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1997/12/22■月曜交流会から

手に入れた知識は皆に分け与えるように

@自分を正しく評価し、他人を正しく評価するように

私たちは皆さん方のために今、いろいろ特別につくられたグループと思っておいてください。皆さん方のそれぞれの意識の変革のために必要な存在たちがそれぞれ集まってきて、今、一つのグループを構成しております。したがって一人ひとりに関係している何らかの存在が必ずいるということを理解しておいてください。


今、私たちは人間という存在の意識的な変革を進めるために特別な準備を進めております。人間が本来の人間としての役割を演じる。そのためには皆さん方が今までの意識とは違う、新たなる意識に変わっていく必要があります。これまで、皆さん方が人間と思っていた観念はあくまでも本来の人間の手前の意識であり、神が創った本来の人間の意識とはかなり違うものがあります。

本来の人間は自らが神の仲間として、肉体を持ちながら活動する。ここに意味があります。したがって神の思いを感じとることができない人間は本来の人間とはいえません。また、神に繋がっていたとしても、肉体を無視したり、否定している者はまた人間とはいえません。神の思いを確実に受け取りながら、肉体を最大限に発揮して役割を演じていく、これこそが人間のあるべき姿です。

しかるに今の皆さん方の一つひとつの言動の中に、肉体をまとっていることの喜びや満足感といったものがそれほど感じられません。むしろ苦痛に思ったり、不満を抱いたり、別の肉体をあこがれたりしている人がおります。今の皆さん方の肉体の一つひとつが神の創造物であり、自分だけの役割が与えられており、またそれを自分の力で使いこなす。そこにとても素晴らしい仕組みが入っております。

肉体をもっともっと自分のものとし、自分のエネルギーを最大限に使いこなす、早くそれをマスターしていただきたいと思います。人間は自分だけの肉体をまといながらも、他人の肉体をあこがれ、それを自分のものにしようとしている人がおります。他人の身体は他人の役割を演ずるために与えられたものであり、自分の肉体とは当然違います。それは真似するべきものではなく、自分のものにするべきものでもありません。自分は自分の肉体を最大限に利用する。最大限に使いこなしていく。ここにこそ大きな意味が入っております。

自分が何故、肉体をそこまで否定してしまうのか。肉体を否定している者は自分自身の存在を否定している一つのシンボルでもあります。肉体にいろんな思いを持っていきながらも、実際には自分を否定しております。自分自身を正しく認め、正当に評価している者は自分の肉体をそれなりに立派なものと評価し、愛をたくさん流しています。肉体を否定したり、あまり好んでいない者は自分自身が自分の心を否定しているということをよく理解してください。

自分の肉体を否定する者は他人も否定する傾向があります。他人の肉体を見ても、あそこがダメとか、ここが良いとか、そういう価値判断で見てしまい、すべてを愛することができません。他人のすべてを愛するためには自分のすべてを愛することが必要です。


私たちは長い間、この地球において人間同士が争い合い、否定し合い、罵り合うのをずっと見てきました。人間はこれだけ長い間、争いを続けながらも、いまだにそれを続けようとしております。何か問題が起こるたびに、誰が悪いとか、責任は誰かとか、常に争う方向でエネルギーを使っていきます。人間が争うということの前提に立って他人を見つめ、自分を否定していきます。

何故、他人を正当に評価できないのか。何故、自分を素直に表現することができないのか。人間が本来の人間に変わるためには、自分と他人を分けているその思いを自分の意識から取り出し、他人が本当に自分と同じ存在であり、大切な生命であるということを理解する必要があります。他人の心の中の命を見ていないのです。他人を否定しても平気でいられるのは命をそこに見い出していないからです。

もし他人の心の中に息づいている命を感ずることができたら、他人をわざと困らせたり、否定する言動をとることはとうていできないはずです。命が見えていたら、自分の言動によって他人が弱い命になったり、消えそうな命になるのを見ているのはとてもできないはずです。でも、それを平気で行なっていく。それは他人が命ある人間だということをまだ理解していないからです。他人の心の中に息づいている命をしっかりと認識するようにしていってください。


さて、私たちはこの場において、是非とも皆さん方にやっていただきたいことがあります。今年一年、いろんな成長を重ね、自分なりに理解を深めてきたことでしょう。でも、自分はそれによってどれだけのほかの命を輝かせることができたのか。ほかの命あるものに勇気を与えたり、喜びを与えることがどれだけできたのか。

