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1998/1/5■月曜交流会


成長を望み、強い心で毎日を過ごすこと


@知識で他人と比較する行為は手放すように

今晩は。私たちは今は光のハイアラーキの中から特別にメンバーをつくってやってきました。先ほどのお話を聞いていて、少し補足をしてから話を進めたいと思います。皆さん方が自分たちのやるべきことや役割について興味を持ち、その情報を手に入れようとしていることはよく分かります。でも、私たちは基本的に皆さん方に何かを為しなさいとか、これがやるべきことですよという風に情報を伝えるということはまずありません。これについて中々うまく理解されていないと思われますので、その辺を少し説明したいと思います。

皆さん方の肉体を持ったこの三次元の生活は皆さん方がお互いに人間関係を通して喜びを分かち合ったり、意識を高めていくことが必要とされております。お互いの人間と交流し合うことにより、いろんな人間についての認識が深まり、意識や考え方、創造力、発想の仕方についてもいろんな勉強をすることができます。それによって自分はさらにいろんな工夫をしてみて、新しい考え方をしてみたり、今までとは違う発想で物事を試してみたりするときがあります。

私たちはそういう状態を一番、好ましく思い、それぞれが意識を大きく広げていくことを楽しみとしております。したがってそれを限定させたり、制限させるような情報を与えることはほとんどありません。それは皆さん方の成長を止めてしまい、必ずしも好ましい状況が造り出されなくなってしまいます。

仮に皆さん方に、明日こうなるとか、これからこうなるといった情報を与えた場合に、ほとんどの人はそこにしか意識を向けないでしょう。そしてそれが当たればなおさらそれを信用してしまい、次は何なのだろう。さらにそれからどうなるのだろう。その情報ばかりを聞き出そうとします。本来の自分の想像力や工夫といったものが活性化されなくなってしまいます。また仮に伝えたことが外れてしまった場合には不信感や疑念に囲まれてしまい、もう自分の信頼すべきものがなくなってしまったかのような絶望感に陥る人さえも出てくるでしょう。

したがってこれからの情報とかやるべきことを与えた場合には、それが当たろうとも外れようとも、どちらにしても皆さん方に良い結果をもたらすことはありません。むしろ自分たちで、自分の能力を活性化させる為にいろんなことをやってみる。どんどん工夫してみる。そこにこそ意味があるのです。多くの人が、どうしてそんなに情報を聞きたがるのか。

今までは学校という場所において、試験が行なわれ、回答が多く合っていれば自分は正しい学びをし、良い点をとった。そういう認識ができております。それは皆さん方の学校において当てはまるものであり、人生や宇宙の生活においては何一つ、当てはまりません。知識でそれを理解したところで、その人の行動に現れていなければ、何も知っていないのと同じことなのです。

知識で頭に入れるのではなく、いかに行動で示していくか。私たちはそれを望んでいるのです。あなた方の役割は必ずしも何か特別なことをするとか、偉大な指導者になって人々を導くとか、そういうものではありません。あくまでも自分の意識の成長のために自分がつくり出し、それに従って毎日の現象が仕組まれているということ。それを本当に理解する必要があります。

したがって一つひとつの現実をそのまま受け取り、行動をとっていく。これが皆さん方の役割なのです。その役割を他人と比較したり、どちらかが優れているとか、より大きな役割か、などというような価値観を付けたりすることはまったく意味がありません。それぞれが自分の為に作り出したものであり、比較をするために作り出されたものではないからです。これからもそういう意味で、自分が何を為すべきか。その答を知るのではなく、毎日の現実の中から自ずと自分の体で現していく。それをやっていただきたいと思っております。


A自分の学んだことに自信を持つこと

私たちは今、皆さん方の心の中のある部分をチェックしていました。今、皆さん方が何を求めてここにやってきたのか。一人ひとりの思いがかなり違っております。確かに、自分の成長のためにこの場が必要であり、何とかして自分をもっと光り輝かせ、そして神と繋がりたい、こういう決意で来た人が何人かおります。

