この現実が自分にはとてもつらく、早くこの現実から抜け出て、楽になりたい。早く宇宙に戻って、地球から去ってしまいたい。そういう思いを持っている人がたくさんおります。現実は自分で造った、そう言われても、こんな嫌な現実を造った記憶はない。そう反論してくる人もいます。でも、私たちはそれぞれが自分で造った、と言わざるを得ません。
それぞれに魂と呼ばれる一つの存在があります。これは皆さん方のこの現実を造るために必要な一つのエネルギー場であり、魂があるからこそ、この三次元世界が存在していると思っておいてください。この三次元世界は皆さん方の大脳の働きと魂の思い、そして神の許しによって造られる一つの場です。このどれか一つが欠けていても、三次元は造られません。したがって三次元を経験しているということは必ず神の許しと魂の思いが入っていると思っておいてください。
魂はどういう思いを込めてこの三次元を造り出したのか。一人ひとり自分のハートに意識を向けて、自分の魂は何を願っていたのか。この惑星でどういう経験をし、自分は何を身に着けようとしたのか。それを本当に感じようとしてみてください。自分の魂は何を表現したがっているか。
ある人の魂はこの場における一つの大きな流れを造り出しており、ここに存在していること自体が魂の思いなのです。何か目的があってやってきたのではなく、今、ここに肉体を持って現れているということ。これ自体に意味があります。この魂は三次元という領域において、自分の波動を浸透させていき、少しでもこの三次元が自分の中に染み込んできて自分が三次元領域において自由に行動でき、この波動を広げることができる、それを願ってわざわざ肉体を持ってきております。
しかし、それとはまったく対照的に、明確に役割を造ってこの世界にやってきた魂もあります。自分の成長のために人間という進化過程を完了させるために、最後の問題を克服しようとして人間という生命体を造り出し、地球にやってきた魂があります。この魂は地球上において、いろんな体験をする内に、人間についての認識が根本から変わり、またやり直しをし始めているところです。それまで自分たちが考えていた人間という生命体がこの地球においてはまったく役に立たなかったということ。いろんな働きが、ほかの惑星における人間とはまったく違うということに気がつき、あらためて人間という生命体の奥の深さを学んでいるところです。
自分の魂は何を思って、今ここに現れているのか。自分の今存在しているこの場。そして魂が語りかけようとしているこのエネルギー。私たちはまず、皆さん方にいろんなことを伝えるために、概念を変えていただく必要を感じております。自分はここで存在しているという、そういう認識を持って今、集まっております。でも、一人ひとりまったく別の現実を造っております。自分だけの現実の中で、自分は経験をしております。ほかの人はほかの人だけの現実を体験しております。では、自分とほかの人はどういう関係なのか。
ほかの人に対して持っている観念。知らない人だからこうだ。あの人はこうだ。人間だからこう歩く。こういういろんな観念がそれぞれの頭の中にあり、この観念同士でお互いが交わっております。あの人は良い人。そう思って接していても、何か気に触ることを一言言われると、もうあの人は嫌な人。すぐに価値観が変わってしまいます。
それまでは行動のすべてが良い人のように思えたのにもかかわらず、その瞬間から行動のすべてが悪い人になってしまいます。何が変わったのか。自分の思い込みが変わっただけであり、その人そのものはまったく何も変わっておりません。自分の思いで、ほかの人を見る見方が変わってきております。
これは思いだけではなく、実際の現実に影響を与えております。良い人と出会いたい、この瞬間に悪い人ができてしまいます。そして良い人、悪い人、両方と接する状況が造られてしまいます。悪い人と出会うと文句を言う。それによって自分が誰かから文句を言われるという現実を造り出していきます。自分の思いによって現実がどんどんと造られていきます。
二度とこんな経験はしたくない。そう思った瞬間に、経験したくない現実が造られていきます。そしていつか、必ず自分に戻ってきます。何故、こんな仕組みが創られたのか。自分だけの現実を一人ひとりが造っている。自分一人で造っているのです。これは最終的に自分は神であるというのを納得させるために創られた仕組みです。
自分の好きなように自分の現実を造っていく。文句の言い合いが好きな人はそういう現実をたくさん造って構いません。それは自分だけの問題です。ほかの人同士が論争しているように見えても、本当はそれは自分の造ったシナリオにわざわざほかの人が合わせてくれているに過ぎません。自分の居ないところでは、ほかの人は何も論争をしていない。そう言うこともあり得ます。
