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1998/6/6■土曜学習会から

神道の教えは自分が何者であるのかを気づかせる

@やっていることが良くない感じがするとき

それでは今日のワークを進めたいと思います。先程、いろいろと話がなされ、今日、どのように進めていくのかを考えておられました。今日はいつもとは違うパターンで進行したいと思います。あくまでも土曜日はエネルギーを感じる能力を高めるための練習のつもりで私たちも考えております。したがってお互いが何らかのエネルギーや光を感じる練習を進めながら、私たちの話を聞くようにしていってください。

今の質問の中で、まず個人的な質問として仕事に対しての悩みがありました。自分の仕事にうまく身が入らず、別の思いがやってくるという話でした。何かをやっていて、それがうまく進まず、ほかに自分に適したものがありそうな感じがする。そういう思いが沸き起こったときは、一般に、本当に今自分がやっていることが必ずしも魂の思いではなく、自分自身の成長のためには場を変えた方が良いと願っている場合があります。

ただ、その場合にはやるべきことが必ずしもすべて決まっていたり、方向性が明確にあるわけではありません。一般に魂の方から、今学ぶべきテーマとして何らかの思いがあり、それを早めに理解してほしい、早く身に着けてほしいと思っているときに、今の場ではなく別の場で何かを体験してほしいと思う場合があります。

でも、それがどういう場で、どういう状況になるのかは必ずしも明確に決まっていない場合があります。なぜならば、あくまでも現実はその人間が引き寄せるものであり、必ずしも魂がすべてを用意しているわけではありません。皆さん方は何でもかんでも魂が造り出し、それによって自分が歩かされているかのように思っている人がおります。それはかなり認識が甘く、自分自身の人生を責任持って進めていない人たちです。

自分で現実を造っていく。自分が現実を引き寄せるというところにもっと意識を向ける必要があり、そして魂は単にそれに協力してくれる、自分が望んだことを魂がセットアップしてくれる。そういう意識を持つことが必要となります。したがって今、自分がやっていることが何だか適当ではない、と感じたときには、自分がどういうことを本当に望んでいるのか、を自分なりにいろいろと考え、そしてそれを現実化する努力がいろいろと必要とされます。

何も考えず、ただ黙っていても、現実は変わりません。また何をやってよいのかを具体的に分かっていないときには、必ずしもそれが現実化されることもありません。では、明らかに、今やっていることが自分には良い気持ちがしないけれども、何をして良いのかは分からない。これはむしろ、インスピレーションの能力を確かめている場合があります。魂の思いや宇宙の思いをその人がどれだけちゃんと受け取っているのか、どれだけ認識しているのか。それを確かめるときがたくさんあります。

したがって、何だか別のことが好ましいような気がする。今、やっているのは必ずしも好ましくないという感じがする。そういう風に、インスピレーションが与えられてきて、そして何に自分は向いているのか、どうしたらよいのかをその人自身がうまく見つけ出す、自分でそれを造り出していく、というのを望んでいるのです。

したがって自分は何をしたらよいのか、どこに行ったらよいのかを聞き出すのではなく、自分で考え、自分で造り出す。それをとにかく身に着けていっていただきたいと思います。分からない、もうそういう言葉は私たちには通用しません。分からないのではなく、自分で造り出していないのです。分からないというのを私たちのところに投げかけても、私たちは何も与えることはできません。自分の道なのです。

自分で造るのです。それができない人は、それができるまで何度でもこの場で経験していただく必要があります。私たちは皆さん方の悩みを解決するために存在しているのではありません。一人ひとりの混乱した道や見失った道をいちいち良い方向へ持っていくために私たちが存在しているのではないのです。その辺を、根本の方から認識を改めていただきたいと思います。


