前へ戻る
1998/10/12■月曜交流会から

日常生活は感情のエネルギーのやりとり

@家庭、友人、職場では現実の造り方が異なる

私たちはあなた方の魂の大元を集めて、ある特別な場を造り、そこからお話をしております。今日は皆さん方が日常生活でいつも起こる問題や人間関係について説明をしたいと思います。

皆さん方の多くの人が、家族や友人、職場の関係において毎日、いろんな学びをしています。ある大きな問題が身近にやってきて、くる日もくる日もそのエネルギーの中で経験をしている人がおります。また意識には上がっていなくても、実際には人間関係のあるエネルギーを学ぶために、大きな場の中で体験をしている人もおります。

皆さん方の多くは家族、あるいはパートナーとの間で何らかの経験をしております。家族やパートナーで経験する状況の多くは毎日、寝ているときに魂レベルでどういう学びをするかを考え、そのエネルギーによって進められております。したがって魂レベルからした場合には、家族やパートナーの魂のレベルでお互いに了解をしており、それによってどのように現実が変わっていくのかをいつも見ております。

一見、解決の見込みが全くないような大きな問題であっても、また同じパターンに完全に入り込んでしまい、くる日もくる日も状況が改善されそうもないような場合、そういう場合のほとんどは、魂レベルで学ぶべきものが明確に与えられ、それを三次元レベルで完全に成し遂げようとして経験を重ねております。

そこで経験している人間の意識には必ずしもすべては理解できておりません。でも多くの人がそれをどのようにして乗り切るのか、どうしたら克服できて自分が解放されるのか、それを執拗に聞き出そうとして魂に答を聞いたりする人がおります。その場合に魂からこうした方が良いとか、このようにして解決しなさいとかいう回答のようなものが与えられることはほとんどありません。

魂から見た場合には経験すること自体に意味があり、それをなくそうとする方法や、早く終わらせるアイデアを伝えることはあり得ないのです。お互いの価値観が違ってすれ違いが起こり、それによっていろんな状況が起こってしまった。皆さん方はそれを克服する方法として、どうしたらよいのか、誰に相談すると良いか、誰の言うことに従うか、何を渡すと良いか、そういった方法でその事態を乗り切ろうとします。

しかし魂の方はそういう考え方はまずしません。価値観の違う人間同士がそこで場を経験するときに、価値観の違う人間の考え方や発想の仕方、接し方を学ぶ必要があって学んでいるために、その経験をなくしてしまうと、意味がなくなってしまうのです。

皆さん方の多くは、何か自分に苦しい状況が生じた場合に、ひたすらそこから解放され、そういう事態がなくなることを望んでおります。魂は意味があってそういう場を造り出したために、その場がなくなる状況を考えることはまずありません。

あくまでも相手の心を理解し、価値観の違いを理解し、お互いが同じ人間であり、同じ仲間であり、自分の鏡であるということを理解する必要があるのです。それに気づかないで、ただその場から解放されることだけを求めてきても、魂を伝えることはまずありません。

家族や友人関係で、長い間、悩んでいる者。分かってくれないとか、すぐコントロールしてくるとか、いろんな理由で苦しみを感じている者。一般にそういう人の多くは相手を認めていないところから始まります。相手の価値観を本当に認め、相手の個性を認め、自分と同じように相手も見ていくと、その間に区別していたものが少しずつなくなっていき、他人と自分という区分けも自然と薄くなっていきます。

しかし人それぞれの個性はそこにあり、生き方は別にあり、物事の考え方も別です。同じ考え方、同じ価値観にもっていこうとするのは、お互いに不幸を生み出すでしょう。誰も自分は他人のコントロールを望んではおりません。自分はコントロールされたくないのに、他人をコントロールしようとする。これがすべての原因といえるでしょう。

分かってくれない。だから分からせてあげる。無理矢理分からせようとして強引に自己主張したり、自分の思い通りに持っていかせようとする。それによって人間関係がどんどんおかしくなっていきます。

人間関係の基本的な単位である家族、あるいはパートナー、こういう小さな単位でさえも価値観の違いや生き方の違いによって衝突が起こり、争いが起こる。社会に出た場合や仕事においてはさらに大きな問題となるでしょう。やり方がまったく違い、生き方がまったく違う。自分はどのようにして生きていくのか。

