どのように表現しても、それぞれが自分の思い込んだ世界の中で論理を造り、解釈していきます。誰一人として私たちの伝えようとした概念を理解しようとした人はおりません。それを前提にしてこれからの話を聞いていってください。
皆さん方はそれぞれ人間として今、行動をとっております。考えたり、想像したり、そして行動に移してコミュニケーションをとったりしていきます。人間としての本来の役割を演じるためには、神の思いを自分が具現化するということが必要になります。神の思いを具現化する。言葉としては非常に単純ですが、これは一人ひとり意味がまったく違って解釈されています。
例えばある人の場合には、神から言葉で命令されたことを自分が行なうことによって神の思いを達成しようと認識した人がおります。これは絶対にあり得ません。また神がテレパシーや直感的なものでやるべきことを伝え、それを受け取ることによって自分の行動の基準にしていく。これを思った人もおります。でも、これもあり得ません。
神は必ずしもあなた方に何かをしなさいとか、これがやるべきことですよと伝えるということは絶対にしません。もしそういう神がいたとすれば、それは私たちの考えている神ではなく、ただ単に自分は神であると名乗ってやってきた存在といえるでしょう。それでは神の思いを受け取るということはどういうことでしょうか。
自分が今、何らかの活動をしていて、その中でいろんな人間関係を通じてコミュニケーションをとり、話をして理解を深め、お互いに喜びを造り出していく。これは人間として全員に与えられたテーマです。どんな人間でも、お互いにコミュニケーションをとり、喜びを造り出していくということがテーマになっております。
その時に、自分のコミュニケーションのとり方、自分の表現の仕方、相手を理解する気持ち、相手が望んでいることを察してそれを喜びとしてお互いに経験をしていく楽しさ、こういったことがそれぞれに必要とされてきます。こういう人間関係の中で、どうしてもやらざるを得ないという状況が時々巡ってきます。
本当はあの人とはあまり会いたくないのにもかかわらず、常に周りにやってきて、何らかのお節介をしていく。本当はこんな仕事はしたくないのに、いつもこういう仕事ばかりやらされてしまう。一人になりたいのに、いつも誰かから邪魔されてしまう。こういう思いを持つときがあるでしょう。
こういう状況は本来は皆さん方が自分で納得して、合意のもとで造られた現実です。ただ一人ひとりの意識にはそれはありません。では、いつ、どのようにして了解をしたのでしょうか。ほとんどの人は眠っているときやボ〜っとしているとき、意識がなくなったときに魂やあるいはほかのいろんな存在といろんなコミュニケーションをとり合っています。その時にこれから起こる現実に対して確認をとったり、準備をしたり、またそれに向けての必要なことを行なっている場合があります。つまりそういう時にいろんな状況の一つひとつが確認され、そして自分も納得して、またこの現実に意識を戻してきます。
皆さん方がそうやって肉体から離れたときに、いろんな状況を造り出してくる。それなりのコミュニケーションをとった存在。これを魂と思っておいてください。したがって毎日の現実の一つひとつは皆さん方と魂との間で納得して造られた現実です。したがってどんな現実にもそれを体験することに意味があります。
本当は経験したくないのに、毎日、こればかりやらされてしまう。これはその現象そのものにもう自分がイヤだという思いを造り上げてしまい、自分の学ぶべきテーマを見つけられないときにそういう現象が何度も起こってきます。実際にはその現象に意味があるのではなく、そこで何を学んでいくのか、自分はそこで何を身に着ければよいのか。そこに意識が向いていないときに何度も何度も現象が起こってきます。
イヤだと思っていた現実が実際には考え方をチョット変えたり、工夫したりするだけで、何の問題もなくスムーズに展開できるということや、自分一人の思い込みでつらいと思っていたその現象を経験することにより、同じ経験をしているほかの人の気持ちが理解できるようになる場合など、そういったことのいろんな意味が隠されております。そしてそれが理解できたときにはもうその現実は起こらなくなります。
このようにして皆さん方がイヤだと思っていた現実にも一つひとつ意味があり、皆さん方と魂との間で了解がとられて自分で選択したということを理解する必要があります。そして現実の一つひとつが自分が納得したものであり、魂と神の了解のもとで起こされているということに気がついたときに、現実に対しての意識の向け方がかなり根本から変わっていきます。
