まず、私たちは新しい波動の世界を前提にしており、そこに生存するために必要なものを与えようとしております。今、日本という国において必要な考えや行動の仕方、認識の仕方が何であるのか。それを説明したいと思います。
日本人の多くは本来、仲が良く、善良な民族であり、争いを好んでいた民族とは本質的に意識の持ち方が違っております。ほかの民族は争いことを前提にしているために、身を守ることや自分が生き残るという意識を確立させ、それを成し遂げるために武器を手にし、先に攻撃するという生き方を身に着けてきました。
日本は本来、小さな部楽の集まりの中で、そこでの長老を信頼し、協調的な生き方を確立させていたために、争うとか奪うという意識はそれほど造られておりませんでした。ただ、生きるために食料を手に入れようとして動物を射止めてきたり、捕獲するという生活は行なわれていました。でも、それでも必要以上に獲物をとろうとしたり、残酷なやり方で単に殺すということはやってはいませんでした。
しかし、生活の場所を少しずつ移動させ、その部落の長老が生命を失ったり、獲物を取りに行く男性が戻ってこなかったりしたときに、その部族でそれ以降の存続が不可能になり、全体的に途絶えてしまうとか、ほかの部族の支配下に置かれるとかいう状況は起こっておりました。
その場合でも、平和的に行なわれる場合と、長老のやり方の不一致によって、どうしても我慢ができない部族とかがありました。そして我慢のできない部族たちはそこから離れて自分たちだけで生活をするようになっていきました。その者たちは、もう長老がいないために本来の生き方を理解しておらず、自然の訴えや動物の気持ちを理解することができず、ただ生きるために自然を奪い、そして場合によってはほかの部族の獲物をとるとかいう状況が生まれてきました。
それによって少しずつ生活が乱れていき、そういう方法によって獲物を手にすることができると、分かった者たちが次第に増えていき、長老を中心とした部族の形態がだんだん維持できなくなってきました。
この日本における生活が乱れるに従い、世の中全体が急速に悪化していき、自然なエネルギーの中で、自然と一体となった生き方が失われていくようになりました。日本人はそのころから少しずつ相手を思う気持ちや自然を尊く思う気持ちが失われていき、ただ生きるために獲物をとるという状況に変わっていきました。
それでも、長老を中心にした部族はその智慧を後世まで残すことができ、自然の中で自分を見失わず、お互いが満足する生活を続けることができました。弥生といわれる文明が始まるころには部族を中心にした生き方が不都合になり、狩猟方法や作物の飼育方法がかなり変化していき、長老の考えがうまく合わないような時代になっていきました。
そして一般の人々に不安が押し寄せていき、長老の言うことを聞かずに新しい考えや自分のやり方でやるという人々が現れてきました。日本人が文明というものを取り入れたのはこのころといってもよいでしょう。違う部族とコミュニケーションをとるために、言葉というものが大事にされていき、思いでやり取りするということができにくくなっていきました。
また、習慣の違う部族がたくさん現れてきたために、生き方もかなり変わっていき、何を基準にして生きるのかというものが失われていくようになりました。もはや長老の存在価値が低くなっていき、頼るものがなくなっていったのです。そのころから神のようなものを崇拝するようになり、アマテラスを頂点とする教えが伝わっていくようになりました。
そういう存在を求めていた日本人がことごとくそれを信奉し、神に救いを求める生き方をするようになりました。作物ができなくても神に頼んで何とかしてもらう、体の具合がおかしいとき神に頼んで治してもらう。長老のやっていたことを神に頼むようになっていきました。そして神が広がるに従い、長老の権威がどんどん落ちていき、もはや部族をまとめていた長老が否定されるような状況になっていきました。
日本人が小さな単位で動いていたのが、これによって崩壊していきました。それまでは長老の考えをその部族が理解し、全員で満足する生活を営んでいました。神を拝むようになってから、長老のような存在を認めなくなり、皆で神を求める、という生き方に変わっていきました。
この生き方が広まるに従い、一人ひとりの生き方も変化していきました。長老の教えがほとんど無視されていき、神の教えを前提にするようになっていきました。そのころの神の教えは、太陽である日の神と、太陽と共に至福をもたらす月の神、そして地球において人類の平和を願っている地の神、これらの神を拝むことにより人間の繁栄が約束され、そして常に自分たちの生活が裕福に進められていくという考えが浸透していきました。
しかし、これは本来の姿とはまったく違っており、日本において役割を担っていた存在とはまったく違う教えとなっております。そのころ、日本において全体を守っていた大神は別のものの影響により、その力を封印されてしまい、別のものの支配下に日本が置かれることになってしまいました。
