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1998/7/22■水曜瞑想会から

単なる望みが執着に変わるとき

@国民は黙っていないでしっかりと表現すること

私たちはこの瞑想をいろいろと指導するためにやってきました。まず先程の説明をしておきます。日本の政治家たちの意識を変えるためのエネルギー的な調整をやっておられました。主に、議員にまつわるエネルギーの浄化や変化が中心となっておりました。

Mさんの場合には、あなた自身の波動からやりやすいエネルギーを調整し、少しでも議員の意識レベルがより広い考えで、大きな視野で捉えることのできるような波動を出しておりました。Sさんの場合には今までの流れと今後の流れの食い違いをそれぞれがしっかりと理解し、今までのことになるべく束縛されることなしに新しい流れに入っていけるような調整をとっておりました。

いずれも今の日本の議員には必要な意識であり、皆、自分のことしか考えておらず、また家族や身の回りの者のことしか考えておりません。国民といっても、自分の知り合いや仲間うちだけの状況しか目に入らず、本当の国民のことは中々意識には上がっておりません。国民の視点からもっと安定が得られ、私物化することなく、一人ひとりにエネルギーが流れていけるように、いろんな調整も行なわれておりました。

こういう瞑想は今に限らず、これからも何度も行なえるものです。日本の議員に入り込んでいる執着的なエネルギーは毎日毎日強くなっており、ホンの少しだけ瞑想したからといってそれで純粋に変われるようなものではなくなっております。むしろ執着の度合いが日々激しくなっており、一度手にしたら二度と放さない、一度獲得したものは永遠に自分のものとする、そういう思いで、とても強く染まっております。

日本の議員が自ら目覚めるためには、何が必要か。自分たちがやってきたこと、やろうとしていることが本当に国民のためになっているかどうか。それを国民自身が本当に理解し、そして議員に知らせる必要があるでしょう。今まで議員が何を為してきたか。国民はどれだけの恩恵を預かっているか。それによって議員の無知や我が侭を気づかせる必要があります。

国民は今まであまりにも言うなりになって、黙っており、口出しをしないとか、甘んじているとかいう波動で生きてきました。大昔のころには、専門家に任せ、国民はただ税金を納めるということで成り立っていました。しかしもう今は議員だからといって、国民よりもとりわけ優れているとか、意識レベルが高いという状況ではなくなっております。そういう時代において、国民はただ議員のいうなりになっているというのはもうエネルギー的に合わなくなっております。

国民はもっと自分たちの思いを表明し、そして自分たちの方向性も自分たちで、口からしっかりと出すことが必要でしょう。議員に何を求めるか、自分たちの国を自分はどうしたいか。それをしっかりと宣言することです。議員に任せるのではなく、自分で自分たちの方向性をしっかりとつくる。そういう国民に変わるようにしていってください。


A精神的な満足を得ていないから物質を求める

先程、執着というテーマが与えられました。人間は基本的に執着をたくさん、身に着けております。文明人は地位や金銭、名誉といったものを追い求め、それを獲得することによって富を得ようとしております。またそれほど文明化されていない地域においても、少しでも他の者よりは楽をし、多くのものを手に入れようとする思いは潜んでおります。

はじめは漠然とした願いや思いがいつの間にか、執着に変わってしまう。はじめは単に人よりも少し、楽できればよい。少し多くものがあればよい。そういう漠然とした思いがいつの間にか、是非ともそれがほしい、それが必要だ、それがなければいけない、そういう思いに変わり、執着的なエネルギーが確立されていきます。

単なる願いから執着に変わる。願いが満たされない。でもほかの人はそれを手にしている。ほかの人は皆、手にしているのに、自分だけは手にできない。これが単なる思いから執着に変わる大きな原動力となります。したがって漠然と自分が願いをもっても、自分の周りで誰もそれを気にしていなかったり、求める者がいなければ、そのまま消えていく場合があります。

しかし誰か一人でも、それによって素晴らしいことを身に着けたり、それを手にして自慢している人がいると、自分もそうなりたい、自分も獲得したい、そういう思いが強くなり執着に変わっていきます。したがって周りの者が手にしていても、自分が気にならないとき、興味がないとき、それは執着にはなりません。

したがっていろんな分野において、願いがあってもそれが自分に気にならなくなったり、それをいっぱい手にしている人を見ても、何も心が動くことがなければ、執着には変わっていきません。しかしそれを手にしている者が目の前にいて、誇らしげに自慢をする、ほかの人が皆、羨ましがる、そういう光景を目にして、自分もそうなりたいと願い、執着へと変わっていきます。

こういう執着は一度、手にすると、その喜びを永遠に続けたいと思い、さらに自分の地位を確立させようとして、より大きく、強いものを求めたり、さらに別のものを獲得することによって自分の優位性を保とうとします。これがさらに執着の度合いを強くしていき、常に自分は有利なままで位置していたい、人から常に褒められる自分でありたい、こうして執着がどんどん膨らんでいきます。

多くの人間は金銭がないというのを前提とし、金銭に恵まれた者の豊かさや精神的な満足感を自分も得たいとして、金銭的な執着がつくられていきます。金銭的な執着を手にした者はさらに多くの安定を得ようとして、さらに大きな金銭を手にしようとします。こういう執着はいつまでたっても切りがなく、執着から解放されるというのはとても難しい状況になります。

執着を解放するためには、本質的な満足感や幸せがどこにあるのかをまず先に、良く見極めることが必要となります。物質や金銭、名誉に自分の幸せがあると思っているために、それを追い求め、執着をつくっていきます。精神的快楽はそこにはなく、自分がただ存在していることだけで満足しているという境地に至ったときに、快楽を求めることの無意味さがだんだん理解でき、そして物質や金銭、名誉を求める執着が無意味になっていきます。

しかしまだそれを実感していないために、執着を手放しなさいとか、執着してはいけないといっても、まず理解することは不可能でしょう。したがって執着を手放しなさいといっても、誰でも通用するものではなく、まずは金銭や物質、名誉を求めることの無意味さや楽しみがそこにはないということを理解してもらうことが必要となります。そしてそれを理解した人から執着を手放すことが可能になります。

したがって闇雲にただ執着を無くそうとか、執着を取り除きたいという考えを持つ前に、自分はどういう執着を持ち、何を求めていたのか。何が自分の幸せだと勘違いしていたか。まずはそれを見極めることが必要でしょう。自分が満足すること、楽しいと思うこと、喜びとすること、そこに金銭や物質、名誉的なものが入っているのであれば、執着はすぐにはなくなりはしないでしょう。それを自分で調べることによって、自分の執着の状況を調べるようにしていってください。


これからの流れがホンの少しでも変わることができたならば、皆さん方の働きは決して無駄ではなかったということがいえます。今日、つくっていただいた(東京上空の)クリスタルにしても、おそらくしばらくは光が流れていき、何らかの影響を与えていくでしょう。したがって今日の瞑想にしても、決して、失敗したとか、出来なかったとは思わずに、むしろうまく出来て、これから日本が少しずつ変わるという自信を持って、これからの学びを続けるようにしていってください。それではここまでにします。ありがとうございました。


(c)1998 CentralSun
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