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1998/7/13■月曜交流会から

真の神は奇跡や安直を好まない

@神を拝んでも神は喜ばない

私たちは先ほどの話から、少し、説明をしていきます。日本においてはそれぞれがいろんな考えをもって、ある意味では日本人を西洋風に働きかけていこうとしたり、ほかのアジア諸国と同じように自由を奪う働きをする者がこれまでにやってきました。この日本において、そういう人々が日本人の善良な性格や上層部の意思の弱さや優柔不断なところを利用して、日本人を自分たちの都合の良いように変えようとしてきました。

宗教という手段は日本人を支配するのにはとても良いやり方であり、一度それが広まると自分も一緒にその仲間に入らないと多くの人から非難されるという恐れをつくってしまい、次から次とその支配下に入ってしまうという現象が起こりました。

ほかの国においては宗教はとても特別な意味を持っております。それは生きるために必要な心の支えであり、また自分が人間として行動するという状況をつくり出したときに、神と約束して生を受けたという思いを持っております。

したがって、どの神と契約して自分は人間になったのか、という思いがあるために、自分を創造した神に対してとても大切な思いを持つということは、それはそれである意味ではとても大切なやり方といえます。それが不幸にも、どの神が正しく、どの神が間違っているのか、それを争う状況になってしまい、宗教同士で罵り合うという歴史が作られてしまいました。

本来は、どのような神であっても、自分が今、生きているということは、もう自分を創り出した神がいるということであり、それ自体で十分なはずです。あえて、それを他人を否定したり、他人との間で目に見えぬ神を議論するということ自体がほとんど意味のないものとなっております。

しかし、自分の正しさを正当化させ、さらに多くの人々と同じ価値観にしようとして布教という行為がとられ、それが海外にまで、あるいは役割のまったく違う他の民族にまで及んでいくことになりました。日本という国がその宗教のエネルギーに利用され、自然との繋がりが断たれ、人間との繋がりもおかしくなり、本当の神の状況を理解できないまま、単に教えられたとおりに拝み、奉り、そして献金をするという行ないが繰り返されてきました。

この宗教が日本に何をもたらしたのか。はたして、それぞれが人生の尊さを学び、自立して生きるという生き方が身に着いたのであろうか。人間の尊さを学び、他を尊重するという思いやりが身に着いたのであろうか。日本において、宗教のエネルギーはとても複雑に変化し、人々の間に浸透していきました。

宗教の教義よりも神に縋るということ自体が先に受け入れられてしまい、うまくいかないときにはとにかく神に頼る。病気になったり、貧しくなったり、願望が満たされないときに、とにかく神に頼る。そういう人間ばかりをつくり出してきました。

もう皆さん方の意識レベルにおいては、その不都合さに気がつき、ただ単純に祈ったり、拝むだけでは三次元的な状況はほとんど変わらないということに気がついているはずです。私たち自身は祈りを捧げる人間だけを救うとか、拝んでくれた人間だけを助けるということはいっさいしておりません。

ただ、その人の心の清らかさに応じてその清らかなエネルギーを与えてあげるに過ぎません。もうそれは十分に理解されているはずです。これから新しい時代に進んでいき、一人ひとりが自立して賢明な生き方をするために、神に対しての認識を根本から変えることが必要となります。

あなた方一人ひとりはこの宇宙を創造したものの許可により生まれることができました。この宇宙を創造したものの思いによって一人ひとりが創られました。Kiさんの場合には、神はあなたの体を通して自らの正しさを証明し、本来の人間が必要としている分別や理性を少しでも広げていこうとしてあなたの人格的なところを創り出しているのです。そこで必要なものをこれまでの惑星で体験を重ね、自らの正しさをまず自ら明らかにし、そして新しい時代にまで花を咲かせようと考えております。

Kaさんの場合には、神は、人間としての本質的なところに気がつくためのいろんなやり方の一つとして、自分自身が何もかも分からなくなってしまい、何も証明するものがなく、自分自身にも何ができるのか分からない状態のままで、いかに本来のものに気がつき、目覚め、そして光というものをいかに本当に実感していくのか、それが分かるための一つの流れをつくっております。