家族におけるトラブルの多くは、家族が皆同じことをしようとして制限をつけたり、不要なルールを造ることから始まります。昔からのやり方だから、代々伝わるたり方だから、親の言うことを聞くように、こういう風にして子供を支配したり、家庭全員を支配するように動いていく。これはもう今の時代では通用しなくなっております。

家族であろうとも一人ひとりは別の人間であり、その違いは認める必要があります。一人ひとりが自分の生き方を始めようとしている。今までとは違う歩き方をしようとしている。こういう生き方が少しずつ増えていき、一人ひとりの個性が表に出てくると、これからの日本の家族の在り方も大幅に変わってくるでしょう。

今、家族において、両親の位置付けがかなり難しくなっております。一家を支えるはずの両親の立場が少しずつ不安定なものになってきております。親の言う通りにしても、面白くなかった。親の言うことはあてにならない。そういう意識が若い人の間で広がってきており、親の言う通りにしたからといって、自分の人生が楽しくならないことが明らかになりつつあります。では、子供は親を無視して生きるようになるのか。

今まで親が子供に伝えてきたのは、いろんな習慣や行動の仕方、その場しのぎのやり方を教えてきました。何のために生きるのか。人生そのものには何の意味があるのか。それを伝えた親はほとんどいないでしょう。その場その場をどうやって対処するのか、それが精一杯であり、人生をどのようにして生きるのかを教えた親はほとんどおりません。

結局、子供もそういうやり方を身に着けてしまい、その場その場をごまかす生き方になり、人生そのものを見つめる生き方は造られませんでした。したがって人生というテーマにぶつかった場合に、親と真剣に話し合う子供はそんなに多くはありません。話しても、ほとんど価値観が合わず、参考にならないのです。友人や先輩を通して自分の生き方を学ぶことになるでしょう。

親以外の人間といろんな経験を分かち合ったり、トラブルを起こしてしまう。これは家族とは違うエネルギーがお互いを引き寄せ合い、それによって経験を続けていきます。友人同士が接する場合にはお互いの生き方や価値観といったものがかなり表に出てきて、自分はどういうやり方で生きていくか、自分はどういうやり方で仕事をしていくか、といったところに意識が向かいつつあります。

友人との間で交わされる質問ややり取りには日常生活の大部分が入っており、人間関係の細かいこと、自分が興味を持ったこと、いろんなことに範囲が広がっています。この場合にいろんな価値観の違いの論争が話し合いがあったり、場合によっては喧嘩をしたりするでしょう。でも普通はまたお互いに仲直りし、良き友人として相談をし合ったり、アドバイスをする日々が続きます。

こういう友人でのいろんな経験は必ずしもすべてが魂レベルで決まっているわけではなく、むしろガイドや別のエネルギーから引き起こされます。それぞれの成長のために、ガイドたちが必要な場を造ったり、またその場の状況を考えてから人間を会わせたりしていろんな経験を進めていきます。

こういう友人同士のトラブルや経験は必ずしも魂がすべてを理解しているわけではなく、また決まっていることでもありません。したがって感情的に対立したり、一言で不快感を感じて大喧嘩したりする場合でも決まっている経験ではありません。あくまでもその人の個人の感情によって引き起こされる現象であり、経験しなければならないことというわけではありません。

でもほとんどの場合は、その人自身が持っている価値観やエネルギーによって自動的に起こっていきます。そういう経験を通して考え方や感情の使い方を学び、少しずつそれがコントロールできるようになってくると、友人関係もそれに応じて変わっていきます。人間関係のほとんどは感情的な対立や価値観の違いから引き起こされます。

友人関係の場合には基本的には別の人間であり、別の考え方をする人間であるために、心の奥底から自分で納得できるという人はそんなに多くはいません。人によってはそういう人間を求めて、人との出会いを願ったり、そういう出会いを現実化する方法を使ったりして出会おうとする者がおります。

しかし一般にそういう人間は決められて出会うわけではなく、それぞれの持っているエネルギーから自然に引き起こされ、そして時期が来たら自動的に出会うようになってしまいます。自分の持っているエネルギーが変わってくれば、出会う人も変わってきます。

本当に稀な例として、出会う人間が決まっている場合もあります。そういう場合には、ほとんどの場合、魂レベルでお互いに出会う約束をしている場合があります。そういう約束をしていない場合は、ただ単にエネルギー的に見て必要な人間がそこに現れてくる。したがって相手は誰であろうとかまわない場合があります。ただエネルギー的にそういう人がそこにやってくる。決まっているのはそこまでです。

