まず一番の大きな理由は、私たちが教えているものは元々一部の人にしか理解できない内容であり、それを受け取る準備のできていない者にいくら話をもっていっても、その人が受け入れることはまずありません。
それはその人の思考や概念以前の問題であり、まだエネルギー的に私たちの情報を受けとれる状態にはなっていないというのが一番の理由となっております。したがって皆さん方から見た場合にはまずその人が私たちの情報を受け取れる準備になっているのかどうか、もうそれだけの段階にきているのかどうか、まずはそれを先に理解することが必要となります。
私たちの教えていることを理解するには、いろんな段階があり、誰でもすぐに理解できるというわけではありません。ただそこで気をつけていただきたいのは、理解できる段階というのは知識とか経験とか、ましてや宗教的なものにどれだけ関与したかという意味ではなく、あくまでも魂の目覚めであり、自分の心の準備の段階といえます。
場合によっても小学生でも用意のできている場合があり、またかなり経験豊富な宗教の先駆者でも私たちを理解できない者もおります。したがって単にその人の社会的な言動や知識だけで評価しないようにしておいてください。
まず、何かを一生懸命、教えようとする者、宗教的な情報を体系化したり、やたらとアセンションという言葉を口に出したり、終末や世紀末という不安を駆り立てたりする者。そういう人たちは私たちの情報を受け取る段階にはまだきておりません。
あくまでも人間が最終的なテーマであり、人間の心についてどれだけ関心を持っているか。この三次元の生活をいかに人間で楽しく造り上げていくか、そこに関心を持っている者たちがまず第一に優先されます。人間の言動やお互いの関係を説明せずして、やたらと不安や予言にしがみつく者、そういう人たちは私たちの情報を受け取ることはできません。
いくら皆さん方がここに誘ったところで、一度来ただけで、もう二度とは来なくなるでしょう。私たちも皆さん方に予言や世紀末の不安を説くことはまったくありません。そういうことをしても人間の心が豊かになることはなく、人を愛する心が身に着かず、ましてや地球に本当に癒しを行なう人はほとんどおりません。
自分が助かりたいから、人を助けよう。自分が天国に召されたいから、人を愛しよう。自分が宇宙に助けられるために、地球を愛しよう。そんな人間ばかりが増えて、本当の心で人を愛する者がほとんどいないからです。人を愛するのは自分が愛されるためではなく、宇宙に救ってもらうためでもなく、天使に救ってもらうためでもありません。ただ愛したいから愛する。これが愛の本質です。
そういう条件を付けて愛する者は、本当の宇宙の愛を理解することはできないでしょう。そういう本当に人を思う気持ち、そしてこの三次元の中でいかに楽しい人間関係を造り上げていくか。それに関心のある者だけがここに集められてきます。でもそれは、普通の人は皆、そうではないのか。そう思うかもしれません。
でも実際には普通の人は金銭や名誉に執着していたり、少しでも立派になること、偉くなることを前提にしているために、本当の心の豊かさや他人を愛する心は育ってはこないのです。本当の愛を育てるためには、金銭や物質に対する執着、名誉、プライド、こういったものを手放す必要があるのです。
それに気づくにはいろんな経験が必要となります。ただ単に本で読んだり、他人から注意されるだけでは、中々気づくことはできません。いくら天使やマスターが声を大にして怒鳴っても、分からない者は分からないのです。そういう状況の中において、皆さん方がそういう人間に少しでも気づいてほしい、分かってほしいと思って、ここで学んだことをもっていっても、それだけでは彼らには受け取ることのできない者がたくさんいるのです。
したがって皆さん方の方からすれば、あえて分かってもらおうとか、広げてほしいという気持ちを持つのではなく、単に自分がその人を愛していく、単に自分がその人を許していく、自分は自分の満足した生き方をしていく。いろんな人間を許し、いろんな人間の生き方を認め、自分は自分の楽しい人生を造り上げていく。これが唯一のやり方となります。
