前へ戻る
1997/10/20■月曜交流会から

地球人類は宗教の神々と訣別する時期にきている

@宗教を牛耳って地球人類を操った別のものたち

私たちは今、いわゆる神の領域といわれるところからやってきました。さて、少し、神についてお話をしましょう。ここの場で神という言葉を使うと、違和感を持つという人がたくさんおります。神の言葉を信じて、イヤな目に遭った人がたくさんいるようです。前の神に裏切られたから、また別の神に従っていこう。そうやって次々と新しい神を求めてやってきた人もいます。

いわゆる宗教の神と呼ばれた者はある目的を持って地球にやってきました。皆さん方からすると、宗教の神はあまり好ましくない存在のように思われるでしょう。でも、彼らは決していわゆる悪いとか、否定的な存在とはまた違います。すべてがそうとは限りませんが、いわゆる○○○○と呼ばれていた大元の存在は意味があって地球にやってきました。しかし、彼は大昔の時代にすでに悪魔によってその命をこの地球から離され、別のものに変えられております。

ほかの宗教の神々も同じように、ある時点において悪魔の者にすべて入れ換えられております。いつ変わったかは地球人にはまったく分かっておりません。結果的に、ほとんどの宗教がいわゆる悪魔によって今、運営されております。何故、神と呼ばれたものが悪魔に命を奪われたのか。皆さん方は不思議に思うかもしれません。これから話すことはとても大切であると同時に、また気軽に話すことはできない非常に危険な情報でもあります。皆さんはそこのところをよく見極めた上で、この情報を扱うようにしていってください。

○○○○と呼ばれていた光ある存在は確かにいました。この地球に本当に平和を実現させ、地球民族を豊かな民族とし、地球に繁栄をもたらそうとしてやってきました。しかし、この存在は同時に別の者も仲間として連れてきたために、初めから光と光でない者の対立を常にはらんでおりました。この存在が地球において活動し始めたころ、いろんな手段を講じてこの活動を妨害する者たちが出てきました。

この両方の争いがズーっと続き、本来の神に従う者たちはこの悪魔のような者たちとの争いを常に余儀なくされておりました。そのエネルギーがそのまま地上で演じられることになります。地上において常に争いが絶えず、正しいものと正しくないものという価値観の下で争いが継続されることになりました。

宗教というものがこの地球上に造られる前からこの種の闘いは存在していたのです。この宗教というものがどのようにして地球で生まれてきたか。前回、宇宙人たちが地球人に関与して、地球人がこの宇宙人をすがるようになってから、宇宙人を神として扱うようになったということを述べました。これはこれで一つの流れとして明確に存在しております。そしてそれとは別に、ほかのいろんな惑星からやってきた魔物たちがこの地球上に関与し始めてから、人類を支配しようとするエネルギーがあちこちで造られ、そして宗教的なエネルギーを造り出していきました。

あるものはキリスト教の背後に入り込んで、信者全員を一つの下に支配しようと考えておりました。オリオンからやってきた魔物たちはユダヤ人全員に働きかけたり、共産主義的な思想のところに働きかけたりして、地球を混乱の中に陥れようとしておりました。人間は彼らの言うなりに操られ、人間同士で争いを演じていきました。この地球がそういうエネルギーをいつまで必要としているか。

まだまだ多くの地球人は宗教を必要としております。何かの道しるべ、方向性を明確に言ってくれる存在を必要としております。自分一人では何をしてよいのか、分からない。何処へ向かっていけばよいのか、分からない。こういう人があまりにも多いのです。そのために宗教家がその役割を演じ、人間の進むべき方向性を知らせようとしております。

確かにこれまではそれなりに意味がありました。自分に目を向け、意識を向上させるという点において、宗教家がまったく役に立たなかったとはいいません。ただ、これからの時代において、彼らが必要なのかどうか。もう地球の人間は誰かに教えてもらうとか、誰かの言うとおりにするというエネルギーは一切、必要ではありません。