この人たちはすでに魂の波動が表に出てきており、自分をしっかりと自立させ、そして本来の光をただ日常の中でいかに具現化していくか。それをよく考えております。ただ、どうしても自分一人でやっていると、いろんな不安や疑問が沸き起こり、その確認をとりたいという意味でここに来ている場合が見受けられます。

こういう人々は、ここの場の使い方をもう少し別の角度から使っていただきたいと思います。今まで自分が行動してみたり、日常、過ごしてみた中で、どうしても困難な目に会い、どう対応して良いか分からなかったもの。自分は神であるというのを目標として学びを重ねているが、そもそもそういう話が通用しない人にはどのようにして接していったらよいのだろうか。

自分の言っている言葉がことごとくおかしな意味にとられてしまい、うまく伝わっていかない。どのような表現をしたら、それが理解されるのだろうか。そういったことをなるべく本音で話していただいた方が、私たちも実際的な情報を与えることができるようになります。ですから、ただ単に何かを手に入れようとする気持ちではなく、自分の疑問をここで解決していく。自分の抱えている問題をここで解決していくという気持ちで接していただきたいと願っております。

また、ある人の場合には、今までの自分の知識体系を新たなるものに造り変えようとして、そのデータ収集にやって来ている人がおります。おそらくこの人は何度でもここに来続け、そして結局はその整理がつかないまま、いつか離れていくでしょう。私たちは皆さん方に情報の整理をさせるために呼んだのではありません。

何度も言うように、愛をいかに具現化していくか。自分と価値観の合わない人間といかに接していくか。知識で解決するのではなく、言動で解決していく。価値観の合わない人とお互いに本音で話し合い、そして相手の言おうとしていることを納得する。自分は理解したことを表現していく。でも、お互いに相手にそれを押し付けない。相手の考えを尊重する。このやり方をいかに身に着けていくか。私たちが望んでいるのは、そこにあります。

知識体系をまとめたり、情報を整理するのはここでなくてもできます。ここで必要なのは、あくまでも表現すること。いろんな人の話を本当に確認し、自分が確立してきたものと照らし合わせ、お互いにさらに話し合って真実を明かしていく。この姿勢が必要なのです。ここから一方的に真理を引き出そうとする者には私たちは真理は伝えない事になっております。それでは皆さん方の成長がないからです。皆さん方は真理を知ることに意味があるのではなく、成長することに意味があるということを本当に理解していただきたいと思います。

また、ほかの人の場合には、今まで自分の行なってきた一連の出来事がどういう意味であり、さらにどの方向に進んでいき、そのために必要な情報は何であるのか。これの確認でやってきている人もいます。私たちの観点から見て、こういう人々はかなり私たちの理想に近いものがあります。ただ、そこで欠けているのは、できるだけ自分で考えて工夫し、理解しようとする気持ち、これがまだ不十分という状況のように思われます。ここで質問すれば何らかの回答が得られるという安心感があるために、とことんまで突き詰めて考えるという姿勢が疎かになっております。

ある程度、大まかな見通しがついた段階で満足し、あとはその大雑把な範囲内で行動して微調整をここでしていこうという姿勢がうかがえます。でも、私たちはいつまでも皆さん方を手取り足取り指導し続けるということはできません。いつかの時点で、一人ひとりが自分で判断し、自分で決断せねばならない時期がやってきます。私たちも、その時には何一つ、アドバイスを与えることはありません。すべて自分一人で行なうことが必要なのです。

今までも数多くの人間がここで同じような経験を積み、そして最後の最後の大切なところだけをここから聞き出して、それで安心感を得ようとする人がたくさんおりました。でも、私たちはそういう人々には何一つ、アドバイスを与えませんでした。そういう人々が次から次とここから去っていきました。私たちが回答を与えなかったということ。でもその人たちは何らかの回答を手にしたのです。

いうまでもなく、私たち以外の者がやってきて勝手な回答を出し、そしてそれを本人が真実と思って行動に移していきます。皆さん方に本当に伝えておきますが、本当に皆さん方が自分で知らねばならないことは私たちは伝えることはありません。それは聞いてもいけないのです。自分で見つけ出し、自分で考え、答を出す必要があるからです。でも、最後の最後まで聞き出そうとする人がおります。そういう人には私たち以外の者が勝手に近づいていって、勝手な情報を与えていく、という現象が起こるということをよく肝に銘じておいてください。