一般にそういう生き方をしても、それは急に広まることはありません。逆に不安や予言に従って皆でどこかに集まったり、儀式的なことを行なう人は増えていくかもしれません。そういう人間的な執着を持つ行ないほど、皆の心を引き付けやすく、またエネルギーが強くなり、現実化されやすいのです。そして本当の宇宙の思いが広まっていくことは中々ないのです。
皆さん方の中には、正しい行動であれば自然に広がり、力があり、確実に大きくなると信じている人が多いようです。本当に残念なことですが、実はそれは必ずしも真実ではありません。イエスの本当の教えがどれだけ広まったでしょうか。これまで過去に存在した多くの聖者や賢者が説いた真の教えがどれだけ広がったでしょうか。実際に広がったのは、意味のないお経であったり、おまじないであったり、当たりもしない予言です。
それはすべて人間が引き寄せたものであり、人間の持つ不安や恐れによってそれらが広まっていきました。宇宙の持っている本当の光は、本当の光を引き寄せる者にしか広がっていかなかったのです。したがって皆さん方がその本当の教えを広めようと思うのであれば、本当の教えを引き寄せる清らかな心の人間を増やしていく必要があります。
そのためにはまず自らの心を清らかにし、執着を持たず、不安や恐れを持たず、まず自らが宇宙の愛を実践していく。これしか方法がないのです。正しければ自然に広がる。黙っていても真の光は広がっていく。これは必ずしも真理ではありません。
しかし多くの場合、それを肉体を持って行動しようとするときに、いろんな問題が起こったり、実際の行動で現実化が難しかったりしているようです。ここでそういう、うまくいかない現実というものが魂の世界ではどのように認識されているのか。どのような見方で三次元の現象を見ているのか。少しそれを説明したいと思います。
まず皆さん方の意識で造られているこの現実は皆さん方一人ひとり固有のものであり、必ずしも真の現実として宇宙に横たわっているわけではありません。皆さん方の現実を理解するためには、一人ひとりの意識の中に入らなければ分からない状況になっております。したがってどのような宇宙の存在であっても、天使であっても、三次元を理解するためには、肉体を持った人間に入らなければ、その現実は分からないのです。そしてそれは一人ひとり違っており、人間固有のものとなっております。
ただ、人類の集合意識というものがあり、集合意識はまたそれで全体の現実を集めております。地球人類の集合意識が造る地球の現実は一人ひとりが造る現実の集合であり、この全体の集合をどのようにして素晴らしいものに変えていくのか、これが宇宙における私たちの役割となります。一人ひとりの現実を良くするのは皆さん方一人ひとりの役割ですが、地球人類の全体の現実を愛と光に満ちたものに変えていくためにいろんな存在たちが協力をしております。
この地球人類全体の現実は必ずしも一つの現実ではなく、いろんな現実がそこに存在しております。日本人が造り上げている現実と、西洋の人間が造り上げている現実でも、かなりの違いがあります。今のところ、これが繋がっていないために、人類同士も分かち合うことが難しく、交流がスムーズにいかない状態になっております。お互いの心がだんだん近くなり、分かち合うことがより密接になってくると、現実も共通的なところが増えてきて、お互いに強い影響を与えることになるでしょう。
皆さん方の魂と呼ばれるものはこの大きな観点から一人ひとりの現実を見ております。したがって地球人類全体における現実と一人ひとりの現実を理解し、そういう観点から皆さん方の現実を変えていこうと工夫をしております。例えば、戦争に巻き込まれる、飢餓や災害の中で苦しい体験をする、という体験をしている人は、地球全体の流れの中で自分の人間の現実をどのように動かしていき、どのような体験をして自分の現実を過ごしていくか。そういう観点で一人ひとりを見ております。
したがって魂から見た場合には、その一人の人間の現実よりも地球人類全体の現実を良くするために、むしろ犠牲的な現実を体験したり、全体的なエネルギーの流れを優先する場合があります。災害や病気、飢えで苦しむというのは一般にそういうエネルギーの現れであり、魂はそれを理解した上で経験をしております。ただ、中には必ずしも魂は望んでいないのにもかかわらず、自分自身のエネルギーをどんどん執着的にし、魂が望んでもいないのに執着的な言動で振り回される人もおります。
