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1998/7/27■月曜交流会から

ただ黙ってアセンションできるわけではない

@不安を拡大していかないように

私たちが少し、お話をいたします。私たちはまず簡単に説明をしてから次に移ります。皆さん方がここで熱心に学びを進められ、少しずつ自分の意識を変えることにも慣れてきて、現実をいかに豊かなものにして自分のペースで進んでいくかを身に着けてきました。私たちはこれから本格的にいろんな計画を進めていきます。

日本においてはこれまであまり大きな事件や大きな災害が起こらないように調整をとりながら、時間を進めてきました。時々、大事件が起こってもなるべく最小限の状況で済むようにエネルギーが流され、次から次へと大事件が頻発する状況にはならないようにされておりました。その間にどれだけの人間が気がつき、自分のペースで現実を造り、意識を変えていけるか。それが一番のテーマとなっておりました。

これからの流れにおいてはその辺が少しずつ変わってきて、皆さん方の意識に応じて現象化が起こるように現象化が進んでいきます。例えば、いろんな事件が起こったときに、皆さん方の方が不安を大きく抱き、同じような事件を次から次と想像してしまう。そうすると、事件が次から次と連鎖反応的に起こりやすい状況になってしまいます。

これまでは、報道機関が類似の事件を何度も報道し、それによって国民が煽られ、いろんな不安や恐れを醸し出す状況が造られておりました。でも、それを日本を管轄する存在たちが類似の事件が起こらないようにコントロールし、なるべく最小限の被害で済むように調整されてきました。それが少しずつ限界にきており、かなり溜めておいたエネルギーがもうこれ以上、そのままにしておけない状況になってきております。

したがって少しずつこれからは皆さん方の意識に合わせて現象が進むように変わっていきます。つまりもし何らかの事件が起きた場合に、マスコミなどのいろんな報道機関が類似の事件を次から次と探し出したり、それを紹介したりしてさらに不安を煽るような状況をつくった場合に、皆さん方はそれに同調して不安を大きくしたり、心配することのないようにしていただきたいというのが私たちのお願いなのです。

一般に日本の報道機関は国民を不安に陥らせることに長けており、次から次と不安材料をニュースにしていきます。それによって国民はまず否定的に考えてしまう、まず恐れてしまう、という認識の仕方がかなり定着してしまいました。しかしそういう考え方を根本から変えていき、事件は必ずしも悲惨なものでも、悪いことでも、つらいことでもなく、単にそれを経験している人がいる、自分がそれを経験するかどうかは自分の問題であり、国民のすべてがそういう状況になるわけではない、皆がそれを望んでいるわけではない、ということを信じておく必要があります。

不安を皆が心に抱くと、それは本当に実現しやすくなってしまいます。できれば不安をイメージするのではなく、喜びやうまくいくこと、自分が成長することをイメージしていただきたいと思います。これからの流れにおいて、日本人の一人ひとりの思いが強く表に出てきます。それによって自分が現実を造っているということが明らかに分かってくるでしょう。それと同時に、不安や恐れを抱く者はそれをどんどん引き寄せていきます。

テレビやニュースを見ると、自然に不安材料がたくさん報道されていくでしょう。それを見ても不安に思わない、不快感を心に持たない、という練習を続けることによって不安を心から手放していく練習をしてみて下さい。


A雲の形は精霊たちがつくっている

私たちは別の話をいたします。先程、いくつかの話がなされました。主に夢の話があり、その説明をいくつかしておきましょう。

らくだ(駱駝)と人間の話をされた方がおりました。人間にとってらくだという存在は砂漠をイメージし、都会ではなく人里離れたところで役に立つ動物というシンボルがあります。基本的にらくだは人間の役に立っているけれども、都会ではなく、人里離れたところで人間の役に立つ、という意味があります。

人間がそのらくだをかつぐ。これはそういう大切な動物を人間自身が必要としており、それによって人間は人里離れたところでも自分が存続できるという意味があります。あなたの心の中には都会だけではなく、むしろ人里離れたところ、誰も寄りつかないところ、そういうところでもしっかり生きていきたいという思いがあります。

でも、自分一人でどこまでできるんだろう、私一人だったらどうなるのだろう、という不安もあります。その不安をなくす材料としてシンボル化されたものがらくだであり、あなたはそれを必要としております。誰もほかに人間がいなく、自分だけの時、自分は何を頼りにするんだろう、それを自分は大切にしようとし、それがシンボル化されたものとしてあなたがらくだを大切に扱うというビジョンが生まれてきました。

