前へ戻る
1998/11/17■月例セミナーC[火曜日]から

日本人は日本人の現実の仕方を持っている

@日本人は日本で学ぶべきことが与えられる

私たちは法則に関していろんな話をしてみたいと思います。皆さん方が法則と感じているもの、自分の成長のために現象が造られ、その現象の現れがどういうものになっているのか、その仕組みについて学びをしようとしています。今のこの日本において、日本人だけが学んでいるエネルギーがあり、それがほかの国との間でいろんな問題を造り出したりしています。日本人は自分たちの成長のために自分たちの場や環境、集まりといったところで学ぶべきテーマをいろいろと造り出してきました。多くの人間と接しお互いに交わることによって成長するというエネルギーを造り出してきました。自分一人でどんどん一人で成長していくというやり方は日本にはあまり造られてはおりませんでした。いろんな人と関係を造り、お互いに学んで成長していく。これが日本のやり方でした。

したがって日本という場において何かを学び、成長するためには、必ず仲間や良く知っている人、自分が教えたいと思う人、という枠組みができてきて、集まりを造って学びを続けていきます。こういうやり方は本来の学びの目的が少しずつ変化していき、一人ひとりの持っている特質やテーマに従って場が変わっていきます。そして本質的なことよりはその場をうまくまとめるやり方、雰囲気を大切にするやり方、というところに意識が向くように変わっていきます。日本人がそういう集まりで学びをすると、本来の方向性が次第に変わってきて、自分たちだけで納得する方向へ向かうことになってしまいます。

これは今まで日本人が学ぶべきテーマがたくさん与えられ、それを解決するために造られたやり方でした。一人ひとりがいろんなグループに入っていたり、いろんな場において学んでいる者がおります。家庭において学ぶこと、会社において学ぶこと、友達と一緒で学ぶこと、いろんな学びがあり、それぞれが別個のテーマを与えられております。そして常にその場の中で考えて、自分が何らかの見方を身に着け成長していく。こういうやり方が少しずつ変化してきております。日本人の考え方が次第に西洋的になってきて、皆で学ぶというよりは自分一人で知識を獲得し、論理的に判断していき、信じているものに従っていく。こういうやり方が少しずつ入ってきております。

自分一人で学ぼうとする姿勢と皆で学ぼうとする姿勢が組み合わさって、日本人の学び方が変化してきております。本当に皆と一つになって話し合い、学び合うという姿勢が薄れてきて、自分は自分のために自分の学びを進めていく、という人がかなり多くなってきており、こういう場において集まりを造っても一人ひとりは自分のペースを保ち、自分のやり方で学びを続けていきます。

こういう学び方がどんどん進んでいくと、一人ひとりは自分の世界で自分を見つけ、自分の生き方を造り出していきます。しかし人間関係を無視することはできず、あまりに自分に向けた行動が強すぎると人間関係でトラブルが起こり始めてきます。一人の時にはいろいろ学びができて成長があるのにもかかわらず、ほかの人と一緒に学ぼうとすると対立が起こったり、不快な現象が起こってくる。これは実際にはほかの人と一緒にいるときに、お互いの関係をうまくもっていって全体をまとめようとする気持ちがほとんど失われてきていることから起こります。自分だけがうまく納得できて、前に進めればよい。このエネルギーが強くなって、お互いにうまくやり、お互いに成長していくという力が弱くなっているのです。

人間関係でほとんどが問題にしているのは、自分の言うことが理解されない、自分の言うとおりにやってくれない、ということから起こります。これは実際には自分も相手の言うことを聞こうとしていなかったり、相手の本当の気持ちを理解しようとしないところから始まります。人間関係を疎かにして自分が成長することはあり得ません。成長するためには必ず人間関係が大切であり、相手の気持ちを理解し、共に成長していくことが必要です。自分は自分で自分の道を歩みながらも、全体がうまくまとまるようなことを常に考えていく。