自分の経験の中で、本当に自分の心が相手に合い、相手と一緒に居ることで心が落ち着き、違和感が全くないという相手に出会うこともあります。多くの人はそういう人と出会った段階で、その人が自分の唯一のパートナーであり、出会うべき人間であり、約束された人間としてお互いに親密にもっていくケースがあります。

魂から見た場合には、お互いが本当に約束して出会ったパートナーというのはあまり多くはありません。したがってそういう人間でも本当に出会うべくして出会うというのはそんなに高くはないのです。そして多くの場合はお互いのエネルギーで出会ったものであり、予定されて出会ったわけではありません。

お互いのエネルギーで出会った場合には、初めのうちは親密感を感じ、お互いに唯一のパートナーとして学びを進めていきますが、次第にやはり価値観の違いや生き方の違いに目がいき、そして一緒にはできないという状況になってくると、またそこで別行動をとっていきます。したがって本当に自分と心が合い、いかにもパートナーのように思えたとしても、単にエネルギーで引き寄せられた場合には、いつかは別れるケースがきます。

でも、本当に魂レベルで出会うべき人間が決まっていて、時期が来たときに本当に出会う場合があります。こういうパートナーは人によっては出会った瞬間に自分の一番のパートナーとして直観を感じたり、これからのことが瞬時に分かったりする場合があります。お互いの価値観の違いや性格の違いがあっても、おそらく一緒になるだろうという雰囲気は常に感じている場合があります。

こういう二人の場合は、いろんな問題やトラブルがあっても、あくまでもお互いの経験のために必要なトラブルであり、それによって相手が嫌いになるとか、相手と別れるという風には発展しません。あくまでも自分の人生のため、お互いを理解するために必要なものという認識が常にあります。

また人間関係の中で、仕事という場において演じられる人間関係は、また別の状況があります。仕事で常に一緒に何かをする。あるいは親しくなる、親密になるという状況がある場合、これも必ずしも決められたわけではなく、むしろ会社やその職場のエネルギー、場のエネルギーによって引き起こされることが意外と多くあります。

その職場のもつエネルギーが常に存在しており、そこの職場においてはこれまでに演じられてきたドラマのエネルギーがすべて残っており、それをまたそこに入っているひとが経験していきます。したがって一つの職場においては、長い目で見た場合には同じようなドラマが演じられていき、いろんな人々が入れ替わってもそれは続いていきます。

それはまた魂とか自分の思考とかとは別の範囲で造られていき、自分はその流れに沿って経験が続いていきます。そこにおいて問題が起こったり、不都合が起こった場合、何か解決しようとか、早く解放されようとしていろんなことを考えていきます。

しかし私たちの観点から見た場合には、むしろその職場におけるこれまでのエネルギーの流れを分析し、同じことが何度も起こるということはそれがまだその職場で克服されていないということ。まだそれを正しく演じた人がいないということ。したがってそのエネルギーがまたやってきて、そこの場で繰り返されていく。

今まで失敗した人は常にどういうことをやっていたのか。いつも同じ間違いとして何が演じられていたのか。それを調べてみる必要があります。そしてそれがどうみても宇宙の思いとは別の行動が繰り返されている場合、それを断ち切るためには今までとは違うやり方がそこで望まれているという意味があります。

常に上司あるいは部下を騙して自分の思いの通りにさせようとし、あとでそれが分かってトラブルのもとになる。これが何度も繰り返される。これが分かった場合には、もうコントロールしようとか、言う通りにさせようとする思いを出さないで仕事をし、その場を清めていく必要があります。

何とかして自分を良く見せよう、良く評価されたい、常にそういう思いで仕事をしている場合、それまでに溜まっていた同じようなエネルギーでお互いの衝突を引き起こす場合があります。職場の場合にはそのようにしてこれまでに繰り返されてきた流れを見た上で自分の抱えている問題をとらえてみる必要があります。

このようにして、トラブルやいろんな問題が起こった場合に、それがどのようにしてつくられ、自分は何を経験するかはその時の場によってかなり違います。ただ一般論として、そこから逃げようとか、早くその問題をなくそうという考えは必ずしも適当ではなく、むしろその経験を通して自分は何を学び、身に着けていくか、いかに相手のことを理解していくか、これが一番の中心となります。