それまでは良い現実を体験しようとして、常に楽することや楽しいことを追い求めて現実を探していきました。でもそうではなく、はじめから自分で体験しようとして造られた現実であるということが分かったときに、良い現実を探すというのではなく、与えられた現実の中で意味を理解していく。与えられた現実を楽しんでいくという方向に変わっていきます。
このようにして現実が自分の喜びとなってきた場合に、魂の方ではもういちいち皆さん方に現実に対して干渉することがなくなってきます。そして皆さん方の方も決められた現実をただ経験するのではなく、自分でどんどん造り出していくという流れに変わっていきます。
まだ、今の段階ではそこまでいっている人は半分もいませんが、これはこれからどんどん増えていくでしょう。それによってもう魂のエネルギー、宗教的な言葉でカルマと呼ばれていたもの、そういったものから少しずつ皆さん方が解き放たれていき、自分の自由意志で自分の望むとおりに現実を造るように変わっていきます。
しかし、ここで大きな問題も同時に出てきます。今まではカルマというエネルギーをそれぞれが少し身に着け、それにしたがって何らかの行動がとられてきました。したがって人によっては何も考えなくても流れに沿って目的を達成することができました。でも、カルマのエネルギーがだんだん薄くなっていくと、やるべきことというのが決められているものではなく、自分で造り出していくという方向に変わっていきます。
自分で良い現実を造り出せる術をも身に着けた人はそれで構いませんが、現実を否定的に思い、否定的な現実だけを常に呼び込んでしまう人はカルマがなくなると常に否定的な現実の中で過ごすことになります。これは一人ひとりにとって必ずしも好ましい状況にはなりません。したがってそういう可能性のある人は十分に注意した上で現実を過ごすような特別な監督下に置かれることになります。
つまりカルマのエネルギーが魂から解放されても、何らかの枠の中で現実を過ごしていくようなそういう場が造られていくことになります。でもそれはいかに自分の意思で変えていけるか、自分の思いで現実を変えていけるか、それを学ぶ練習の場として与えられたという風に理解しておくのが良いでしょう。
したがっていつかの時点で皆さん方もカルマと呼ばれるエネルギーから解き放たれ、自分の思いで現実を造り出していくという流れに変わっていきます。自分の思いで自分の現実を造り出していく。これは、初めのうちは混乱するかも知れませんが、要領が分かってくるとかなりスムーズになってきます。ただ、その要領をつかむまでに皆さん方はいろんな学びをすることになるでしょう。
人間関係が常につきまとう以上、多くの人が他人に対して不信感や恐れを持つことがあります。嫌われたらどうしよう。否定されたらどうしよう。常に良い人間でありたい。認めてほしい。こういうエネルギーを常に造り出しております。こういうエネルギーを持っていると、自分の現実を自分で造ろうとしても常に同じエネルギーをもった人間だけを引きつけてしまい、お互いに信頼できず、恐れ、比較し合う環境ばかりが造られていくでしょう。
それが無意味であり、自分がもうそういったことに影響されず、ただ楽しいことを望めばそれが演じられていくということにいつか気がついてきます。その段階で、それまである特別な環境にあった状況から解き放たれ、本当に自分で人生を造り出していくという状況に入っていきます。
したがってここにいる多くの人も、まだまだ人からよく見られたいとか、自分を評価してもらいたいというエネルギーを引き寄せているために、すぐに自分の人生を自分ひとりで歩むというのは難しいかもしれません。でも、いずれはそこまで成長していく必要性があります。自分一人でも満足できる人生。自分は自分の生き方で通していく。
でも、自分はひととコミュニケーションをとるのが好きであり、相手を理解することを楽しみとしており、お互いに愛を分かち合うのを望んでいる。そういう思いに少しずつ変わっていくでしょう。そうすると、自分の人生を自分で造り出していくときに、少しでも愛と喜びに満ちた人生に変えていこうという風に意識が変わっていきます。
多くの人がそういう生き方を身に着けたときに、この地球は本当に新しい波動に変化していくでしょう。自分がどういう生き方を望み、どのようにして成長していくか。多くの人はまだまだ、誰かに教えてもらおうとか、誰か素晴らしい人に付いていこうという思いを持っております。これはまだ自分としての生き方を確立するにはきわめてお粗末なレベルといえるでしょう。