今までは自分の成長を第一にして考え、自分を成長させるためにいろんな人間の智恵や情報を活用してきました。自分が成長できたのは、ほかのいろんな人間の関与があって初めてできたことです。ほかの人間の関与を一切なくして成長できた人はいないはずです。では、そのお蔭で成長できた今の自分、これをほかの生命あるものに分け与えていく時期がやってきます。

自分のもっている知識が必要な人間がいたら、その知識をその人間に与えてあげる。自分が身に着けた喜びや満足感、それを必要としている生命があるならば、その喜びを与えてあげる。自分が手にした宇宙の教え、これが必要な者がいたら、おしげもなく与えてあげる。これが本当に必要になってきます。

今までは皆さん方自身の意識の成長のために、まず自分が成長することを教えてきました。でも実際に私たちが一番、皆さん方に身に着けて欲しかったのは、どのようにして宇宙から智恵を取り入れるか、宇宙とどのように接し光やエネルギーを自分のものにしていくか。そのやり方を身に着けて欲しかったのです。そのやり方を自分なりに工夫し、そして自分のものとしていく。これは一人ひとりが自分で行なうことです。

でも、それによって獲得した智恵や喜びはほかの人にも分け与えてあげるべきものなのです。この本質を勘違いしている人がたくさんおりました。宇宙から知識や智恵だけをただそのまま奪い取ろうとしている人間がいた。そしてそれを独り占めにしようとしている人間もいました。これは成長とはいいません。単なるエゴです。

私たちが望んでいた成長というのはあくまでも一人ひとりが自分のやり方で宇宙との接し方を身に着けていく。それによって得られたものはほかの命あるものに分け与えていく。これを成長といいます。知識を独り占めしようとする人がいたら、これからはそれを必要なものに分け与えていくという生き方をしていただけるのを望んでおります。


A問題ではなく実践の仕方に目を向けるように

今の時代は、一人ひとりにとってどういう意味があり、価値があり、大切なものか、今、この時点においていろんな人間が存在し、それぞれの人間に応じて学びや経験が用意されております。まだまだ執着やエゴを学ぼうとしている人間もいます。でも、愛を本当に学ぼうとしている人間もおります。今、自分がどういう学びの状況にあり、意識をどのように高めていくか。

確かに現実を無視したり、苦しいものに考えたりする必要はありません。むしろ逆に、現実の中で人々と有意義な毎日を過ごし、そして愛を育んでいく、これが大切です。でも、今、自分が何をテーマにして毎日をすごしていくか、その認識も必要です。ただ闇雲に人に優しくすれば良いというわけではありません。ただお人好しで、人の為になることばかりをやっていたとしても、必ずしも成長しない場合があります。

自分が今、何の学びをしてそしてどういう状況を自分が身に着けたら、また次の段階に進んでいくのか。それを考えるということはとても大切です。しかし、そればかりに意識を向けてしまい、ただ自分のテーマが何であり、次はどうなるのか、そればかりに意識を向ける人もまた問題があります。問題に目を向けるのではなく、あくまでも自分の行動の仕方、実践の仕方の方に意識を向けていってください。そして自分が今、何を克服し、次の段階に進んでいくのか。そういう観点で、自分を見つめていってください。


B自分の意識の成長を常に望んでいるように

私たちは今、それぞれに必要なメッセージを与えてきました。ただ、必ずしも一人ひとり個別に与えたメッセージというわけではありません。したがって誰かの一つの言葉だけを自分のものと解釈するようにはしないようにしておいてください。ただ、今、話されたとおり、勉強の仕方、学びの仕方、宇宙との接し方、今はこれをテーマにしております。それぞれ学びを目的とし、いろんな体験を重ねております。

でも、何も考えず、ただ闇雲に毎日を過ごしていたとしても意識の成長には繋がらない場合があります。今、自分は何がテーマなのであろう。何を身に着ければよいのであろう。そういう思いをホンのわずかでも持っていただけると、毎日の行動の仕方がかなり変わってきます。必ず、それを理解させるヒントのようなものが与えられるからです。