これは今の時点でどうこう言う問題ではなく、長い目で見た場合にあなたに必要な別のヒントが与えられるでしょう。それはあくまでも動物ではなく、あなた自身のからだの中にあるエネルギーとして現れてきます。そして自分は一人でも、人里離れたところでも生きていける能力を身につけていけるかもしれません。自分にとってらくだというものがそういう位置関係にあるということだけを理解しておいてください。


先程、死んだパートナーの顔と何か紙のようなものを見たという人がおりました。これは実際にその男性からのエネルギーが流されたものですが、実際にあなたが見て感じた思いと流されてきたエネルギーはまったく同じではありません。与えられてきたエネルギーそのものは単にその人が今の世界においてあなたを想像し、あなたのことを考え、それによってエネルギーが流れてきたものです。

あなたの方がそれを受け取るときに、どうしても懐かしさや親しさ、あるいは今、どういう状況なのかといういろんな思いが混というり、それがその場を設定していきました。紙というのは記録を取る、メモを残しておくという意味であり、お互いに何か伝えておきたいこと、言っておきたいこと、メモしておきたいことがあったのにもかかわらず、ついにそれを残すことができなかった、自分の本心を相手に伝えることができなかった、というシンボルとしてメモが残されております。


また別の質問として、雲の形などが自分のイメージに合って出てくる意味を教えてほしいというのがありました。一般的に雲の形といっても、本当に意味のある場合があれば、まったく意味のない場合もあります。一般に意味のある場合には雲を創り出す精霊たちやあるいはそれこそ宇宙人や天上界の存在たちがわざわざ形を創り出す場合があります。でも、一般にそういう場合はそれを見るべき人が決まっており、あきらかにその雲の形を見てそこからヒントが得られたり、それをキャッチできる人間がいる場合にしかそれが行なわれません。

それに対し雲の精霊たちがいろいろ形を創り出す場合には、それは必ずしも見るべき人が決まっているわけではなく、むしろすべての人間にただ楽しんでもらいたい、ただその形をいろいろと見て心を豊かにしてもらいたい、そういう気持ちでいろんな形を創る場合があります。

そういう雲の精霊たちがいろいろと形を楽しむ場合は、いろんな動物を形作ったり、次から次と形が変化する様を喜んでもらうことが必要です。一般に、あなたが見る雲の形のほとんどは雲の精霊たちが創り出した形であり、特別にあなたへのメッセージというわけではありません。でも、そこから明らかに何らかの思いを感じたり、楽しみを感じたり、またそれで喜びを感じている場合には、それはそれで十分に雲と繋がっており、あなた自身はそれで豊かになることを望んでおります。

したがって雲の形からいちいちどういうメッセージであるとか、何を伝えようとしているのかを考えるよりも、形そのものをただ喜ぶ、動きその物をただ楽しんでいる、という接し方で雲と付き合う方が楽しいものと思われます。


また質問の中で、どうしても自分にはうまくできない人が職場の中にいて、どこまで仲良くし、どこまで避けていたらよいのか、が区別しにくいという人がおりました。これは職場に限らず、普通の人間関係においても、人によっては家庭内においても存在するでしょう。まず自分が明らかにタイプが合わず、近づくと不快感が表に出てきて、居ても立ってもいられないという場合があります。

これはお互いに心のエネルギーそのものが衝突し合っており、どちらかが無理矢理折れたとしても不快感は残ったままです。これは自分の心を良く分析しながら、どういう心でそういう不快感が沸き起こってくるのか、ある意味ではそれを十分に調べていく必要があります。

一般に、違う人間との間で強い不快感が起こる場合、それはどちらかがコントロールのエネルギーを強く持ち、そしてそれがプライドや満足感、人との比較や優越感・劣等感というエネルギーによってぶつかり合い、不快感が出てくる場合があります。これは基本的にどちらが優れているか、どちらが正しいのかを競っているときに起こりやすい現象となります。

お互いに自分が正しい、あるいは自分が上である、という意識を持っているときに起こりやすい状況といえるでしょう。謙虚に素直に、自分はもうそんなに上ではなく、偉くもない。相手の方が正しいと思ったつもりでも、エネルギーてきには解消しきれない場合があります。

口では相手を尊重したつもりでも、どうしても心の奥底に相手を尊重している自分が立派である、私はあの人を認めているから偉い、という思いによってどうしても自分のプライドが隠れている場合があります。お互いにそういうエネルギーが残っている場合に、どうしても衝突し合い、それが不快感に繋がる場合があります。

