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1998/1/12■月曜交流会


自分の波動に見合った光とつながるように


@周りにいる人の光を集めて自分の師とする

私はミカエルとして、今、やってきました。私がここで話をするのは、最近あまりありませんでしたが、今、いろんな意味があって私がお話をしたいと思います。私たちは今、いろんな仕組みを造り、いろんなことを考えて皆さん方の勉強のための準備を進めています。ただ、今までの学びの仕方では中々うまく目覚めることができず、また広がってもいかないということが分かってきました。

どのようにしたら一人ひとりがもっと効率よく目覚め、またそれがほかの人々にも良い影響を与えていくことができるか。それをいろいろと検討してきました。そして今年はある程度、一つの試みをして、それに基づいていろんなことを進めていきたいと思います。

ただ、そのためにはいろんな準備が必要となり、まだ私たちの方でそれに向けて最終的な条件を造り上げているところです。今、私たちはそういう状況のなかで皆さん方と共に学びを進めながら、この地球の新たなる変化のために、皆さん方のそれぞれの意識の向上のために、いろんなことをやろうと思っています。

今までの皆さん方との学びを通じて、私たちなりにもいろいろ確認することができました。ここにやってくる人々はそれぞれがとても素晴らしい意識を持ち、真面目に、純粋に宇宙と繋がりをつくり、自分を成長させようとして学びを続けておりました。にもかかわらず、ここでの学びがそれほど広がっていきません。そこの本質的なところに目を向けている人がほとんどいませんでした。

つまり自分自身の成長を考えてはいても、全体的な広がりや意識の拡大ということには目を向けることができず、どうしても自分だけの学びという観点にはまっている人がたくさんいたのです。皆さん方は自分の成長を第一にしており、私たちとの繋がりにおいても、自分が繋がるということを前提にしてきました。

でも、私たちの観点から見た場合には私たちが皆さん方の一人ひとりと繋がるためにはまず大きな柱をつくり、その柱からいろんな枝分かれの光を造り上げ、それを一人ひとりに流していく。これが必要になってきます。したがって今の時期においては、私たちは一人ひとりと繋がることよりも、まず大きな柱を築くことを前提にしています。そのためにいろんなワークを重ねたり、いろんな場所に赴いてエネルギー的な場を造り変えようとしてきました。

ところがそういう太い光の柱を造ろうとすると、ほとんどの人が拒絶感をあらわにし、私たちの造ろうとしている光を造らせないような言動をしてきました。もうこれは数え切れないほど、繰り返されてきました。何故このような状況に陥ってしまうのか。

それぞれはまず自分だけはしっかりと光に繋がりたいという思いを造り上げております。そのために全体の光とか、皆が太い光に繋がるという思いを持っている人がほとんど誰もおらず、まず自分が光に繋がること、これを常に考えております。これはどういう現象を造り出していくか。

自分が光に繋がろうとするばかりに、ほかの人は光に繋がっていないという思いが造られていきます。そのためにお互いにこれをやり合い、それぞれが相手の繋がろうとしている光をうまく繋がらなくさせてしまったり、太い光を造ろうとするエネルギーをうまく働けなくさせるような状況が造られていたのです。一人ひとりは真面目であり、純粋に光と繋がろうとして頑張っております。でも、全体が太い光に繋がろうとする思いを持つ人がほとんどいませんでした。

いま私たちにとって必要なのは、まずこの太い光をあちこちに造り、その太い光を拠点にしていろんな人間に繋がっていく。これを考えていたのですが、これが中々うまく進展できませんでした。しかしこれはあくまでも人間が行なうことであり、私たちが指図したり、命令することはあってはならないことなのです。

つまり皆さん方の方から太い光を皆で造ろうとか、先に大きな光をここに造ろうとか、そういう宣言がない限りは私たちは造ることはできないのです。そういう宣言もなければ、思いすらも持つ人が誰もいませんでした。したがって私たちはそれをすることができなかったのです。

私たちと一人ひとりとの繋がりを考えるときに、多くの人はまず自分が光と繋がり、そして自分が中心となって世界を変えていこう、という思いを造り上げていきます。これについていろんな説明が必要となります。

確かに皆さん方が光と繋がることは大切であり、それは自分にとって一番やるべきことでもあります。ただ、今の皆さん方一人ひとりが持っている光と繋がる能力や容量、波動を考えた場合に、皆さん方が直接、私たちと繋がることはまだかなり難しい状況にあります。まだまだ心の浄化や認識の変化が必要であり、今のままで神に繋がろうとしても私たちに繋がることはできないのです。

