これから世界では今までの清算を為すべく、いろんな勉強を経験することになります。そして日本人はその間に新たなる時代に向けて特別な役割を演じていく必要があります。しかし、だからといって世界の人々よりも優れているとか、優秀とかいうことは一切ありません。日本人は日本人にしかできない役割があり、同様にほかの国々はその国々の人でしかできない役割を持っております。
日本はこれまで多くの外国の勢力を相手にしながらも、古来からのエネルギーを保持してきたという大切な役割を持っております。ただ、今の状況においては古来からのエネルギーがほとんど消えそうになっており、せっかくの日本に築かれていた文化や風習なども消えかかっております。すべてが良いものとか理想的なものということはできませんが、中にはとても素晴らしい教えや生き方があり、その中には日本に限らず、世界の多くの人々にも理解していただきたいものもあります。
古来、日本人は人を讃えるということをとても尊く思っておりました。優れた能力で、普通にはできないようなことを行なえる人がいると、皆で讃えるという習慣がありました。美しい声で歌う、艶(あで)やかで優しい舞をする、力強い踊りで心を響かせる。一つひとつの動きに響きがあり、感動があり、また通じ合う思いが入っておりました。日本人はそういう言動を通じて、お互いに理解し合い、分かり合うという生き方が普通になっていました。
その日本人が外来の文化を入れるにしたがって、少しずつ心の作用が変化してきました。相手を誉め讃えるという習慣から物質そのものを拝んだり鑑賞するという生き方が入ってきました。造られたものを拝む、描かれたものを愛でる、という文化が入ってきてから、人間を誉め讃えるというよりは物質を賞賛するという生き方に変わっていきました。そしてその素晴らしい作品を作り出した人間が富を得るという状況がつくられていきました。
これは古代の日本には全くなかった発想であり、また考えてもおりませんでした。一部の者が富を得る、という状況が強くなっていくに従い、富を得ようとする人間が現れるようになっていきました。それによって富んでいる者と貧しい者が出来上がってきて、貧しい者は生活そのものが困難な状況に変わっていきました。
もはや人間の心に相手を讃えるとか、喜びを分かち合うという思いが失われていき、いかにして富を得るか、いかに他の者よりも多くのものを手にするか、を考える事態に進んでいきました。日本人は古来からの生き方が少しずつ疎かになっていき、精神的に満たされているという状況が次第に失われていきました。日本人の心から本来の楽しさや生きる喜びが失われていくと同時に、束縛するエネルギーや自分たち自身を惨めに思う想いが強くなっていきました。
もう私たち自身の訴えも届かなくなり、日本人は自ら私たちから離れていきました。その間に体験を重ねた日本人は、ほとんど諸外国と同じような苦痛を体験し、支配される苦しみや宗教的な束縛のエネルギーの中で体験を重ねてきました。日本人を本来の流れに戻そうとしていろんな光の仲間たちが地上に降りていきました。これまで日本の歴史の中で、確実に光の仲間として降り立った者が何人かおります。
私たち自身は個人名を伝えることはしませんが、これまでの仏僧の中でも親鸞が取り分け高い波動の持ち主だったことだけはいうことができます。この親鸞でもすべてを理解していたわけではなく、ところどころで自分の考えや自分の思いつきを教えとして残したものがあります。概ね、間違ってはおりませんが、すべてが正しいものとはいえません。したがって個別にどこがよくて、どこが間違いとかの指摘はできませんが、すべてをそのまま鵜呑みにするということだけはしないようにしておいてください。
さて、この親鸞やほかの何人かの光の仲間たちは日本を本当に解放させようとしていろんな意識的な成長を考えておりました。いかに自分が本来の光に戻り、制限から解放され、自由な心を持って生きていくか。他人の心のつらさを理解し、自らの光で癒していく。光を自分のものとした者は、その光をさらに強くし、ほかの者に流していく。それを多くの人々に残そうとしました。こういう光の仲間たちも、人間として生きている以上はさまざまな障害にぶつかり、ほかの人間の批判や無知からの抵抗によって順調な働きはできませんでした。
