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1998/12/21■月曜交流会から

自分の心の中の核のところを見るように

@心の動きの核を見つけるように

私たちは皆さん方の話の中から少し説明をして本題に入っていきます。まずTさんが話された、自分の心をやっと少し分かるようになってきたという点についてですが、あなたが感じているように、本当に自分の癒すべき点や修正すべき点の核心は本人が実感をもって感ずる以外に方法はありません。ほかの人が何を言おうとも、まだ自分がそれを受け取る時期にないときには忘れてしまったり、気にならなかったりして、まだ自分は目を向けることができない状態にあります。いろんな練習をしていって、だんだん自分の本当のところに意識が向くような段階になったときに、改めていろんな現象を通してその核心に目を向けることができ、心から自分で自分を理解できる状態に入っていきます。

そういう自分が本当に癒すべきポイントは、核心をつかむとそれに関連する波動をかなり早めに調整できる場合があります。逆に核心を調整していないときには、ほかを普通に何十回癒そうとも、あまり効果のない場合があります。したがって実際に自分を見つめたり、癒したりするときには、なるべきその本質的なところ、核となっているところを見つけ出し、それを修正するというやり方が大切になっていきます。感情的に反応してしまう。ついムキになってしまう。それがどういうところからやってくるのか。どういうケースに起こりやすいのか。それをよく分析して、その一番核となっているところからつまみ出していくやり方を身に着けるようにしていってください。


Oさんの話については、かなり個人的な話題であり、あなた自身の一番見たくないテーマが隠されております。これについてはあなた自身が自分で気づく必要があり、私たちはあまり述べることができません。私たちが述べることができるのは、あなた自身の心の中にある優越感やプライド、慢心の心、まずはこれをいかに自分で認め、それを修復していくか。これが出発点になります。


さて、今日は皆さん方がなるべく楽しくなるような話題を見つけようとしております。ここの場において、宇宙からメッセージが来る場合、多くの人は何か素晴らしい情報が得られる、神と直接出会えるかもしれない、という気持ちをもって来る人がたくさんおります。そういう人が来たときには、あえて神はまったく出てきません。皆さん方の期待を裏切ることも何度もやってきました。イエスが出てくるだろう、と思ったときにはイエスがまったく出なかったり、素晴らしい存在が来るだろうと思ったら自分の見たくないエネルギーを見せられたりしておりました。皆さんは学びということをかなり勘違いしております。

どこかの素晴らしい先生からまだ分からない情報を受け取って、皆が知らないことを自分が一番に手にした、得意になってほかの人よりも早く手にできた優越感を大きくしていく。これが今の皆さん方に入っている学びのエネルギーです。つまり学びというものは優越感を大きくする働きしかしていないのです。私たちはそのためになるべく優越感やプライドが育たないような情報を選び、内容を考えて進めてきました。でも多くの人が、心の底で何か素晴らしい情報を手にし、素晴らしい存在と出会えるのを期待しているのです。

私たちは何のためにここで皆さん方と話をし、交わろうとしているのか。皆さん方がほかの人よりも優れているとか、神に近いとかいう人間に育てるつもりはありません。そう言うと、がっかりする人がいるぐらいです。なぜ、皆さん方は単純に楽しんだり、遊んだりする気持ちがないのでしょう。皆さん方が子供と遊ぶように、私たちは皆さん方と遊びたいのです。皆さん方が無邪気な子供を見て喜んでいるように、私たちも皆さん方が無邪気な行動をしているのを喜んで見たいのです。にもかかわらず、私たちにでさえも分からないような難しい情報を期待したり、それを聞こうとしたりしています。

皆さん方にとって一番大切なものは何であるのか。いくら私たちの言葉をすべて理解し、知識として頭に入れたとしても、幸せな人生を手にすることができるかどうかは保証しません。逆にここに一度も来なくても、愛に満ち、人のために尽くしている人がいれば、幸せな人生として評価されるでしょう。ではここに来る意味は何であるのか。ここに来ても何の意味もないのか。