したがってアマテラスに限らず、日本人が信奉している神の大部分は本来の神とはまったく違う存在であり、すべて日本人を支配するためにやってきた存在です。そして現実に日本人のほとんどがそれらの神々によって意思が弱くなり、他人の心が分からなくなり、自らの光を消してしまい、ただ神に従うという生き方に変わってしまいました。これらの神々はいろんな争いを経て常に顔触れが代わっていき、そのたびごとに別の神が名乗って現れてきました。
人間が神に縋(すが)るという思いを持っている限り、そういう役割を演ずる存在が現れてきます。今、日本人が必要としているもの、それは古代の神々と繋がることではなく、新しい時代で日本を創ろうとしている存在と繋がることです。新しい波動の世界で日本人を迎えてくれる存在が今か今かと皆さん方がやってくるのを待っています。
そして大昔に封印されてしまった本来の日本の守り神が皆さん方の協力により、少しずつ封印から解き放たれ、もうじきすべてを現すことが可能になるでしょう。でも、油断はできません。それを封印させようとする力が常に押し寄せており、日本人の本来が現れないように暗躍している者たちが多いのです。
何故、日本人がそこまで狙われるのか。実は日本についてはまだ誰にも明かされていない秘密がたくさんあるのです。でも、それはここで伝えることはできません。ただ、これまで古い書物で書かれていたこと、古代の言い伝えとして残ってきたもの、それらの中には本当の日本について書かれているものがいくつかあります。
今、日本人は本来のものに戻る必要があり、これまで自ら引き寄せてしまったいろんな教えを手放すことも必要となります。神に縋る。長老を無視して自分たちでやっていく。動物は単なる餌。そう植え付けられてしまった考えを次々と手放していき、自然と一体となって暮らしていた大昔の生き方に戻すことが必要となります。
でも、それをどのようにして一人ひとりが思い出していくか。その当時の生き方と今では時代も違い、社会も違い、文明が違うために、そのまま現実化せよとはいいません。今の時代に合った生き方で、自然な生き方を自分たちで造り上げる必要があるのです。
個別主義も自分も大切にし、知性を発達させるという面においてはそれなりに効果はあったでしょう。知性の発達という面に関してはこの数千年間で手にしたものは確かに大きいといえます。でも、それによって動物を愛する気持ちを失い、地球に生かされているという思いを失い、そして人類が皆、兄弟であるという思いも捨て去ってしまいました。
皆さん方は知性を手にする代償として愛を失ったのです。したがって今、必要なのは不要な知性を手放し、愛を復活させていき、愛と引き換えに手にした知性、たとえば自分が他人よりも優れているというものや、多くの知識をもっていることが優れているという証であると思うもの、そういうものを手放していき、同じ人間としてすべてを愛し、自分のことのように思う気持ちを蘇らせる必要があります。
一人ひとりが、自分は何処までできるか、自分の価値が何であるのか、という思いを持つでしょう。でも、あなた方は自分でやらねば何も変わりません。自分の生き方を変えるのは自分だけです。社会が変われば自分が変わると思っている者、いつまで経っても、社会は変わらないでしょう。自分が変わることにより社会が変わる。したがって自分から行動していく、という者にこそ、新しい社会が訪れてきます。
日本人が何をこれから為していくのか。本来の生き方を日本人が身に着け、それを行動に移していくと、それは大きな影響力を与えていきます。物質文明が最高だと思っている者、物質社会が崩壊すると、絶望のどん底に落ちるでしょう。でも、日本人はそれに混乱することなく、自然と一つになって生き残ることができます。
地球や自然とコミュニケーションをとるということがいかに大切なことかが理解されてくるでしょう。物質文明が崩壊する様を見て、それに執着したり、否定的に思う必要はありません。物質文明が崩壊すればするほど、日本人の働きが大切になっていきます。でも、ほとんどの日本人が西洋諸国と同じように物質文明に執着しております。
金銭を追い求め、物質による満足感を得ようとしている。まだまださらに満足感を手にしようとしている。今、その気持ちを切り替えることができない者、西洋諸国と同じようにいろんな混乱を自らの心から招いていくでしょう。でも、それに気づき、手放していく者、地球からの愛を感ずることができるでしょう。
地球は物質ではなく、人間との交流を求めております。地球は人間に勇気と知性を与えようとしております。生き残る方法を伝えようとしております。金銭ではなく、地球と結びつくことで生き残る手助けをしようとしております。でも、人間が耳を傾けようとはしません。自ら離れていくのです。これからの時代の流れで、どれだけの者が地球に目を向け、人間のやるべきことに目覚めていくか。