自分のつくったシナリオに周りの人が皆、合わせてくれている。まだ皆はそこまで感じていないのです。自分だけの現実をこうやって造り出している。嫌な人がいる。そう思った瞬間に、嫌な人の役が造られていきます。誰かがこれを演じてくれる。それはパートナーかもしれない。仕事の仲間かもしれない。見知らぬ人かもしれない。でも、自分の造った役割を誰かが確実に演じてくれる。自分は創造主だから。
こうやって自分の現実を造り出していき、そして自分の現実が明確に自分で造り出したものであるということが理解されてくると、そこに神が少しずつ入り込んできます。それまではどのような思いを発しようとも、すべてを許し、そのまま認めておりました。でも、意味が分かり、現実に対して自分のやるべきことが見えてくると、神がそこに入り込んできます。
この現実は神の許しと魂の思いと皆さん方の瞬間瞬間の選択によって造られていると申しました。でも、この現実に意味があるのが分かってくると、神の思いが入ってきます。そして神がやりたいことを現実を通してやるようになってきます。
ある神はその現実を通して自分が人々との接触の中において、とても大切な鍵を握っているということを演じていきます。人々の接触において、それまでは仲が良ければ良い人、自分のことを良くしてくれたら良い人、そういう価値観が大勢を占めていたのにもかかわらず、実際には仲の悪い人を造り出してしまった。自分にとって良くないことをする人を生み出してしまった。
だから、そういうことで人間関係をつくるのではなく、単に自分は楽しいことを表現していく。それに波動の合う人がたまたま集まってくる。お互いにただ楽しいことを表現していると、同じ波動同士の者が自然に集まってくる。それを具現化しようとして皆さん方の肉体に入り込もうとしている神がおります。
別の神は職業というものの中に自分の意識を投影させようとしております。人間は職業というものを通して富を得ようとしてきました。名誉を勝ち取ろうとしてきました。でも、そこには真実の心の安らぎが何一つ入っていないということ。仕事がなくなったら困る。この不安が常につきまとっているのです。良い仕事に辿り着こうとしている人は仕事がない不安を常に抱えていきます。これでは心の安らぎが得られません。
自分に見合った仕事は、自分の喜びでそのまま造り出していく。ほかの人と一緒に何かを達成するとか、目標を目指して何かを成し遂げるとか、そういう類の喜びではなく、ただ自分の心の安らぎの得られるものを成し遂げていく。そうすると、同じ波動の者同士が自然に集まってきて、ただお互いに心を磨き合う。成長する。輝いていく。こういうやり方をこれから活性させようとして、皆さん方の肉体に入り込もうとしている神がおります。
人それぞれ、自分なりの神の現れがあります。この思いを皆さん方を通して表そうとしております。皆さん方の肉体を使うことにより、この現実に神が現れることが可能となります。自分はどういう神の思いを表現できるのか。それぞれ思いを感じとってみてください。
大いなる神々たちは、それぞれの魂の領域において少しでも神の現れを発揮できるように、根本的な仕組みを変えようとしております。それぞれ自分の波動が根本から変わるように、魂と一緒になって神の波動を受け取ってみてください。
これからそれぞれに自分なりの神の特性のエネルギーを強く流しますので、よく感じてみてください。自分は神であるというのを、思いだけではなく、現実を通して自分のものとし、周りの人は単に自分のシナリオに合わせて役割を演じているに過ぎないということ。周りの人をうまく変えていきたいのであれば、自分がシナリオを変えるということ。自分が楽しい役割のシナリオをいっぱい、造るということ。それを本当に自分のものにしていってください。
自分の造ったシナリオにわざわざ相手がその役割を演じてくれている。お互いにその役を演じ合っている。そこで何を学んでいくのか。思いがけない一言で相手が根本から考え方が変わり、心を大きく広げる場合があります。何らかの一言で自分に気がつき、反省する人もおります。ほかの人の一言によって、人生観が変わる場合があります。こういう気づきを与えてくれる人間が皆さん方にはどうしても必要なのです。
なぜならば、魂や神がいくらインスピレーションで気づきを与えても誰も気づいてくれないからです。したがって神や魂の気づきをわざわざ周りの人が代わりに演じてくれているのです。いろんなことに気がつくように。でも、ほとんどの人は気づこうとしないために、それに目を向けることなく、ただ、嫌な人とか、悪い人とかいうレッテルを貼って、逃げ回っております。
そのほとんどのケースは神や魂が何らかの気づきを得てほしい、分かってほしいというつもりで、わざわざその人を目の前に呼んできております。自分が気づこう、目覚めていこうという意識があれば、その役を演じている人をだんだん不快には思わなくなってきます。不快と思っているうちは、まだ人間関係を恐れており、現実から逃げている証です。つまり、神や魂を否定しているのです。