そのために皆さん方に一番相応しい光がやってきて、その光がまず皆さん方と繋がり、そして皆さん方に光を与えることのできる存在が私たちと繋がっている、という状況が必要とされるのです。つまり光の変換器がどうしても必要となります。

皆さん方は変換器を通さず、直接、神から光をもらおうとしております。それはいってみれば、こういう普通の家に10万ボルトや100万ボルトといった能力の電圧を流すようなものであり、皆さん方の能力を破壊させてしまいます。あくまでも皆さん方の光の容量に応じた光が流れるように調整をする必要があります。

その調整をどこでどのようにして造り上げていくか。今まで宗教とかいろんな神霊的な組織がありました。これはいってみれば、その教祖や指導者となっている人がその変換器の役割をしていたと思っておいてください。彼らは必ずしも真の神に繋がっていたかどうかは別として、より大きなエネルギーがその指導者を通してそれぞれの信者に伝わり、そして全体がより本質的な根本に繋がるようにと造られているのです。

したがって今のこの時代においても、宗教に入っている人は必ずその教祖を通じて自分とその裏にある大きなエネルギーと繋がりをつくっております。しかし、今、宗教という組織がだんだん破壊されていき、一人ひとりが個別に学びをする段階へと入っていきます。その場合に一人ひとりが直接、神に繋がり、直接、大きな波動と繋がろうとする方向に行くでしょう。

でも、残念ながら、先ほど言ったように一人ひとりの今の光を受け入れる容量からすると、直接、神から受け入れることが難しい状況にあります。そのために、その変換器として位置付けられる存在が必要となります。私たちはそれを大きな光の柱としてつくろうとして昨年は考えておりました。現実にそれをつくることはほとんどできませんでした。まずは皆さん方がそれを望んでいなかったということ。考えてもいなかったということ。したがって私たちはつくることができないのです。

確かに皆さん方が自分で学びを重ね、自分で成長し、そして神に繋がることは可能です。でも、そのためには本当に自分が正しく光とつながる方法を身に着け、徹底的に光を自分のものとしていく必要があります。でも、それを現実の日常生活で身に着けようとするならば、おそらく普通の生活はできなくなってしまうでしょう。

なぜならば、いくら神に繋がろうとしても、その思いだけでは純粋な学びは中々できないのです。神は必ずしも楽しい経験ばかりを与えるわけではなく、あくまでもそれぞれが造り出した思い込みや信念がどういうものであるのかを教えるために、皆さん方の造り上げた概念に応じていろんな現象を造り上げていきます。

お金がすべてだと思う人にはとことん、金銭のはかなさやつらさが体験されるでしょう。物質がすべてと思うものにはとことん、物質についての欲やはかなさを学ばされることでしょう。身分や地位がすべてだと思う人にはそういうエネルギーをまとった人間から常にいろんな影響が起こされることになるでしょう。自分の造り上げた概念や思い込みがどういうものであるのか、それを日常生活で学ばされることになります。

そういう状況の中で、本当の光を求めて学びをしようと思っても、多くの者は混乱の中で光から何かをもらおうとか、自分を助けてもらうという思いしか発することができません。光に向かって進むのではなく、安直にすぐ光をもらおう、光でないものからすぐ抜け出そうという考えしか身に着いてはきません。そしてこれは神は願ってはいないことです。そのために一人ひとりはさらにいろんな体験をすることになるでしょう。

では、日常生活の中で確実に光の方向に進み、神と出会うためには何が必要か。やはり皆さん方の光よりもさらなる光を身に着けた人間と出会い、学びをし、そしてお互いに成長していくことが必要となります。皆さん方から見て自分よりも素晴らしい光を持った存在が誰なのか分からない、それが誰だか教えてほしい、という人がいるでしょう。

ほとんどの人は自分の師となる人間を求めております。そしてそういう人間が現れると、その人間にとことん付いていき、何から何まで奪い取り、自分自身が師のようになろうとします。こういう考え方そのものを変えていく必要があります。基本的に皆さん方の師となるものはこの自然界すべてであり、また目の前にいる人すべてです。特定の一人を自分の師と思うことは止めるようにしておいてください。

すべての人間が自分の師であり、すべての現象が自分の師であるということ。そして自分の体験一つひとつを通しそこから何か学ぶべきものを感じて受け取っていく。こういう生き方が必要になってきます。すべての人間が自分の師であると思えた瞬間にすべての人間の光が自分に何らかのエネルギーを発してきます。