問題を解決するというのは非常に良い言葉ですが、ほとんどの日本の人々は早くそれをなくしてしまう、なかったことにする、元に戻す、という雰囲気が強く、実際の解決には何一つなっていない場合があります。ただ治まればよい、ただお互いが黙っていればよい、これでそれが解決したかのように思っている人がおります。それは解決したことにはなりません。やはり不満が必ずそこに残り、それは新しい問題を引き寄せていきます。

その問題をなくそうとか、なかったことにする。そういう思いを持つのではなく、ただそれを経験することによって、自分の心を大きく豊かに明るいものにしていく。それを行なうために経験している。そういう意識を確立させることを理解しておいてください。


A問題をなくしてしまおうとしないこと

問題が起こるとかトラブルがある。もう皆さん方も毎日のようにそういうエネルギーの中で生活をしているものと思われます。でも本当にこれは考え方によってかなり変わっていき、問題というものはほとんどが自分が勝手に問題と思って苦しんでいるケースがあります。

相手や会社そのものは何も問題とは感じておらず、自分一人でそれを問題と認識していた。皆が分かっていない。自分だけがちゃんと分かっている。こういうことで、実際には自分が問題を造り出しており、またそれを解決しなければならないという課題をまた自分が造り出しております。自分が問題と思わなければ、問題は起こりませんでした。

問題を解決しよう、なくそうとする気持ち、まずはそういう意識を自然となくしていき、問題も何もなく、ただ必要な経験がそこにある。成長するために必要な経験がそこにある。そういう風にして現実を過ごすようにすると、いろんな意識が変化していきます。いちいち人を責めたり、自分が後悔したり、自分がつらくなるという思いが消えていきます。単に必要だから経験している。


さて、この必要だから経験をするという言葉、ほとんどの人にはこれが理解できないかもしれません。苦しんでいる人、つらい人、悩んでいる人の前で、必要だから経験しているんですよ、といってもほとんどそれが通用することはないでしょう。相手にとっては本当に現実がつらく、悩んでおり、そこから逃れたいと必死になっております。

そういう人に対して、この現実にはこういう意味があるとか、こういう意味があるからこうなったとかいう説明をしても、何の慰めにもならないのです。本人はただそこから逃れることを望んでおります。

問題を克服する、解決するという意味が根本から違っているということ。問題を消してしまったり、なかったことにしてしてしまうのは必ずしも克服したという意味ではないということ。一人ひとりがそれを明確に理解し、お互いが分かち合えるようになっていく。これが人間関係をうまくもっていくための一つの方法です。

得意になって話したり、自分が中心になろうとすると、たちまち不快なエネルギーがやってきて、自分を追い詰める状況にもっていきます。自分は今のままでも十分にその経験から学ぶことができ、成長しており、何も問題を抱えていない。十分に自分は納得のいく人生を送っている。まずはそれを理解し、そしてその認識の下で学んでいかれるのを望んでおります。


B何が喜びなのかが分からなくなっている日本人

これまでの話にあったように、体験するということ、これは皆さん方の認識ではつらいことやイヤなことという風に映っております。本当は必ずしもつらいことやイヤなことばかりが体験ではなく、むしろ良いことや楽しいことがたくさんある現実が与えられております。

でもそれが見えてこない。何が喜びであるのかが分からない。これはイヤなことが現実にいっぱいあるために、喜びを見つけるという働きがおろそかになり、ほとんど麻痺している状態ともいえます。本当は喜びに値するものを経験しても、喜びとは感じなくなっている人がおります。

別の人が何かに気づき成長する。新しいことを身に着け、より強くなる。こういう状況は本当は喜ばしい状況であるのにもかかわらず、嫉妬を感じたり、プライドが傷つけられたりして、苦しむ。まったくムダなことをやっております。一人ひとりはそういう風に自分で勝手にいろんな価値観を創り、その中で苦しんでいる人がおります。

実際には自分一人がそういう思いを造り、その中で相手を非難し、そして自分がつらい思いを経験している。こういう現実がとても多く、それに関しては魂でさえもどうしようもできないものがあります。皆さん方の考え方、思考の仕方で現実が豊かになるように、楽しいことがいっぱいあるように変えていく練習をしてみてください。


ここで少し休憩をとります。それではありがとうございました。


C子供のイジメは子供の魂の選択

今のお皆さん方の話の中から少しお話をします。まず、子供のイジメについての両親の話が出ておりました。子供が学校などでいじめられる場合のエネルギーと両親の間のエネルギーにはほとんど関係はありません。なぜならば、子供は子供の必要な経験が魂から流されており、それは子供自身の場の中で演じる必要があります。