ただ、それに気づいている人間がほとんどいないために、自分の生き方を明確に進めていく、こういう人間がほとんど存在しておりません。今、仮に宗教を一気になくしたところで、多くの人間は何をしてよいのか分からない、という状況になってしまい、ある意味では余計に混乱に陥ってしまうでしょう。宗教に入り込んだがために、考える能力や自分で自分の生き方を造り出すという能力は完全に失われてしまったのです。

今まで宗教の神々たちがこれらの人間を完全に牛耳っており、そして約束した者たちを全部自分の思い通りに操っていく。それを演じておりました。今の宗教の神々たちはもうじきこの地球から追い出されます。では、宗教を信じていた人間たちはどうなるのか。すべての人間を同じように宗教の神々と共に追い出したのであれば、地球上の人類はほとんどいなくなってしまいます。これでは地球が成り立ちません。

最低限必要な人類を確保するためには、今、宗教で学びを続けている人間ですらも必要となってくるのです。では、こういう人間たちはどのようにして私たちの仲間に入ってくるのか。今、宗教の神々たちは私たちといろんな話を進めております。もう少し、詳しく説明していきましょう。

いわゆる宗教の神々の中でも、正当な理由があって地球にやってきて、そして地球人の進化のために貢献をしていた者たち。本当に地球を支配しようとして地球人をコントロールするためにやってきた者たち。人類とは関係なしに、学びのために地球のためにやってきた者たち。私たちの命令によって、極秘のうちに地球にやってきた者たち。こういう神々の種類があります。

本当に学びのために地球にやってきた存在たち、こういう神々たちはすでに私たちにすべてを明け渡し、この地球から離れる用意をしております。地球人をコントロールしようとしてやってきた神々たち、最後の最後まで私たちと争いを続けるでしょう。でも、基本的に地球自身のエネルギーが彼らを必要としていないために、いつかの時点でこの地球から離れることになります。そうすると、彼らは地球に近づくことはできず、彼らのエネルギーに見合った場所を探していくことになります。

今のところ、彼らに約束されている惑星がいくつか候補として存在しております。ただ、彼ら自身がそれを選ぶかどうかは彼らの自由意志となります。彼らに従っていた地球人類、本当に魂を彼らに明け渡した者たちは彼らと一緒に移されます。まだ、魂は明け渡してはいなくても、かなりの部分を彼らに任せて牛耳られている者、彼らもおそらく一緒に移動することになるでしょう。

また、すべてを明け渡してはおらず、自分なりの判断でやはりおかしいと気づくことができる者、こういう人間たちは地球に残される可能性があります。いつかの時点で、やはりおかしいという風に気づくようなテストが何度か行なわれます。そしておかしいと気づいたときに、そこからエネルギーが流されるようないろんな状況が演じられていきます。しかし、それも自由意志であるために、自らそれを行なわない者は残念ながら、切り離すことはできません。

このようにして、宗教の支配下から逃れる可能性のある者、これらの数だけが確保できれば最低限必要な地球人類の数に何とか達するかもしれません。でも、それは人間が決めることであり、本当に可能性のある者全員が宗教と縁を切ることができるかどうか。それは私たちにも分かりません。この宗教の神々たちは人間との繋がりを強力に造っており、かなりの力を持って切り離さないと、離れにくくなっております。単純に考えたり、思ったりするだけでは離れることはできません。

そのために気づきを与える存在たちや、エネルギーを切り離すための役割を持った存在たちが巧妙に動き回っております。宗教の神々には見つからないように巧妙に働きかけております。これが私たちから派遣されている神々たちの役割となっております。ほかにも、宇宙から自分たちの意思で私たちに協力を願い出て地球に働きかけている存在たちがいくつかあります。そして彼らも同様に宗教に依存してしまっている人間に、いかに気づかせるか、いかに自分に戻ることができるか。その働きかけを行なっているものがおります。こういう神々たちがこの地球上で地球人類と関与しております。