もっともっと自分という存在を大きなものとして認識し、現実のすべて、神の思いや魂の思いも自分であるということ、そこまで意識を拡大させていってください。自分の思いが現実を引き寄せ、神や魂がそこに気づきや喜びのメッセージを含ませて送ってきております。さぁ、自分自身の現実をそのまま受け取ることができるように恐れを手放し、不安を手放し、自分が抱えていた問題という認識を改めていくように変えていってください。
本来は問題なんていうものは存在しておりません。自分がそういう認識で受け取っていただけのことです。自分が逃げているから、問題となって追いかけてくるのです。真っ正面から、そのまま素直に受け取ればそれは問題でも何でもありません。恐がってはいけません。
さぁ、自分の現実を良いものに変えたいというのであれば、良い役を演じてくれている人という思い、さらには良い、悪いという価値観をなくし、気づきのために神のメッセージを持ってくるという役の人、そういう認識に変えて、いろんな役割を演じている人に感謝の念を送ってみてください。
私たちはここで少し休憩をとります。ありがとうございました。
自分がどういう役割を演じ、魂との結び付きがどうなっているのか。それを個別に聞きたい人がいるかもしれませんが、必ずしもそれを説明するわけにはいかないということを理解しておいてください。日本語で決まっているわけではなく、もっと大きな宇宙レベルでの役割であるために、どうしても表現が難しくなってしまいます。特に、魂は自分自身の成長のことも考えているために、人間とは認識が根本から違っております。
したがってあまりその役割とか、波動とかに限定して考えるようなやり方はなるべくとらないようにしておいてください。それよりは自分自身が、この与えられた瞬間瞬間にどれだけ多くの楽しみを見つけ、人々との接し方の中で喜びを感じていくか。そこにもっともっと意識を向けておいてください。
さて、最後にやはり皆さん方に一番、興味の持たれているパートナーについて、少し説明をしておきましょう。自分にとって一番適切なパートナー、こういう人が早く現れてほしい。もし、今、どこかにいるのであれば、名前を教えてほしい。ほとんどの人がそう感じていることでしょう。
さて、このパートナーという存在、これもある意味では人間の概念から強く造られたイメージであり、宇宙においては必ずしもそういう存在が明確に現れているわけではありません。パートナーというものをまったく相手にしないで一生を終える宇宙の生命体もたくさんあります。人間がこれほどまでにパートナーに執着を持つ。これは自分自身の愛が足りないということをそのまま表している一つの現象です。
本来、自分自身がどのような人間にでも愛を与えることができるような状況にあれば、パートナーという存在をあえて造らなくても、常に楽しい人間関係を送ることができます。日ごろの人間関係で、楽しみが中々感じられない。自分の楽しみを少しでも多くの人と分かち合うために、パートナーという相手を身近において、お互いで喜びをずっと感じていたい。
愛する対象をパートナーに確実に限定しており、また愛すべき存在を身近に置いておくことによって、手っ取り早く愛を分かち合いたい。したがって遠くにパートナーがいると、途端に愛する対象が自分から失われてしまい、パートナーと思っていたものがパートナーとは思えなくなってしまう。当然、分かるように、これは真実の愛ではありません。遠くに行ってしまったから、愛せなくなった。愛する気が薄れてきた。
身近に居て、手っ取り早く愛する対象を確保しておきたい。これは真実の愛でしょうか。もし、真実の愛でないという風に少しでも感ずるものがあった場合、私たちがわざわざそういう真実ではない愛を具現化させるためにパートナーを身近に送り込むでしょうか。
自分の身近には存在せず、自分のすぐに手の届くようなところにいない人間に対してでも、常に思いを馳せ、お互いに喜びを分かち合うことができる。こういう状況がつくられてくれば、これは本当の愛に発展していくかもしれません。でも、身近に置いておき、手っ取り早く一人だけをずっと愛する対象として確保しておく。これは宇宙から見た場合には、必ずしも好ましい愛の表現とはいえないのです。
パートナーをそういう愛すべき対象として考えてしまっているところに大きな間違いがあります。本来は自分の役割を果たすために、自分のエネルギーをもっともっと広く利用できるようにするために、自分の波動を高めるために必要な相手がたまたま近くにやってきて、お互いでエネルギーワークを行なうと、とても素晴らしい反応をする。これはパートナーといえるでしょう。
でも、ただ自分が愛に満ち溢れている証拠を得ようとしてパートナーを身近においておき、その人だけと愛し合うことによって愛が存在しているという証を得たい。これは本来の宇宙の願いとはまるっきり違ってきます。皆さん方の現実において、このように皆さん方が願っていることと神や魂が願っていることに一致点が見られない場合には、現実にはならないのです。