これは難しいと感ずるかもしれません。実際にはこれはある意味では同じものであり、反対のことではありません。自分が学んで成長する。これは実際にはほかの人も学んで成長するということを現しております。自分の学びはほかの人の学びにもなっており、自分が気づくということはほかの人の気づきにも影響を与えます。自分が分かってどんどん先へ進んでいく。これはほかの人にも何らかの影響を与えていきます。自分が一人で学べる環境にあるときには、それは一人で学んで構いません。しかし誰かほかの人と一緒になる環境が与えられた場合、あるいは家庭や職場にいる場合のときには、ほかの人と一緒に考え、成長するということが必要になってきます。環境や場においてその意識を変えてみる。

でも最終的にはそれは同じことであり、他人が成長すると自分も成長し、自分が成長すると他人も成長するということが理解されてきます。他人と自分を分けている限りはこういう問題が何度も襲ってきて、自分と他人の区別をなくす練習がさせられます。そして自分と他人の区別がなくなったとき、自分一人で成長するという考え方、皆でうまくやろうとする考え方、これが同じものであるということに気づいてきます。皆さん方は西洋的な個別主義と東洋的な集団主義が相反するやり方であるかのように感じられるかもしれません。でも実際にはこれは見方の違いであり、ある意味では同じエネルギーを示しております。

自分は自分としてしっかり生きる。これは集団主義の中においても必要です。自分を殺して相手に合わせる。これは集団主義ではありません。自分をもっと表現しても良いのです。またそれは十分にやるべきころです。ただそれによって相手が混乱した場合、これはある意味では相手の責任であり、相手の問題です。しかし相手がそれなりに問題を抱え込んだときには一緒に考え、一緒に解決する気持ちが必要です。どこまで他人に関与し、どこまでは自分でやっていくのか。この区別がついていないために、常に自分と他人がごっちゃになってそれで考えることが難しくなっている人がおります。

法則はいろんなところに現れてきて、一人ひとりがどういう生き方をしようとも、どういう選択をしようとも、法則は必ず現れます。皆さん方がそこで何を身に着け、学んでいくのか。自分の体に現れている法則性のエネルギー、今まではほとんど考えたこともなかったかもしれません。確実にこれは存在しており、皆さん方の現実に影響を与えていきます。しかし皆さん方の現実は自分で造り上げるものであり、自分で成長していく必要もあります。

多くの人々が自分の考えたとおりにいかない、うまくいかないと口に出しております。皆さん方には自分で造り上げた現実化のエネルギーがあり、それによって確実に前に進んでいっております。思ったとおりにいかないというのは自分が思ったことが必ずしも現実化に結びついていないときや、現実化の法則に噛み合っていないときに起こります。自分は一生懸命にお願いし、信じている。にもかかわらず、現実には現れてこない。これは自分の考えたことが神の思いに届かず、別の現実として現れている場合です。自分が思ったことをいかにして神に近づかせていくか。

現実を造り出し、楽しく生きる。これは本当に大切なことであり、やるべきことです。でもどういう風にして現実を造るのか。思考や感情を使って現実を造る。これは間違ってはおりません。ただ多くの人の場合、そういう表現をとると、無理矢理思考のエネルギーを強く出したり、感情のエネルギーを強力に出す人がおります。これは好ましいことではありません。愛が入っていないことが多いからです。本当にほかの人のことも考え、自分も成長していくことを考えていく。うまく進むことを常に第一にしていく。これは現実を引き寄せやすい状況になります。しかし自分一人で自分がうまくいく方法、自分が楽になる方法を考えると、現実はうまくは展開していかないのです。

つまり先ほど述べた皆でやるという場においては、皆で同じことを考えているときには現実化しやすい傾向があります。自分一人でいるときに、自分の現実だけがよくなるように思うと、中々現実には現れません。皆で仲間でやる方が良いというのはそういう意味であり、現実を造りやすいのです。しかしこれには逆の場合もあり、否定的なことを皆で思ったり、皆で不安を造り出すと、それも現実を引き寄せていきます。したがって皆で何かを考えるときに、常に良い方向、正しい方向で考えていく。これが必要になってきます。

自分一人で現実を造りたい。これはこれで構いません。ただ皆でやる方が強い現実化のエネルギーをもたらすために、多くの人が逆のことを考えているときには自分の現実がうまく進まない場合があります。したがって自分が何かを望んでいるときに、それにかかわっている人はどういう考えなのか、どういう意見を持っているのか、ある程度、それを知る必要があります。そしてほかの人と自分がまったく違っている場合、それはほかの人の思いの方が優先される場合があります。自分の思い、ほかの人の思い、その強さによって現実が現れてきます。

