この日本という場における形の造り方と、西洋における形の造り方が必ずしも同じではありません。例えば、恨みや憎しみがその人から放出される場合。西洋の場合にはとても鋭いエネルギーとして対象相手に影響を与え、そして破壊的な作用を及ぼしてから自分に戻ってきます。
しかし日本人の場合には、自分を苦しめるという思いも同時に作られてしまい、自分が情けない、自分が可哀想、という思いを伴って放出されてしまいます。その場合の憎しみは相手に影響を与えても、必ず自分に戻ってきて自分を惨めにさせたり、つらくさせる効果をより進めていきます。
したがって相手を憎んだり呪った場合でも、そういう感情を発した自分が情けなくなったり、自分がイヤになったりする状況が生み出されていきます。怒りに関しても、一方的にその人を怒るだけではなく、必ずその後に自責の念や申し訳なかったというエネルギーが造られていき、自分を責めるような状況になっていきます。そういうような働きが日本人にはとても強く、一方的に相手を責めたり、相手を呪うという状況には中々進みません。ここが西洋の想念形態とかなり違っているところです。
また一人ひとりが愛を発する場合でも、日本人の場合の愛は常に自分が愛されたい、自分が良い人間と思われたい、というのを前提にした愛であるために、本当に相手のエネルギーを浄化する作用には発展せず、自分を少しでも良く見せようとして戻ってくる働きをさせようとします。この愛は実際には自分を輝かせることには発展せず、愛を奪い取り、愛してほしいという思いだけが強くなる働きをもたらしていきます。
見栄や嫉妬、こういったのもかなり日本人的な傾向があり、ほかの人の目を気にして自分だけが良い影響のように思われたい、という感覚でエネルギーがつくられていきます。したがって先程の想念形態の形や色は必ずしも日本人にそのまま当てはまらず、もっと執着的で、自分だけが何とかよく見られたい、楽したいというエネルギーがまとわりついて、一つの想念を造り上げていきます。皆さん方もそういう観点からエネルギー的な学びを進めていっていただきたいと思います。
人間が恨みを抱く。仕返しをしたい。縁を切りたい。こういう思いを持つときに、それを本当に実行させようとするエネルギーがやってきて、その手助けをしようとします。そして結果的にその人は光との繋がりを自ら切り離し、恨みの念の中で生き続けることになります。そういう人間に対し、その人間の造り上げた恨みや憎しみがその人の愛によって波長を変え、優しさを取り戻して普通の人間に戻っていくための手助けをしております。
恨みを持った人間は長い間、そのエネルギーを身にまとい、執着的に相手を呪う状況に変わっていきます。一度、そういうエネルギーがつくられると、それは長い間、影響を及ぼし、そしてその人間そのものをおかしな波動へと導いていきます。憎しみや恨み、これは自らを神から引き離す作用を持っており、人間関係のすべてにおいていろんな影響を与えていきます。私たちはそういう人間のところに行き、人間が少しでも自らの手で気づき、相手を許せるような状況になるのを仕組んでいきます。
人間はいろんな作用によって影響を及ぼし合い、罵り合い、不愉快な体験を続けていきます。でも、その出発点は、自分の方が本当は優れている、分かってくれない、という思いから造られていきます。自分の心の中に、呪う気持ちや許せない気持ち、それらがあるときには自分の心の中を冷静に分析し、自分自身の意識の持ち方を変えていくことができるような練習をしていただきたいと思います。
人間は一人では学ぶことができません。でも何人かで学ぶと、途端に対立が起こります。相手を許し合い、認め合う。この大切な意味を本当に理解していただきたいと思います。これからの地球において、これらのエネルギーがいろんな災いを造り出すでしょう。人種間の争いの憎しみの波動がより強くなっていくでしょう。
自分は何を為せるか、どのような協力ができるか。そういう疑問が沸いてくることになるでしょう。自分の心の中には、憎しみはない、呪いはないと思っている者は、自分は必ずしもすべてを理解できておらず、いろんな経験の中で成長している最中である、というのをしっかりと理解していただき、自分自身の波動の浄化、自分の仲間たちへの愛、といったものをしっかりと具現化していっていただきたいと思います。