A争いや病を不幸として認識しないように

それでは、先程、いろんなテーマが出されました。今日は特別に、私たちの方からできる範囲内で説明をしていきたいと思います。まず、一番大切なところから、順番に説明をしていきます。先程の話の中で、自分たちがいろいろと考え、不幸や病がこの地上から中々消えていかない、争いがいつまでたってもなくならない、という話がありました。

誰も苦しみや争いを望んではいないでしょう。自分がその被害者になったとき、とても耐えられるものではなく、それを喜んで経験する人はほとんどおりません。にもかかわらず、あちこちで争いや不幸な出来事が起こっていて、それが消えていく傾向がほとんど感じられない。

今までの人間が造り出したエネルギーがあまりにも大きく、そして執着的であるために、皆さん方が何も不幸なことを考えなかったとしても、それを経験すべきエネルギーがまだかなり残っているのです。それを誰も経験しないで、新しい時代に入っていく。それは皆さん方の場からすれば理想かもしれませんが、地球からすればそんなムシのよい話はありません。

今まで散々、好き勝手に人間がこの地球上で否定的な思いを造り出し、この地球を苦しめ、ほかの人間を自由に操ってきたものが、いざ自分が経験するときに、もう自分はイヤだから戦争をやめてほしい、もう自分は苦しいから貧困はこないでほしい、というムシのよい話があるでしょうか。この地球は確かに苦しいことを望んではおりません。でも、人間が長い歴史において、散々造り上げてきた争いを好むエネルギー、他人を不幸にするエネルギーがまだしっかりと残っており、それは人間が解決せねばならないのです。

ほかの人がそれを演じている時には無関心であり、そいつが悪いとか、私の所為ではないと思っていながら、いざ自分が経験する場にすると、神様、助けてください、私は悪くはない、どうして私だけがこんな目に遭うの、という言葉が何千年も前から私たちに投げかけられております。自分以外だったらよいのに、どうして私が。こういう思いを持っている限り、そういう心の持ち主から不幸がなくなることはないでしょう。

人間があまりにも自分勝手に生きてきた。あまりにも自分のことばかりを考えてきた。そのために争いや貧困がなくならないのです。もしわずかでもそれをなくしたいと思うのであれば、私たちに頼むのではなく、目の前の困っている人に少しでも救いの手を差し延べる。心が少しでも安らぐことをあなた方がやるべきなのです。私たちに頼むのではありません。

三次元で本当に困っている人に、心から手を差し延べること。そしてその人が少しでも人間の心の温かさに触れ、やっぱり人間を救えるものは人間である。人間が人間を救うのだ。それに気づくことです。神によって助けられた。神の奇跡によって戦争がなくなった。あなた方はそれで愛を身に着けることができるでしょうか。さらに神を求めるでしょう。困ったことが起こるたびに神を求めるでしょう。私たちはそれを望んではおりません。

神はあなた方を救うためにあるのではありません。では、神は何を考えているのでしょう。何故、こんな戦争や不幸な現象を神は許しているのでしょう。この地球では、何千年も前から争いが繰り返され、自分は経験したくないという不幸な出来事が世界各地で繰り広げられております。そして皆さん方が地球にやってきたときには、地球がそういう惑星であるというのを理解した上でやってきました。

自分がこういう惑星の中で肉体をまとう。それに不安を感じた人もたくさんおります。そして争いや不幸な出来事が確実に自分の身に押し寄せるというのが分かっていながらも、肉体をまとったスピリットが無数にあります。彼らは何故、肉体をまとったのか。彼らは自分が神であると知っているからです。神はすべての仕組みを創り、すべてを許し、そしてその中に自分の意識を少しでも広げていき、光のない世界に光を届けようとしています。

争い、憎しみ、そこには人を思う光がほとんどありません。自分のことだけが楽になりたい。自分だけ、得したい。そういう思いであり、人を本当に愛するという思いが何処にもありません。でも、そこには人を思う愛が入っていく必要があるのです。それは人間同士の愛によって初めて造られていきます。したがって愛のないところにあえて愛を具現化できる存在が入っていき、そして愛を広げていく。それによって光のない世界に光が流れていく。そして神は自分の光を広げていき、自分が成長できるのです。