それは自分自身にも喜びとなりますが、ほかの多くの者が分からないで混乱している者たちにもヒントを与えることができます。でも、そのためにはまず自らが混乱の中で光を見い出すというのをやっていく必要があります。一人ひとり、真の光を身に着けるためにいろんなやり方がつくられ、それぞれが神の思いによって演じられております。

宗教が神を認め、自分たちが神から創られたものであるというのを教えるものであるならば、自分はどういう思いによって神から創られたのか、自分は神のどういう役割を担っているのか、それを本当に理解することが必要となるでしょう。全員が同じように一つの神を拝んだとて、神は何も喜びはしません。

一人ひとりに与えた本来のものを何一つ使おうとせず、ただ拝む者がたくさん増えたからといって、どうして神が喜ぶでしょう。むしろ、神を信じなくとも、拝むことなど一回もなくても、本来作り上げたものに従って行動している者は十分に神から喜びを得ることができるでしょう。

日本人は皆で何かをするというやり方が非常に特徴的であり、同じやり方をするというととても素晴らしくこなしていきます。でも、一人ひとりが自分だけのやり方で自分だけ違うことをするというのにはあまり慣れていません。皆さん方が西洋から学ぶものがあるとすれば、それはそこに尽きるでしょう。

皆で同じことをするのではなく、一人ひとりが自分だけのことをする。そして喜びを感じる。それを西洋から取り入れるのは良いことといえるでしょう。でも、多くの人は西洋でのやり方にとても素晴らしい価値観を見い出すと、それをまたすべての人間に教え込もうとします。すべての人間に同じことをさせようとします。そしてそこから真の教えが巧妙にごまかされて日本人に入っていきます。

皆さん方はこれからいろんな思想や生き方を学ぶときに、教えられたとおりにそのままやるとか、皆で同じようにやるというやり方を極力避けながら、自分だけの生き方、自分の満足するやり方にもっとも適したヒントを与えてもらう、何らかの自分だけのアドバイスやヒントを感じとる、そういうやり方でいろんな学びを続けていっていただきたいと思います。


A金銭・名誉への執着をいかに手放すか

それでは今日のテーマに入っていきます。日本の選挙で、日本の状況が変わりつつあることが皆さん方にも感じられたでしょう。これから日本の流れが少しずつ、変化してきます。今までのやり方では、もううまくいかない。いつまでも国民は騙されてばかりいて、そのまま従うという人間ではなくなっている。それを本当に理解させ、自らが行動をとっていく時代に入っていきます。

そういう時代が入ってくると、皆さん方自身の生き方もかなり変化してきます。今までは上層部が単に権力を活用して、下の者に強引にもっていかせ、その通りにさせる。今までうまくいっていたのだから、これでやってもらう。これがやり方なのだから、この通りにしてもらう。そういう風に進めていたことが、だんだん国民には受け入れられない状況になっていきます。

今までのやり方が良かったとしても、これから良いかどうかは別問題。あくまでもこれからの時代。若い人々の考え方や今の学生の人々が社会に出るときに、どういう働きをするのか。それを考えながら、今後を決めていく必要があります。今の政治家たちはいかにも自分たちが政治を知っていて、自分たちのいうとおりにしておけば日本はうまくいく、と信じ込んでいます。

でもそれではもううまくいくことはありません。日本の国民自体からも指示されないために、ましてや諸外国から認められることはないでしょう。力と権力で、日本人をコントロールしていた者たちはいずれ信頼というエネルギーから見放され、誰も国民のハートを手にすることはできなくなっていきます。

さて、そういう状況になっていったときに、皆さん方や多くの国民がどのような行動をとり始めるのか。今まで通り、ただ上層部のいうなりに従うということは、もうやりたくない。もうそれぞれが自分のできる範囲内で自分の世界を造り始めていきます。いちいち習慣や規則に従ったやり方で丸め込まれるのではなく、自分の方から新しい社会を造っていきます。

