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1997/11/26■水曜瞑想会から

エネルギーで他人を判断しないこと

@漠然とした感じでヒーリングしないように

私たちは今の瞑想の手助けをしていた仲間たちです。まず質問の方からお答えをして生きます。Haさんの質問の、瞑想で行った場所ということですが、少し説明をしておきましょう。それぞれ自分の聖なる場所を造り、そこから私たちと一緒にいろんな世界へ行ってきました。それぞれいろんなテストも同時に行ないながら、練習をしてきました。それぞれどこまで理解することができ、どういうエネルギーを自分で理解でき、感じられるか、といったことをテストしてきました。

Haさんの場合は主に今まで自分に関係していた領域や自分に一番馴染みのある世界といったものを中心にいろいろと行ってきました。まず、いろんな光のシンボルが見えたようですが、これがあなたの一番馴染みのある世界と思っておいてください。そこにおいてはいろんな調和や美しさ、自分から光を放ちいろんなところに送り届けていく、といった意味が込められております。

そこから何かを持って送る届ける。これをあなたはシンボル的に見てお土産を届けるという風に感じてきました。自分のほかに何かがいて、そして何かをした方が良い。そういう雰囲気を感じたと言われました。あなた自身の行動はあなたの背後のものがすべて理解しておりました。あなたには見えないものも背後には明確に見え、あなたの周りでいろいろ関与していることがされておりました。

あなたがその領域で経験したのは自分自身が本来の能力を発揮するために、あとどういう学びが必要で、さらに今は何がテーマなのか。それが分かるような雰囲気を造っておりました。自分では地球に何かを届け、そして自分が一仕事をしてくる。そういう雰囲気のように感じておられました。

でも、あなたの本来の役割は自分自身が心から感じている一番大切な存在、あなた自身のすべてを創り出し、自分の永遠なる目標として現れている大元、そこに向けて自分が成長していく。しかし、その存在を見ることができず、また明確に現れてくることもありません。でも、その存在が常にすべてを造り出し、あなたに思いを抱いております。この存在が何とかしてあなたの理解できるような形で現れようとしておりました。その時に、たまたまそれを感じた仲間たちが、今のうちにその存在に会っておいた方が良い、という風な思いを出してしまいました。あなたがそれをそのまま感じとってしまったといえるでしょう。

あなたが誰かに何か浄化してもらっていた、と感じていた状況はあなた自身をずっと導いていたとても素晴らしい存在の仲間と言ってよいでしょう。その存在の仲間というのは必ずしもあなたの思っていたものと同じではありませんが、いずれにしても高い存在であるというのは確かです。それぞれいろんなエネルギーの現れ方があるために、まだその違いが分からないかもしれません。いずれはその違いも明確に分かってくると、素晴らしい存在のそれぞれの現れ方も違うように感じてくるでしょう。あとは練習しながら、その違いを感じとっていってください。


ほかの人のエネルギーを読んでいて、自分も同じように感覚が伝わってきて、自分がそういう場合にどのように対処していくか。確かに、相手の波動を自分が感じた場合に、自分なりにエネルギーの浄化を行ない、相手の魂の許可を得て相手にも愛を与えていく。これによって自分が楽になり、相手も楽になっていくでしょう。

多くの場合に自分が何か苦しくなったり、痛みを感じた場合にはあきらかに自分のエネルギーと相手のエネルギーとのやり取りの間に何らかの反応が起こっているということ。それを自分にとっては不快と感じた場合もあるかもしれませんが、相手にとって不快かどうかは別問題となります。したがって自分がそう感じた、それは自分にとっての真実ですが、だからといって相手が本当にそう感じるかどうかはまったく分かりません。

したがって自分は頭が痛くなって自分にとって不快だと思っても、相手はそうとは限らない場合があります。自分は頭が痛い、だから癒しのエネルギーを送ろう、そう思っても実際には相手は何も痛みを感じていないという場合があります。その時に癒しのエネルギーを流すとどうなるか。相手にとって望んでいないエネルギーが相手に流れ込むことになります。いうまでもなくこれはヒーリングにはなりません。したがって本当に自分が感じた感覚は自分だけのものであり、自分のエネルギーの処理のために必要な反応であったということ。相手がどう感ずるかは必ずしも同じではないということ。それを本当に理解する必要があります。

ただ、相手が不快とは感じていなくても、その原因となっているものが自分と相手と同じであり、それによってお互いが反応し合っているということ。人と比較する気持ちとか、押し付けるとか、言い聞かせるとか、そういったレベルで同じ波動がある場合に、お互いに反応します。でも、それが同じように不快感を感ずるとか、何も感じないというわけではなく、それぞれの相対関係によって変わってきます。