あなた方からみたら、苦しい世界に生まれ出た、つらい時期に生まれ出たという風に認識するでしょう。でも、神の世界からすれば、今まで神が入り込めなかった領域に神が入り込んでいく。そういう風に理解されるのです。人間が、初め、好き勝手にやって、自由奔放に場を造り上げ、自分のペースで自由に造り上げてきた。でも、そこには神の光が入っていない。そこに神が入っていくのです。

そのために、自ら神であると理解したスピリットが肉体をまとってその中にどんどん入っていく。わざわざ戦争の最中に生まれてきた者、それは不幸でもなく、つらいのでもなく、自らが神であり、そして神の領域を広げようとしてわざわざその中に入り込んでいった。そういう気持ちで生まれ出てきたのです。彼らは苦しいとかつらいとかは思っておりません。

確かに、人間の意識から見れば、つらく苦しく、不幸のように思うかもしれません。そしてそういう環境でつくられた人間の意識は確かにはじめはいびつであり、とても本来の人間には程遠い波動の魂ですが、でもその後の進化はとても素晴らしいものがあります。本当の愛の必要性がはっきりと認識され、この地球で身に着いたさまざまなエネルギーがその魂から流れ出てきて、美しく輝いていきます。

初めから楽しくやさしい環境で生まれ育った者は、どうしてもエネルギー的に強さがなく、また光も自分自身の光がそれほど強くありません。周りが楽しいときには楽しさを演ずることができますが、周りが光のない世界のときには自分の光を流すことができないのです。しかし、つらさの中で造り上げられた人間の魂は光のない世界でも自らの光を流すことができるぐらいに逞しい波動に変わっていきます。

人間世界だけの一時的なものですべてを判断することはしないよいうにしておいてください。長い目で見た場合に、そういう時期に生まれた魂こそが宇宙においてとても素晴らしい働きを為し、そして宇宙のためにいろんな力を降り注いでおります。確かに、人間としてみたら、つらく悲しいでしょう。でも、その魂を見てあげてください。より素晴らしい光を身に着けていく魂。本当に宇宙のために活躍している魂。その魂を見るようにしていってください。


さて、同じように病や貧困についても説明することができます。病にあう者は自分だけがどうしてこういう病気になり、健康な人はどうして楽して生きられるのだろいう、と思うかもしれません。病は人を思うときに、その人に対して否定的なことや不幸になることを願った人間が造り出したエネルギーです。あの人なんか苦しめばよい、居なくなればよい、と発せられたエネルギーが自分に戻ってきて自分の存在価値を否定していきます。

ほとんどの人は、でも私は相手にしてそんなことを思ったことはない、相手を否定したことはないと思うかもしれません。ここで、いろんな考え方が必要となります。まず、自分が相手に対して発したエネルギーは必ずしもすべてが自分に戻ってくるわけではなく、またすべてが相手にそのまま届くわけではありません。

人間が思ったり感じたりしたもの、それは一度、この地球人類の集合意識の中にすべて集められます。そして地球人類の集合意識としてどういう思いが造られ、何を感じたか。そういう風にして造り上げられていきます。そしてそこで、あの人がこうあればよい、自分はこうあればよいという風に造られた思考のエネルギーがそれぞれのパーソナリティに応じて戻っていきます。

そして場合によってはほかの人のところに自分の発したエネルギーが流れていきます。場合によってはそのまま自分に戻ってきます。したがって人類全体で見た場合には、あくまでもバランスがとられており、否定的な思いを持つ者には否定的なエネルギーが戻ってきます。そういう風にしてエネルギーが調節されます。

