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1997/10/29■水曜瞑想会から

相手を判断しないでただ自分は素直に表現する

@日本人がいつ自分で気づき、目覚めていくか

私はサナンダ。最近のいろんな情報により、皆さん方の中にもかなり混乱している人がいるようです。今、この機会に少し、説明をしておきましょう。私たちは本当にこの地球の人間を愛しており、この地球の人間が素晴らしい役割を演じていただけるのを望んでおります。地球の人間が進化を重ね、新しい時代に入っていくときに、人間は根本的に波動を変える時期がやってきます。

今まで、私たちはアセンションという言葉を使って人間が新しい波動に変わっていく状態を説明しておりました。このアセンションというのは地球が新たな波動に変わると同時に、人間自身も新しい波動に変わっていく、その時に新しい波動に馴染むだけの意識レベルに達していないものはアセンションというプロセスを経験することができない。これが私たちが一般に述べてきたことでした。

私たちはこれを前提にいろんな仕組みを造ってきました。実際に地球自身がいつアセンションというプロセスの中に入り、人間がいつそれに合わせていき、そしていつの時点ですべてを完了するか。こういう流れを綿密に造り上げ、そして一人でも多くの地球の人間がこの体験をすることができるようにいろんな仕組みを造ってきました。

私たちはこの仕組みを完成させるのを目的として人間にいろんな情報を伝え、また宇宙船の力を借りて働きかけてきました。こういう計画がずっと進行していたのにもかかわらず、ここにきて急速にこの計画が合わなくなってきており、私たちの考えていた計画がほとんど意味のないものに今、なってきております。

確かに地球自身は新しい地球に変わっていきます。人間もそれに合わせて新しい人間へと変わっていきます。でもそれはアセンションというプロセスではなく、神が創った神の計画の中で変化していきます。私たちはそれの詳細をまだ理解しておりません。でも、少なくとも私たちの計画はもう実現されないということは明らかになりました。

私たちは私たちの計画をそのまま実行するつもりもありません。地球人にとって必ずしも好ましくないものがいくつか設定されていたからです。でも、神が今、行なおうとしていることは確実に地球人に喜びを与え、地球にとって繁栄をもたらします。そのために私たちは神の願いがそのままうまく進むのに協力しようと思っているところです。

そのためにはいくつかのとても難しい状況が必要とされます。まず、地球上の人間が私たちの管理下から完全に離れ、自らが神となって演ずることができるかどうか。私たちはいろんな意味で地球人に関与しすぎました。生まれる前から、また次の人生をつくるまでに、いろんな意味で地球人に強く関与してきました。そのために地球人は私たちの存在がなければ人生を送ることができないような状況になっております。

今、改めて私たちは地球人にあまりにも深入りしすぎたことを反省しているところです。これからこの地球人がどのようにして目覚め、自分自身で気づき、自主性を持って行動していくか。一人ひとりの心の中には必ずといってよいほど、何らかの助言やアドバイスが与えられるのを望んでおります。そのためにそれを叶えてあげようという存在が必ず現れてきます。

私たちはそれに応じていろんな情報を与え、メッセージを伝えてきました。そのために地球人はそれが当たり前と思い込んでしまい、分からないことは聞けば誰かが教えてくれる、黙っていても何とかなるようになる、こういう生き方が当たり前のようになってしまいました。自分で考えて自分で行動するということがきわめて難しくなっているのです。

自分の行動を自分でしっかりと組み立てて行なっていく。これを確実に行なっている人間がそんなに多くはいません。今までのやり方をそのまま当てはめる。あの人はいつもこうやっておけば大丈夫。日本ではこういうことになっている。ほとんどがそういうやり方をただ繰り返しているだけです。今、あらためて皆さん方に伝えるメッセージとして、本当に自分の人生を自分で造り上げ、自分の手で私たちから逃れ、神と繋がり、地球のために役割を演じていただきたいのです。

この地球は皆さん方の働きを必要としております。地球人が正常な活動を行なえない場合は、この地球はとても悲しい流れを経験することになります。でも、今、地球人類が目覚め、本来の役割を演じ始めると、この地球は急速に変わっていきます。今まさにそのとても大切な時期にきております。

せっかく私たちがもう地球人に関与することを手放したとしても、地球人自身が自らの生き方に目覚めない限りは変化は訪れません。地球人が自ら何とか気づいて本来の役割を演じていただきたいと願っております。

私たちは本当に人間が気づき、神と行動をともにしている者には最大限の援助をしたいと考えております。でも、ごく普通の人間が依存心で何かにすがるエネルギーを出した場合には、もう私たちは何の協力もすることはありません。本来の地球が今、地球人の手によって目覚めていこうとしております。今、こういう大切な時期に皆さん方がどこまで役割を演じていくか。私たちはしばらくこの状況を観察した上で、またいろんな計画を調整したいと思っております。


さて、先ほどのお話にあった愛というテーマですが、日本において学ぶべき愛と欧米人が学んでいる愛では質的に違いがあります。日本人は受身的な感じで相手の愛を感じることはかなり得意としております。相手から何かをしてもらったり、受け取ると楽しくなり、喜びを感じる。