それではそういうエネルギーを持ちながら、不快感を感じない方法はないのだろうか。一般的に、どの人間でも自分に合わない人間が、多くの場合、存在しています。そしてそれがある意味では必要なのです。はじめから何も問題がなく、どの人間とでもうまくいく。それは確かに理想かもしれません。でも、それで本当に相手の本心を理解したり、分かち合ったり、また人間同士が本当に力を合わせて一つのことを成し遂げるという状況には中々発展しません。

一つのことを成し遂げるためには、一人ひとりの個性を理解し、自分のできることと相手のできることの違いを踏まえた上で、それぞれが自分に見合ったことをやっていく。これが必要となるからです。一般にはじめから何も問題がなく、うまくやっていけるという人は、どこかで人間は皆同じ価値観で、同じやり方で、同じ心の持ち主であるということを前提にしている場合があります。

したがってすべての人に、ある意味ではある一定レベルで仲良くすることができます。でも実際には個性を認めていなかったり、本質的な違いを理解していないことが多く、その奥底までいったときに、違いを見て急に愕然とする場合があります。したがって誰とでも仲良くするというのは、実際には表面的な付き合いの場合に成り立つことであり、本当に個性を尊重し、その人だけのいろんな能力を認めている場合にはかなり本質的なところから違いが出てきて、それが目に付いたり、自分と合わなかったりする場合があります。

問題は、そういう風に考え方が違ったり価値観が違っても、責めることをせず、相手を非難することもせず、自分は自分に合う人間とだけ接してお互いに協力し合う、というやり方を身に着けていく必要があります。自分と合わない人間をわざわざ毎回、自分の目の前に持ってきて、それで苦しむ。これは単に問題を創り出しているだけであり、必ずしも良き発展性とはいえません。

すべての人間に同じように認められたい。どの人間とでも良く接して、素晴らしい人間でありたい。こう思うと、必ず自分と合わない人間が現れてきます。したがってまずはどの人間からも好かれたいとか、どの人間にも合わせようとする発想そのものを捨て去ることが必要でしょう。自分に合う人間は必ずしもすべてではなく、またある意味では一部でしかありません。その人間とうまくやっていく。

ほかの人間をあえて無視したり非難せずに、それはそれぞれお互いに必要な人間がいるために、その人間同士でうまくやっていくのをそのまま認めておく。そういうやり方によって自分に適した人間との付き合い方を身に着けていってください。


B食物を摂取しなくとも生存できる方法

今日は皆さん方の恐れについて少し説明をしていきます。人間は生まれたときからある意味では恐れをつくり出していきます。生きる、これが永遠のものであろうとするために、これが阻害される恐れをつくり出していきます。生命が途絶えることの恐れ、これが一番強く、何らかの現象が生命の途絶えに関連する場合、恐れが沸き起こってきます。

はじめは単純に危害が加えられて、生命が危うくなる場合の恐れがあります。でも次第に、食べるものがなくなることへの恐れ、そして食べ物を買う金銭がなくなることの恐れ、そして金銭を獲得する職業がなくなることへの恐れ、こうやって連鎖反応的に恐れが広がっていきます。

この連鎖反応、これは実際には国によって違い、宗教によって違い、またある意味では家庭によっても違います。つまりこれは教えられた概念であり、必ずしも本質的なものとは違います。一般に経済が発達している国においては、金銭に対する価値観が強いために、金銭がなくなることへの恐れが強くなっております。

しかしそれほど経済が発達していない国においては、貨幣への依存度はそれほど強くなく、むしろ物質そのものへの恐れがあります。貧しい、住む家や食べるもの、こういった物自体に恐れを抱いていきます。

宇宙の本質的な観点から見た場合に、食べ物がなくなったり、住むところがなくなったからといって、それで死に至ることはまずありません。本人が生きる意思があり、生きるエネルギーを身に着け、実際に生きている喜びを感じている場合には、どのようなことがあっても死に至ることはありません。

しかし、ほとんどの人が、食べないと死ぬ、食べ物を摂取しないと死ぬという概念を身に着けているために、この概念で本当に肉体はそう思い込んでしまい、皆さん方の肉体は食物を摂取しないと衰えてしまう、機能が停滞するという風に動いていきます。これは本当はそういう状況にはなりません。

ただその場合に大きな前提があり、人間は食物以外にこの宇宙空間からエネルギーを獲得することができる、宇宙から十分にエネルギーを取り入れることができる、これを信じる必要があるのです。空気と同様に、宇宙エネルギーも人間のチャクラから入り込み、そして肉体を維持し、生命を与えていく。これが可能であるということ。