したがって本当に癒しを行なおうとするには本当にその細かいエネルギーのところまで読み取り、理解し、処理することが必要となります。漠然とした感覚で痛いとかつらいとかいう感じの程度では、本当のヒーリングにはまだ難しい能力といえるでしょう。そういう意味でこれからは相手のエネルギーを感じた場合でもその表現に良く注意することが必要となるでしょう。

さて、Hiさんの質問で、ほかの人とのエネルギー的な関係で頭が痛くなったり、ハートが気持ちよくなったりする。これも今述べたこととかなり共通してきます。自分は頭が痛くなっても、相手は何も感じない場合がある。あくまでも相対的なものです。でも、お互いにそれを呼び起こす根本の波動を持っている。一般に頭が痛くなる場合は、自分の思いを相手に何とか納得させようとしたり、同じ思いにさせようとしたり、概念を固定化させてしまっていて、それをほかの人に植え付けようとしていた場合に起こります。

しかしそれによってどういう感覚が起こってくるか、それはまったく分かりません。相対的なものです。ただ、一般に自分の頭が痛くなってきた場合、概念や考え方、造り上げた判断の仕方、そういったものに何らかのエネルギー的な反応が起こっているといえるでしょう。これを改善しようとするときには自分自身がまず概念を崩壊させ、手放していく。これが必要となるでしょう。いくらその人と会わないようにしたところで、自分の概念が変わっていなければ、結局は同じことが起こります。

自分の方で概念を変えてしまえば、もう同じ人がやってきても自分が感ずることはありません。あくまでも相対的なものです。同じように、ハートが熱くなるからといって、その人がとりわけ愛の持ち主とは限りません。これも相対的なものです。自分が愛に満ち溢れている場合、愛に満ち溢れた人が来てもそんなに感じない場合があります。

また自分にほとんど愛がなくて、仮に愛に満ち溢れた人がやってきた場合、恐怖感を抱くこともあります。あくまでも相対的なものであり、人それぞれの波動に応じていろんな現れ方が為されているということ。したがってエネルギーを詳細に読み取れるまではエネルギーによって他人を判断したり、ましてや注意したりすることはしないように気をつけておいてください。


Aエネルギーで人を判断しないように

さて、最後に少し説明をして終わりにしましょう。今、エネルギー的な話が為されたので、ついでにいろんなことも説明しておきましょう。皆さん方がだんだんエネルギーについて理解が深まり、コントロールできるようになってきております。そしてそれが楽しくなってくると、いろんなワークが自分で行なえ、そして喜びも増えてきます。でも、本当にそこに落とし穴があり、どの人間も同じエネルギーだと思ってしまうと、まったく違う状況になってしまいます。

実際には一人ひとり、エネルギーの質が違い、使い方も違い、反応の仕方が違います。したがって人によってお互いの関係がまったく違ってきます。これを同じものとして比較してみたり、人を判断してしまうと、とんでもない状況になってしまいます。あくまでも自分の感受性を高めるために練習をしていく。自分の為に自分は努力する。それだけに本当に目を向けておいてください。

たとえ自分にとって不快感を抱く人や好ましくないと思われる人がいても、それはその人自身の評価とはまったく別問題です。その人は単に自分に気づかせをするために、そのエネルギーをわざわざ発しているに過ぎません。自分はその人からいろいろ学ぶべきものがあるということ。今までは人から悪口を言われたり、否定されたりして、学びを重ね、自分の言動をコントロールすることを学んできました。

これからはそういう三次元的なことにだいぶコントロールができるようになり、一見、皆は良き人間で仲良く暮らしているようになっていくでしょう。でも一人ひとりのエネルギーの違いが明確に分かってきて、言葉では良いようにもっていっても体がどうもうまく反応しない、どこかで不快感を感ずる、そういう状況になっていきます。その時に、そのエネルギーで人を判断してしまうと、結局は今まで人から悪口を言われたからその人は悪い人だ、自分を否定したからその人はイヤな人、そのように決めつけていたのと同じ状況を造り出してしまいます。

したがってこれからはエネルギーの世界において、自分をコントロールするということ。自分をいかに冷静に保ちながら、自分の成長のために相手がやってきたということを理解していく。そういった学びが始まっていきます。当然、エネルギーの学びが悪いという意味ではありません。それはそれで素晴らしいものがあり、意識を拡大させるためにどうしても必要な学びといえるでしょう。意識を拡大させることは私たちの望みでもあり、またそれこそが今、人類の為すべきものでもあります。

でも、意識を拡大させるといろんなエネルギーに対して敏感になってきます。そしてまた自分をコントロールする練習が必要となってきます。今そういう学びを皆さん方が始めました。これからは新しい価値観で日常を過ごしていくことになるでしょう。決してエネルギーで他人を評価したり、判断したりしないようにしながら、自分の感受性を高めていく。それを進めていくように頑張っていってください。それでは今日はここまでにいたします。ありがとうございました。



(c)1997 CentralSun
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