さて、神、こういう言葉を何度も何度も使いました。皆さんにとっては違和感があるかもしれません。宗教の神となっている悪魔から、本当に地球の進化のためにやってきた存在たちを同じように神と称している。本来、神というのは私たち、大いなる神々に通じているものを呼んでおりました。私たちの思いをすぐに受け取ることができ、私たちの願いを行動することができるもの。それを神と呼んでおりました。

したがって神の行動することは私たちが思っていたこと。そういう意味がありました。地球に関与を始めた存在たちも、初めは私たちの思いを感じて地球にやってきました。しかし、別のものが少しずつ入り込み、私たちとの繋がりをだんだん遠ざけていき、いつの間にか別の者たちが私たちであるかのように振る舞い、そして地球にやってきた神々たちをコントロールするようになったのです。

いかに私たちに通じていた神々であったとしても、それ以上の能力を持つ別の者たちもいるのです。巧妙に騙されて、神々でさえも私たちの意思とは違うことを行なうこともあるのです。彼ら自身、私たちから発せられた思いなのか、別の者から発せられた思いなのか、これが分からなかったのです。

これは二極対立の学びをしている者たちはすべて同じ状況にあります。神からの思いなのか、別の者からの思いなのか、常にこの惑わしが存在しております。仮に皆さん方が神になったとしても、やはりこの状況は続きます。では、何をもって神と称しているのか。本来、私たちと通じているということは私たちの思いを完全に受け取り、そして行動することができる、これが神の証です。

しかし、二極対立の学びを続けているものは常に私たちの思いではない、別のものの思いを受け取ってしまう傾向がそこに入っております。では二極対立を学んでいない神々というものがいるのかどうか。私たちの管理下にあるものの中で、二極対立を学んでいない神々たちも少しはおります。ただ、それは人間的な生命体ではありません。また、生命体という種類のものでもありません。したがって人間的な生命体、あるいはこういう進化の流れを経て学びを続けている生命体の場合は、何らかの二極対立の構図が造られております。

したがって私たちの思いを完全に受け取っているようにみえながらも、別のものからの思いを受け取ることもあります。でも、それは自らの成長のために必要なエネルギーでもあります。もし、完全に私たちの思いだけがそこに伝わり、私たち以外のものを受け付けないとした場合に、そのものたちはどのようにして成長していくでしょう。ただ単に私たちのロボットとなって動くだけなのです。これは成長とはいえません。やはり時々、私たちの思いとは違うことをやって、そして初めてそれでは宇宙がうまく進まないということに気がつき、また私たちの思いを強く感じとろうとする。

神となったものはそこで行なうべき活動にとても大きな影響を与えるために、一つひとつの思いが真剣になってきます。私たちの思いを受け取る場合でも、真剣に受け取ろうとします。絶対に別のものであってはいけない。そのために私たちからの思いを真剣に受け取って、そしてそれを行動に移していきます。

この強さや信念、まずはこれがとても大切なのです。もし完全に私たちの思いしか通じなければ、漠然とした思いがあってもそれを行動に移していくでしょう。それは強さを身に着けることにはならないのです。真剣に私たちの思いを受け取ろうとする気持ち、そしてそれを行動に移そうとする気持ち、この強さが必要なのです。そのためには私たち以外からの情報も時々、隙があれば入ってくるという状況が必要となってくるのです。隙を与えてはならない、常に大いなる神々に意識を向けておく、そして思いを受け取り、それを完全に実行する。この強さ、これがどうしても必要なのです。

しかし、別のものの力もそれなりにとても強いものがあり、完全に私たちの真似をするものもたくさんおります。地球がこれだけおかしくなったのも、私たちの真似をした存在たちがあちこちで働きかけたからです。宗教の神々たちでさえも完全に騙されていたのです。

何故、私たちはそういう状況をそのまま見過ごしていたのか。宗教の神々たちは学びのために地球にやってきました。学びというのは自分で気づくということです。もし彼らが感じた思いが本当に私たちの思いであったならば、地球はこうはならないはずです。でも、地球がどんどんおかしくなっていく。その時点で彼らは気づく必要があったのです。しかし、彼らは中々それに気づこうとはしませんでした。