これを信じている人にとっては、仮に食物の量を減らしていっても、急に痩せ出したり、肉体の機能が衰えるということは実際には起こりません。それが怒っている人は、実際には食物を取らないと肉体が衰える、食物を取らないと肉体を維持できない、という概念が強いために、肉体がそのように動いているにすぎません。

では、皆さん方の肉体の概念を変えていき、食物をとらなくともエネルギーだけで生きていけるように変わるためには、どうしたらよいのか。この概念を変えるためには、ホンの少しの瞑想とか宇宙との繋がりで瞬時にできるというわけではありません。まずは日々の食生活から少しずつ変えていく必要があるでしょう。

自分にとって必要がないという食べ物、あえて摂取したくないもの、それはこれから本当に摂取する必要はありません。肉体がそれを望んでいるからです。肉を食べたくない。そう思っている人は本当に肉を食べる必要はありません。自分の好きなものだけを食べていきたい。そう思う人は好きなものだけを食べても、体は健康を維持することができます。

そしてそれと同時に宇宙から常に生命エネルギーが肉体に入ってきて、必要なエネルギーが肉体に流れていき、肉体はそれを食料として十分に機能している、それを真剣に信じることが必要です。はじめのうちは練習として、食物を摂取する時間を取っているのと同様に、エネルギーを摂取する時間を取ってみたい、という状況を感じてみる必要があるでしょう。

はじめのうちは何も感じなくても、その練習を積み重ねていくと、本当に宇宙エネルギーを体が摂取してエネルギーに満たされていく状況を味わうことができます。それは物質的な満足感や食物でおなかが満たされるという思いとは別の感覚があります。少し練習として、これから宇宙エネルギーを皆さん方の体に十分に流してみますので、そのエネルギーを肉体で摂取し、そして肉体に確実に使われて入っていくという感覚を味わってみてください。少し、自分のやり方でエネルギーを感じてみてください。

この宇宙エネルギーの取り入れ方はあくまでも練習が必要です。何らかのきっかけですぐに能力が身につくとか、一瞬にしてできるというわけではありません。したがってこれからの時代において、エネルギーでかなり肉体を維持していきたいと思う者はある意味では練習をどんどん重ねていってください。

しかしまだ物質的な食料を楽しみたい、物質的なものに依存したいという人は、それはそれで構いません。ただエネルギーを摂取する能力を身につけ、生きるという意思があれば、皆さん方は絶対に生命が途絶えることはありません。まずはそれを信じておいてください。

それと同時に食料や金銭に対する不安、未来に対する恐れを手放していただき、自分はどのようなことがあっても生きる、自分は宇宙のエネルギーによって確実に生かされる、それを本当に信じて、生への喜びを感じ、死への恐れを手放していくようにしていってください。私たちはここで少し休憩をとります。ありがとうございました。

C地球人は自分の力でアセンションする必要がある

これからの皆さん方の学びの中で、どういうステップを経て新しい社会に変わっていくのか。これも多くの方がいろいろと説明をしたり、情報を得たりして学んでいることと思われます。でも、実際には私たちが考えている流れと、皆さん方が身に着けてきた情報では、かなり違いがあります。

一般に皆さん方が学んできた情報はほかの惑星たちの人間たちがつくったプランであったり、マスターがわざとあるプランをつくりあげてそれを人間に伝えた場合がほとんどです。それはプランの一つであったとしても、その通りに実現されるかどうかはまったく分かりません。

これまでの皆さん方に流れていた情報として、地球が危機的な状態に陥った場合に、たくさんの宇宙船がやってきて人々を救い上げる、という情報が流れてきて、それを真剣に信じ、わざわざその場所に行って一晩も二晩も待っていた人がいます。これは明らかに別の者からの情報であり、私たちの計画にはそういうことはまったくありません。

宇宙からの存在たちがこの地球に降り立ってきて、地球人を救うということは予定にはまったく入っておりません。地球を救うのは地球人の自らの役割であり、また地球人自身が目覚めていく必要があります。今の地球を救うのは地球人の役割です。自分たちでそれを救うことなくして、皆さん方が何故地球に生まれてきた理由があるでしょうか。

