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1998/2/25■水曜瞑想会から

概念の心ではなく真の心を瞑想で見るように

@心の課題を瞑想で確認する

私たちは先程の瞑想の準備をしていた存在と思ってください。まず、それぞれの経験について説明をしていきましょう。Tさんの経験のほとんどはあなた自身の自分の今の心の状況をそのまま現しています。もっと早くいろいろ理解して、明らかにしたい。もっとはっきりと見たい。だけど何故か良く見えてこない。これそのものがあなたの心です。本当は見えるだけの能力が与えられ、また実際に見ているのにもかかわらず、何も見えない、何も感じないという風に表現してきます。

これは必ずしもあなたの思っている理由とは別です。まず多くの日本人が表現をするときに、すぐ控え目にわざと何もできなかったかのように表現したり、振る舞いをとることがあります。常に控え目、常に抑えて、常に自分は何もできないかのように見せていく。これが現実に心を造り出していき、表現しない自分が本当の自分であるかのように行動をとり始めていきます。

ほかの人の前ではおとなしく、目立たないようにしておく。何もおかしなことは見なかったことにしておく。トゲのあることは言わないようにしておく。そういう制限によって心の本来の働きが抑えられていきます。つまり普通の人はそれによって自分の心が制限されているということすらも気づいておらず、いかにも自分が普通の心であるように思い込んでおります。

でも、いざこういう瞑想をして見えてこない、聞こえてこない、これは自分で、見てはいけない、見なかったことにしておく、まだ私は聞こえない、まだ聞こえる能力がない、いろんな理由によって勝手に自分の心に制限をもっていき、そしてそれをそのまま自分で感じているに過ぎません。したがって見えたものはしっかりと表現し、聞こえたものはしっかりと表現する。またそういう能力があるというのをちゃんと心から信ずる。これが出発点です。

すぐ、控え目におとなしく言ってしまう。これが心をどんどん小さくしていきます。素直ではない一つの証でもあります。そういったことをもう少し、根本から考えていただきたいと思います。


さて、Sさんのいくつかの感覚的なエネルギー、これはあなたの感じたとおり、いろんなエネルギー的な調整が行なわれておりました。その中でも、一番重要な調整は、これからこういう場においていろんな体験ができるように、新たなる波動との結び付きや感じ方のしやすいエネルギーを造り変えたりという、いろんなことが行なわれておりました。そして自分自身は今までとは違う感覚をこれから体験しやすくなっていくでしょう。

宇宙というのは、確かにあなた自身の概念もありますが、またあなたのエネルギーそのものも宇宙にかなり繋がりやすい状況になっております。いろんな意味において宇宙に思いを抱くことが多く、あなた自身自身との接点がいろんなところにできております。したがってこれからも同じような感じで練習をしていくと、さらに宇宙の深い領域にまでいろんな体験をすることができるようになっていくでしょう。


さて、Iさんのいろんなビジョンと、最後に自分なりに感じた自分の心という観点ですが、まず一番あなたのテーマとなっているものを次々とあなたに見せてきました。何か足を救われるような感じでずっと降りていった。自分としては一生懸命に道を歩いているのだけれども、何か間違ってしまったらどうなるのだろう。そういう不安がまずそういう状況を造り出しました。そして現実にずっと降りていって、自分の世界を探訪に行きました。

本来はそれはあなた自身の心の中の一つの世界に過ぎないのですが、何か、経験の中に否定的なものや不安に襲われるもの、何かつらいもののようなもの、という思いがあるために、そういう心を見ようとすると、どうしても下の方という雰囲気を造り出していきます。したがって本当はごく普通の経験であっても、あなたの意識からすればつらく、悲しい経験という風に認識されるために、下の方でつらく、寂しい世界という風に認識されていきます。

そしてその中で、火をつけた。これは本当に良い反応の仕方といえるでしょう。暗いところには自分で火をつける。そして明かりを灯してほかの人を照らしていく。これこそあなたの本質的な優しさであり、強さでもあります。そして今、どのような状況にあってもあなたが発揮することのできるエネルギーです。どんなに光のない世界に行っても、あなたは自ら自分の力で光を造ることができるのです。その自分の強さを本当に理解しておくことが必要です。

あなたが手にした人形のようなもの、何かとてもつらくさみしい思いがした。ある意味ではあなた自身の焼け焦がれた後でもあり、また自分のパートナーの焼け焦がれた後でもあり、また今までの人生の焼け焦がれた後でもあり、また自分にとってもう手放したいものの焼け焦がれた後ともいえるでしょう。それを手にする。自分でしっかり感触を味わってみる。寂しい。つらい。でも自分は今、それをしっかり手にしている。

その経験を自分はどのように活かしていくか。焼け焦がれた後のように見えていても、心のエネルギーでそれらは生まれ変わることは可能です。心のエネルギーは自分の世界に生命を与えることができます。自分の心の中にあるものには自分の生命エネルギーで生き返らすことも可能なのです。あなたはそれにいずれは命を吹き込み、そして自分の人生のために共に歩むべき時期がやってくるでしょう。

今までは単に手放したい、逃げたい、そういう思いが強かったために、焼け焦がしてしまいました。でも自分の為の経験であった、それらを自分の成長に役立たせることができる。そういう風に理解すると、その焼け焦がれたものは美しく生き返ってくるでしょう。自分の心の状況に応じて、現象がどんどん変わって見えていきます。