それを目指す人間は初めは目立たず、また目立たそうともせず、ただ自分なりにやっていくでしょう。そしてそれに共感する者たちが少しずつ集まっていき、そしてこれまでのエネルギーの介入できない生活を進めることになるでしょう。

皆さん方の生活を安定させたのは政治家ではなく、神のエネルギーです。政治家が皆さん方を幸福にしたわけではありません。政治家でさえも神の思いに反したものは私たちの世界に来ることはできません。肉体を去った後でも、権力や金銭を追い求めるエネルギーの流れに巻き込まれる者がほとんどです。

およそ政治家といいう役割を担って私たちの世界に辿り着いた者はほとんどおりません。その辺の農家で自然と一体となって真面目に働いてきた人間の方がはるかに美しいエネルギーの場合があります。皆さん方が三次元的な地位名誉と自分の真の心の輝きのどちらを選択するか。いつまでも私たちはあなた方の好きなように、三次元を楽しんでいなさいと言い続ける状況ではなくなってきています。

これ以上、この三次元の世界を荒れた人間の手に任せてしまうと、本来の地球の役割が演じられなくなってしまいます。地球を本来の流れに戻すためには、急速に人間自身の意識が変化し、そして私たちが地球に降りていく必要があります。もう私たちはそれほど安心して待っていられる状況ではなくなってきています。

一人ひとりが別の神に操られ、ただ好きなことをやっていることが宇宙の御心に沿ったものと勘違いし、別の神のエネルギーで私たちから離れていく者が後を絶ちません。我が侭し放題に三次元生活を送ることが、なぜ神の御心に合うのか。それすらも理性で判断できないような人間はもう私たちの仲間とはいえません。それに気がつくまで、地球人類を牛耳っている別の神と一緒に学びを続けてもらうしかありません。

私たちはもう、脅したり、奇跡的な状況で人間の意識を変えるつもりはほとんどありません。たとえ奇跡を起こしても、その時だけ興味半分で人が集まるだけであり、結局は別の神のところにどんどん人が流れていきます。私たちは奇跡を見せることはほとんどないでしょう。また、悟りを得る良いやり方とか、一瞬にしてアセンションできる方法、願望が成就するやり方、そういったことを教えるつもりもほとんどありません。

そのほとんどは別の神が好んでいるエネルギーであり、それによってこの地球が本来の地球に変わるということはあり得ないということを私たちは良く知っております。地球が本来の地球に戻るためにはまず人間が本来の人間に戻るということ。別の神に牛耳られるのではなく、ただ自分が自分の役割を演じていく。神に従うのではなく、ただ自分が神の許可の下で地球で自分だけの喜びを広げていく。そして自分が見つけた喜びを神や天使に報告して欲しいのです。

今、自分の経験しているこの地球という惑星で、自分はこういう楽しみを見つけました。そういう報告をしていただきたいのです。その喜びを与えてくれた地球に感謝をし、生命を与えてくれた神に報告をする。それは義務ではありません。命令でもありません。単に嬉しかったから報告をする。それだけです。単に生きていることが嬉しいからただ報告をする。それだけです。祈りとかいうものともまったく違います。その本来の生き方、それをまず皆さん方の方から一つひとつ実践をしていって欲しいのです。

今のこの社会において、宗教を無くそうという運動は余計に混乱を招くでしょう。宗教にのめり込んでいる人の中にも心の美しき者がたくさんおります。でも、その美しい心を操っているのは私たちとは別の存在です。この地球に残ることはできないでしょう。心が美しいだけでは地球には残れないのです。

何が正しく何が間違っているか。つまり本当に自分を送り出した神と別の神をある程度区別できない者は新しい地球には残れないのです。本当に自分を創り出してこの地球に持ってきたもの、それと繋がり自分は地球で何を為すべきか、それを直接感じとることのできる人間だけがこの地球に残ることが許されます。

お願いをしたり、縋ったりしたからといって教えることはありません。あなた方を本当に創り出した光と光のふりをしている別のもの、まずはこれの見極めをしっかりできるように成長していってください。