どうしてこういうことが起こるのだろう。そういう意識を持っていると、必ずそれを教えようとする存在がやってきて、何らかのヒントを与えてくれます。しかし、そういう意識をまったく持っていないものにはその意味を知らせようとするものは近づいてきません。ですから、自分はこの現象で何を学ぼうとしているのか、今、何が大切なのか、その思いをホンのわずかでも持っていただけるのを望んでおります。

これからの学びが次第に次第に高度なものに変わり、さらに精妙にかつ複雑になっていきます。それと共に学びの仕方もかなり変わっていきます。単純にこれだけやっておけばよいとか、これをテーマにしておけばよいとか、そういうことではなくなってきます。いろんな人間と接する機会がどんどん大きくなり、それぞれ人間一人ひとり学びのテーマが違うようになってきます。接する人間一人ひとりと違う行動をとる必要が出てきます。

本当に相手のことを考えなければ、うまくいかない場合。逆に、あまりやりすぎておかしくなってしまう場合。いろんな状況が出てくるでしょう。それによってまた新しいものをたくさん身に着けていきます。皆さん方が自分の成長ということに関して意識を向け、これからを宇宙と共に歩んでいけるのを望んでおります。


C自分という存在に対しての価値を認めるように

さて、今、話にありましたが、自分という存在に対して、真剣に取り組む時期が今、やってきております。自分が何であり、どういう学びをし、他人にどのような接し方ができるか、それを学んでいきます。自分の思いの一つひとつが周りに影響を与え、また喜びも与えていく。自分という存在価値がとても大きなものに変わっていきます。今まで周りとの兼ね合いで自分を考えていた人は考え方がまるっきり反対になってきます。

自分が周りの多くの人々に愛と喜びを与えていく。自分がしっかりしないと周りがしっかりしない。自分が愛を与えていくと、周りが皆、良い顔になっていく。自分が喜びの波動をたくさん出すと、周りの皆が喜んでくる。これが必要な時期になってきます。自分はほかの人を癒すために存在している。そういった気持ちがだんだん強くなってきます。

自分と他人との関係がまったく変わっていきます。他人を今まであまり深く考えていなかった人、もうそれは通用しなくなります。本当に周りのことを考えて初めて自分が満足し、また自分が成長していく。これが分かっていきます。自分という人間の素晴らしさをまた改めて実感していきます。自分の心をもっと強くし、また自分の愛を信じ、他人を許す。それをごく自然に、当たり前に実行できるように変わっていくでしょう。


D挨拶

さて、今のこういう認識の一つひとつが皆さんの意識をキリスト意識に変えていきます。本当に他人の為に尽くす。自分の持っている愛を少しでもほかの人々に与えていく。自分が見つけた喜びをどんどんほかの人に伝えていく。自分が命ある限り、命あるものを救っていく。自分が存在している限り、存在するものすべてに光を与えていく。自分という認識がある限り、考えられるものすべてに愛のエネルギーを与えていく。そして一人ひとりがキリスト意識に入っていきます。

さぁ、今日は皆さんがキリスト意識として目覚める第一歩としてお祝いをしに来ました。身体全体でキリスト意識と一体化していってください。

私は命ある限り、命あるものを愛する。

さぁ、自分はもうキリスト意識の仲間であるという思いをしっかりと持っておいてください。私たちは皆さんの肉体を使ってキリスト意識の波動を多くの人間に伝えていきたいと思っております。皆さんの言葉から愛や許しが常に出てくるのを望んでおります。私たちはここで少し休憩をとります。ありがとうございました。


E来年は一人ひとりがキリストとなって活動するように

それでは私たちが続きを始めます。今まで皆さん方がいろんな書物を縁にしてこの世界の勉強をはじめ、中にはいろんなところで学びを重ねてここまでやってきました。はじめは単なる知識的な興味からこの世界に入り、そして自分はどうなるのか、周りの人はどうなるのか、という観点からさらに真実をつかもうとして学びを重ね、そして魂という存在を知ることができ、魂からのメッセージを受けやすくなり、そして許可のあった者がここに来ております。

したがってここで学びを重ねている者は必ず魂からの許可があり、宇宙からのある条件を満たしたことによって出席することができております。ただ、今の学びを続けていくと、どうしてもある枠の中に留まってしまい、せっかくの一人ひとりの智恵や獲得したものがごく普通の人々には広がっていかないという状況になってしまいます。