こういう人はホンのわずかでも魂の思いを受け取り、意思を強くし、自分のペースで生きようとすれば、いくらでもその現実を変えることができるのです。にもかかわらず、周りの人の言動に合わせる、恥ずかしい、嫌われたら困る、自分だけ反対するのは目立つからイヤだ、という思いによって流された場合、せっかくの魂の思いとは違う現実を経験していく場合があります。
したがって意思を強くするというのは単に自分勝手に生きるというのではなく、魂の思いをいかに具現化していくか、魂が考えたことをいかに自分は表現していくか、それに必要な強さであり、自分はそれを具現化するために現れたものという認識が必要となります。今までは意思がそんなに強くなくても、ある程度生きることは可能でした。皆に合わせて、皆と同じことをし、常識に任せていけば、そんなに混乱することはありませんでした。
でも、今はそういう波動はどんどん薄くなっており、逆に自分は何をしたいのか、自分何を表現したいのか、それを明確にした上で自分からどんどん行動していくことが必要になってきております。ただ周りに合わせたり、常識通りの言動はもはや通用しなくなってきております。自分はどういう生き方を望んでいるのか。自分がやってみたいことは何であるのか。それを本当に自分が分かった上で、行動に移していく。それによって現実が本当に変わっていき、世の中もまた変わっていきます。
今、多くの人が社会の大きな変化に気づいております。今までとは違う流れに気づき始めてきました。にもかかわらず、どうやって良いのか分からない。どのようにしていったらよいのか、分からない。それで迷ったり、混乱したり、しているようです。確かに、これからの生き方は今までとはかなり違う生き方が必要となり、社会の常識も今までやってきたやり方もまったく通用しなくなってくるでしょう。
でもそれは逆に今までの執着から解放されることであり、今まで自分を制限していたものから自分を自由にさせていく生き方でもあります。自分に目覚めるというのはとても良い表現ですが、一人ひとりにとってはそれが何なのかが理解できない人もいるでしょう。
自分を知る。自分とは何であるのか。魂が自分なのだろうか。魂とは何であるのか。今の自分とは違うのであろうか。今の自分は何であるのか。これは自分ではないのだろうか。今、自分が経験していること、これは嘘なのであろうか。どこまで信用して良いのだろうか。何を信用するのが一番良いのだろう。古来から多くの人がこういう質問を投げかけてきました。
それを明確に理解した人はそんなに多くはいません。でも明確に理解した人がいることは確かです。ブッダもその一人であり、聖ジャーメインもその一人であり、また多くの聖者がそれを理解してきました。でも、今の時代においてそれをすべて理解するのは困難になっております。あまりにもいろんな概念があり、宗教的な教えや学校教育があり、どうしても教えられた概念が先に立ってしまいます。
自分の本当の姿は何であるのか。今、皆さん方は人間として行動しております。つまり人間の肉体をまとい、人間の意識を使って、見たもの、聞いたもの、感じたものを頭で判断して現実を造り上げ、そして自分はそこで生きております。またそれを自分と思っております。では、夢を見ているとき、自分はどこにいるのでしょう。夜、寝ている間、どこに行っているのでしょう。少なくとも、肉体にはいないようです。
魂、どこにいるのか。自分と繋がっているのだろうか。多くの人がそれで悩み、分からなくなり、諦めてしまいます。魂は魂の世界で明確に存在しており、また意思があり、計画を創り、皆さん方にエネルギーを与えております。しかし皆さん方はあくまでも自分という意識が先にあり、そこからいろんな物事を判断していきます。そしてほとんどは自分以外のものとして認識し、判断していきます。ほかの人間、ほかの存在、ほかの仲間たちも自分以外の人間として認識していきます。
自分以外のもの。自分という意識があるから、自分以外のものができてしまいます。これもある意味では概念であり、これもある意味ではそのように教え込まれた結果といえます。もし初めから自分ということを教えずに、すべてが自分の現れとして育ててきた場合には、おそらく自分という意識はほとんど現れていないかもしれません。自分という意識。皆さん方は自分の本質的なところに少しずつ意識を向け、本当の自分と向き合う時期に入ってくるでしょう。