思ったことがすべて現実化する。これは西欧諸国においては当てはまり、強い力を持っております。しかし日本においては場のエネルギーや仲間のエネルギーが強く影響しており、自分一人では中々うまく展開しないことがあるのはこういうところからきております。したがって皆さん方が現実を造るときに自分一人でただ願ったり思ってもうまくいかないときは、仲間やほかの人たちが望んでいない場合のとき。そういうときもあるということも理解しておいてください。


A富のエネルギーをうまく使う

私たちは少し話をして休憩にします。今、話されたように、現実を造るときにはその人自身の思いと役割、流れ、そしてその時の場に影響を与える人々のエネルギーといったものが影響してきます。皆が一つになって何らかのことをイメージしたときには、これはとても強いエネルギーを造り、本当に現実を引き寄せていきます。しかし同じようなメンバーがほかにいて、ほかのところではまったく違うことを考えているとき。これはお互いに衝突し合って、好ましくない現実を造り出す場合があります。そういう意味において、影響しているエネルギーがどれだけあるのか。関係している人間がどれだけいるのか。ある程度、それを考えることはとても大切なことです。日本人は日本人のエネルギーで動いており、必ずしも自分一人で考えたことがそのまま単純に現実化するわけではありません。

ただそれでも以前よりは個人のエネルギーが影響を与えるようになってきており、これからさらに自分の思いが自分の現実を引き寄せていくでしょう。でも最終的に自分の思いだけですべての自分の現実が展開するのではなく、仲間や関連している人々、意識を向けてくる人々、そういう人との総合的なものによって現実が変わるということも理解しておいてください。

皆さん方の富のエネルギーは先ほど皆さん方に新たなる富のエネルギーが流され、それによって少しずつ変化してきております。皆さん方の関係する場において、富のエネルギーが変わっていきます。家庭全体が裕福になる。友達の仲間で裕福になる。もっと大きな範囲で裕福になる。そういうエネルギーに変わってきており、自分だけという波動が薄れてきています。したがってこれから富のエネルギーをうまく使うときには、自分だけという意識ではなく、自分と関係している者、自分の周りにいる者たちも裕福になっていく。お互いに富を分け合って楽しくやっていく。こういう意識が必要となります。自分の富を少しでも多くの人と分かち合う。そういう気持ちで富のエネルギーを使うようにしていってください。

それではここで少し休憩にします。ありがとうございました。


B自分だけの現実化の仕方

あなた(Akiさん)の現実を造り出すエネルギーの働きに、ほかの人の思いが何らかの形を造って自分の現実に影響を与える作用があります。ほかの人の思いが自分の現実に影響を与えていく。主にあなたの成長のためにこうあればよいと思われたもの、こうやってくれるとあなたが気づくと判断されたもの、そういう思いが流れたときに、それがあなたの現実に影響し、現象を造っていく作用があります。あなた自身はそれによって現実をただ体験するだけでほかの人の考えた成長の仕方に流れていく可能性があります。これが良いか悪いかは何も判断できません。あなたと接する人の経験で好ましいと思うもの、望ましいと思うものがあなたの現実にも影響していく。あなたはそれを自分の必要なものとして今まで体験してきました。

すべてがあなたの必要なものとは限らず、また魂が創ったものでもありません。また自分が造り出したものでもありません。ただその現実化は魂が認め、神が許可したものです。それを自分が経験して、何を学んでいくのか。そこに大きな成長があります。たとえほかの人の思いによってその現実を経験したとしても、あなたがそこで学びをし、成長することができれば、それはとても価値のあったものになります。この働きはまだしばらくあなたに影響を与えていくでしょう。

ただいつかの時点で、あなたは自分で自分の現実を造るやり方を身に着け、自分のペースで進むことを誓ったときには他人のエネルギーの影響を受けなくなり、自分の思いで自分の現実を造る方向に変わっていきます。したがって自分の意思が弱いときにはほかの人の流れで影響を受けていく。それの影響を受けたくないときには自分の意思で自分の現実を造り出していく。それがとても影響を受けやすいやり方となっております。