私たちは皆さん方と話をしたいのです。少しでも私たちのことを理解していただき、私たちも皆さん方のことを理解したいのです。皆さん方が日常、何で悩み、何を不安に思って生きているのか。その中で自分が見つけた喜びは何であるのか。話をしてほしいのです。私たちの言葉をただ聞いて、ありがたいありがたいと思って帰ってもらうために来ているのではありません。つまり一番大切なことは、皆さん方は素直に自分のことをまず私たちに話してほしいのです。今日、経験したこと、昨日、経験したこと、何が問題だったのか。何が楽しかったのか。人間として生きているということはどういうことなのか。私たちに話してほしいのです。

皆さん方は、何でもかんでもすべて神はお見通しだから、言う必要はないと思うかもしれません。皆さん方は理解の仕方が根本から違っております。皆さん方の環境や現象を理解していても、皆さん方の意識が何を考え、何を楽しみとしているのかは皆さん方にしか分からないのです。それゆえに一人ひとりの人生が貴重なものであり、また生きる価値があるのです。生きるということがどれほど大切なものであり、どれだけの重要な意味を持っているのか、まだまだそれに気づいていないのです。自分は何を求めて生きているのか。

皆さん方の周りに自分を責めるエネルギーや自分を否定するエネルギーが充満しており、それによってまた私たちの表現がうまく伝わっていけない現実を造り出していきます。なぜ、一言一言、深刻になるのでしょう。どうして気楽に聞けないのでしょう。まるで自分が責められたかのように受け取っている。日本人はこういう傾向があまりにも強すぎて、楽しく学び、面白く進めていくというやり方がかなり不得手な状況になっております。自分たちの心の中に自分を責めることなく夢と希望を持って楽しく勉強して生きたいという思いをもっともっと強く持っておいてください。


A相手によって自分を変えている地球人

私たちは今、別の惑星から話をしております。皆さん方の惑星とはかなり違う環境の惑星です。でも皆さん方のことはよく知っております。この地球という星が多くの仲間たちの中で注目され、宇宙規模でいろんな仕組みが造られていろんな惑星から人類や生命が集められてきました。私たちの惑星からも地球に向かった仲間たちがおります。でもその仲間たちは今、地上において、とても苦しい体験を続けております。いわゆる未開人として知られている人類であり、皆さん方に比べれば生活環境がとても貧しく、肉体が損傷を被ればその回復が難しいという環境の中で生活をしております。

でもその仲間たちは皆さん方以上に心が大きく、話題は豊富であり、楽しい毎日を過ごしております。お金のことや進学のことなどで悩んでいる人はほとんどおりません。にもかかわらず、やはり対立は起こり、争いはあります。その多くは自分の思った通りに相手が行動しない、自分の考えた通りに進んでいかない、ということから起こります。知性が少しずつ発達し、自分に目覚めてくると、自分の考えが浮かび、相手との違いが現れてきます。相手を尊重するか、自分を優先するか、葛藤が起こり、感情に流されると自分の好きなように進めようとする傾向が出てきます。

皆さん方は知性が十分に発達し、感情についても学び、相手に対しての思いやりが必要であるということも身に着けてきました。にもかかわらず、なぜ人間関係が余計に悪くなり、社会での生き方が苦痛になり、楽しくない毎日を過ごしているのでしょう。何が楽しいのか、その基準がかなり変わってきています。私たちの仲間はただ生きていて、お互いの顔を見たり、話したりすることだけでいろんな楽しみを感じていきます。しかし皆さん方は楽しみを見つけようとする会話ではなく、自分のことを知ってほしい、私はこういうすごい人間なんだ、というのを知らせようとするコミュニケーションのとり方をやります。これは楽しくはありません。でも、これを楽しいと思っているのです。

自分がすごいことをやっている。それを人に伝える。相手はすごいと感心する。自分は喜びを感じる。こういう構図ができているようです。でも、私たちにはそれがなぜ喜びなのか、まったく分かりません。お互いの心でつながっているものが何もないのです。心がつながっていなければ、喜びにはならないのです。でも皆さん方はそれを喜びとして解釈しております。