自分自身の見えたビジョンの一つひとつにあなたの心が明確に現れています。しかし、一番あなたに今、必要なのは、自分が今、経験していることの一つひとつが何を意味して、自分に何を教えようとしているのか。自分はそれによって何を学んでいくか。本当にそれに意識を向けていただきたいと思います。

自分のやり方、他人のやり方、いずれはこういった考え方事態が無意味になっていきます。やり方ということ事態が意味がなくなり、多くの人間を無理矢理一つのやり方で束縛するということ事態が人間にとって不都合になっていきます。もうそれぞれが自分のやり方でやっていく。しかし同時に複数の人間が生活する場合に、やはりそれをうまく持っていかせる一つのルールのようなものができてくるでしょう。

それは多くの人が自分で勝手にそれを認識し、それをベースにして進めていきます。特に家族の場合は、明確にルールとして出来上がったものではなく、お互いが勝手に良いという範囲内で自分の行動をとっていきます。自分のできる範囲内で自分のルールを造り、相手は相手でそのまま相手に任せます。しかし自分が意識を成長させ、経験を積んでくると、家族でのルールにも少しずつ違和感を感じたり、別の雰囲気が感じられたりします。

しかし、その時には自分で勝手にルールを変えるのではなく、やはり皆で確認できるような状況が必要でしょう。つまり、ある程度、コミュニケーションをとってそれぞれがどこまでどういう風にかかわりあうか、どこまで自分は自由に生き、どこまで皆で合わせていくか、それをある程度話し合うことは必要でしょう。しかし、それも生き物であり、それぞれがまた成長し、意識が変化してくると、ルールもまた変わってこざるを得なくなってきます。

そしてそれに応じてまた皆で調整をとる。そういうことが必要となってきます。何か一つのルールを設定して、ずっとそのままでうまくやっていかせようとしても、それはまず実践できません。人間が成長するのと同様に、ルールも成長していきます。したがって常に皆で確認を取り合ったり、合わせていく必要があります。修正が必要となるのです。

家族は社会生活の一番基本となる単位ですが、ルールや制限で全体を束縛したり、無理に方向性を造るということはなるべくしないようにしておくことが必要でしょう。できるだけ一人ひとりが自由に動けるように、一人ひとりが自分に満足できるように、まずはそれを一番初めに考えながら、いかにそれらを組み合わせていくか、その組み合わせということにもっと意識を向けていってください。


A瞑想で見ている心は概念の心

さて、今日、皆さん方に瞑想していただいた中で、それぞれ自分の心を改めて確認してもらうというテーマが入っておりました。この自分の心を瞑想で見るというのは簡単なようでいて、意外と難しいといえるでしょう。多くの人は自分の概念や思い込みでそれを考え、理由をつけるために、本当の心とは別の心を自分が見ることになってしまいます。しかし、今、皆さん方が見るべき必要な心は今までの概念や思い込みでは見ることのできない自分を皆さん方に見せております。

したがってそれを通常の考え方で理解しようとしても、理解できるものではありません。自分の心の広さ、雄大さ、計り知れない深遠さをもっともっと理解する必要があります。こういうビジョンが見えたからこうだ、こういう感じ方がしたからこうだ、そういう単純なルールではもうほとんど役に立たなくなっております。そういった概念をすべて捨て去り、純粋に一つひとつ原因を探り出していく。そういうことが今、必要となっております。

これからも瞑想の場において、いろんなものが見えたり感じられたりした場合、それをありきたりの解釈で済ませるのではなく、本当にもっと深いところまで意識を向けて自分の心を見つめていっていただきたいと思います。


B頭で意識していることと心との違い

私たちが最後に話をします。自分の心というのは意外と分かっているように見えて、ほとんど理解はされておりません。皆さん方が通常思ったり、感じたり、自分の感性的なもので認識できるもの、これは確かに心の一部ではありますが、本当に大脳に近いレベル、思考に近いレベルで造り出された心であり、思考とは関係のしていないもっと本質的なもの、自然なものという領域における心をほとんど理解できていない状況になっております。

心は頭で理解できるものではありません。確かに思考は心の作用の一つですが、心そのものとは違います。皆さん方が考えたり、判断しているのは心のもっと奥深いところから大脳に対して指令がとび、そして大脳でいろいろと論理的に考えて、それをまた心の方に戻していきます。こういう論理的な認識の作用とは別のところに本質的な心が常に活動しており、それが常に肉体や意識にいろんな思いを起こさせていきます。

自分の心を知るためには、論理的なやり方だけではなく、もっともっと本質的なところから感覚的に受け取る練習も必要です。また、自分の心だけを単純に見るのではなく、ほかの人々の心や動物や植物の気持ちも理解してあげられるような心の広さも必要となってきます。そういう経験を重ねることによって、心というものは何であるのか。頭で意識したことと心との明確な違いがだんだん分かってきます。これはまた自分を知る一つの大きな役割でもあります。今、考えている自分と心がまったく違うものであるというのをなるべく身体で体感できるように練習していってください。

それでは今日はありがとうございました。



(c)1998 CentralSun
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