B真と偽の区別を安直に聞こうとしないこと

さて、自分を本当に創り出した真なる大元と地球を牛耳っている神のふりをした別の者の区別をどのようにしたら良いのか。これは皆さん方が単純に分かるようなものではありません。仮にそういう方法を教えたとすると、別の者たちはすぐにそれとは違うやり方を考え、わざと良いやり方を採用するようにして、また皆さん方を自分のところに持ってこさせようとします。

私たちが何か教えたことをすべて彼らは理解しているからです。したがってその方法をどのように伝えても、すべて相手に分かってしまうために、まったく意味がありません。皆さん方としてはその方法を聞き出すのではなく、あくまでも自分自身の力で見つけ、そして実際に真なる神に歩いていく。それしか方法はないのです。

安直に何かやり方を教えてほしい。区別のやり方を教えてほしいという考え自体がもう別の神の餌食になっております。私たちを本当に求めてくる者はそういうやり方を聞き出そうとすること自体があり得ないのです。ただ自分で直接、自分の本来の大元に近づいてくる。それしかあり得ないのです。あまりにも理屈や言葉に惑わされてしまい、本来のものを見失っております。

宇宙との学びは学校で教えられた学びとはまったく違います。何かを勉強して、その通りにやってうまくいくというやり方は宇宙では通用しません。もしそういうやり方で勉強を続けようとしている者がいるなら、その段階でもう別の神に完全に牛耳られていると思っておいてください。

これから社会が少しずつ変化し、新しい社会を創りあげていくためには真の光に気づいた者たちが自分なりの生き方で、自分一人でも真の光に近づいてくるというやり方が必要となります。そういう人間が少しずつ少しずつあちこちで増えてくるでしょう。皆さん方がそういう人間を見たときに、またあえて一つにしようとか、一緒に何かしようとか、まとめようという気持ちを持つことはしないようにしておいてください。

そういう心自体が別の神の考え方です。私たちとはまったく違うやり方です。自分は自分の生き方をただ追い求めてください。増やそうとか広げようという考えを持たないでください。まずは自分が真の光と繋がる。それだけを考えてください。


これから社会が変わるといっても、どのぐらいの時間で、どのようにして変わるのかはまったく分かりません。皆さん方がいつ私たちと本当に繋がり、目覚めるのか。これは決まっていないからです。これは皆さん方一人ひとりの挑戦です。全員が失敗すれば、日本自身が本来の役割を演じられないでしょう。全員が目覚めれば、日本も世界も急速に変化していきます。それは決まっていることではありません。一人ひとりの挑戦です。

私たちはだからといって無視したり、そのまま放っておくことはありません。私たち自身、皆さん方が目覚めるのを頑張っているのです。たとえ一人でも私たちと繋がることができたら、私たちは全員で大喜びをします。それだけでかなりの光が流れていきます。たった一人でも目覚めるためにどれだけの光が背後で応援し、協力をしてきたか、皆さん方には分からないでしょう。

皆さん方の頭では数え切れないぐらいの光の存在たちが毎回毎回ここにやってきて、いろんな調整をしたり、今後の流れを変えたり、仲間と約束をして準備を仕組んだりしています。それの積み重ねで、皆さん方も学びを続けることができるのです。だからといってそれで安心したり、すべてを任せてしまうのではなく、自分が目覚めるのは自分の努力によって目覚めるということをまず理解しておいてください。

ただ黙って時間が過ぎれば目覚めるということはありません。一人ひとりが光に気づき、本当の光と別の光を頭で理解でき、そして実際に真の光に向かって歩いていく。この行動力が最終的には必要です。そこまで私たちは援助し続ける必要があります。それによって初めて地球が変わるからです。地球が変わらなければ、いくら皆さん方が勉強しても何の意味もないのです。

皆さん方も、ただ自分が知識を取得したり、他人よりも多く分かったからといって、それで満足しないで、最終的な地球に変わることを考えながら、これからも学びを続けていってほしいと思います。