ここの惑星において人間の行動を観察していると、男性と女性との間に大きな行動の違いが見られます。共に異性を明確に強く意識し、男性同士、女性同士でいる場合と、男性と女性がいる場合とでは行動の仕方がまったく違います。なぜ、そういう違いが出てくるのでしょう。女性同士の場合、女性同士の中で優位性を保てるような話題を造り出していきます。女性と男性がいる場合、お互いに自分の優位性を出そうとして会話を見つけます。したがって女性同士、男性同士、女性と男性の間においては話題が本質的に違ってきて、自分が優位になる場所も違ってきます。そのために自分に一番適した話題を造り、自分が喜びを得ようとします。でも本当にそれで楽しいのでしょうか。

私たちの惑星では、女性であろうと男性であろうと、話題はまったく変わりません。同じように話し合い、同じように理解し合い、同じように楽しんでいきます。でも地球の人間はあまりにもその差が大きすぎて、自分でもどれが本当の自分なのか、自分はどういう人間なのかが分からなくなっております。自分は何を考え、どういう生き方を望んでいるのか。自分でも分かっていません。私はこういう人間なんだ。そう決めたつもりでも、相手が変わると、またその価値観が変わってくる。相手によってどんどん対応の仕方が変わってしまう。違う相手が出るたびに、違う自分が表に出てきます。一体どれが本当の自分なのでしょう。どんな相手が出てきても、本当の自分でどうして対応できないのでしょう。

自分とは何であるのか。まだまだそれを探そうとしておりません。ただ相手に合わせた自分を探しているだけです。こういう人が来ると、こういう自分が出てくる。こういう環境の場合は自分はこうする。相手や環境に合わせた自分を見ているだけであり、本当の自分を見ているのではないのです。自分を見るという学びを一生懸命、やっていても、相手に応じた自分を見ているだけで、自分の核心を見つけていないのです。皆さん方はまだまだ自分についてすら、理解していないのです。にもかかわらず、相手を判断し切り捨てていきます。あの人がこうだから。男の人は皆、こうだ。若い人は皆、こう。年取っているから。いろんな判断をつけて切り捨てていきます。自分はどうなのでしょう。どれだけ自分のことを理解しているのでしょう。一人ひとり、自分の本当のところを早く、直接自分でつかみ取ることができるように、考え方から変えていってください。


それではここで少し休憩をとりますので、皆さん方で話し合ってみてください。ありがとうございました。


Bイヤな人でも改善する工夫を

私たちは皆さん方の話を聞いていて、とても喜ばしく感じました。自分なりに楽しみを見つけて人生をもっともっと有意義に面白いものに変えていきたい、これは本当に私たちの願いでもあります。なぜ、多くの人が楽しもうとせずに、相手を責めたり、足を引っ張ったり、自分で閉じこもってしまうのか。まるで日本人は楽しく過ごすことが間違っているかのように、悪いことをしているかのように感じている人がおります。真面目に、真剣に、勉強をうまくやって生きることが正しいことであるかのように解釈している人がおります。でもそんなことはまったくありません。

皆さん方が自分の好きなことをトコトン自分でやってみて、満足すれば、地球にもその満足した波動が造り上げられていきます。皆さん方が満足した分だけ、地球は満足感を感じます。でも、つらいとか、やらなければならないとか、早くとかいう気持ちを持つと、その思いも地球に造られてしまいます。日本はそういう意味で真面目にやらなければならない、ちゃんとやらなければならないというエネルギーでずっと進んできました。そのために羽目を外したり、呑気にやっている人を見ると、皆で責めたり、仲間外れにしてしまう傾向があります。