たとえどんなに優れた指導者がいても、皆さん方の真実をあかすことはできません。自分の真実は自分でしか見つけられないようにつくられております。ただその方法論を学び合ったり、お互いに試してみることは意味があります。ただその方法論が必ずしも自分に適していたり、どの人間にでも通用するとは限りません。
したがって自分に適したものはどういうやり方であり、自分にとって一番しっくりとくるもの、一番スムーズにできるもの、それを自分なりに造り出したり、編み出していく必要があります。自分で造り出すためには、自分でいろいろやってみるという気持ちが必要です。教えてもらうという気持ちではなく、自分でいろいろやってみる。その上で、自分のやりやすい、自分だけのやり方を造り上げていく。それを皆さん方にやっていただきたいと思います。
今の皆さん方の意識の状況において、本当の自分を知るために一番必要なものは、まず自分と思っていた意識をもういちど分析し直し、それが本当に自分なのかどうかを調べていく必要があります。表現できない自分、愛せない自分、つい比較してしまう自分、そのようにして自分を分析していきます。
そしてそういった自分がいつからどのようにして姿を見せてきたか。この自分が支配的になるぐらいに大きくなったたのはいつごろか。それを調べていく必要があります。そしてそういう自分が主導権をとったきっかけや原因を自分で見つけ出し、もう比較することは意味がないということ、自分を良く見せようとか、人よりも上にいきたいという思いがもう意味がないということ。
そこまで戻っていき、まずは最低限、今回の人生で造り上げたものを一つひとつ手放していき、まずはそれらをすべて取り除いたときに、そこに残っている自分は何であるのか。偉くなりたいとか、人よりもたくさんモノを持っていたいという自分をすべて取り除いたときに、残っている自分は何であるのか。愛せなかったと思う人。愛せない気持ちを分析し、いつから人間がイヤになり、恐れていたのか。そしてそれを解放したときに、残っている自分。
愛されたい。愛してほしいと思っていた自分を分析し、いつから愛されたいと思ったのか。親から愛されたい。兄弟だけ愛されて自分が愛されていないから、自分をもっと愛してほしい。そういう思いをすべて取り去ったときに、残っている自分は何を望んでいるか。そのようにして本当の自分を探すきっかけが造られていきます。そしてすべての執着や思い込み、概念によってつくられた自分を一つひとつ取り除いていき、それ以前の本来の自分を少しずつ表に出していきます。
その、今まで隠れていた自分。自分でも気がつかなかった自分。そこにエネルギーを少しずつ入れていきます。そして一番初めから自分の核となって存在していた自分を表現させてみましょう。自分は何をしたかったのか。何十年という人生を比較したり、良い子ぶって生活していた自分。それによって本来のモノが隠されてしまった。今、その本来のモノを表に出したときに、本来の自分は何を望んでいたか。
見栄やいろんな着飾りで造り上げていた自分を、本当の自分はどう見ていたか。本当の自分は心から他人と接したかったはずです。本当の自分は心から相手のすべてを理解しようと願っていたはずです。本当の自分は素直に自分を表現しようと考えていたハズです。でもそれを表現しようと思うと、すぐオーバーに表現したり、自分が良い人間であるかのように言葉を選んで話をしたり、常にごまかして表現してきました。
そういうごまかしの自分をも自分で見つけ、解放していくと、あとに残った自分は何を望んでいるのか。仕事だから仕方ないと思って、やむを得ず働いていた自分。でも、それに意味があると分かり、喜んでやるように変わっていくと、今までつらいとか、面倒臭いと思っていた自分がまた解放されていきます。そこに残った自分は何を望んでいるか。
これは自分を知る第一歩になります。こうやって本当の自分を自分の力で見つけ出し、そしてそれを少しずつ自分の心の中に本当に充満させていきます。今までごまかしていた自分を心から追い出し、その後ろで必死になって真実を伝えようとしていた自分を表に出していきます。
そして他人の評価を気にすることなく、世の中の常識やルールといったことに制限されることなく、ただ自分の本質を表現していく。これができるようになってくると、改めて自分というものが理解でき、そしてその中に魂や神からの輝きが少しずつ現れてきます。こういう自分を表に出すと、本当の自分がやろうとしていたことが実際には神や魂がやろうとしていたこととかなりオーバーラップしてきます。