来年は私たちもいろんな仕組みを造り変え、なるべくもうある一定の枠には皆さん方をはめておかずに、いろんな人間とのやり取りが必要になるような状況を造ろうと思っております。ただ、このときにどこまで混乱が創り出され、皆さん方が自分は自分としてしっかり確立することができるかどうか。どのような非難や中傷があったとしても、真実の宇宙を守り通すことができるかどうか。自分は自分の言葉で真理を語ることができるかどうか。こういった状況がそれぞれに訪れてくるでしょう。

ほとんどの人はそれを望まないかもしれません。でも、仮に今のような状況で、皆が、同じ波動の持ち主ばかりが集まり、仲良く、楽しい雰囲気で学びを続けていくと、地球の波動の変化のころになってもホンのわずかしか私たちと繋がることができません。これは皆さん方にとっても、望んではいないはずです。自分のできないところをほかの誰かにやらせようという気持ちがあるならば、もう私たちはそういう人間を相手にはしないでしょう。

今、皆さん方がキリスト意識を身に着けたのは、自分から率先して、一人でも宇宙のために、自分が進んでいく。これを身に着けていただきたいために、皆さん方と一体化しました。私たちが本当に必要と感じ、またこれ以上待ってはいられない状況だと今、切に思っているのです。

皆さん方は一人ひとりが自分の環境の中で逞しく成長していくでしょう。しかしそれぞれに与えられた環境があまりにもつらかったり苦しいとき、何の迷いや不安もなく、ここに自由に来てください。私たちはそのつらさや苦しみを最大限の力で取り除いてあげるでしょう。孤軍奮闘してつらかった者、その涙を拭き取り、勇気を与えてあげるでしょう。

ですから何一つ心配せずに自分の役割を演じていただきたいと思っております。そしてここに来ているほかの仲間たちにも手助けをしてあげ、協力してあげ、独りぼっちにならないように、一人でうずくまっている者がいないように、できるだけ手助けをしてあげて欲しいのです。

こういう学びの中において、私たちが一番恐れるのは、一人ひとり自分から自然と離れていく者、常にこういう人間が圧倒的に多いのです。本当に宇宙を信じ、最後まで、一人でも良いから頑張るという者はそれこそ数万人に一人という割合です。でも、今はもうそれに満足することができないのです。十人が十人ともキリストになって欲しいのです。それによって自分が救われるのです。

人のためではなく、自分が自分であるために、自分がキリストであるために、頑張って欲しいのです。つらさを感じた者、不安を感じた者、何の心配もなく、ここに来てください。私たちはすべてを受け入れていきます。


F逞しく光の道を歩むように

それぞれの心の中にやる気が感じられ、逞しさも出てきました。ただ、私たちは常に結果ですべてを進めていきます。あまり自分を苦しい立場に無理矢理追い込んだり、わざわざそういう状況を造り出す必要はありません。それぞれの発揮できる範囲内で現実が与えられていきます。したがって素直に自分を表現していれば、確実に進むことができる状況が常に現れてきます。

ただ、今まではホンの苦しさと多くの喜びでバランスがとれていたかもしれません。これからはわずかな試練とそして少しの迷いや混乱が常に現れ、でも神から与えられた喜びを心の中で常に感じている、そういう生活になっていくでしょう。三次元の中で喜びを見い出そうとすると、混乱に陥るかもしれません。心の中で常に平安と喜びを感じて取っておいてください。神から愛されている喜び、宇宙から常に与えられている信頼、それを自分の原動力にしていってください。


G挨拶

不安が少しでもある者はその不安をすべてここに置いていくように。もうあなた方は私の仲間であり、私の愛する偉大なる兄弟である。私たちはあなた方を悲しませることは絶対にない。もし私たちとの繋がりが絶たれるときがあったとすれば、あなた方が自らそれを望んだときしかあり得ない。私たちは一人の人間でも私たちに目を向けてくれる者がいれば、最大限に協力をしていく。あなた方の人生を私たちと共に歩む方向で使わせてほしい。


今日はキリスト意識と皆さん方との繋がりの第一歩としてこの場を使わせていただきました。これからもいろんなステップがあり、いろんな儀式も用意されております。それぞれの学びと成長に応じていろんな準備が用意されております。しかし、あまりそれにこだわったり、苦しく考えることはありません。毎日の中で自分が自分の為に愛と許しの人生を送る、まずはそれを心掛けていってください。私たちはここまでにいたします。ありがとうございました。



(c)1997 CentralSun
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