんなTさんをいつも愛しており、大いなる自然の恵みの中であなたの生命がある限り、共に生きていこうという思いを持っております。あなたが怒りを感じたのであれば、それは私たちに対しての怒りではなく、あなた自身に対しての怒りであると私たちは解釈しております。

私たちはあなたの優しさをもっと理解しており、それぐらいの表現で私たちが傷ついたり、混乱したりすることはいっさいありません。大自然はあなた方の心の偉大さよりもさらに大きなエネルギーであなた方を包んでおります。大いなる自然がさらに日本人全員の心を慰め、感謝をし、共に良き関係を続けていけるのを私たちは願っております。

それでは今日はここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1999 CentralSun
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