したがってどちらがより多く知っているとか、どちらが本当の真理を手にしているかということには何の価値もありません。それはその段階で自分の成長を止めてしまい、さらに次の向かう気持ちを留めてしまう働きをしてしまいます。したがって常に自分は真理を求めて成長していく。それを日常の心がけにしておいてください。
自分たちが今、いろいろと学びのやり方を変え、少しでも本来のものに近づこうと努力しております。しかし、所詮はどのような方法を使っても、人間の思考で考えられたものはある一定の制限の範囲内でしか認識できません。したがってどのように知識を使い、情報を手に入れても、人間の思考でそれを紐解いていく場合は、ある一定の限界がそこに存在します。
したがってそれ以上の真理を手にしようとする場合は、人間的な思考をいかになくし、いろんな世界から、いろんな存在から真理を眺め、そしてこの宇宙として普遍的に存在できるようなものに造り変えていく、という認識が必要となってきます。
人間の頭脳は確かに素晴らしいものをたくさん含んでおります。いろいろと想像したり、論理的に分析したり、新しいものを生み出す能力を持っております。でも、何が正しく、何が間違っているのかを見分ける判断能力が極めて乏しく、ホンのチョットした感情の乱れや主観的な考え方によってその真理がかなり変わってしまいます。
常に自分が正しい判断をするためには、事実をしっかりと見極め、受け取り、正しくそれを受け入れるという気持ちが必要であり、そしてそこから自分自身の望んでいるものは本当は何であるのか、自分とほかの人との関係はどういうことが一番望ましいのか、自分という人間の存在をこの社会でどのように生かしていくか、これらの本質を明確に理解していくと、それに向けての正しい判断力が次第に身に着いてきます。
しかし、自分という存在にそれほど意識を向けず、ただ他人の評価を気にしたり、他人の意見に右往左往している段階では、自分自身の正しい判断力は身に着いてきません。今、多くの人がそこで混乱をきたしております。ほかの人の言葉ばかりに惑わされ、自分自身の生き方が確立できない。こういう人に限って次から次とほかの人に相談し、自分に見合った回答がなければ、またほかの人のところに行く、そして自分が楽できる回答を求めて次から次へと渡り歩いていきます。
自分で創造する、自分で責任を持って行動していく、こういう思いがあまりにも少ないために、正しい判断力も身に着かない状況になっております。今、一人ひとり、知識をモトにして推論し、真理を組み立てております。それ自体が悪いというわけではありませんが、その論理的な組立の能力だけではなく、正しい判断力といったことも身に着けることをやっていただきたいと思います。
私たちは今日はここまでにします。ありがとうございました。