今、多くの人間が今後を不安に思い、将来を案じております。そう思うことでその方向性がより強くなっていきます。でも、実際には人間は別の道も用意されており、地球に意識を向け、地球と繋がることによって平安が約束され、地球からの恩恵を得ることができる、という未来もあります。
どちらを皆さん方が選択していくのか。それは地球人類の意識によります。これから、一人ひとりがどういう生き方を望み、どこまで地球と繋がっていくか。それによって地球の未来も変わっていきます。せめて今、学んでいる者だけでもしっかりと地球と繋がり、恐れを手放していくと、地球は少しでも混乱の少ない状態で変わることができるでしょう。
私たちはそれに向けていろんな準備を進めております。でも、まだまだ人間の意識が高まっておらず、私たちの思いを感じとる人がそんなに多くはありません。言葉では、地球のために働き、人類を愛します、と述べている者でも、何とか自分は助かりたい、自分はうまく生きたい、と思っている者がかなり多いのです。
多くの者がお互いに愛し合いながら、新たなる波動の世界にやってくる。私たちはそれを本当に考えた上で、いろんな流れを造っていきます。でも、それを実行するのは皆さん方であり、一人ひとりの行動によって達成されていきます。今からそういう認識を強くして自分の進むべき道を考えるようにしていってください。
人間を信頼するという根本がそこにあり、長老がいなくなった段階で信頼すべき人間がなくなってしまう。これが乱れの原因になってしまいました。しかし中には長老自身が次の候補者を決めており、それを宣言することでスムーズに展開していく場合もありました。したがって長老が変わるときに、皆がそれを認める、納得するというときには、その部族は長く保つことができました。
しかし、それがスムーズに移行できなかったとき、信頼が得られなかったとき、抗争が起こったりしました。皆さん方も同じように、自分たちで学びをするときに、否定の気持ちが湧いてきたり、認めなかったりしたときに、どのような事態が起こるのかを理解すると、自分たちの不用意な発言の一つによって場が急におかしくなったり、乱れるという意味が分かるものと思われます。
はじめから信頼がなされていない。信頼していない。それが否定する言葉に現れてきます。もし、そういう(長老の)場、そういうやり方が本当に大切と思い、後世にまで残そうと思うのであれば、後世の者がうまく進んでいけるように、なるべく良い形で伝わっていけるように、それを認めることが必要となります。
皆さん方もいつかの時点でいろんな経験をしていくでしょう。全体のまとまりを保つと同時に、それを後世に伝えるにはどうしたらよいのか。今の場がうまくまとまっていても、そこから次に持っていくのにはどうしたらよいのか。そういう悩みが起こる場合もあるでしょう。人間が人間を認めながら、それを伝えていく。それが試されていくからです。
自分の場合だったら、うまくできるのにほかの人には任せられない。そう思う者もいるでしょう。でも、それでも決められた人間を認めていく。そういう気持ちが必要です。自分だったら、うまくやれるのに。そう思ったとしても、結果的にそういうチャンスが与えられないということは、ある意味ではまだ時期が来ていないという証です。他を罵ってまで、自分がその場に就く。それは望まないようにしておいてください。
一人ひとりが本来の在り方をどのようにして身に着けていくか。私たちは今、それを大切に考えております。自分はどのようにして新しい波動に変わっていくか。新しい意識を身に着けていくか。それを本当に考えるようにしていってください。
でも、日本人だから優れているというのではなく、いかに皆さん方一人ひとりが行動していくか。皆さん方の行動が伴わなければ、何の意味もありません。日本人だからというのではなく、一人ひとりが自分で動いていく。自然を愛し、相手を許し、そして新しい地球に波動へと高めていく。それが必要なのです。日本人に生まれたからできるというのではなく、皆さん方の一人ひとりの意思によって行なわれるものです。
私たちはここで少し、休憩をとります。ありがとうございました。
そして多くの人が理解していた古代の日本というものは真実の日本とはかなり違っております。真実の日本はある意味ではとても文明が進んでおり、愚かな者とか精神的な病を身に着けたる者はほとんどおりませんでした。毎日が感謝の下で生きており、自然の中でノビノビと、満足して生きておりました。
しかし、自然の変化が激しいとき、長雨や日照りが続く場合には人々の不安が広がってきて少しでも早く晴れた日になるように皆で祈りを捧げたり、お願いをする事態もありました。それは皆さん方の認識では原始的な時期と思うかもしれません。確かに、意味も分からずに単なる儀式によって状態が改善されるのを望んでいた部族もあります。