今まで自分と思っていたもの。それは本当の自分ではなかった。自分自身が本当に自分として認めるものは何であるのか。皆さん方の現実の中で、自分を見い出すのに必要なやり方はたくさんあります。中には瞑想やいろんなワークによって自分を知る人もいるようです。でも、一般に私たちは必ずしも何かをすれば本当の自分が分かるとか、本当の自分が分かるためには何をしたらよいとかを言うことはできません。
なぜならば、皆さん方が本当にそれを受け入れる時期にはまだなっていないために、いくら言葉で言っても、まだ受け取ることができないのです。本当の自分を知るためには、自分自身の心の中にあるもの、恐れや不安に限らず愛する気持ち、いたわる気持ち、それをすべて広い集め、自分の表現しているものとそれらがどういう関係になっているのか。それを一つひとつ調べてみたら、良いものと思われます。
自分の心の現れがどのように表現されていくか。そこから見い出される自分は本当の自分ではなく、自分が思っていた自分、信じていた自分の証にしかなりません。そういう状況の中で、自分を理解する。今の自分、本当に満足して喜びを感じているのかどうか。
自分を見つけ出せた者はお互いの人間関係の喜びを感じ、楽しさが分かってくるようになります。自分を見い出せない者は他人の心も見い出せず、相変わらず混乱やいろんな対立が起こってくることでしょう。他人の心の真実を理解することが自分を知ることに繋がり、そして自分の真実が分かっていきます。したがって自分を知るためにも、相手を理解しようとする気持ちをまず捨てないようにしておいてください。
自分の生き方は自分でしかつくることはできません。ほかの人の話を聞いても自分には当てはまりません。でも、ほかの人と話をすることはとても大切なことです。必ず何らかのヒントがあり、知恵があり、自分の知らないことを持ってきます。したがって他人との接触は常に保っておくように。
今の話にあった自分というテーマ、これはこれからも何度も必要となるものであり、本当の自分を確立させるためにも是非、理解をしていっていただきたいと思います。まず、ここで少し、休憩をとってまた次に進みたいと思います。それではありがとうございました。
サナンダが皆さん方に影響を与えるのは、皆さん方が成長をするためにどのような仕組みを創り、人類が愛に目覚め、そして人々を愛するように持っていくのか。そういういろんな働きを行なったり、人間同士の繋がりを造り上げる役割を持っているのがサナンダといえます。
イエスと呼ばれた意識がサナンダのグループに一時入っていたころ、そこから何度も降りてきたのは、地球人類がイエスを呼んだからであり、イエスに現れてほしい、イエスに話してほしいという強い要望があったために、イエスがやむなくジーザス・サナンダとして現れてきました。実際には必ずしもイエスはサナンダそのものではなく、またそこのグループの代表者でもありません。
しかしこれらがエネルギー的な変化により、今はまったく違う状況になっております。先程説明があったように、イエスは再臨に備えて今、まったく新しい流れの中にあり、サナンダとは別のグループで活動をしております。しかしサナンダそのものは先ほど言ったように、愛に目覚め、実践するための役割を持ったグループであり、これはまだ皆さん方に働きかけをしております。
しかしイエス自身はまったく別の役割を持って生まれることを仕組んでおり、それによって世界全体に影響を与えることを工夫しております。今まではどうしてもキリスト教圏、西洋の人々にしか受け入れられない状況にあり、また仮に受け入れられたとしてもメシヤ的な存在として見られているために、必ずしもイエスが望んだ考えでは復活できない状況にあります。
今そういう意識を少しでも変えさせ、一人ひとりが自分のメシヤであり、一人ひとりが神であるということにいかに目覚めさせていくのか。その辺の根本的な仕組みを造り上げようとしております。
ただ、私が本当に伝えたかった愛は弟子にも十分に伝わることなく、単に優しく、気持ちの良いことだけをしておけばそれで自分が救われる、自分が神に愛されるために隣人を愛する、私が犠牲になったお蔭で人類が救われる、そういう教えで広がっているのはとても残念に思います。