さて、私たちは今、皆さん方とこのような話をしている。それについて違和感を持つ人がいるかもしれません。昨年もそうでしたが、今ごろから次第にまたテストの時期が近づいてきます。そして皆さん方のこの1年間の学びの成果が試されます。多くの人は、自分は大丈夫、いつまでも光の存在に付いていきます、そう答えてきました。でも、実際にはほとんどの者がここから去っていきました。皆さん方の思っている以上にテストの奥が深く、また厳しいものがあります。単なる決意や意気込みだけでは対応できないものがあり、鋭い洞察力や思考力、繊細なまでの注意力、冷静さ、こういったものが総合的に必要とされるからです。

でも、今まで皆さん方は幾度となく同じようなテストを受け、そしてその都度それを乗り越えてきました。これからのテストも昨年よりはうまくいくかもしれません。でも、安心したりせず、常に自分はしっかりとした姿勢でもって自分の道を歩き、そして人々を本当に愛していくということ、これを身に着けていっていただきたいと思います。


B強い意思を持って行動すれば間違わない

さて、今、話があって少し不安を抱いたり、困った人がいるかもしれませんが、基本的に意識していても意識していなくても、こういうテストは頻繁に行なわれております。ただ単に皆さん方が今までそういう認識を持っていなかっただけのことであり、こういう学びを始めたときからすでにそういうサイクルが仕組まれてきます。それぞれ自分に必要な学びのテーマが造られ、そしてある特定の時期になるとそれが試されます。

ただ、それで失敗したとかうまくいかなかったからといって、それで完全におかしくなったり、私たちとの縁が切れるわけではありません。だからといって何回失敗してもよいとか、気楽に構えてもらえればよいというわけでもありません。やはりそれにも限界があり、同じテストを何度も何度も続けて同じ過ちを繰り返す人は私たちではなく、別のものの管理下に移っていくでしょう。

私たちは皆さん方の成長を前提としているために、成長を望まない者は成長を望んでいない者たちの配下の中で進んでいくことになるでしょう。しかし、それを苦痛と思わず、否定的に捉えないで欲しいのです。皆さん方に限らず、どの人間にでもテストは必ず訪れ、そしてそれによって自分の成長がなされていきます。ただ単に、たまたま皆さん方がそういう自分の情報を知らされたのに過ぎないわけで、ほかの人にもいろんなテストがこれから押し寄せてきます。

ただ、一般的にいって、今まで学んできたことをしっかりと理解し、強い意志をもって行動していけば、そんなに間違うことはありません。多くの人が間違ってしまう一番の理由は、ほかの人の言葉に惑わされたり、比較をしたり、自信を失うときに、混乱が始まります。ほかの人の行動と自分を比較して、つい自分がダメだとか、どっちが正しいかとかを考え始め、そして自分の行動に疑問が沸いてきます。

ほかの人は関係なしに、自分は自分の為に自分の行動をとっていく。これに撤している人はそんなに混乱はないでしょう。したがって自分という人間がどこまで自立し、しっかりと行動できるか。それによってかなり変わってくるということをまず理解しておいてください。


C成長するという意味は魂にとっての成長のこと

私たちは皆さん方の成長のために、少しアドバイスを渡して休憩に移りたいと思います。先ほどから成長するという言葉が何度も話されましたが、それについての意味の分からない人が少しいるようです。私たちの観点から見た場合に、皆さん方はあるやるべきことを造って肉体を造り出しております。この肉体は三次元の生活を行なう上で必要な身体であり、またそこに入り込むということは自分にとっての大いなる喜びの場でもあります。

ただ、多くの人は三次元での生活を必ずしも喜びとは感じておらず、苦痛として受け取ったり、中にはもう早く抜け出したいという思いで生活している人がおります。でも、この三次元の生活を行なうことにより、今までの意識とはまったく違う意識を身に着けることができ、またいろんな人間と話し合ったり、分かち合うことによって自分とは違う存在を確認することができます。