したがってほかからの存在が大量に地球にやってきて、地球人を救い上げるというのは神の考えでなければ、天使の考えでもありません。ましてや地球の意識が望んでいることでもありません。それでは一般にいわれているアセンション、これは起こるのか、起こらないのか。まず、波動がより次の段階に進化し、地球人の意識も新たなるものになり、地球の様相が一変するというのは計画の中にあります。それをアセンションという言葉を使って良いのかどうか、それは私たちにも分かりません。

地球の波動が高いものに変わる。地球人の意識が高いものに変わる。これは結果として見た場合に事実です。でも、今、地球上に住んでいるすべての人間の意識がすべて高いものに変わり、そして地球が新しい波動に変わる。おそらくこれは起こらないでしょう。今の地球人類のほとんどのひとは、新しい波動に切り替わる準備が遅れており、このままでは地球人類の集合意識としての波動が切り替われない状況にあります。

したがって人間のすべてがただそのまま待っていて、波動が変わるのをアセンションという風に理解している人がいれば、それは起こりません。では、アセンションというのはどういうことなのか。波動が高く、シフトしていく。地球人類の意識が新たなるものに変わっていく。その場合に、新たなる意識に移行できる人間とその波動に追い付いていけない人間とで、ある程度、振るい分けの作業が行なわれます。

そして新たなる波動に切り替わることの困難な人間は、自分の意識に応じた環境のところで、その意識を高める経験が必要とされます。したがって地球においては、地球の波動にうまく追随できる人間と、その波動に相応しい新たなる存在たち、この集合によって地球上の意識が新たなる波動に変わっていきます。

そういう観点で見た場合に、人類のアセンションといっても、今の人類そのものがそのまま新しい波動に切り替わるのではなく、新しい波動にうまく適した人間だけが残され、そしてまたそこに集められてくる。こういう状況がアセンションになります。こうやって考えてみた場合に、地球人類のどれだけの者がうまく、新たなる波動に対応できるのか。地球の波動とうまく合って、お互いに学び合う喜びをどれだけ感じていくか。

今の地球人類の意識レベルで評価した場合には、かなりの人が地球の波動とは別の世界に移されることになってしまいます。これは必ずしも神の御心ではなく、またほかの多くの存在の御心でもありません。できるだけ一人でも多くの地球人に新しい波動に変わってほしい。これが本来の神の御心です。

ではその新たなる波動と、追い付いていけない人間の波動。ここではどういう違いがあるのか。新たなる波動の世界にうまく適合できる者は基本的に自分という意識がかなり広がっており、自分以外の人間とほかの生命たちでさえも、自分の延長であるように思えてきます。そしていちいち愛とか慈悲とかいう言葉を使わなくとも、もう自然と行動の中に現れています。言葉遣いや行動の一つひとつが、いちいち口に出さなくとも愛が入っております。

それに対し、それに追随できない人間は自分が中心の現実を進めており、自分が得すること、自分が満足することを第一に考えています。この波動がこれまで地球上の混乱を集め、そしてさらに広げてきました。この混乱を招く波動を持っている人は基本的には地球での存続が難しくなってしまいます。

ただその場合に、地球人類の数があまりにも少ないとこれは地球にとって良い結果はもたらしません。これまで地球人類が造り上げてきた文明、そして人間の遺伝子、これはとても大切であり、そのまま無視することはできません。これを新しい時代にまでうまくもっていき、そしてより高いレベルで新しい社会を実現する必要があります。

新しい波動にうまく適応できる人間。でも、それだけでは数が少ない。ではどのようにして新しい社会を創りあげていくのか。これが今、多くの宇宙人やマスターたちが日常、考えていることです。一人でも多くの人が目覚めるためにどのような状況が必要なのか。

これまでは、皆さん方が瞑想することが宇宙に繋がると信じている者にはその手助けをし、本当にマスターたちが何度もやってきてメッセージを与えました。人と仲良くすることが良いと思っている者は仲良くできるように、波動の合う人間を集めてきたり、いろんな状況がつくられてきました。こういう学びをしている者は少しでも意識が広まり、それを信じているものにはそういう状況が得られるようにつくられてきました。

それによってどれだけの人間が新しい意識に変わったか。実際には本質的な意識はほとんど変わっておりません。自分中心に考えている者は、何年勉強しても自分中心でした。他人のことを考えない人間はいくら勉強を積み重ねても他人のことは考えませんでした。自分と他人が同じであるという意識を理解していない者は、どれだけ瞑想してもやはり自分と他人は別でした。

意識の本質的な変革というところで見た場合には、瞑想も知識もほとんど意味がありませんでした。でも、それでもマスターや天使たちは必死になって皆さん方の手助けをしておりました。このやり方がこれから少しずつ変化していきます。結局、皆さん方が真剣に学びをするためには、今の生活そのものを根本から変えていく必要があります。