子供が両親の中で経験するものは家族の中で必要な経験であり、それはむしろイジメに対してどう取り組むのか、どのようにしてイジメという現象をなくしていくのか。それを経験するために、両親がそういう場をつくることはあります。しかし子供がいじめられるという現象そのものは子供が選んだ場であり、両親がわざわざそれを作り上げたものではありません。

先ほどの話において、Tさんがそれに対していろんな反応をしたのは、それはイジメに関してのエネルギーではなく、単に自分自身が傷つけられた、単に自分の存在が否定されたという感じで湧き起こったものです。それはイジメとは関係なしに、どのような話題であっても、自分が傷つけられたり、自分が無視される表現があった場合に、それに反応していくでしょう。

これが今、学んでいるTさん自身のテーマであり、自分自身の存在感、価値観にいろいろテーマが及ぶと、常に自分が否定されたように感じてしまう。それによって自分にいろんな感情が湧き起こる。今、それが学びとなっております。

Sさんに関して言うと、そういういろんな人々との話の中で、いろいろと言われてきたこと、伝えられてきたこと、それをかなり自分なりに分析し、正しいと思えるものや合わないと思えるものを自分なりに見つけてきました。自分がそれを信じた段階であなたの真理になり、あなたはそれに従って生きることになります。

先程、おっしゃったように、人それぞれ経験がまったく違い、そこから得られる真実も違うために、自分に合ったとしても、それはほかの人にはまったく通用しない真理があります。したがっていろんな現象の意味を理解したとしても、それは自分にしか当てはまらず、ほかの人にはあまり役に立たない。それを前提にして人間関係を続ける必要があります。

先程の場合で言うと、いじめられる子は両親に問題がある、という風に表現すると、その真理をほかの人に植え付けることになります。あくまでもそれは自分の真理で、自分はそれに従っているという表現に留める練習が必要となるでしょう。


Kさんの場合は、また個別のいろんな事情があり、自分なりに克服しようとしていること、考えていることがいっぱい頭の中にあります。しかし意外と文字で解釈しているところが私たちの教えと違うところがあります。まだまだこういう学びがそんなに身に着いていないために、宇宙で伝えようとしている本質的なところ、一番の原理的なところ、そこに考えが及ばず、文字のレベルで判断して、三次元的な表現で解釈してしまう傾向があります。これからはその言葉にあまりとらわれずに、それの意味するところ、それの本質的なところ、そこをなるべく理解するように、意識を変えてみてください。


D日本を新しい波動に切り替える仲間たち

私はアマテラスの仲間として以前、話をしたことがありました。今は特別な場になっており、役割も大幅に変わっております。今日は久々に、少し私たちについて説明をしておきます。

以前、アマテラスの仲間として現れたときには、この日本を創っている神々の仲間において、ある役割を持ったチームがそういう表現をとって現れてきました。その時には日本がまだ古代のエネルギーで縛られており、流れもどうなるか分からない状況にあって、皆さん方のエネルギーもまだまだ未完成な状況にありました。

その後、いろんなワークが行なわれ、そして二日前の大きなワークにより、日本と宇宙との繋がりが本質的なところから変化し、今、改めて私たちが本来の働きを行なえるように変わってきました。したがってこれからは私たちがこういう場において話をするケースが多くなってくるものと思われます。

ただ私たちが一番、考えているのは、名前を付けることに一番、抵抗を感じているのです。やはりどうしてもアマテラスという名前を使うと、多くの人が誤解をしてしまったり、とんでもない考え方をしてしまう人が多いために、この名前をあまり使わないようにしようとしております。

ではどういう風にして説明をすればよいのか。私たちの働きは日本の本来の役割を演じるために、人間にいろいろとインスピレーションを与え、方向性をうながし、そして全体がまとまって進化できるように調整していく役割を持っております。私たち自身は古代から日本を創り上げてきた偉大なる神々たちの仲間によって運営されており、その中のさらにこれからの時代に向けての役割を仰せつかっております。

以前は宗教的な感じで扱われておりました。今はもうそういう波動がかなり取られており、かなり新鮮なエネルギーに変わっております。私たち自身が感じた場合には、この役割はこれからの日本にとても大きな影響を与えていくでしょう。