一人ひとりはやっと輝いているぐらいの光であったとしても、自分と関係している人間すべてが師であると思えた途端にこのわずかな光がすべて一つに集まり、自分の師となって一つの存在であるかのように動いてきます。皆さん方と接する人間すべてが、あたかも一人の偉大なる師であるかのように動いていくのです。そしてその偉大なる師が皆さん方の兄弟や家族を使っていろんな学びを進めていきます。

そして現象の一つひとつもその師が作り出したものであるということに気がついていきます。そうすることによって、皆さん方は自分の師を明確に認識することができ、そして全体的な素晴らしい光をもそこに見い出すことができます。皆さん方はその太い光を造り上げ、そこと自分のハートを繋げていく、これをやっていただきたいのです。一人ひとりが素晴らしい光を造り上げ、そして自分と繋げる。

これは自分の師となるべく素晴らしい光を自分の世界につくるということ。自分がその世界において、師と共に学びを進めていくということ。これを是非ともやっていただきたいと思っております。

確かに、場所的に光をつくるということが皆さん方の認識には一番理解しやすいでしょう。でも、それは私たちの望んでいるものではありません。私たちは物質的に光を造りあげ、それをすべての人間に感じてもらおうという気持ちはまったく持っておりません。あくまでも自分の世界の中に光を造り、自分の心の中にその光を繋げていく。自分が光であり、さらなる光を求めて自分は学びを進めていく。これを確立していただきたいと思っているのです。

一人ひとりが是非とも、今年中にはそういう認識を身に着け、そして実感として自分の師となる光を造り上げ、私たちと一緒に有機体となって活動していくという生き方を身に着けていっていただきたいと思っております。


Aとにかく嫌いな人を愛してみてください

一人ひとりの意識が少しずつ宇宙につながり始め、自分が本当に宇宙の仲間として役割を演じていきたい。この地球を少しでも素晴らしい惑星にしてあげたい。こういう思いが伝わってきております。私たちも何万年もの前から、この地球が喜びと愛に満ち溢れた惑星に変わることを願って人々に気づきを与え、いろんな現象を見てきました。

でも、ほとんどの人間が直前にまで行きながらもそこで挫折し、混乱し、またもとの自分に戻ってしまいます。本当に愛に満ち溢れた家庭や環境にしようと努力しても、少し否定されたり、周りから非難されると途端にもとの自分に戻ってしまいます。

確かに周りから非難され、表立って指摘されると心が不快になり、悲しみも沸き起こってくるでしょう。でも、私たちはそれを許すことはできないのです。一人ひとりがそれを乗り越え、本当に自分から光を発し、そういう時にこそ自分が勇気を持って行動し、ほかの人に希望を与えていく。ほかの人も頑張って愛を発揮できるように、自分からいっぱい愛を出していく。これが必要なのです。

一人ひとりが躓き、諦めてしまう。それによって諦めてしまったというエネルギーがまた造り出され、それを克服すべき現象が造られていきます。結局、諦めてしまった人はそれを何度も何度も繰り返し、克服できなかったという強いエネルギーがただ溜まっていきます。

ほかの人から非難され、孤独になる気持ちは確かに分かりますが、だからといってもうそれを許せる時期ではありません。たとえ自分がどんなにつらく、一人になっても愛することの素晴らしさを引っ込めることはもう許されないのです。周りの人から非難されても、その人々を愛していく。いかに自分が孤独の中に閉じ込められても、自分を愛し、宇宙を信じていく、これが必要なのです。

ただ、つらさばかりに意識を向けてしまうと、そのつらさがいかにも自分に現実感が襲ってくることになり、必ずしも好ましくはありません。したがってどのような状況であっても、必ず自分は乗り越えることができ、また自分を信ずることにより、自分は愛を本当に発揮することができる。それを信じて欲しいのです。

自分をごまかしたり、妥協するのは、本当に優しいことです。いつでも、誰でもできます。しかし一度決めたことを貫くということは本当に難しいことです。ましてや愛するというこの上ないテーマをとことん突き進めていくというのは、一人ひとりにとって本当に難しいでしょう。

ある程度までは愛して、最後は面倒臭いから止めておく。ほとんどの人はこれをやってきました。自分の気の合う人、仲の良い人にはとことん真心を尽くし、相手に身になって考え、相談に乗ってあげる。でも、自分を嫌う人には話もしない。こういう愛なら誰でもできます。でも、これは本当の愛ではありません。愛せる人と愛せない人の両方を持っているうちは真の愛ではないのです。