自分の好きなことをやって、何も問題はないのです。むしろ好きなことをたくさんやっている人はいろんな存在たちからの喜びのエネルギーを受け取ることができます。それによって心が温かくなり、地球との繋がりもしやすくなっていきます。毎日を生真面目に生きて、何かに取り憑かれたようにただ真剣に頑張っている人、喜びのエネルギーがまったく入ってきません。人を蹴落としたり、騙して、少しでも自分が有利になろうとする。相違ことばかり考えることになってしまいます。もう皆さん方は十分に自分の生き方を進めることができ、楽しむことができます。恐れることなく、思う存分に羽目を外して、楽な生き方をしていってください。

しかし実際に家庭生活を続けたり、親子との関係で対立が起こったり、気持ちがイヤになったりする場合があるでしょう。確かに感情的にどうしてもイヤになってしまう。受け入れることがまったくできないという状況は何度も襲ってきます。これはある意味では皆さん方が初めから造り上げてきたエネルギーであり、自分が十分に耐えられる範囲内で持ってきております。ですから自分はそれに負けることはなく、自分を見失うことなく、自分のペースで生きているんだという信念を本当にもっていただきたいと思います。

どうしても母親にコントロールされてしまう。言うとおりに合わせないと、おかしくなってしまう。そう思っていても、実際には少しずつ相手が楽になるような接し方を見つけていき、自分を表現しながらうまく行動していくと、最低限、自分のやり方には干渉されることなく生きていけることができるようになる場合がほとんどです。一般に初めからまったく近づくことなく、否定したり無視したりしている場合、状況が改善されず、いつまで経っても平行線の場合があります。

これはある意味ではその現象がずっと続いていきます。もし現象を少しでも改善させ、楽な生き方をしたいのであれば、平行線を続けるのではなく、少しでも自分が歩み寄って、自分は自分のペースを保ちながら相手も楽になる工夫を考えることが必要です。苦痛をもって考えるのではなく、一つひとつ客観的に次はどうしよう、ではこうしたらどうなるのだろう、客観的に分析しながら工夫するやり方を身に着けてみてください。


C心をコントロールするには客観的に見ること

さて、皆さん方はやはり毎日の現実で家族や友人との間でいろんなトラブルを経験します。でも一つひとつをいちいち気にしていたら、とても楽しくは過ごせないでしょう。でもまったく無視することもできず、心がつい反射的に反応してしまう。ついイライラしたり、ムカムカしてしまう。これはまだまだ自分の心の動きが自分でコントロールできていない証です。自然とムカムカしてしまったり、反応してしまうということはまだ自分のコントロールができていないのです。ではどのようにしてコントロールを身に着けていくか。自分の心がコントロールできるためには自分を客観的に見る練習が必要となります。自分を本当に分析し、自分の心を見ていき、自分の傾向を調べていく。これを何度も何度も練習することにより、自分の心の動きが客観的に分かるようになり、コントロールできるようになっていきます。

流れてしまうのは、まだ自分が心の中のエネルギーに巻き込まれてしまい、客観的に見ることができないのです。自分の心を客観的に見て、いつどういう状況のときに心がどう動くのか。どういう人がやってきて、どういう言い方をしたら自分の心がおかしくなるのか。それを調べていく必要があります。そういう練習を続けていくと、自分の心が少しずつコントロールできるようになり、どのような人がやってきても、だんだんうまく対応できるように変わっていきます。したがって今はすぐに反応したり、うまく思い通りに心が動かなくても、練習をすることによっていくらでも改善することができるということ。自分はそれによって自分の生き方を進めることができるようになるということ。それを自分なりに工夫しながら、身に着けるようにしてみてください。


D挨拶

今日は皆さん方にとって面白い経験をしたかもしれません。皆さん方が心に抱えている問題は宇宙の方でもよく分かっております。でも人間は皆、同じような経験を伴っており、お互いにそれがぶつかり合っていろんな現象を造り出していきます。できれば相手を責めるのではなく、こういう感情のエネルギーが地球に残っていて、それを皆さん方が今、一生懸命、経験している。そういう認識を持って、なるべく相手を責めないやり方を身に着けるようにしてみてください。私たちはここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1998 CentralSun
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