自分だけの思いといったものが実際にはすべてではなく、いろんな思いがあるということにだんだん理解が深まっていきます。それは自分にとっても大きな意識的な変化をもたらすことになります。自分ができないと思っていたことが相手の一言で可能になる。自分には考えもできなかったことが、相手はごく普通のようにやってしまっている。いろんな人間の考えが自分に影響を与えていきます。

それによって自分は思考方法や意識の持ち方にいろんな変化を生み出すことができます。今までよりもいろんなところに思いがいき、意識的な変化をたくさん体験できるようになってくると、自分の世界も大きく広がっていきます。肉体をまとって活動していた喜びがだんだん自分のものになってきます。自分自身の世界が拡大し、光り輝いていく。これは魂のレベルから見たら明らかに分かることであり、一人ひとりが肉体を持って喜びを身に着けたときの素晴らしさを魂は克明に覚えていきます。

そういう喜びを魂はたくさん体験しようとして三次元の生活を本当に楽しみにしております。でも、多くの人はそれを苦痛と思い、逃げようとしております。まだその喜びが自分には感じられないのでしょう。いろんな人と接して、今までの自分の認識が変化するという喜び、その意味が分からないのかもしれません。でも、それは自分一人ではとうてい身に着けることができなかった考え方であったり、意識の持ち方であったりします。それを体験したときの喜び、それは本当に素晴らしいものです。

こういういろんな体験を通して、自分の意識の持ち方がどんどん変化していき、いろんな考え方、思考の持ち方ができるようになってくる。前よりもうまい方法でいろんなことができるようになる。より多くのいろんな人の心が分かってきて、お互いに楽しみを見つけ合うことが自然にできるようになってくる。こういったことをどんどん身に着けていって、魂が光り輝いていくのを成長と私たちは呼んでおります。

したがって皆さん方の三次元の肉体意識に限定してしまうと、あまり成長ということが理解できないのかもしれません。ですから是非、成長する喜びを感じたければ、三次元の世界に意識を限定するのではなく、自分の魂にまで意識を広げてみて、魂がどう喜んでいるのか、魂がどう納得しているのか、常にその気持ちを理解しようとしてみてください。

そうすると、一つひとつの体験に喜びが本当に実感として伝わってきて、魂自身が今までよりもよりいっそう輝いてくるという雰囲気が伝わってきます。そうすると魂と一緒に成長している喜びが感じられてきます。皆さん方も、自分一人の成長という観点ではなく、魂としての成長ということにも意識を向けていってください。

それではここで少し休憩をとります。ありがとうございました。


Dテストという言葉の意味を誤解しないように

それでは続きを始めましょう。多くの人がこれからの、いわゆるテストいう言葉で少し不安を持っているようですが、私たちがいうテストというのは必ずしも皆さん方一人ひとりに質問のようなものが渡されて、その回答を採点するとか、そういうものではありません。一連の現実の流れの中で、今、皆さん方がそれぞれどのような意識まで高まり、今、どういう学びをしているのか。それを確認すると同時に、魂のこれからの波動との兼ね具合との間でこれからの新しい役割をつくっていくというために行なわれるものです。

したがって、これがなければ皆さん方の今年のテーマが与えられず、何もすることがないという状況になってしまうのです。皆さん方がこれからどのように学び方を変え、何を自分の成長のために手元に持ってくるか、それを確認するためにいわゆるテストという状況がつくられるものと思っておいてください。これは皆さん方を裁いたり、あるいは罰したりするために行なわれるものではありません。あくまでも今年の学びのテーマのために確認をとるということです。

そしてどうしてもこういう話をすると、皆さん方から良く渡される質問の中で、宇宙人との兼ね合いのことが出てきます。私たちは昨年の途中ごろから方針を変えて、あまり宇宙人に対しての見解を表に出さないことにしました。多くの人がかなり勘違いをしており、また正しい認識も持ち合わせてもおりません。そのために何をどう説明しても真実が伝わらないということがよく分かってきました。