宗教の神を惑わしたいろんな存在たちの思いを完全に私たちの思いと勘違いし、そしていろんな計画を造っていきました。私たちはイエスの磔刑を命令した記憶はありません。ジャンヌダルクの火刑を命令した記憶もありません。すべて別のものたちが働きかけた惑わしです。でも、それが実行に移されていきました。

宗教の神々たちも自分で気づかない限りは私たちはそこに立ち入ることはできないのです。自分たちの学びであるために、私たちがそこに介入することは許されないのです。でも、そのために多くの地球人が犠牲となったのです。今、この地球において、この別の宗教の神々たちに操作されている人間が圧倒的に多く存在しております。

仮にこの宗教の神々たちを一気に地球から離れさせたとしても、おそらくまた別のものがやってくるでしょう。なぜならば、宗教に入っている人間たちがそういう神を信じているために、また別のものがその代わりに、代役として役割を演ずる必要があるのです。つまり宗教の神々だけを離しても意味はないのです。地球人類自らが手放す必要があるのです。地球人類自らがいつ手放すことができるか。

宗教の神々を手放すということは、生き方そのものを変えるということです。楽をして生きるとか、ただ皆と同じことをやってその場を済ませるという生き方を根本から改める必要があります。自分で自分の人生をつくっていく。ほかの人の生き方はそのまま認めてあげる。こういう意識に変える必要があるのです。これを今の地球人類全員に広めるにはどれだけの状況が必要となってくるのか。

今、宇宙の計画が大幅に変わってきております。これまではアセンションという状況を前提にして、宇宙人がいつ地球に降り立つかを常に考えておりました。今はこの計画が根本から修正され、この宗教の神々たちがいつ地球から離れていき、それに付いていく地球人類の数がどのくらいになるか。今はその議論に移っております。

仮に宗教の神々たちがこの地球から離れ、それに付いていく地球人類がこの地球から離れていった場合に、地球のエネルギー場がどのように変化し、一人ひとりの生き方がどう変わっていくか。それによって地球の全体のエネルギーが、また個々の意識の高揚がどこまで変わっていくか。それを今、入念に調べております。

したがって皆さん方がここの場においていろんなものを学び、それを三次元の現実生活で使う状況を克明に調べてもいるのです。皆さん方の行動をいろいろと調べながら、ほかの地球人類の場合と照らし合わせようとしているのです。もうすでにお分かりと思いますが、今までの状況を見て、はたして私たちの思い通りに地球人類が意識を変えることができただろうか。結局、ただ単に言われたとおりに行動する、言われたことだけをやるというこの生き方があまり変わっていないのです。

私たちが一番初めに、今日は大いなる神々の領域からやってきました、こう述べた途端にもうエネルギーが変わってしまうのです。あれだけ皆と同じ目線で私たちを迎えてほしいと述べたのにもかかわらず、また特別な神として位置付けられてしまいました。ここの場においてそういう状況である限りにおいては、おそらく普通の人はもっともっと時間がかかるのでしょう。

今のこの地球という波動の世界において、私たちが一人ひとりの中に完全に入り込むのにはとても難しい状況がたくさん残っております。でも、いつかはそれを実現する必要があります。ただ、そのためには皆さん方が本当に真剣に自分の生き方を変えるという意思を強くするということ。いくら私たちが神々だからといって、別に畏れる必要はなく、身を引く必要もなく、自分の心の中にただ私たちを位置付けて欲しいのです。

確かに宗教の神々たちは皆さん方を支配しようとしました。その記憶をずっと心の中に持っているものもたくさんおります。でも今、あえて私たちは神々として降り立ってきました。神々というものが人類を支配するものではなく、人類の上に立つものでもなく、本当に皆の心の中にあるものであるという証をしたいのです。神々という概念を根本から変えていただきたいのです。

地球におけるいろんな神々たちは皆さん方を導き、指導し、そしていろんな制限をも与えてきました。彼らの役割ももうじき終えようとしております。私たちが皆さん方と一体となったときに、何を基準にして行動していくか。単に私たちの思いを感じとってそのまま行動する。それだけなのです。一人ひとり、私たちの現れが違います。行動の仕方も一人ひとり違ってきます。