確かに人に優しくし、いたわりを持って接することは必要です。でもそれは神に愛されるためではありません。また私が犠牲になったから、人類が救われるわけでもありません。一人ひとりが隣人を愛することにより、私が救われるのかもしれません。私は間違って解釈した人間を正しい方向に戻さなければ、私が満足できない状況にあります。間違ったままで広がっていくと、私はそれを正さねばならないエネルギーを造り上げていきます。
私は私のために皆さん方の前に現れるのかもしれません。それは私を信じているものを愛する為でもあります。今まで多くの人間が私の名前を呼び、私の再臨を願い、信じてきました。これからさらにその人間が増えていくでしょう。多くの人間がことあるごとに私を呼び、切実に願い、多くの人間が私を求めてくるでしょう。
今、私たちはそういう人々のためにどのような現れ方が一番良いのか、どのようにして真実を伝えていくか、それをいろいろと考えております。ただ、間違って理解されることだけは避けたいのです。キリスト教徒だから救われるとか、私を信じる者だけが救われるとか、そういう状況だけは望んでおりません。
心正しき者、真の神を求める者、地球を愛する者、単純に隣の人間を愛する者、私はそういう人に本当の私の姿を現したい。単なる奇蹟を見ようとか、単なる証を得ようとする者、私はそういう者にはあまり会いたくはない。いつの時代でも奇蹟を望む人間が多い。過去に私が何度奇蹟を起こしても、すぐにまた新たな奇蹟を望む人間がいた。でも私の教えを理解することはできなかった。
人々の心は弱く、自分より強い者にあこがれ、そして付いていく。あなた方はそういう者にあこがれるのではなく、自分自身が光の使者であり、自分自身が私と同じであり、自分自身が神の子であるというのを本当に理解する時期にきています。ですから本当は私が現れようが現れまいが関係なしに、神になってほしい。自分は神だと信じてほしい。
これからの時代の流れで、私が現れたと言う人間が世界のあちこちで増えてくるでしょう。ほとんどはその人間の勝手な空想であり、妄想であったとしても、一部には真実で私の言葉が出てくる場合があります。いちいちそれを確認する必要はありません。私はいつ、どの場所で現れようとも、私の言うことは同じであり、それは2000年前と変わりません。
ただ、違っているとすれば、宗教や民族に関係なしに、すべての人間が神の子であり、お互いに愛し合うべきものであり、それによって地球が救われるということ。私はどこに行っても、それを説くでしょう。これを口に出さないのは私ではありません。これからの私をそういう観点で見るようにしてください。
私はこの地球がとても好きです。いろんな民族がいて、それぞれとても素晴らしい特徴を持ち、その民族だけで造り上げてきた美しいエネルギーがあります。それをさらにさらに素晴らしいものにして、この地球上に発展させていく。地球はどんな素晴らしい星になるでしょう。
皆さん方もこれから大変な時期に入っていきますが、それは私たちも同じです。これからいろんな神々のテストや試練が現れてきます。人間だけではなく、人間を指導してきた存在たちも厳しい試練に出会うことになります。一人ひとりがいかに目覚めて素晴らしい地球に変えていくか。私はこの地球が素晴らしく、輝いているのが分かります。大きな喜びが溢れ、人類同士が和やかに、楽しく暮らしている素晴らしい地球の未来が見えます。
そこに至るまでに、一人ひとりいろんな経験がやってくるでしょう。でも、諦めないで、自分を否定しないで、その素晴らしい地球までやってきてほしいと思います。この素晴らしい地球で一緒に皆さん方と出会って、喜びを分かち合いたいと思います。大いなる地球に私は感謝をいたします。
だからといって日本人だけのものではなく、地球全体に影響を与えており、またどの民族にも、どの国家にも現れております。いずれはもっともっといろんな働きかけが強くなってくるでしょう。皆さん方も必ずしも名前に固執せずに、いろんな存在のエネルギー的なものを感じたら、そのエネルギーとの繋がりや活性化の方に意識を向けていっていただきたいと思います。
私たちは今日はここまでにいたします。ありがとうございました。