こういう状況の中では、どのような情報も皆さん方に混乱を与えるだけであり、何も好ましい状況には進まないということが明らかになったため、今は宇宙人に関しての見解を一切、しないように統一しております。ただ、最低限、皆さん方に理解していただきたいものだけを伝えておきましょう。

今まで、皆さん方に話をしてきた存在の中で、アシュタールコマンドと呼ばれるものとサナンダと呼ばれていた存在だけは明らかに宇宙の存在と思っておいてください。ただ、皆さん方の想像している宇宙人というものとアシュタールコマンドやサナンダはまったく状況が違います。アシュタールコマンドは人間的な存在ではなく、また一人とかそういう個別の存在でもありません。

したがってアシュタールコマンドを仮に宇宙人のような姿・形で表現している人たちがいるとすれば、それはまったく別のものをアシュタールコマンドとして解釈しているに過ぎません。アシュタールコマンドはそういう人間的な存在ではなく、もっとこの宇宙を広大に管理しながらも、皆さん方と何とかして新しい時代をつくろうとして頑張っている存在と思っておいてください。

サナンダについては、今、きわめて特別な状況にあるために、説明することを控えております。


それでは、私の方から説明をしておきます。サナンダは今、ある事情によって直接、日本の方々と話をすることができない状況になっております。ただ、これを別なおかしな意味で受け取ったり、否定的な意味でとらないようにしておいてください。ただ、これ以上のことを今、説明することは許されておりません。皆さん方には申し訳ないのですが、サナンダに関しては必要なときしか現れることができないということだけを理解しておいてください。


E家族との接し方は自分に見合った解決法を見つけること

さて、それでは本来の続きを始めます。先ほどの皆さん方の話で、家族やパートナーとの間でだんだん違和感が出てきたり、お互いにやりづらくなってきたときに、どのようにして改善し、新しい時代にまで結びつけていくか。これが一人ひとりにとってとても大切な状況になってくるでしょう。皆さん方がこういったところで学びを重ね、異論な真理が理解されてくると、パートナーについての見方も根本から変わってきます。それまでは自分を愛してほしいとか、慰めてほしい、一緒に居るだけで安心できる、という存在としてパートナーを認識してきました。

でも、今、新しい時代に向けて、波動の変化が急速に進んでおり、一人ひとりが自分で自分の人生に責任を持ち、自分で喜びを見い出すという状況が必要になってきております。パートナーや家族に対しても、何かを求めるというのではなく、自分から造り出していく。自分の方から喜びを分け与えていく。そういう意識の持ち方が必要になってきます。

もし、お互いの間で奪い合いが続くのであれば、お互いに苦痛を感じ、だんだんその関係が気まずくなっていくでしょう。お互いに奪い合うというのがこれまでどのパートナーにも存在しておりました。お互いに相手のエネルギーを吸い取り合い、そして疲れ果て、だんだんイヤになってくる。こういうゲームをずっと続けてきました。

今、新しい時代に向けて、自分を犠牲にせず、自分の満足することに意識を向けていくという生き方がだんだん本格的になってきております。相手のために自分を犠牲にするという生き方がもう通用しなくなってきております。こういう意識の状況のときに、相手が自分に依存していたり、自分のエネルギーを吸い取ろうとしている人が居るときには、自分はどうしても近くには寄ることができなくなってしまいます。ただ、その時に、自分の本心をそのまま相手に伝えても、相手は納得しないでしょう。理解すらもできないでしょう。

こういうパートナーや家族があったときに、どのようにしてこういう事態を乗り切っていくか。自分が相手から何らかの不快感を感じている場合、違和感を感じている場合、やはり自分にもそのエネルギーを何らかの形で持っているということを理解する必要があります。その違和感や不快感はどこから起こってくるのか。いかにも自分にしがみつくような感じで、つきまとってくる。離れようとせず、常に自分を束縛しようとしてくる。

こういう思いがあるときには、そういう思いを引き寄せるものをまだ自分の心の中に持ち合わせております。まだ家族やパートナーに関して、何らかの繋がりのエネルギーを身に着けております。完全に自分が一人になってしまうと、家族に申し訳ない。家族がおかしくなったらどうしよう。まだ自分が何とかしてやらねば。こういった思いがそういうエネルギーを引き寄せることもあります。