そういう時代が続いた後、少しずつ日本を解放させる光が強くなっていき、日本が本来に戻るための集中的なエネルギーが流されてきました。明治のころには、日本が世界に向けて自立し、自らが光となって行動できるように波長が変えられて流されてきました。そのころの日本人は新たなる世界に向け、意識的にとても明るく希望があり、積極性に満ちたエネルギーが充満しておりました。
そしていろんな者たちがその波動を自分のものとし、世界に向けて活躍をし始めました。日本という国が大きな落とし穴にはまったのもこのころです。西洋的な生き方がいかにも素晴らしい生き方であり、それこそが正しいものと思い込んで富を求め、名誉を求める人間が増えてきました。本来の日本を復活させようという動きが巧妙に騙されてしまい、謝った日本のイメージを作り上げ、日本を特別な国であるかのようにつくりあげていきました。
そのころの思いはとても強く、それ以降の日本に大きな汚点を残すことになりました。もはや日本人は本来の生き方を完全に見失ってしまい、世界と渡り合うことでマトモな国だと勘違いし、本来の人間の心の豊かさや明るさを完全に見失ってしまうことになりました。そして日本はそれからどんどんと西洋のエネルギーに流されてしまい、争いを進めるための準備を行なうことになりました。
外国との闘い、日本国内での反乱、そして市民はやって生きていかれるだけの生活力。文明と引き換えに心の豊かさが完全になくなってしまいました。大正、昭和と繋がり、日本はそれまでの清算をすべく、大きな犠牲を払うことによって流れを変える選択をしました。戦後、日本にやってきた新たなる流れは、もはや本来の日本に戻すだけの活力が失われており、自らの力で喜びを見つけるという生き方ができなくなっております。
今の日本人は楽しいということはどういうことであり、良い社会というものがどういうものであり、喜びに溢れた社会というのがどういうものであるのか、その姿を完全に見失っております。ものがたくさんあり、金銭がたくさんあれば良い社会。そういう勘違いをしている人が多いために、これから経済的に不安を抱える人が多くなってくるかもしれません。
金銭を得ることによって物質的な快楽を手にすることはできるでしょう。物質的な快楽が精神的な快楽に変わるには何が必要か。物質的な快楽は物質があるときに喜びを感じ、物質と共にあることで満足感を得るでしょう。精神的な快楽は常に心の支えになっており、常に自分が喜びの中心であり、自分の光によって周りも光っていくという状況が理解されてきます。でも、もはやそれでさえも日本人は手にすることができず、金銭で手に入れようとしております。
金銭で手に入れることができるのはあくまでも物質的な喜びであり、その時だけの喜びとなります。永遠の喜びとなるには精神的な喜びが必要となります。それは古来の日本では誰もが持っていたエネルギーです。相手を讃える。これは精神的な喜びから沸き起こるものです。相手を讃えることを忘れてしまった日本人。つまり精神的な喜びを忘れてしまったのです。
皆さん方の日常の中で、相手を讃えるということをどの程度、行なっているでしょう。これが素直に心から沸き起こってくる。素直に讃えていく。これが自然に行なえる人は精神的な喜びを身に着けている人です。そして物質的な快楽に左右されることはないでしょう。人々の心から精神的な喜びを奪ったもの、相手を讃えるという気持ちを奪ったもの、それは物質を拝んだり、物質を尊く思うところから始まってしまいました。
そして今では金銭を尊く思い、金銭に縋るという状況に発展しております。素直に相手を讃える。こういう気持ちを思い出していただき、そしてそのまま生きる。早くそれを確立させていただきたいと思います。一人ひとりの心の中に隠されてしまった、相手を讃える気持ち、これを早く呼び戻してください。
それが変化し出したのは、日本にも政治形態が現れてきて、国民が管理されるようになってから、人間の個性が失われていき、単なる国民として同じように見られるようになってから一人ひとりの良さを愛するという気持ちが失われていきました。一人ひとりの素晴らしさが何の意味もなくなってきて、国民はただ働き、年貢を納める、ただ地主の言うなりに従って言うとおりにする、という生き方に変わっていき、個性がどんどん失われていきました。
今になって、個性を尊重しよう、一人ひとりを大切にしよう、という発言をしても、何が個性であり、なにが一人ひとりの良さなのかが分からなくなっております。皆と同じことをすることが個性であるかのように勘違いしている人もおります。