ほかの人が不幸になるのを願った場合に、同じような思いを持つ者のところにそのエネルギーが流れていくでしょう。そしてほかの人がそれを思ったときに、それが自分に流れてくるかもしれません。地球人類全体で見たときには、そういうやり取りが行なわれております。

こういう状況の中で、病をなくす。そのためには自分が健康であり、地球人類が健康であるというのを常に意識し、その実現に向けて自分が努力することが必要となります。病を持っている者を不幸と思ったり、その者を否定すると、それも自分に戻ってきます。病を経験しているのも、同じ人間であり、健康な人間も同じ人間。すべて地球人類として経験をしている一つの現れ。そういう意識の持ち方が必要となります。

病を経験している者、それを否定的に思うと、本当にそれが苦しい状況に現象化されてしまいます。健康な人間がうらやましいと思うと、常にうらやましいというエネルギーがつくられてしまいます。したがって健康であることや病であること、それに対しての価値観をなくしていく。それに対して良いとか悪いとか、苦しいとかいう思いを持たないようにしていく。まずはこれが必要となります。

そして仮に自分が病であろうと健康であろうとそれにとらわれないように。単純に今の地球人類のレベルがそうであり、今、自分はそれを経験している、それを理解することが必要となります。中には、治らない病を経験している人もおります。でも、それも魂のレベルでは理解しており、ある意味ではそれを承知の上で経験しております。

その人間はつらいかもしれません。でも魂のレベルでは、それを理解しているのです。それはいずれ力強いエネルギーへと変わっていくでしょう。今、病を経験している者、それを否定的にとらないようにしておいてください。その経験が必ず後で強さとなって魂に戻ってきます。病を経験している者ほど、肉体に対してのいろんな思いが強くなり、人間をいろんな面で愛する能力が強くなってきます。

肉体、それに対しての愛。まだまだいろんな意識の変換が必要でしょう。自分がそういう状況になったとしても、混乱したり、また相手をいろいろと判断したりしないように意識を高めていってください。


※その後のある人の個人セッションで、病についての新たな情報が得られた。「病の原因は周りの者も本人も原因を特定するのが難しい。魂が意図的に造った場合や、ほかの人の病を自分が代わりに演じる場合などがある。勝手な想像で他人へアドバイスしないように。否定的な気持ちを持たないことが必要。病では肉体に対する愛や意識の変化を学ぶ場合が多い。病を治そうとするのではなく、愛についてや意識の変化が早く学べるような手助けをしてあげるのが良い。学ぶべき課題が解決されると、その病の役割が終わり、急に治る場合がある」。


さて、次の説明として、ここの場において具体的なものが現れないという点について説明をしておきます。ここの場はほかの人間たちが学んでいる場とは根本から違っております。ほかの人間たちがスピリチュアル的な学びをする場合にはホワイトブラザーフッドが必ず関与しており、彼らの指導の下でいろんな学びが進んでいきます。そしてホワイトブラザーフッドはマスターや天使の力を借りてその人間の成長や意識の変化を進めていきます。

そのためにホワイトブラザーフッドから情報を得る場合にはマスターや天使の存在がとても強く影響し、人間にメッセージを与える場合でも彼らがいろいろと関与してきます。ホワイトブラザーフッドはそういう役割を前提にしており、人間の霊的な側面を高めたり、宇宙との繋がりをつくるためにとても強い関与をしています。ところがここの場は実際にはかなり特殊な形態をつくっております。


まず、一番の特徴的なものとして、特別な形態とか固有のもの、といったことが一切、造られておりません。集まりの名前とか波動とかいったものもありません。なぜならば、すべてが神の管理下にあり、神が必要に応じてここにやってくる存在たちを呼び、そしていろいろと話をさせたりします。その時その時に必要なものが集められ、役割を終えると元に戻っていきます。