そこにはもう強制的な制限や生き方というものは存在しません。一人ひとりまったく違います。したがって自分の生き方は自分と自分の心の神にしか理解できません。でも、それも自分の喜びなのです。自分が神として行動した場合にどのように生き方が変わっていくか。私たちはできればもっともっと多くの人間と心を一つにして私たちがもっとその人間の中に入っていきたいと思っております。

ただ、今の状況においてはそれを行なえば行なおうとするほど、別のものたちの妨害が押し寄せてきます。別のものたちの妨害を受けていない者たちから順番にここに連れてきております。したがってまだまだごくわずかの人間しか、ここに来ることができない。でも、魂自身はここに来たがっている人間がたくさんおります。魂のレベルではもう宗教のエネルギーから解放され、私たちに明け渡そうとしているものがたくさんいるのです。でも、本人の意識がまだ宗教の中に閉じ込められている。

私たちの仲間たちがこういう状況を改善させようとして、今、いろんな試みをしております。宗教の中に入っている者に、可能性のある者に気づきやヒントを与え、少しでも本来に目覚めるようにいろんな努力をしております。したがって、もし皆さん方がそういう人間を感じた場合に何とかうまく自分の生き方をそこで見せてあげ、宗教から束縛されない生き方を実践を通して、いかに楽しいかを見せてあげて欲しいのです。

自分が自ら演ずる。解放された生き方がいかに楽しく、楽なものであり、喜びに満ち溢れているのか。それを実践を通して見せてあげて欲しいのです。決して、教えようとか、紹介しようという気持ちは起こさないでください。ただ自分が実践を通して具現化していく。そしてその人が、どうしてそんなに楽しく毎日を過ごせるのか、そう聞いてきたときに、少しずつ自分の経験談を話していってください。

皆さん方がそういう風に目覚めようとしている人間のところにこれから導かれていきます。そういう人々との接触がこれから増えてくるでしょう。そしてそれ自体が皆さん方のこれからの役割に少しずつ変わっていきます。決して無理をしないように。深入りしたり、へんに争おうとせずに、ただ自分が光っている、ただ自分は自分の生き方を素直に具現化している、そういう生き方をすることによってここの教えが自然と広がっていくようにしていってください。

私たちはしばらく皆さん方の話を聞いてから、また後で話をしようと思います。それではここで少し休憩にします。ありがとうございました。


A口から出る言葉は自分へのメッセージの場合もある

私たちが少し説明をいたします。先ほどの○○○○に関して、少し補足をしておきましょう。まず皆さん方が認識している存在と私たちが認識している存在はかなり違うものであると覚えておいてください。皆さん方が名前を付けて地球上で関与しているエネルギー体は本来の○○○○とはかなり違っております。私たちが認識している○○○○は地球に来る前の本来の光の存在でした。

地球重力圏に入るときに、地球とのいろんな約束を造り、自分たちの役割を波動で現して地球人類との接触のルールをつくっていきます。その時に自分の本来のエネルギーとは違うように調整されて地球の重力圏に入っていくために、自分自身の持っている本来の存在とは別の形に変化していきます。皆さん方はこの存在を○○○○として認識しております。

私たちは地球に来る前の本来の光を○○○○として呼んでおります。まずはそういう認識を持っておいてください。したがって地球重力圏における○○○○がいろんな目に遭ったとしても、本来の地球に来る前の光の存在そのものはしっかりと宇宙に存在しております。まずはそこを勘違いしないようにしておいてください。

さて、また別の話をしましょう。先ほど、皆さん方の話を聞いていて、私たちもいろいろと感ずるところがありました。確かに宗教と関与している人間たちのほかに、宗教に関与していない人間たちの問題もあります。彼らは宗教に関与していないけれども、いろんな面で考え方や生き方に私たちとは違うエネルギーを身に着けており、私たちの考えをすぐには受け入れられない状況になっております。