本当に心から、あの人のことを理解して、何とかしてあげたい。本当の自分がそれを望んでいるときは、神や魂もそれを望んでいる場合があります。今、どうしても助けてあげる必要がある。今、どうしてもこれをやっておく必要がある。本当の自分がそうやって目覚めてきて、そして神や魂と繋がっていきます。
たまたまその一つの現れが人間という肉体の中で活動しているに過ぎません。そして人間という肉体の意識となって具現化されています。でも、皆さん方の本当の自分の大元は、さらにいろんな活動を行なっており、それぞれが自分の造り上げた目標にしたがっていろんな展開を進めております。
自分の正体を知ろうとするときに、もし自分が人間ではなかったときは何をしているんだろう、地球にいないときにはどこで何をしているのだろう、そういったことをいろいろ空想したり、想像したときに、意外といろんなことを伝えてきます。それはその別の次元に居る自分からのメッセージと思っておいてください。
したがって皆さん方は単なる想像と思ったり、空想と感じるかもしれませんが、実際にはそれは別の次元の自分の現れです。したがって宇宙に対していろんな思いを持ち、いろんな空想をするということはとても意味があります。必ず、そこに何らかの働きかけが行なわれます。そしてそれも自分の一つの現れだということが理解されてきます。
したがって今の人間としての自分を突き詰めていくと同時に、人間以外にも思いを馳せ、そこで自分はどういう学びをしているか。何を知ろうとしているか。そこでいろいろ学んでいる自分をも想像してみてください。
ほとんどの人は別の世界で何らかの活動をしています。ただしそれは今、皆さん方が認識している自分という意識とは別の意識と思っておいてください。というのも、今、皆さん方が感じている自分は今の肉体の中において、今の肉体が受け取っている感覚をモトにして自分をつくっております。したがって、男性は男性の姿・形、女性は女性の姿・形を自分と思っているでしょう。
でも、現実には肉体を離れると、その肉体の制約を本来は受けてはおりません。したがって肉体を離れた途端に、自分という認識は今の肉体の自分とはまったく別のものになっていきます。ただ、普通の人はそれが想像できずにどうしても肉体の今の意識を自分と思い、別の離れたものを自分とは中々思えないのです。したがってそこに繋がることができず、意識することもできないのです。
つまり、肉体から離れると、この肉体の制限がなくなり、別の形の自分が存在しており、それが自分であるということに本当に納得できた人、それが理解できた人は肉体を離れても自分の意識を継続することができます。それが継続できない人は、あくまでも肉体の自分を常に自分と思い込んでいるために、これ以外の自分を認めることができないのです。したがって肉体から離れた自分とつながることができなくなっているのです。
もし自分という存在を肉体に限らず、いろんな次元において統合し、意識を継続させようと思うのであれば、自分を肉体の中の自分に留めておかず、押し込めないようにしておいてください。そしていろんな自分が自分であるということ。そういう意識を持つと、いろんな自分と繋がることができます。
これもこれからの時代においてとても大切な意識の持ち方といえるでしょう。一人ひとり、そういう練習もこれからやってみてください。私たちはここで少し休憩をとります。ありがとうございました。
そのために私たちはその時その時の状況に応じて必要なテーマで話をするということを決めております。したがってある程度、皆さん方の方で話をしていただき、も問題提起をされた場合はその話をすることができます。今のところ、私たちはそれ以外に話を進める準備はまだできていません。ただ、いつかの時点ではなるべく本来の状況をできるだけ正確に理解していただきたいと願っております。
皆さん方がその本来のものを手に入れるためには、まず今、手にしているほとんどの本の情報をすべて忘れ去ってしまい、それこそ忘却の彼方に追いやる必要があるでしょう。いろんな概念があまりにも支配的でありすぎ、それぞれの真の成長をかなり阻害しております。宇宙に対する認識や今後の新しい地球に対して、あまりにも間違った概念が造られております。
私たちはその概念を前提にすることはまったく考えていないために、これまでもこれからの地球の変化についての説明をすることはほとんどありませんでした。本当に皆さん方がその概念をすべて手放したときに、改めて真実が伝えられるでしょう。