日本人は一つのことを皆で為すという力が優れております。でも、それは皆が同じことをするという意味ではありません。それぞれが自分の持ち味を発揮して、全体としてうまくいく。そういう本来のやり方があるにもかかわらず、個性をなるべくなくして全員に同じことをさせ、同じように管理して、全体をまとめようとします。これがこれまでの日本の在り方でした。
そしてもうそれが限界にきております。一人ひとり、ほかの人と同じようにはできないということがもう分かっているはずです。にもかかわらず、同じように合わせないと、不安になる、心配になる。自分の生き方ができない。そう感じている人の大部分は、自分本来の生き方が不安であるために、どうしてもほかの人からおかしく見られないようなやり方をしようとして、ほかの人から良く思われようとする。ほかの人から良い人間と思われる言動をとる。先にそれを考えてしまうのです。
本来の自分を出すのではなく、周りから良い人間であると思われようとする。したがって自分の本来が見えてこないのです。ほかの人から良いように思われたい。まずはこれを手放すこと。でも手放してもまだ自分の本来が見えない人がたくさんおります。もう自分はどう思われても良い。自分の思う通りに生きたい。そう思っても、自分の本来が分からない人がたくさんおります。
自分の好きなことが分からないのです。自分の一番、やれること。自分が一番、しっくりくること。それを見つけようとしても、それが分からないのです。何が自分に一番良いのかが分からない。これはある意味では、意思と行動力自体がまだ十分に確立されていない証です。今まで常に誰かの言うとおりに動き、言われたとおりにやってきた生き方をしてきたために、自分で自分の思う通りに動くということができなくなっているのです。
自分の望むとおりに生きたい。そう思っていながらも、何が自分の本心なのかが分からない。こう思っている人は、まず自分の意思と行動力を強くする練習が必要です。良いか悪いかは関係なく、やりたいことをとにかく自分でやってみる。思ったことをとにかく行動してみる。それが必要です。この意思と行動力のまだ確立されていない人がたくさんおります。
そしていろいろとにかくやってみる。そこでいろいろと失敗したり、苦しいこともあるでしょう。それをいちいち否定的に思ったり、苦労と思わずに、まず経験してみることです。そうすると自ずと、自分がやってきたこと、自分のやり方が少しずつ見えてきます。それから初めて自分は一番何に適しているのか、自分はどういうやり方が良いのかが見えてきます。
そしてそれが見えたら素直にそれに進んでいってください。自分自身の生き方は自分でしか見つけることはできません。その見つけようとする気持ちがある限りは、必ず見つかります。諦めないで、自分の生き方を最後まで、追い求めてください。
今、皆さん方のいる状態の人々の中で、本当に自分に目覚め、自分のペースで進んでいきたいという人がたくさんいます。でも、そのほとんどのひとは自分だけがうまくやっていきたい、自分のペースで自分が得するように進めていきたい、という思いを持っている人が意外とたくさんいます。
つまり、皆がうまくいくことを考えるのではなく、自分のペースでうまく自分が得するようにもっていきたい。例えば、自分に素晴らしい人が近づいてくるように。自分が裕福であるように。自分が楽して良い流れに入っていけるいように。それを自分のやりたいこととしてイメージする人がいます。
そういうのを聞くと、私たちはとても複雑な思いを持ってしまいます。本当にやりたいことが、自分だけが楽するということだったのか。自分が他人よりもうまくいくことが自分の本当の願いだったのか。今、ここで勉強している多くの人の中でも、自分がうまくいくようなやり方を教わると、さっそくそれを真似して、少しでも自分が楽な生き方ができるように、少しでもほかの人から誉められる生き方ができるように、と願う人がいます。
私たちはそう人を見ると、本当につらくなってしまいます。私たちが一人ひとりに生き方を教える場合には、あくまでも全体としての自分の生き方であり、自分だけが至福に預かる生き方ではありません。全体的な調和を保ちながら、全体の中で自分を位置づけ、そして自分が自分だけの働きをして全体が進んでいく。そういう生き方を考えているのです。