本当の愛を身に着けるためにはとことんやってみる必要があるのです。本当に嫌っている人、嫌われている人、常に攻撃的に話してくる人、その人を本当に愛している。それを一度で良いから経験してみてください。自分と肌の合わない人、タイプの合わない人、一度でよいから心を尽くして愛してみてください。

私たちはまだそういう経験のない人にいろいろ言っても意味がないということが分かってきています。本当に自分に攻撃的な人を愛して、それでどういう気持ちが湧いたか。それを体験した人にこそ初めて愛の貴さや愛の素晴らしさを言う権利があるのです。好きな人と嫌いな人をつくっているうちは愛が素晴らしいとか、愛があればすべてとか言う権利はどこにもないのです。まだまだ自分はまだその学びの最中であるということ。それをよく覚えておいてください。


B各自の世界に光の柱を完成させること

私たちはいつかの時点で皆さん方といろんな直接的な交流を持ち、そしてさらなる真理を伝え、学びのための情報を伝えたいと思っております。ただ、今の状況ではまだそれが造られる環境にはありません。ですから、一人ひとりが先ほど言った素晴らしい光をまず自分の世界に造り上げ、それを信じて私たちと一緒に活動していけるという環境を造り上げてください。

それができた人、私たちと共に学びを続けていける特別の場を造り上げていきたいと思っております。私たちも早くそれが実現され、共に学びを続けていけることになるのを望んでおります。ここで少し、休憩をとりましょう。ありがとうございました。


C神の現れ方は呼ぶ人の概念に応じて変わる

私たちはいま、あなた方の魂の仲間と相談をしながら、いろんなことを試していました。皆さん方はそれぞれ、今までいろんなところで学びを重ね、それぞれが自分なりの経験を持っております。そして一人ひとりが自分なりの認識を持ち、この宇宙との繋がり方を造っております。

今、一人ひとりのその光を私たちと繋げるためにどのような仕組みが一番適切であり、効率が良いのかを考えておりました。まだほとんどの人は、自分の周りの人間を光ある存在と見ることができないために、周りの人間を通して光を繋げていくということができなくなっております。したがってほとんどの人が自分を光と繋げる場合には自分が直接、光と繋がることを考えていきます。

その場合に一番大切なことは、皆さん方が光という存在をどのように認識しているか。そのそれぞれの認識している観念に応じて光と繋がっていきます。その光は知恵があり、活動的であり、意識があるという観念を持っている人はそういう光に繋がることができるでしょう。でも、ただ光っているだけで、自分を照らすものである、という認識しか持っていない人はそういう光としか繋がることはできません。

自分が本当に神のような存在と繋がっている。そう思っている人は、そういう現象が確かに起こってくるでしょう。そして自分は神であるという存在がその人にやってきて、あなたと私は繋がっています、と表現するでしょう。でも、それはあくまでも私たちが表現している神とは別のものです。

私たちの認識している神は皆さん方のところに行って、「私が神」という挨拶は絶対にしません。そういう必要もありません。もし神がそういうことをした場合には、「私は神である」として現れた存在以外は神ではないと認識してしまい、神と神ではないものを分けてしまいます。真の神はすべてが自分であるために、「私は神である」として現れることはしないのです。

したがって自分が神と繋がっている、と認識しているものに、真の神は「私は神です」という現れ方はしないのです。したがって「私は神です」と言って現れてきたものは本来の神ではないということを理解する必要があります。さて、それでは今までここに現れてきた神と呼ばれた存在は何であるのか。それについて少し説明をしていきましょう。

多くの人は神という存在を何らかの概念を造って認識しております。すべてを創り出したもの、自分を創り出したもの、いろんな認識があるでしょう。これまでここに現れてきた神の大部分は皆さん方のこの宇宙を創り出した意識の一部から現れてきました。したがってその意識は自分がこの宇宙を創り出したという認識を明確に持っていると同時に、三次元の人間に現すことができる表現形態をまとって出てきた。つまり皆さん方の概念に応じてわざわざその姿を現して出てきたもの。まずこのように理解をしておいてください。

でも、これがこれからはだんだん現れなくなってくるでしょう。皆さん方が真理に近づき、より本質的なことが見えてくるに従い、神の現れ方も姿・形を変えていきます。今の皆さん方のこの学びの場において、神という存在がだんだん現れなくなってきています。これはもうその必要性がなくなってきたのと、皆さん方の成長に好ましくないという状況から神という存在が表立って出てくるということがなくなってきました。