したがって特定のマスターとか天使がここをずっと援助していくということが行なわれてはおりません。そしてここに呼ばれて集まってくる者のほとんどがこれまで地球に関与したことのない存在であるために、普通の人間が持っている概念では説明することができないのです。ここにやってくる存在たちはほとんどが地球とは関与していないために、まったく違う形態や思考の持ち方で皆さん方に説明をしていきます。

それがどういう意味であるのか。これから地球は新しい波動の世界に移り変わっていきます。新しい波動というのは、今まで皆が造り上げてきた世界とはまったく違う世界です。一人ひとりが理解してきた宇宙の真実ですらもまったく違ったものになります。そこにおいては制限や概念といったもののほとんどが存在せず、すべてが神と一緒であり、自分は神であり、ほかの人も神であり、皆がこの地球で喜びを分かち合って生活していく。そういう社会になります。

それを実現するためには、今までの概念を持った人間がそこには影響しないようにしておく必要があります。今までの概念を持った人間がいると、それまでのエネルギーを引き寄せるために、波動が低くなってしまうのです。今までの概念を持つ者は、その概念を完全に手放すか、あるいは新しい波動に来ることはできません。そして新しい波動ではほとんどの概念を手放し、まったく新しい存在と繋がっている者だけが生きることができるのです。

そのための準備を今、進めているところであり、多くの存在がこの場を通してそれを実現しようとしております。したがって、たとえ素晴らしい教えや真理であると思っても、今までの人間が造り上げた概念、人間が理解しようとしていた教えにしがみついて者は新しい波動においては存在できないかもしれません。すべてを変えていく必要があるのです。

したがってここではなるべくそういう概念に固執することがないように、あえて固有名詞や一つの教えを持ってくることをしないようにしているのです。ただ、それでは多くの人の成長が難しかったり、学べなかったりするでしょう。ですから、ある程度、そういう概念を持ってきても、私たちは許してはおります。でもそれをよいものとか、それが正しいものとして認識はしておりません。あくまでも便宜上、それを認めているだけであり、いずれはそれを手放していただく必要があります。

例えば、今日見ていただいたビデオでも、それはあくまでも今のレベルにおいては理解しやすい教えとなるでしょう。でも、いずれはそれすらも手放していただく必要があります。新しい波動の世界はそれだけ意識の変換が必要とされており、本当に今まで自分たちが造り上げてきたものすべてを手放す必要があるのです。そして何から何まで、すべてが新しい波動に変わっていく。それが望まれるのです。

新しい波動の世界においては、必ずしも特定の神や特定のマスターが皆を導くということはありません。確かに、イエスと呼ばれる者、エロヒムと呼ばれる者は存在しているでしょう。でも私たちはそれを全面に出すことを考えてはおりません。それはまた宗教をつくってしまいます。ですからたとえイエスやエロヒムがここにやってきたとしても、ほとんどの場合は自ら名乗ることをしないでしょう。

ただ波動を感じていただき、自分とその波動との繋がりを自分で見つけていく。それを理想としております。皆さん方もそういう方向性を理解した上でこれからの学びを進めていっていただきたいと思います。


さて、日本人についての質問がありました。今、話した内容とも関係しますが、特定の存在・特定の宗教に依存しない生き方を身に着けるのは日本人が一番、適しております。それは日本人が優れているというわけではなく、たまたまある一つの特定の宗教に強く関与していないということ、特定の教義を必ずしも身に着けていないということ、そこから起こされる状況です。

日本の神道は宗教と理解している人もおりますが、実際にはほかの宗教とはかなり体裁が違っており、一人ひとりは神と契約した記憶がなければ、また特定の神を崇拝するということもしておりません。それはある意味では自然な生き方ともいえます。ただ、神を無視して良いという意味ではありません。自分が神であるということ、それを理解しておく必要があるからです。

したがって神を無視するのではなく、自分が神であるということを思い出す。それが必要となります。では、神とは何であるのか。それが一人ひとりの学びとなるのです。したがって本来の神道は初めから、何が神であり、あなたは何であり、あなたは何をすべきかを教えるのではなく、それを自分で思い出すためのいろんなやり方を教えていく。それが本来の神道なのです。