この現実の流れを自分のペースにするためには、ほかの人のアイデアとかほかの人の考えたことをそのまま自分に当てはめてみようとか、自分もこうありたいとかは思わないようにすることがヒントになります。ほかの人のやったことを自分もやってみたいとか、自分もそうだったらよいと思うと、それは自分の現実に影響を与えていきます。でもそれはほかの人に必要なものであり、自分には必要ではないと思うと、自分にはそれほど影響を与えることはありません。あなたの現実の造り方はそういう意味ではあなたの思い通りに動いております。でもそれがほかの人の思いをかなり強く受けやすい状況にもあります。自分の現実化を自分のペースでうまくやっていけるヒントをつかむようにしていってください。

(質問:集中できない理由はこのエネルギーの所為ですか) それはまったく別のエネルギーであり、あなた自身の思考のレベルで動いているものです。


Mituさんの法則を司る根本のところにある特別な波動が降ろされており、それによってあなたの成長の仕方が普通の人とは違う流れで進んでおります。一般に成長のための流れとして、普通は自分の決めてきた課題を基本にしながら、自由意志でいろんな経験を重ねていき、そして大きな大きなテーマを自分で造り出し、何らかの学びをして戻っていく。こういうのが普通の人の流れになっております。あなたの場合には自分なりに造ったテーマが自分の意思で解決できた段階でもうそれに関するものはほとんど終了させ、また新たなる別個のテーマを持ってきて、新しい方向に向かうときに総合的な感じで進むように流れが造り変えられていきます。そしてまたその流れで自分の解決すべきテーマを終えたときに、またそれに関するエネルギーをすべて引き上げ、新たなるエネルギーを降ろしてまた方向性を変えていく。そういう風にして成長が重ねられていきます。

したがって普通の人と比べて、次はどうなるのか、これを終えるとどうなるのか、という予測がほとんどつかない状態にあります。それはあなたがそれを克服するときに、どういう形態でいつどのように克服したかによってすべてが変わっていきます。したがって流れを読むことが非常に難しく、自分でもどこに向かうのか、どうしたらよいのかが分からない状態になっております。こういう生き方をしている人の場合は、初めからすべてを決めようとせずに、今、自分がやるべきこと、今やりたいことをどんどん楽しんでそして大きな変化があると、そこで学んだことをすべて一度リセットし、また新しい発想ですべてをやり直していく。こういう気持ちが必要となります。

ほかの多くの人はある段階にいって、次の段階にいくときに、それまで学んだものを基礎にして積み重ねて次の段階に入っていきます。あなたの場合には大きな節目があるごとに、それまでの学びが一度すべて戻され、また新しい考えでやっていく経験が多いために、今までのやり方が通用しない場合があります。そういう意味において、大きな変化があるごとに、今までとはまったく気分を変え、やり方も変え、学び方も変え、すべてを新しくして始めていく。そういう認識で学びを続けていくやり方を身に着けていってみてください。

そういうやり方を身に着けて、ある程度、自分なりにどういう生き方が良いのか、どのようにしたらスムーズに進むのか、が分かってくると、あとは自分のペースで自分に見合ったテーマを降ろしてきたり、自分で必要なときに必要なエネルギーを変えることができます。あとは自分の思うとおりに経験を造り出し、流れを造ることができます。したがって流れが決められていて、その通りに従うという発想はあなたにはまったく当てはまらず、自分で自分の意思でもっていくという気持ちを強くするようにしていってください。


Sumiさんの現実の流れが今、急速に変化してきており、あなたのこれまでの考えでは追いついていけない状況になってきております。以前の現実の流れはあなたの成長に合わせて周りの人との関係で自分が確実に成長していけるように造られておりました。そこではいろんな学びがあり、自分のテーマに合わせて人間が近づいてきて、体験を重ねることにより成長していく仕組みが造られておりました。

今、この流れが急速に変化してきており、自分のテーマに合わせて人々がやってくるという流れが合わなくなってきています。まず自分のやりたいこと、自分の願っていることが根本に造られ、それに合わせて現象化が進んでいきます。したがって今までは黙っていたら自分の必要なものが次に現れてきて、その積み重ねで進んでいくという意識がありました。今は黙っていたら、前に進まない状態にあります。自分が何をしたいのか。自分はどういう現実を造りたいのか。まずはこれが必要であり、それに合わせて現象化が進んでいきます。