今のように毎日がある程度満たされ、自分の考えである程度うまくやっていけ、そして我が侭がある程度通用する社会においては、どのような学びであっても本質的な変革は起こりませんでした。とりあえず、食べて生活できる。いざとなれば宇宙の勉強をやめて仕事に精を出す。まず生きることが大前提であり、宇宙の学びはそのあとだったのです。

そういう程度の認識でしかなかったのです。これでは意識の本質的な変革には繋がりません。自分の今晩の食事よりも、人を愛するということがもっと大切である。自分と他人が同じであるということを理解する方がもっと大切である。こういう意識を身に着けるために、いくらこういう学びをしても実際には何もならなかったのです。そしてそろそろ宇宙の方でも本格的に皆さん方にいろんな影響を与えるようになってきます。

今まで皆さん方に伝えられてきた情報の中で、ただ楽しく、好きなことをやって満足していればそれで良い、こういう情報もずっと流されてきました。これはある意味では本質的です。でもそれがいざ、金銭的に不安が募り、日常生活が脅かされても、すべてを満足して楽しく過ごすことができたかどうか。いざ、日常生活に支障をきたしてくると、もうその学びはどこかにとんでいきます。結局はそういう程度の学びだったのです。

少しずつ少しずつ皆さん方が本当に何が必要なのか。一番大切なものは何であるのか。そこに気がつく必要があります。とりあえず、食べるものがあり、住むところがあり、働く場所があって、それから人を愛する。宇宙を学ぶ。そういう順番で学んでいるうちは、本当の真理を手にすることはできないでしょう。

人を愛することの尊さ。それを体で実感していないのです。今、そのために何が必要なのか。結局、こういう学びやエネルギーだけでは本質的なところには影響を与えない。では、本質的に意識を変えるためには何が必要なのか。

一人ひとりの心の中にいろんな思いがあり、そして必死にやっていきたいという強さもあります。私たちもここで学んだ者たちは最低限、全員に新しい時代まで来てほしいと思っております。皆、必死に勉強しており、真面目に学んでおり、また楽しくやっている。新しい社会をつくるのに、こんな理想的な人間はいないでしょう。でも、愛が本当に大切だという最後の実感がまだほとんどの人に得られていないのです。

おそらく金銭的に不自由になり、生活が脅かされてくると、ここに来なくなるでしょう。本当に必要なものがまだ分かっていないのです。皆さん方が新しい時代で確実に生きるために必要な情報はかなり与えました。あとは皆さん方がそれを手にしていかに目覚めていくか。本当に愛が大切である。これを体で分かるために、自分はどういう経験が必要なのか。

私たちはこれからもこの場を使っていろんなアドバイスを与え、そして皆さん方と共に仲良く、一緒にやっていこうと思います。そしてそれは新しい時代が確実に目の前にやってくるまで続けるつもりです。皆さん方の方でそれだけの強さがあるかどうか。また自分は徹底的に愛を身に着け、本当に愛することが尊いということをいかに実感できるかどうか。これは皆さん方の役割です。

私たちが一生懸命、最後の最後まで情報を与え、エネルギーを与え、愛の身につけ方を教えたとしても、それを実際に演ずるのは皆さん方の方です。地球人類がどこまでそれに合わせてくるか。

私たちはどのようなことがあっても、人間に訴え続けるでしょう。そしてたとえ一人でも、私たちを求めてくる者があれば、私たちはアドバイスを与えていきます。でも、愛を身に着けるのは一人ひとりの役割です。今まで以上に自分の心の中の素晴らしい愛を輝かせ、そして一人でも多くの人間と分かち合い、生きている喜びを感じ、また宇宙に生かされている思いを実感し、最後の最後まで共に歩んでいっていただきたいと思います。


D挨拶

さて、私たちはこれから少しずつやり方を修正し、皆さん方とより緊密な関係を造り上げていきたいと思います。そのためには一人ひとりが私たちと緊密に繋がっていく必要があります。宇宙に対してあまり恐れや概念を造ることなく、同じ仲間として一緒にこの地球を進化させる手助けをしている者として共に役割を演じ、そして分かち合っていくやり方を進めていきたいと思います。

皆さん方にとって素晴らしい時代が訪れるように私たちも援助をしていきますこれからもそのつもりで学びを続けていってください。それでは私たちはここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1998 CentralSun
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