でも、だからといって神が現れなくなったと言うわけではなく、今の私たちや先ほど話された多くのものはこの宇宙を創り出した意識の大元からやってきております。でも、あえて私たちは神という表現は使わないようにしております。なるべく皆さん方が本質に繋がり、すべてを理解するためには神という表現がもう適当ではないからです。

さて、そういう今の状況において、私たちは皆さん方に真実をどのようにして伝えていくべきか。今、そのいろんな修正が行なわれております。まず、私たちは今、なるべく光のハイアラーキという名称で現れようとしております。これが今の皆さん方にとって認識しやすい概念であり、私たちもその概念を使って何らかの行なうことができます。

この光のハイアラーキという概念を使うと、皆さん方と一緒になって、この地球を素晴らしい惑星にしようとしている光の集まりがあり、そして皆さん方を指導している光のマスターたちもこの中にいる。サナンダやアシュタールコマンドでさえも、私たちと一緒になって皆さん方を指導している。そういう概念が造られてきます。したがってしばらくはこの概念を使って皆さん方と接することになるでしょう。

ただ、だからといって永遠にこれが皆さん方に現れてくるとは思わないでおいてください。皆さん方の意識が成長し、また新たな認識ができてくると、私たちもそれを使って現れるかもしれません。それがどう変わっていくのかは皆さん方の成長次第となってきます。皆さん方がより適切な概念を身に着ければ、私たちはそれを使うことになるでしょう。

したがって皆さん方が成長すれば、それに応じて私たちの現れ方も変わってきます。でも、それは現れ方が違うだけであり、私たちの本質は同じです。またやろうとしていることも同じです。したがって昨年、あるいは一昨年、ここで話されたいろんな中身やそれを話した存在たちの名前が変わったとしても、本質的なテーマは何も変わっておらず、皆さん方が少しでも自分に意識を向け、満足のいく人生を歩むためのアドバイスを差し上げているということを理解しておいてください。

今年もこれからの学びにおいても、皆さん方の観点からすると、また変わったとか、違ってきたという風に思うかもしれません。でも、私たちの見方すれば何一つ変わっておらず、皆さん方の概念に応じて現れ方が変わっているという風に理解をしておいてください。


D敵を愛することを本当に身に着けてほしい

さて、私たちは最後に皆さん方にいろんなエネルギーを感じてもらって終わりにしたいと思います。


私はミカエルの波動で今、やってきました。今年、皆さん方の光をなるべく完成させるために、私がそれぞれに常に波動を送り、繋がりを強くしていっていただきたいと思っております。私が皆さん方に波動を送った場合にどのように感じられるのか。今、それぞれ自分なりに感じてみてください。


私はサナンダの波動で今、やってきました。今年はミカエルと一緒にいろんな働きをしようとしております。ただ、これまで皆さん方が認識していたサナンダと必ずしも同じことを言うとは限りません。私は私なりのやり方で今年、進めていこうと思っております。ただ、一貫して言えることは皆さん方が本当にいかに愛を身に着け、いろんな人々と和を保ちながら、自分の成長を為すことができるか。常にそこに意識を向けております。皆さん方が自分の敵を愛する。自分に攻撃的な人間を愛することができる。それを何としてでも身に着けていただきたいと思っております。私の波動を感じてみてください。


私はサナトクマラとして今、やってきました。昨年に引き続き、今年も私たちが皆さん方と一緒になって少しでも新しい地球のために活動していただけるような情報を与えていきたいと思います。私の波動を感じてみてください。


E逃げようとせず正面から取り組む姿勢を

私たちが最後に話をして終わりにします。人間はそれぞれ悩みを抱え、困難な状況に何度もでくわしながらも生活を続けていくようにつくられております。そこから逃げようとか、すぐに楽になろうという気持ちがあると、克服すべきテーマが解決されずに、また現象化を引き起こします。したがって今、自分が困難な状況にあると思ったときに、逃げようとせず、それを正面から受け入れ、少しでも良い状況に変えていくという認識を常に持っておいてください。

変えていこうという気持ちが本当に現実を変えていきます。逃げようとか、楽しようとかいう気持ちではなく、よく変えていく、良い方向へと変換させていく、そういう気持ちを常に持っておいてください。私たちはここまでにしたいと思います。それではありがとうございました。


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