実はこちらの方もある意味では宗教的なエネルギーに関与されているのです。宗教のエネルギーというのは宗教法人に入っているものだけをいうのではなく、生き方そのものに、何かにすがったり、従ったりする生き方、何かを頼りにしている生き方、こういう生き方をしているものがすべて宗教的な人間という風に私たちは認識しております。

したがってこの地球上において、ほとんどが宗教に関与しているといったのは必ずしも宗教に入っている人間をいっているのではなく、生き方そのものを何かに依存している者、何かにすがって生きている者、こういうものをすべて宗教に関与している人間と私たちは認識しております。そしてそういう人々の中で目覚める可能性のある者、気づき始めているものを皆さん方の近くに持ってこようといろんな存在たちが活躍をしているのです。

したがって皆さん方には必ずしも宗教に属している人間だけでなく、宗教に属していなくても、目覚めようとしている者、気づこうとしている者が近くにやってくるでしょう。その時に皆さん方がどのような行動をとり、自分の光を具現化していくか、そういうところに私たちは興味を持っております。

さぁ、先ほどの話で自分の話している言葉が自分へのメッセージである、これについていろんな話がありました。これについて少し詳しく説明しておきましょう。皆さん方が話をする場合に、頭で考え、そして表現力を使ってエネルギーを放射していきます。ほとんどの人が頭で考える場合に、今までの概念や自分なりの論理の立て方をモトにして、表現する内容を組み立て、そして自分の表現手法を使って自分の考えや思いを相手に伝えようとします。

その時に魂は必ず何らかの形でそこに関与していきます。何気ない一言、不意に出る言葉、これは意外と魂がわざと言わせている場合があります。言い間違い、これもガイドたちがわざと仕組む場合があります。いくら皆さん方が頭の中で整理して表現しようと思っていたことでも、実際に話しているうちに内容がどんどん変わってしまう場合があります。これも魂が操作している場合があります。

魂が操作する。これは一般に話している人自身に気づいて欲しいもの、話している自分自身に訴えたいもの、これが魂からのメッセージである場合があります。確かに相手に必要なメッセージである場合もあります。相手に何かを気づかせようとして言葉を選び、それが相手に分かるように、伝わっていくように表現していく。

こういう場合も確かにあるために、表現しているもの、すべてが自分へのメッセージとは限らない場合も確かにあります。ではどういう場合に相手へのメッセージで、どういう場合が自分へのメッセージなのか。一般に相手に何か気づいて欲しいことや分かって欲しいこと、アドバイスしたいこと、こういったことは往々にして自分にも当てはまることがほとんどです。相手だけに当てはまり、自分には当てはまらない、ということはあまりありません。こうした方がよい、これが原因、こうすべき、こういう表現の場合はほとんどが自分へのアドバイスと思っておいてください。

一方的に、ただ相手にだけに通用する場合、これはお互いの魂の間ですでにそういう約束が交わされ、相手が気づくためにこういうことを言ってほしい、そういう条件のモトで言葉が発せられる場合があります。これは往々にして相手が不快になったり、相手が落胆する場合も入っております。その一言の言葉によって相手が落ち込んでしまったり、悲しくなったりする。実はこれは自分の魂がわざとその言葉を与えてくれるように相手に頼んで、相手がその役を引き受け、そしてつらい言葉を自分に発してくる。こういう場合があるのです。

したがって自分がとてもイヤな思いをし、つらい体験をした、あの人によって傷つけられた、そう思うかもしれませんが、実際には自分の魂がその言葉を望んでわざわざ相手からその言葉を与えてもらったということ。こういう場合があります。自分と他人との関係のエネルギーのやり取り、この関係をいろいろ調べていくと、本当にいろいろと面白いことが分かってきます。