でも、真に宇宙に繋がっている長老と呼ばれていた者たちは本当に宇宙のエネルギーを利用してその時に平安をもたらしたり、地球との結び付きによって自然を安定化させるという役割も持っておりました。そしてそういう長老には多くの人々が集まり、いかに自然と一体となった生き方を身に着けていくかなど、いろんなことを教えてもらったりしておりました。
この長老たちが、次第に力を失い始めたころ、地球の環境も変わっていき、人間の思いが必ずしも現実には現れてこない状況になってきました。長雨や日照りが続くという状態もだんだん激しくなり、人々が願っても良き日が訪れることのない日がありました。それによって長老の信頼性がまた衰えていき、人々は離れていくようになってしまいました。
長老が人々との繋がりが薄くなったころ、この自然の精霊たちも人間との繋がりが薄くなるように変わっていきました。それまで長老を介して人間と繋がっていた精霊たちや繋がりをなくし、人間は人間、自然霊は自然霊として分かれていくようになってしまいました。
したがってまず、古代の日本の状態に戻すためには皆さん方自身が地球の精霊や自然霊たちと繋がりを戻し、地球の気持ちを理解し、自然との一体感を感じ、そして多くの人間と共に地球で生かされている生かされている感謝を捧げる、これが必要になってきます。地球の思いをいかに感じていくか。これによって地球のエネルギーがかなり変わっていきます。
今の精神世界の分野で、新しい地球を迎えようとしていろんな瞑想やワークが行なわれております。でも、地球と一体化することや、地球の精霊に感謝を示すことを教えていない集まりは、実際には地球との結び付きがほとんどないものと思って構いません。地球上でエネルギーワークをする場合には、地球の許可を必要とするからです。
地球にエネルギーを流す、地球とエネルギーワークをする、という場合には、地球の精霊の許可が必要なのです。その上で、人類と精霊が一緒になって地球のエネルギーを変えていく。それによって地球は本当に変化していきます。ただ神にだけ祈りを捧げる。天使にお願いをする。それだけでは地球は変わりません。一人ひとりの心が何も変わらないからです。
自分たちの心の持ち方が、真剣に地球に向け、地球と一体となって自らが変わっていく、というのが地球を変えるやり方といえます。まだまだ皆さん方からすれば実感が得られず、本当にうまくいっているのかどうか、疑問を持つ人もいるでしょう。でも、いずれ確実に分かります。本当に地球に思いを馳せ、地球と共に活動してきた者は地球の思いを受け取り、確実に生かされるでしょう。
そして地球の思いがさらに強く分かるようになり、皆さん方の気持ちがそのまま地球に伝わっていくでしょう。今から否定的に思ったり、諦めたりせずに、本当にこれからの素晴らしい社会を信じて、この地球のために活動していただきたいと思います。
人間は素晴らしい能力を持っております。どのような状況にあり、どんなに環境が悪化しても、生き残る能力を持っております。皆さん方が生きようという意思がある限り、皆さん方は必ず生きます。はじめから不幸なことを考えずに、まず生きるということ。そして人間がどんな環境においても生き残ってきたということ。それをしっかりと理解し、これからも新しい時代に向けて生き残るようにしていってください。
人間は素晴らしい能力を持ち、そしてさらに新しい能力を開発させていきます。一人ひとりが神となって地上で歩き出す。そういう時代がやがてやってくるでしょう。そして自分たちは新しい社会を創りあげていき、この地球が根本から変わっていきます。今まで夢に見た調和と喜びがそこで待っております。
人々を不安に思わせていた思いが完全になくなり、毎日が楽しいものに変わっていくでしょう。人々の心に愛が確実に見えていき、生きていること自体に喜びを感ずるでしょう。今までの生き方を根本から変えていき、自分たちの未来を輝かしいものに造り上げていってください。
私たちは今までの話の中で、いくつか大切なことを述べてきました。皆さん方からすれば何気ない話でも、私たちからすればとても意味のある場合があります。まだ伝えてはいけないような話も伝えられております。でも、私たちもいつまでも待ってばかりいるわけにもいかず、とにかく皆さん方が早く意識が成長していけるようにいろんな話題を工夫しております。そして皆さん方が成長すればするほど、新たな話題を提供することができます。
ですからこれからも自分の気づいたこと、分かったことをどんどんこの場で話していただけると、私たちはそれにあわせてその先の情報を伝えることができます。今まで以上に、これからも急ピッチでここの場が進んでいかれるように、皆さん方の成長を期待しております。これからもそういう意味において、それぞれが学んだこと、気がついたことを自由に話せるようにしておいてください。
私たちはここで終わりにいたします。ありがとうございました。