今、あなたの体の中にある現実化のエネルギーで、一番、あなたに必要なのは、自分が楽しいと思うこと、自分が喜びとしているものをもっともっと強く表に出し、それによって楽しい現実を造るというやり方を、身に着けることです。苦しいことも悲しいこともすべて受け入れる。これは必ずしもあなたの体に合わなくなってきています。あなたが楽しいと思うことだけを現実化させ、自分がイヤなことや願っていないことは現実化しない。これをまずあなたは確実に造り上げる必要があります。何でもかんでも受け入れる状態にあると、自分の現実が常に不安定なものになり、満足する現実が定着しない状態になっていきます。自分はいつも楽しいことを考え、喜びを表現し、そしてそれがまた楽しい現実を引き寄せてくる。そういうやり方を身に着けていき、自分にもう必要でないものは現実化しない、というのを完全に表に出すようにしておいてください。

この現実化が自分のペースでできるようになってくると、あなたの意思によって多くの人々との関係も楽しいものにし、それによってほかの人がさらに楽しいエネギーを表に出していく。こういう風にしてエネルギーがどんどん広がっていく可能性があります。自分の喜びを素直に表現し、ほかの人と一緒に分かち合っていく。そういう現実の造り方を身に着けるようにしていってください。


C光でない願いはスムーズに現実化しない

自分の現実がどのようにして造られ、自分の思考とどう関わり合っているのか。これを理解するのはとても良いことです。思考のエネルギーが現実に影響を与えていることは確かです。しかしだからといって願ったことがすべて実現するわけではありません。自分の発した思考のエネルギーの状況や強さ、周りとの関係、魂から見た場合の許可、いろんなものが関係しております。ただ思えば、何でも実現する。そういうわけではなく、自分に必要なもので、自分が本当に望んでいるものは神の許しにより実現するでしょう。しかしそれが自分だけのエゴや他人の自由を奪う場合、あるいは光から遠ざかっていく場合、これらは本来的には実現しません。

しかし光を願っているときには光と光でない選択肢が必ず造られていきます。したがって現実化する場合でも、それをただ光の方向として受け取ると、勘違いをしてしまいます。光の道なのか、光の道でないのかは自分で判断し、自分で選択する必要があります。そして光の道を採用したときに、初めてあとで、思ったことが現実化した、思った通りになったと判断できる場合があります。光でない道を選択したときに、あとで思った通りにいかないとか、願ったことが叶わないという風に理解されるかもしれません。すなわちそれは実現しなかったのではなく、自分が光の道を選択しなかったということです。現実の中にもいろんな意味があります。そして何が光で、何が光でないのかを知らせようとする現実もあります。皆さん方の現実を通して、自分を少しでも光の方向に近づけていき、相手の気持ちが分かり、楽しい現実を送れるように自分なりに工夫をしていってください。

(Akikoさんの質問:自分の幹がないように感じるのは他人のエネルギーに流されているからでしょうか) そういう見方もできるのと同時に、実際にまだ光や魂とつながっていないという意味でもあります。自分が本当はどういう生き方が良いのか、自分は何をすると満足するのか。その本心がまだ魂とつながっていない。それで自分が安定しない、自分の存在感が中々確立しないという気持ちとして現れているものと理解しておいてください。


私たちは皆さん方の現実にいろんな細工をする場合があります。したがって今まで皆さん方が教わったことがすべてではなく、ほかにもいろんな仕組みを通して現実に干渉する場合があります。中にはイヤな現象として体験する場合があるでしょう。でもそれは大きな視点で見た場合、皆さん方に何らかの影響を与え、確実に成長する道具として与えられたものと理解をしておいてください。皆さん方がそういう現実を自分でコントロールし、自分で楽しくもっていけるようになるのを誰もが望んでおります。この学びを是非とも、自分のコントロールできる状態に持っていけるように練習をしていってください。それではありがとうございました。


(c)1998 CentralSun
前へ戻る