でもそれは皆さん方自身が私たちとの繋がりをどの程度強くし、一緒に成長していくか。光の仲間たちや宇宙の仲間たちと一緒にいかに私たちのインスピレーションを受け取っていくか。それによってかなり変わっていきます。一人ひとりがこの本来の日本のエネルギーを受け取り、実行に移していく。それによって日本も大きく変化し、地球も変化していきます。

私たちからのメッセージを受け取りやすくするために、今、皆さん方に私たちとの繋がりのエネルギーを流そうと思います。まずはどういうエネルギーかを感じてみてください。


私たちはこれから現れるときは、一応、日本が変わるための新たな波動の仲間たちというような表現をしておきましょう。でも実際にはそのメンバーは頻繁に変更されており、また皆さん方の意識の変化によってもメンバーはかなり変わります。したがって常に同じ存在が何度も現れるというわけではありません。ただ、グループあるいは仲間たちの名称として、日本を新しい波動にもっていく仲間たちと覚えておいてください。


E感情のトラブルをたくさん経験して克服するように

私はイエスとして話をします。先程の話で、感情的なエネルギーを入れながら会話をする場合に、どういう展開になっていくのか。とても面白い現象を経験させていただきました。皆さん方が言葉を発するときには、そこに必ず何らかの思いが入って、それが相手に伝わっていきます。言葉自体には別の意味があったとしても、そこに感情が入ってくると、言葉とは別の感情が相手に反応していきます。

Sさんの何気ない言葉がTさんの心に反応する。これは実際には言葉ではなく、感情のエネルギーがそこに反応しておりました。Sさんのどういう感情のエネルギーがTさんに反応したのか。Sさんの言葉の中に、自分がいろいろ知っているのを是非そこで知ってもらい、それによって自分がいろいろと中心になれるという感情が入っておりました。

この感情のエネルギーがTさんの心に伝わり、それはTさんの心の中に誰か一人が目立っている人に対して自分が反応するという部分を引き起こしました。自分は言葉に対して反応したのではなく、そういう得意になって話したり、一人だけ目立っている人に対して反応する感情が引き起こされてきました。

お互いはその話の内容を説明しようとしたり、分かってもらおうとして話をしますが、実際にはその感情のエネルギーがさらにどんどん強くなり、お互いが内容を理解するのではなく、感情的なエネルギーがより強くなるように現れてきました。したがって結果としては、言葉による理解ではなく、感情を抑えることによってその場をまとめようとする方法がとられました。

これはある意味では普通の人間関係で良く行なわれております。友人の間で起こるトラブルのほとんどは何気ない一言が相手を傷つけたり、相手がそれに反応して急に怒ったり、イヤになったりする。そんな人だとは思わなかった。そこまで言うことはないでしょう。そんなことは言わなくても良いのに。何気ない一言が相手にそういう感情を引き起こさせます。

これは実際には言葉の内容で反応しているのではなく、言い方やそこに入っている感情、言いくるめようとか、分かってもらおうとか、知っているぞ、という感じで話している場合に相手に反応していきます。そして相手が傷ついたり、ムカッときたり、怒りを覚えるのも、そういう感情が自分の心にぶつかってきて、自分の心の感情を引き起こしていきます。

相手の感情のエネルギーは、自分の感情を奮い起こさせる一つの発火点にしたすぎません。それによってどんどん自分の感情が高まっていく。それは自分の感情の問題となります。そしてその感情を相手に戻す。相手もそこで改めて感情のエネルギーを受け取って、自分の感情の部分が奮い起こされる。それによって自分自身にもいろんな感情が湧き起こってきて、相手に戻していく。これによって感情の対立がより強くなっていきます。

もうこの段階に至ると、言葉による解決ではなく、内容による理解ではなく、感情的な動きの抑圧やコントロールの仕方、解放の仕方がテーマになってきます。相手が謝ってくれれば、納得する。逆に相手が謝っても、納得もできない。許せない。いろんな感情が湧き起こってきます。

こういう感情を皆さん方が体験したときに、どのような方法をとっても、もうその後、気分が落ち着かず、家に帰っても良い感じはせず、もうその日一日が不快であるような状況に陥る人もおります。感情はそのようにして何気ない一言でその人の一日を台無しにする場合すらあります。

さてここで私が言いたいのは、感情の問題やトラブルがあったときに、それを悪いとか、それをなくせとかを言うつもりはありません。そういう経験自体は必要であり、またそれによって心を成長させていく必要があります。まずほとんどの場合、何気ない一言が相手の感情を揺り起こす。その時にいろんな感情を相手が発してくる。