ここで学ぶべきことは何か欲しいために機嫌をとったり、いつもよい状況に保っておく。こういうやり方が普通になってくると、それはかなり欲の入った愛に変わってきており、ただ愛してもらいために関係を繋げておく、というエネルギーになってしまいます。今、日本人が学んでいる愛はそういう執着的なエネルギーをいかに手放して、純粋に相手のことを思い、また自分は相手からの思いを感じとるか。

せっかくしてやったのに応えてくれない。教えてやったのに聞いてくれない。こういう思いを持っていると、それは本来の愛ではなく、もう見返りを初めから前提とした愛が行き来しているだけです。この愛の学びを自分なりに克服し、執着をなくし、相手の言葉一つひとつを純粋に受け止める。自分は執着を持たずに、ただ相手に与える。

これをずっとやっていくと、愛すること自体の喜びというものにいつか目覚めていきます。ほとんどの人は愛すること自体の喜びというものをまだ感じていないのです。愛されるということに喜びを感じており、何かをしてもらう、何かを与えてもらうということの楽しさが先にやってきます。

この執着をなくし、与えてもらうということの思いをそれほど持たなくしていく。自分はただ与えていく。そしていつの間にか、ただ与えること自体が自分の喜びとなってくる。ここまでいったときに、本来の愛に近づいてきたと自分で理解してもよいでしょう。見返りを要求するのではなく、ただその人が喜びとするものを自分はやっていく。それ自体が自分の喜びとなっている。

これは体験した者でなければ分かりません。頭で理解できるものではなく、また時期が来れば身に着くというものでもありません。見返りを要求しない愛を何度も何度も繰り返していくうちに、自然に身に着いてくるものです。でも、わずかでも執着を持っていると、こういう雰囲気にはなっていきません。

自分が何かをしてあげたいと思う。目の前の人がいつも悩みをもち、不満をつい言ってくる。自分なりの解決の仕方を身に着けている。でも、その人にとってはまだそれは理解できない。自分はどのようにして伝えたらよいのだろう。

まず、相手が理解できなくても、自分が理解した範囲内で自分のやり方をただ話す。相手はそれは受け取る必要はありません。ただ自分は、自分の場合だったらこうする、自分はこういう考え方でいつもやってきた、単に自分のことを話してください。それを受け入れるかどうかは相手の責任となります。

確かに相手が理解できる範囲内で、相手に分かりやすいように工夫をすることも場合によっては必要でしょう。でも、あまりそればかりに考えがいってしまうと、相手を判断したり、評価したり、比較したりする状況が生まれてしまいます。ですから、本来は相手がいちいちどのレベルにあるとか、どこまで理解できるかとか、それを考える必要はなく、ただ今、自分が行なっていることを説明する。それで十分なのです。

それを繰り返していくと、結局は今の自分の理解できた範囲内で話していることが相手にとって必要なものであったということに気がついてきます。そうすると、それまで一生懸命、判断したり相手のことを考えようと思っていたことがいかに無意味であったかが分かってきます。相手のことを考えたつもりでも、実際には単に比較したり、相手を下に見ていたに過ぎないことがあります。

結局、今、自分が出来得る範囲内での精一杯のこと、それが相手にとって必要なことだったのです。そしてそれに気がついてくると、常に自分は自分の理解した範囲内で最大の表現をとっていく。自分の場合だったらこうする。私だったら、こうやる。常にそれを表現するだけで十分なのです。

そう自分で行動できるようになってくると、相手がどのような人間であろうとも、もうそれも意味がなくなってきます。常に自分は自分のスタイルをそのまま続けていけばよいのです。いろんな人間がやってきて、いろんな学びの段階の人がやってきても、ただ自分は自分の最大限の表現をとっているだけでそれで十分なのです。ほとんどの人が愛を難しく考えてしまっているのは、相手にとって必要なのかどうか。相手が分かってくれるかどうか。これを考えすぎて、それで混乱してしまうからです。相手に分かってもらおうという気持ちがある限り、それは本当の愛には繋がりません。

私たちはいろんな情報を通じて愛というものを人間に伝えてきました。でも、その多くは人種間の争いを無くすための一つの方便だったということをまず理解してください。本当は宗教や人種を問わずに、同じように交流できるということ。まずはこれを先に実現したかったのです。それを一般的に話すために、愛という言葉を使って宗教間の争いをなくそうと考えてきました。でも、結局は愛という言葉の解釈でさらに問題を大きくし、余計に混乱が広がってしまった状況です。せめて日本の方々は人種にこだわらず、宗教にこだわらず、本当に喜びがお互いに分かち合えるという生き方を身に着けていただけるのを望んでおります。

私たちはまだ、いろんな意味で地球人と関与するかもしれません。ただ、神が創った偉大なる計画が私たちをどのように位置付けていくのか、私たちにも分からないことがたくさんあります。ただ、私たちはもう地球人をいろいろとコントロールするということは一切することなしに、地球人が自ら目覚めていく工夫を一生懸命、しようと思っております。日本の方々がこれから偉大なる役割を担うかもしれません。でも、それも一人ひとりの気づきから始まっていきます。一人でも多くの人が本来に目覚めていくのを望んでおります。

私たちから愛を込めて終わりにいたします。ありがとうございました。



(c)1997 CentralSun
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