したがって自分の思っていることが現実にはならない場合、これは魂も神も願っていないところがある、という認識を持つことが必要となります。しかし、そういう認識に発展せず、無理矢理に自分の思いを実現させようとしてエネルギーを注ぎ込む人がおります。願望を満たすために、こういうツールを買って身に着けておけば、叶えられる。こういう日にこういうことを行なえば、願い事が叶う。いくらこういうことをやっても、神の御心に合わなければ、現実には起こらないのです。
では、自分の思っていることが神の御心に合っているかどうか。あるいは神の御心に合った思いとはどういうものなのか。自分が何かを考える。何かしたい。こういう風にやっていきたい。これが純粋に自分に成長をもたらし、相手に喜びを与えるものであれば、普通はそんなに問題はありません。
でも、お互いの人間関係において、相手に何らかの影響を与える場合。相手を下にすることによって自分が上に立ち、支配できる。相手から何かを得ることによって、自分は満足する。こういうお互いの関係がある場合には、これは神は認めません。相手の領域をおかしくするからです。相手の世界には、ただ喜びを与えることだけを考え、それ以上の介入はしないということ。そして自分の成長を造り上げていく。これが原則になります。
したがって何かを考えたり、願ったりする場合に、相手との関係において、相手が少しでも不利になったり、不快を感じたりするような現象が伴えば、もうそれは神は認めないということを基準に考えておいてください。
ただ、今のこの環境において、地球の変化に対応できる地球人類の数が極めて少なく、多くの人間はこの地球から追い出されてしまうかもしれないという状況になっていきます。でも、そうすれば、新しい地球において、人類が存在しなくなり、これは地球自身にとってとても危険な状況を造り出していきます。
これだけ多くの地球人類がこの地上で生存しているということは、多くの人間の遺伝子が必要だという意味でもあるのです。最低限、必要な人類の遺伝子がある程度、決まっており、そのためにはできるだけ多くの人が地球と一緒に新しい波動に変わる必要があります。しかし、そこに至るまでの試練の時期が何度もやってきます。
ただ単に人間が良いとか、立派だというだけでは、残念ながら基準には満たない場合があります。本当にその人が愛に満ち溢れ、多くの人々や生命たちと喜びを分かち合うことができるかどうか。自分は神であるという認識を明確に持ち、神の一員として地上で役割を演ずることができるかどうか。自分の体、宇宙や神から与えられたものであり、またこの地球上で活動できるために与えられたもの。そういう認識を持っているかどうか。これからはそういうテストが皆さんに何度も与えられてくるでしょう。
皆さんにお願いをしておきますが、どのようなことがあっても自分と神とのつながりを切らないでいただきたいのです。ホンのわずかでも神を否定し、遠いものとして認識してしまうと、神でさえも皆さん方に入っていくことができません。いかに神だろうと、皆さんが否定すると、神は繋がることができないのです。
自分がどのような環境にあり、一見どのようなつらいと思われる現実を送っていても、神を信じている限りは確実に神の手助けがやってきます。そしていずれは大いなる祝福が皆さんに与えられ、また一段と輝かしい波動に変わっていくでしょう。しかし、一度、神とのつながりを切ったものは中々戻ることが難しいのです。一度、神との縁を切ったものはその人自身のプライドや意地によって二度と神に目を向けることがほとんどないのです。たとえ、どのようにつらく苦しい現実が与えられても、神との繋がりだけは決して切ることがないように、お願いをしておきます。
さて、そろそろ終わりに近づいてきました。最後に、簡単に神の祝福を皆さんに与えて、終わりにいたします。そのまま楽に座っていてください。
私たちはこれからもずっとあなた方と共におります。皆さん方もそれを意識しておいてください。特に、今日、初めのときに、それぞれにいろんな存在がやってきました。もしその時の雰囲気を覚えている人いがいれば、そのエネルギーを自分の身近に常に感じるようにしておいてください。
皆さん方の現実に神の思いが入っていくと、現実が皆さん方にとって満足されたものになり、喜びに満ち溢れたものになっていくでしょう。神のエネルギーが皆さん方の現実に入り込んでいくのを、私たちも楽しみにしております。是非とも、現実を楽しく、愉快なものにし、お互いに喜びで分かち合えるような三次元世界を造り上げていってください。それではありがとうございました。
付録:参加者の感想
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