こういう感情の動きを自分なりに理解し、そのやり取りを自分でどのように持っていくのか。一度、湧き起こってしまった感情は中々収まることはありません。感情はまた新たな感情を奮い起こし、それによってつい言葉を相手に投げ返してしまう。相手はまたそれに対して新しい言葉を新しい感情と共に戻してくる。不快感がどんどん大きくなっていきます。

その一連のやり取りを自分で分析してみて、自分はどういう感情の反応の仕方をしたのか。言葉ではなく、どういう感情に自分はどう反応したのか。それを理解していく必要があります。ほとんどの場合は、自分自身が持っている優越感やプライドといったものが否定されたときに、悲しみや寂しさ、つらさを感じます。

自分の思っていることを認めてくれなかった。信じてくれなかった。分かってくれなかった。これによって寂しさを感じる人もおります。ほとんどの場合、湧き起こる感情は自分の所為で自分が出しております。自分が造り上げたものであり、自分がそれを引き起こします。でもそればかりを考えていくと、自分だけがつらくなり、自分がイヤになってくるでしょう。

感情はほとんどの人間が学んでいる最中であり、感情を無事にコントロールできて喜びは喜びとして、悲しみは悲しみとして、適切に処理している人はそんなに多くはありません。今の皆さん方の普通の意識レベルでは感情的な対立は問題が起こっても、それはごく普通のことであり、それをいちいち非難したり、あるいは自分を卑下する必要はほとんどありません。

ある意味ではそれが普通の人間の状況であり、自分がとりわけ、未熟であるとか、劣っているとかいうわけではないのです。そこから一人ひとりがいろいろと学んでいく。コントロールの仕方を身に着けていく。それが必要となります。

こういう感情のコントロールの仕方、これは理屈ではなく、経験を通して身に着けるしか方法はありません。経験を重ねるということはいろんな人と感情的なトラブルを演ずるということが必要となります。ほとんど感情的なトラブルを経験しないで、感情をうまくコントロールできたという人は、実際にはそんなに多くはありません。

むしろそういう人は感情をうまく表現していないといえるかもしれません。つまり相手が不快になると思うことはわざと口に出さない。本当は言いたいことがあるけれども、わざと黙っている。それによって問題を少なくしているに過ぎません。それは感情をコントロールしているとはいえません。

むしろ自分で感情の表現の仕方をごまかしており、適切な表現はしていないということです。適切に自分の感情を表現しながら、なおかつ全体として喜びが溢れる方向へと感情を出していく。それを身に着けていく必要があるでしょう。

感情の問題はまだまだしばらく続きます。すぐにそれで身に着くとか、それで理解できるというものではありません。ただ必要なのは、お互いが、皆が今、それを学んでいる最中で、自分がどのような不快感を感じたとしても、相手を責めることはできないということ。また自分を責めることもできないということ。

ただ単に皆が同じテーマで学びをしている最中であり、その間には優劣がなく、是非もなく、ただ単に学び合っている仲間であるということ。それはあたかも学校で、皆が同じ答案用紙で試験をしているようなものです。たまたま誰かが間違おうとも、自分ができたところ・できないところがあろうとも、いちいちそれを責めたり、非難する必要はなく、ただそういう状況であるということ。

感情に対してもそのように、いちいち誰かを責めたり、自分を悪く思ったり、比較したりするといったようなことではなく、ただそれを学んで経験しているということ。それを早く身に着けていかれるように望んでおります。


感情は一人ひとりがいろんな傾向を持っており、その出し方や表現の仕方、反応の仕方も一人ひとり違います。したがって感情について教えられたことや分かったこと、気がついたことは自分にしか当てはまりません。ほかの人にアドバイスをしたつもりでも、ほかの人はほかの人の感じ方や反応の仕方があります。それは自分と同じではありません。

したがって感情に関してはほかの人にアドバイスするときには慎重に考えて発言する必要があるでしょう。これからもそういう意味で同じ仲間として学び合い、成長していかれるようにしていってください。


さて、いろんな意味において、日常の人間関係を今日のテーマにしてみました。皆さん方も今日、言われたことをすぐには理解できないかもしれませんが、いずれ現実で経験することになるでしょう。その時にいろいろと混乱したりせずに、うまくやっていけるやり方を身に着けるようにしていってください。

それではありがとうございました。


(c)1998 CentralSun
前へ戻る