どうやったら自分は神であるのか、を思い出せるか。自然を見なさい。地球を見なさい。動物を見なさい。それによって神が何であり、自分が何であるのかを思い出せるでしょう。神道はいろんなところに自分の正体を知らせるヒントが隠されております。でも、その多くの神道が後世の人間によって造り変えられ、本質を見失っております。わざと天皇を特別な者にするために作られた教義があり、必ずしも自分の正体を知るためのツールであるということが理解されない状況になっております。

神道は天皇のためにあるのではなく、一人ひとりの人間のためにあるということ。そしてそれはツールであり、教義ではないということ。その本質的な神道をこれから紐解いていき、そして一人ひとりが思い出すというのをやっていっていただきたいと思います。


地球に関しての質問がありました。地球は人間と一緒に進化しております。でも、人間としての意識と地球としての意識には大きな違いがあります。人間は神となって思考や行動をとっていく役割が与えられております。地球は人間と一緒になって、宇宙を創り出すための根本を提供しております。

この地球はいずれいろんな神が宿ることになります。宇宙のいろんな神がこの地球にやってきて、そして神々同士が直接交流する。いろんな生命がこの地球で成長していき、神々たちの楽園となる。そういう可能性を秘めているのです。そのために地球は地球人がいろんな失敗をしたり、いろんな苦しみを造り出しても、いずれは神が宿るための材料として地球はひたすらそれを許し、そして神が宿るのをずっと待ち続けているのです。

人間はこの地球に恩返しをする時期にきております。今までずっと許してきた地球。でも皆さん方はそれを何とも感じておりませんでした。地球はもうそろそろ我慢できなくなってきます。本当に人間の愛が必要になってきているのです。地球に対して愛をたくさん与えれば、地球は楽に変わっていきます。でも、誰一人、地球に無関心であれば、地球は苦しいまま波動を変えていくでしょう。できれば人でも多くの人間が地球に思いを馳せ、そして変わっていくのを望んでおります。

地球はまだまだ経験すべきことが残っており、人間とともにやるべきことが用意されております。でも、それをどのようにして経験していくのか。必ずしも苦痛だけではなく、喜びに変えていく。地球と人間が本当に協力して波動を高めていく。一緒になって喜びを造り出していく。そういう流れへと変わっていくのを望んでおります。

私たちはいろんな意味において、皆さん方とやるべきことがまだまだ残っております。でも、いずれかの時点で皆さん方は自分で歩くことが必要とされます。いつまでもいつまでも私たちからのアドバイスを望んでいて、そしてその通りに歩くという生き方は許されません。何故ならば、皆さん方は神だからです。

神はほかの人に聞いたり、ほかの人の言うなりになるということはあり得ません。自分で自分の宇宙を創っていくのです。ただ、人間として生きている以上は限界があり、迷いがあるでしょう。私たちはそういう人に対し、アドバイスを与えることはできます。でも、自分でやらなければならないこと。自分で考えねばならないこと。私たちはそこまでは介入できません。

したがって皆さん方からすれば、どこまで自分の責任で自分で行動し、どこまでは私たちから情報を引き出せるのか。その区別を自分で理解できるようにしておいてください。私たちは、ただ聞かれたからといって何でも答えるということは許されておりません。皆さん方が自分で理解すべきもの、それは皆さん方が自分で答を引き出すのです。そういうやり方を早く身に着けてください。

もし、何かほかに聞きたいことがあれば、今、お伺いいたします。

私たちはまだまだこの場を使っていろんな、学びをしていこうと思っております。ですから、学びたい、ここで勉強したいという気持ちがあれば、その思いを大切にしてここで成長できるように学びを続けていってください。それではありがとうございました。


(c)1998 CentralSun
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