地球上では各地で争いが繰り広げられ、傷付け合い、憎しみ合う行動が日常茶飯時となっております。その一方で、平和を願う人間が祈りを捧げる。相手を呪う人間がいれば、地球人類に平和を求める人間がいる。地球は確かに苦しんでおります。でも、祈りを捧げる人間たちの思いによって、何とか頑張ることもできます。
私たちは人間の一人ひとりを良く理解しており、人間が私たちに与えている祈りはこの地球の平和にはほとんど結びつかないのを理解しております。人類が争ったり憎しみ合うのは、それぞれの心で造り出されたものであり、私たちが造ったものではありません。私たちに祈りを捧げても、憎しみを消すことはできないのです。
地球から争いや憎しみを取り除けるのは、人間が自ら愛を発するしかありません。私たちに祈りを捧げる。私たちは一人ひとりの心を理解しております。一人ひとりの学びに従ってエネルギーを与えることはできます。でも、地球人類を平和に持っていくのは人間が自ら行わねばなりません。
私たちに祈りを捧げる。これはどういう意味があるのか。私たちと人間との関係が途切れることなく、ずっと援助し続けてほしい。こういう祈りは私たちが理解することはできます。そしてその波動に応じて約束をすることもできます。でも、地球を平和にしてほしい。これはあなた方の役割です。私たちは一人ひとりの役割に応じたエネルギーしか流すことはできません。
祈りをそのように、(自分がすべきことを)自分のできないこととして神に任せてしまう。そういうやり方で認識している場合、本当に自分ができないのかどうか。それを造り出したものは誰であるのか。それを良く理解していただきたいと思います。人間が造り上げてきた大きなエネルギー、確かにそれによって争いが起こり、混乱が生じております。でも、皆さん方がそれを一つずつ消化していくのです。
一人ひとりがその意識に目覚め、動き出し、本当に愛をもたらそうとして動き出したときに、私たちは最善を尽くして協力をすることができるでしょう。しかしそれに気づかぬ者が多く、ただ祈りを捧げればよいと思っている者が多いという状況においては、私たちは手助けすることは許されておりません。
まずは自分たちで、できる範囲内で努力をしてみる。その意識をしっかりともっておいてください。まだまだこの地球では、一人ひとり、為すべきことがたくさん残っております。自分はもうすべて終わったから良い。もう私は十分に経験した。そう思っている人がたくさんおります。でも、そういう人に限って本当にこの地球から憎しみや呪いを取り払おうと努力している人はそんなにおりません。見て見ぬフリをしている者ばかりです。
私たちは真剣に地球を愛し、地球を浄化しようとしている者にエネルギーを与えていきましょう。誰かにやらせ、祈るだけで十分だと信じている者、現実的な方法で自分の現実が改善されないことができるまで、現実で苦労を重ねることになるでしょう。一人ひとり、どこまで真剣に地球を愛し、私たちに心を開いているか。それによってこれからの展開もかなり変わってきます。私たちと共に地球を愛し、地球のために手助けをしたいと思っている者、心を開いて私たちのエネルギーを取り入れていってください。
地球に平和をもたらすのは一人ひとりの役割です。何でもかんでも宇宙に任せ、祈りだけで済ませようとしている者、その無責任さに目が覚めるまで学びを続けることになるでしょう。目の前で苦しんでいる者、混乱している者、祈りで救うのではなく、本当にその人の心で繋がり、問題を解決させ、愛を与えて喜びが得られる努力をする必要があります。私たちは一人ひとりが本当に愛を身に着け、私たちと一つになり、この地球のために新たなる波動を造り上げていくのを願っております。
私たちに背を向けることなく、一緒になって地球を浄化する働きをしていってください。今日は私たちにとってとても喜ばしい時間が得られました。人間とは何か。学ぶべきテーマがたくさんあります。でも、少しずつ少しずつ積み重ね、これからもゆっくりゆっくり成長なされていくのを望んでおります。
新しい時代で一つになって、やっとここまで来た、皆のおかげでこの時代がやってこれた、という喜びをお互いに分かち合えるように、お互いで頑張っていきましょう。それではありがとうございました。