一人ひとりの三次元的な問題は私たちからみたら、ほとんどがあまり意味のないことなのです。それよりも皆さん方が別の光に操られ、その中でもがいている方がよっぽど私たちにはつらいのです。どうでも良いことをさも大切なことであるかのように悩んで、そして私たちから離れていくのです。

私たちは本当は何を期待しているのか。それをよく分かっていただいた上で、決して私たちから離れることのないように、学び方を工夫していってください。それでは少し、ここで休憩をとります。ありがとうございました。


C悟るというのは自分が分かるということ

私たちはまず皆さん方の先程の話から説明していきます。先程、目に物もらいができた場合の話をした人がおりました。物もらいはその人の表面的な見方や考え方、そして自分自身の外見的な一つのシンボルでもあります。必ずしも見るとか、目で理解するエネルギーではなく、気づきを与えたり何かきっかけを作ったりして自分がそこに目がいくように、働きかけをしています。

一般に、異物が体にできる場合には、そこに意識を向けるようにと肉体が言葉を発しております。目のところに異物が出てきたり、何か症状的な変化があるときには、そこに意識を向けるように心が働きかけております。それまで自分を本当に見ていたかどうか、自分の心をあまり見ることなしに他人の心ばかりを詮索していなかったかどうか、自分の生き方を棚に上げ他人の評価ばかりしていなかったかどうか、これが物もらいの一般的な理由となるでしょう。

さて、続きに入ります。これからの生き方について、それぞれの方から話をしていただきました。理想的には金銭が不要になり、お互いの交換だけで進んでいく社会が求められるかもしれません。ただすぐにそういう社会を実現させようとしたり、無理矢理貨幣制度を崩壊させる働きをする必要はありません。

それが必要な人がまだたくさんおり、一気に貨幣制度を崩壊させるとその混乱によって余計に悪化する方が大きくなるでしょう。必ずしもそれは皆さん方の平和には結びつきません。したがって気づいた者から、自然に自分の生き方を進めていく。そういうやり方を前提にしておいてください。


私たちは一人ひとりの心の中から必要な情報だけを与えています。したがって必ずしもはじめに言おうとしたことと、実際にここで話されたことが同じであるということはそんなに多くはありません。初め言おうとしていても、皆さん方の心の動きを調べていくうちに実際に別の話になってしまったり、まったく別の状況に進む場合があります。今日も、本来はもう少し別のことを考えていたのですが、それぞれの心の動きに応じて中身を変えてきました。少し、別の話をここでしたいと思います。


人間がこの世に生まれてきて、自分はどうしてここにいるのだろう、宇宙はどうなっているのだろう、皆どうしてそんなに苦労したり、働いたりしているのだろう、という疑問を持つことは何度もあったと思います。そしてその答を見い出そうとしても、誰一人満足なことを言ってくれる人はおりませんでした。

結局、分からないけれども、とにかく働く。生きるためには稼がねばならず、住む場所を見つけねばならず、とにかく働かねばならない。そのために働く場所を見つけ、働くことによって自分が生きているという錯覚を造り出してきました。ここでもう一度、原点に戻ってみましょう。

自分は何故今、ここにいるのか。自分は何のために生まれてきたのか。ただ一生懸命、働いて、働いて得たお金のほとんどを家賃と食費に費やしてしまって、それで一生を終えて、満足だったのだろうか。一生の間で本当に心の分かち合える人間と何人出会い、人生の喜びを感じたのであろうか。

金銭をたくさん求めたり名誉を求めた者は、生きているときはたくさんの満足を感じています。でも、死ぬときにほとんどの者が、これからどうなるのだろう、せっかく溜めたお金、せっかく勝ち取った名誉、これはどうなるのだろう。そういう思いを持ってきます。子供がいる者は自分の子供にそれを渡すことにより自分の存在が認められる。自分が死んでもまだ自分が少しは生きている感じがする。

そしてその念は確かにその家庭に受け継がれ、金銭や名誉を獲得したエネルギーとなってその者のエネルギーが残っていきます。肉体を終えても、まだ地位や名誉にこだわっており、さらに儲ける方法、さらに有名になろうとしてその家庭に念を送り続けます。そしてその家庭がまたさらにより金銭を求め、名誉を求めるように働いていくことになります。