さて、それと同時に今のお話ですが、ある程度皆さん方が納得されて問題のない場合はたとえ概念であっても、それを前提に進める場合があります。例えば、先ほどの魂という言葉やチャクラ、こういったこともそれほど問題がないときにはその概念を使ってエネルギーを流したり、情報を伝えることは私たちもやってきました。ただ、いずれにしても真実を理解している人は一人もおりません。
これからの学びにおいても、所詮、真実ではないということを前提にしながら、話を聞いたりエネルギーを感じていただける方が私たちにとってとてもやりやすいものがあります。したがってこれから、いろんな話を聞いたときに、それを完全に固定化して信じ込んでしまったり、あるいは違う話を聞いたからといってすぐに混乱したり、どちらかを否定したり、ましてやどちらかが間違っているとか、非難したりすることをしないようにしながら、常に柔軟な姿勢で学びを続けるようにしていってください。
私たちが一番望んでいることは、知識ではなく、本当に相手を許せる気持ち、愛する気持ち、自分が自分であるということに責任を持ち、自分の人生を自分で造り上げていくという強さを身に着けること、私たちは常にそれを望んでおります。したがって知識を身に着けることによって愛することができたとか、人を許せるということをあまり望んでおりません。
仮に、そういう人間が出ると、おそらくほかの人も知識を身に着ければ愛が身に着くと勘違いしてしまい、知識を求める方向にどんどん進んでいきます。でも、実際にはいくら知識を身に着けたからといって必ずしも愛が身に着いたとは限りません。そういう意味で私たちは知識を身に着けるのではなく、愛を身に着けるということを本当に前提にしていただきたいと望んでおります。
ただ、それとは別に、自分の成長のためにお互いに知識を交換し合い、学び合うという姿勢はとても大切なことです。その場合に、ただ一方的に聞くというのではなく、自分の理解していたことを表現してお互いで確認をとる。分からないまま帰るのではなく、分からないことは分からないとしっかり表現し、納得して帰る。ほかの人の言うことをしっかりと確認し、何を言いたいのかを聞く姿勢を身に着ける。これも是非やっていただきたいと私たちは思います。
今の人は、あまりにも知識だけをたくさん手にし、帰ってから整理しようとする人がたくさんおります。これは真実の成長には結びつきません。常にその場その場で理解し、分からないことはそこで確認する。この姿勢を身に着けていただきたいと思います。
さて、自分を知るというテーマで先ほど、話されました。おそらく、これからずっと皆さん方にもこのテーマで話がされるでしょう。今、感じている自分という存在が少しずつ本質的なものに変わっていき、肉体の感覚器官ではなく、心から湧き出る思いが自分の本質である。そういったことに意識が向いていくでしょう。
そうすると、また新たな展開が自分に押し寄せてきます。この肉体の制限をいつまで受けているのか。この肉体は自分に何を望んでいるのか。肉体と自分とのかかわりがだんだん別の意味に変わっていきます。そして自分自身の成長と肉体の望んでいるものを個別に考えることができるようになってきます。
同様に、ほかの人間に対しても、肉体とその人の心を個別に見ることができるようになってきます。相手を見たときに、その肉体をその人とは思わずに、その中に秘められている本質的なもの、相手の人の本質的なものに目がいくようになってきます。そして肉体は単に役割を演ずるために、自分が選んできたもの。これが分かってくることが次の目標になります。
先ほどは、自分の本質をいろいろと自分で分析し、探し求めるというやり方を教えました。その次の段階で、今度は相手の本質を知ろうとする気持ち。相手の顔・形や話し方、表現ではなく、その奥底に潜んでいる相手の本質、これをいかに自分が見つけていくか。これが皆さん方の次の課題となります。そしてそれをいろんな人に当てはめていき、一人ひとりの本質がいかに素晴らしいものか、これを是非とも、身に着けていっていただきたいと思います。
多くの人がそういう見方で相手を見るようになっていくと、それこそ心からお互いに分かち合い、愛し合う世の中が完成されていくでしょう。多くの人は肉体を自分と思い、相手も肉体をその人と思ってきました。でも、それは真実ではありません。その中に潜んでいる自分の本質、相手の本質を少しでも見抜く力を養っていってください。
あと1年で皆さん方がどこまでそういう能力を身につけていくか。それも私たちの楽しみにして待っております。また来年もできれば皆さん方とさらなる学びを続けていきたいと思っております。それではまた来年もよろしくお願いいたします。ありがとうございました。