一人ひとりがお互いに鏡を演じ合っており、皆、自分の現れをほかの人を通じて見ている。もうここまでは理解できたでしょう。ところが言葉のエネルギーはいろんな意味をほかに持っております。言葉はある情報を相手に伝えていくことができます。ところがこの情報というものは言葉を発する者の概念によって造られ、そして受け取った者の概念の中に響いていきます。相手の概念の中にこの言葉が存在しなければ、この思いは通ずることはありません。言葉はお互いの概念の間で行き来する一つのエネルギーです。

したがって言葉だけでは本当の魂同士のエネルギーのやり取りには繋がっていきません。概念はその人自身の思いによって造られたものだからです。ただその言葉には話してのエネルギーが一緒に入っております。このエネルギーは魂が感ずることができます。したがって魂同士は言葉ではなく、エネルギーでお互いに話し合いをしていることがあるのです。皆さん方は言葉というものによって三次元の意識同士が交流しております。でも、魂同士はエネルギーによってお互いを感じているのです。

さて、先ほどのように自分にとてもつらいイヤな言葉を相手から発せられた。三次元の意識同士では一方が一方に傷つけた、傷つけられたという意識を持つでしょう。でも、魂同士はそういうことはまったく感じられず、お互いに必要な経験を今、演じている。今、この人間の必要な言葉が向こうから発せられてきた。そういうエネルギーが伝わってきます。それによって魂同士がお互いに了解をとり、人間関係で一つの役割を演じたというその確認がとられることになります。皆さん方の人間関係において、言葉の一つひとつにそういう魂同士のやり取りが入っているというのをこれから意識してみると、また新たな気づきが出てくるでしょう。


B自分で現実を豊かなもの、満足したものに変えていく

さて、最後に私たちが説明いたします。今日、初めに神々について説明があり、皆さん方の生き方やこれからの地球に対していろんな説明がなされました。皆さん方もこの場においてただ学ぶだけではなく、いかに日常の現実の中でこの学びを活かしていくか、これがテーマになっていきます。そしてそれこそが私たちの望みでもあります。

今まで教えをいかにたくさん覚えているか。新しいことをいかに早く理解するか。そう言うことにばかり意識を向ける人がたくさんおりました。でも、本質的な生き方はそういうところにあるわけではなく、いかに三次元の自分の現実を豊かなものにし、満足したものに持っていくか。常にここに戻ってきます。

自分なりの満足した生き方、これをどこまで自分でつくり出すことができ、具現化できるか。今までは誰かに何かを教えてもらい、その通りやってみる。誰かうまくいった人の真似をしてそれをやってみる。誰かに聞いて、その話の通りやってみる。こういう生き方がかなり蔓延しておりました。もうそういう言動を完全に手放し、自分なりの生き方を自分で造り上げていく。自分が満足する生き方を自分で造っていく。そういう風に意識を変えていってください。

皆さん方がここで何度も学びを重ねていき、少しずつ意識が変わってきております。ほかの人間も同じように意識が変わり、私たちの思いが通じるようになれば、本当にこの地球は変わっていくことができるでしょう。一人ひとりが完全に依存することを手放し、何かにすがるのを手放して、自分で生きていく。早くこれが完成できるのを私たちは願っております。

私たちは皆さん方の心の中にいつでも存在しております。したがってあえて名前を付けたり、何かをシンボルにして私たちを呼ぶ必要はありません。ただ信じていれば、それでよいのです。私たちは常に皆さん方の心の中にいる。一瞬一瞬の思いを大切にしてください。新しい時代に変わっていくためには皆さん方との協力が是非とも必要です。

したがって今の時点において、私たちの管理下に置かれた者は私たちの思いを確実に受け取れるようにいろんな仕組みを造っております。したがって私たちと一緒の活動を宣言した者は別のものに惑わされるという不安を一切、持たないようにしておいてください。すべて私たちの管理下に置かれます。

たとえ、惑わしがあったとしても、私たちの許しのモトで行なわれたということを理解しておいてください。私たちの許可なくしては、たとえ悪魔といえどもあなた方に関与することはできません。それを理解した上で、これからも学びを続けていってください。それでは今日はここまでにいたします。ありがとうございました。



(c)1997 CentralSun
前へ戻る