何のために生きているのだろうか。悟りを開くため。何を悟る。唯一の答は自分が何者であるかに気づくことです。自分がどこから来て、何を今して、どこに向かうのか、これを知った者が悟りを得たものです。それは自分にしか分かりません。したがって悟りを得たかどうかは本人の問題であり、ほかの人が評価したり、比較できるものではありません。自分が今、何をすればよいのかが分かっており、どういう生き方をすれば自分は満足するのか、それが分かった人は十分に悟りを得ているといって良いのです。

したがって悟りを得た者は自分のやることが分からないとか、どうしたらよいのか教えてほしいというようなことを口に出すことはありません。自分が何をしたらよいのかが分かっているからです。さて、これからの新しい時代をつくる人間はこういう人たちです。自分はどこから来て、何を為せばよいのかを本能的に理解しています。

少なくとも、金銭を獲得するために働くとか、他人を犠牲にしてまで出世するという気持ちはほとんど持っておりません。それが自分の本心ではないことを理解しております。でも、彼らには住める環境がありません。家がなければ、食べるものもなく、そのままでは三次元的な生活を続けることが可能ではありません。では、彼らはこれからどのようにして生きていくのか。

これまで金銭を追い求め、物質を手にしてきた者はその新しい人々にある程度、金銭や物質を与えることができます。そして新しい人々が身に着けている真理をそこから得る必要があります。新しい人々の価値観や生き方を学び、自分が見失っていたもの、忘れていたものを思い出す必要があるのです。

自分が何者であるかを思い出すために金銭や物質を捧げることは無駄ではありません。むしろ、何も知らないまま肉体を終えてしまっては、何も意味がないのです。これからの社会でこういう関係がつくられていくのかどうか。皆さん方自身の行動力にかかっております。真理を理解した者ほど、今の社会では住めなくなっております。働く気力がなければ、出世しようといいう思いもまったくありません。彼らは金銭を手にすることはできないでしょう。

でも彼らは生きる必要があります。今の、一生懸命働いてきた人たちは心をすり減らして金銭に換えてきました。それを戻す必要があります。獲得した物質的満足感を手放して、心の潤いをモトに戻す必要があります。そのためには若い人たちのエネルギーが必要なのです。彼らといかにうまくやっていくか。これが大切な鍵を握っています。今の社会は、彼らをおかしな人間と判断して社会から外そうとしたり、無視しようとしています。

登校拒否、出社拒否。本当は彼らは神に近いのです。一生懸命、地位を求めて働く者ほど神から離れているのです。一人ひとりの本当にやるべきことは何であるのか。今、一番必要なものは何であるのか。私たちはその原点に早く目を向け、根本の方から意識を変え、心を変えるようにしていっていただきたいと思います。


D知識ではなく生き方そのものを学ぶように

さて、今日は少し、難しい話もありました。宇宙の勉強というと難しいとか、分からないという意見を言う人がたくさんおります。私たちは難しい話をしようとは思っておりません。できるだけ現実の世界の中で分かりやすい生き方をしていただきたいと願っております。難しく考えずに一番、基本的なところ、本質的なものはシンプルであり、非常に易しいことであると理解してほしいのです。

難しいことを分かってもらいたいとか、理解してほしいという気持ちはまったくありません。なるべく難しく考えずに、簡単に、しかし本質を深く理解した上でこれからも自分なりの生き方を見つけ出すように意識を高めていってください。私たちは皆さん方の意識的な調整をしてお別れにしたいと思います。

これからどういう生き方で、どういう風にすると良くなるのか。それを皆さん方の方で少し話し合ったりしてから、これからの始まりの時に、何か話していただけるとまた新しい展開が可能になります。自分たちで楽しんだり、工夫をしながら、新しい社会のエネルギーを自らの手で引き込んでいただけるように、学びをしていっていただきたいと思います。私たちはここまでにいたします。ありがとうございます。


(c)1998 CentralSun
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