したがって場合によっては、自分がつらい役を演ずる場合もあるでしょう。自分が人一倍努力し、ほかの人はたまたまそれによって楽になる場合もあるでしょう。でも、結果的に全体としてうまく進むことができるのです。全体が一つになって喜びを感じた。そうなれば、自分の役割を立派に演じたことになるのです。自分の役割というのをどのようにして見つけていくか。それは一般に、自分が今までどういう生き方をしてきたか、それを振り返ると理解されてきます。
今まで多くの人の中で自分がどういう役割を演じてきたか。それは一般にいくつかのパターンや傾向に分けられます。常に補佐役としてうまくやってきた者、アイデアマンとして能力を発揮した者、まとめ役として良い働きをしてきた者、指導者としてうまく調整をとることができた者、いろんな人がいます。それぞれの自分の過去を振り返ってみると、いくつかのパターンが見えてくるはずです。
ある意味では、それが自分に一番適していたエネルギーともいえます。したがってそれを自分なりに分析しながら、良いところは開き、問題を起こしたところは改めて、それを良い方向に持っていくように修正していく。そういう働きが行なわれれば、自分の本来のエネルギーがさらに磨きのかかったものに変わっていくでしょう。
しかし、今までほとんどそういう役を演じていなかったところに自分がどうしてもその役を演じたいという願望を抱き、その通りにいくように思いを強くする。そういう時には、そういう思いを持った人間がたくさん集まってきて、お互いにいろんなドラマを作っていきます。自分がこうありたいと思う。そう思うと、そのエネルギーに応じて人を集めてきます。
それが素直に自分の本来のエネルギーとうまく合うようにエネルギーが出ているときには、周りに集まってくる人々がそれを演ずるようにうまく流れてきます。しかし自分の本来のエネルギーとは違う思いを強く抱いたときにはその思いと同じ波動の人間が集まってきて、それで場を造っていきます。
自分が必ずしも、その役を演ずるとは限りません。全体の集まってきた人間の中で、いろんな仕組みがつくられていきます。そういう状況の中で、それぞれの思いが現実化されていきます。自分の思ったことがうまく進まない、願った通りにいかないと思っている人は、そういう見方から自分の状況を分析していただきたいと思います。
自ら喜びを感じ、他の美しさを認めていく。そして全体的な調和と個人の素晴らしさをうまく組み合わせていく。自分と全体との調和や、一人ひとりの喜びを自分のものとして感じる思い、共感といったもものも大切になってきます。
今まで、個性がないがしろにされ、なるべく目立たない生き方を選んできました。でも、もうこれからは自分であるために、自分が表に出る必要があります。でも、同時にほかの人を認めていく。全体の一部分としての他人、そして自分。そこを良く理解しておく。そのまとまりの素晴らしさ、組み合わせの多様さを喜びを持って受け入れていく。一人ひとりの素晴らしさが発揮されていきます。
これからの時代は一人ひとりの働きが大切な鍵を握ってきます。皆が動けばとか、誰かがやればとかいうエネルギーではありません。自分がどこまでできるか、自分がどこまでやれるか、これが大きな鍵を握ってきます。そして自分の力で行動に移した者は、自分の世界をより強く感じることができるでしょう。他人のいうなりになっている人は、自分が分からないまま、巻き込まれていくことになるでしょう。自分、そして全体、それを考えた上で、自分なりの生き方を見つけていってください。
日本がこれまでひたすら守り続けてきたもの。次から次と諸外国に奪い取られながらも、最後まで守り通してきたもの、それが改めて日本人の手に戻されます。自分たちがこれから何を成し得るのか。日本人が日本人であるために、何が一番大切なのか。それに気づく時期がやってくるでしょう。
皆さん方も、決して経済力の強さや真面目さだけが日本人の優れた特徴とは思わないようにしておいてください。日本人の本来の能力は、そういうものではありません。これからの時代を生き抜くのも、その本来の日本のエネルギーです。今まで見失っていたもの、それを呼び起こしながら、自分たちのモトにそれを戻してきてください。
私たちは今、エネルギー的な流れを作り上げてから、一人ひとりの調整をとって終わりにしたいと思います。
これからの日本の流れを決してイイカゲンに思わないで、自分たちがしっかりとこの光を維持していくように、言動をとっていっていただきたいと思います。私たちはこの場を与えられて、とても喜びを感じております。そして日本というエネルギー絶えることのないように、皆さん方にお願いをしておきます。それではありがとうございました。