本当に自分が自分だけの満足した人生を行ない、それぞれが自立した生き方を望むのであれば、家族に対しての執着も完全に自分から捨て去ることが必要となります。自分の方から申し訳ないとか、やりすぎだとか、そこまでやる必要があるのかという思いを持っている場合には、まだ何らかの執着をそこに持っています。それが相手のコントロールのエネルギーを引き寄せたりする場合があるのです。

皆さん方からすれば、そこまで徹底的に執着を切ってしまう必要があるのであろうか、と思うかもしれません。これもその人それぞれの生き方や意識の持ち方によって答が違ってくるために、必ずしも一般論で言うことはできません。

ただ、人によっては自分が本当に自立し、家族の一人ひとりが自立しながらも、その中で良い関係を造り上げていくという役割を持っている者、あるいはお互いに協力し合いながらも自分は自分、相手は相手として認め合いながらうまくやっていくやり方を身に着けようとしている者、あるいは完全に自分のやるべきことと相手のやるべきことがもう違っており、いつかは別行動をとる必要があるために、その方向に向かっている者。いろんなケースがあります。

したがって自分はどういう状況からそういう現実が与えられ、自分は何を望んで進んでいくのか。自分なりにそれを分析する必要があります。そしてそこで自分が感じたものはあくまでも自分だけの解答であり、ほかのパートナーには通用しません。したがって自分がそれでうまくいったとしても、決してそれをほかのパートナーに無理強いしたり、当てはめようとはしないでください。

仮に、別々になってうまくいった場合があったとしても、それはその人だけの問題です。ほかの人がすべて別々になってうまくいくとは限りません。一緒になった方がうまくいく場合だってたくさんあるのです。一人ひとり、学びのテーマが違うということを明確に理解しておいてください。


F成長を望む者と世俗的な生き方を望む者とが分かれてくる

さて、それでは最後に、今年について少し、説明をしておきましょう。昨年の後半から地球と宇宙との繋がりの波動が急速に変化してきております。それと共に皆さん方の一人ひとりの意識の成長が本当に望まれております。今までの生き方にしがみついている人は、現実での生活がとても苦しくなってくるでしょう。あたらしい意識を身に着け、波動を高めようとする者は次から次といろんな人に出会い、自分の意識を成長させることができるでしょう。

ここにおいて、意識の成長を本当に望んでいる者と、世俗的な生き方に完全に埋没してしまっている者、これがはっきりと分かれてくることになります。だからといって、どちらが良くて、どちらが悪いとかいう問題はありません。それぞれ自分に見合った波動の者同士が集まってきて、その同じ波動の者同士で学びが続けられていきます。本来の魂との結びつけに向けて、力強く学びを進めようとするものは、今までの生活が中々馴染めなくなってくるでしょう。

今までの生活を尊重し、常にその中で生活していたいという者は、ここに来て喜びを感じたとしても、すぐに離れていくことになるでしょう。自分がどういう成長を望み、どういう環境で学びを続けていくか。それがだんだん明らかになっていきます。ただ、一番大切なのは、あくまでも自分がどういう成長を望むか。自分の成長のことを考えてください。ほかの人のことばかりを気にして、あの人はこうだとか、この人はこうだとかいう判断は一切、しないようにしておいてください。ほかの人がどの道を選択しようとも、それは本人が望んだことであり、本人の責任です。自分は自分のことだけをまず考えておいてください。

したがって本当に成長を望んでいる者にはそれに見合った人間がどんどん近づいてきて、そしてより強く自分を導いてくれるでしょう。三次元的な生活を望むものはこれまで以上に三次元のエネルギーに惑わされ、世の中のいろんな浮き沈みと共に自分の心にも浮き沈みが起こるでしょう。そういう人々を見ても、決して評価したり判断したりしないように常に心がけをしておいてください。

私たちは今日はここまでにして、皆さん方とお別れをいたします。それではありがとうございました。


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