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1997/8/30■土曜練習会から

日本人の学ぶ無条件の愛は判断と見返りを求めないこと

@人によって愛が違うと無条件の愛ではない

私たちは今、宇宙船の方から話しています。私たちは先ほどの皆さん方の話をいろいろと聞いておりました。今までのここでの学びが私たちや多くの宇宙のマスターたちによって教えられたものであり、またそれを元にして皆さん方が成長されてきました。今、確かに新しい状況になりつつあります。

ただ、新しい状況というのは、あくまでも私たちの計画における変更であり、皆さん方自身の意識的な変化というものについては、それほど大きな変更はないということをまず確認しておいてください。つまり計画がどのように変わろうとも、皆さん方自身は常に自分の意識を成長させ、そして確実に、いわゆるアセンションという現象を経験していくということ。

そのためには人々への心からの愛を自分のものとし、どのような生命や人間たち、いろんな宇宙の存在たちがやってきても、常に心を大きく広げ、喜びを分かち合えるというようにするということ。まずはこれを理解しておいていただきたいと思います。

私たちはそういう前提の中で、でもどうしても伝えておきたいことがいくつかあります。今まで私たちは無条件の愛ということをさかんに皆さん方に説いてきました。たとえ自分を攻撃する人間がいたとしても、それは自分の攻撃するエネルギーが戻ってきただけであり、その人は単に役割を演じているに過ぎないということ。自分を非難し、蹴落とす人間がいたとしても、自分の心のエネルギーをそのまま表しているに過ぎず、その人自身はそれを見せるためにわざわざ役割を演じてくれているということ。

そういう意味で、どのような現象が起ころうとも、すべてを認め、許してあげる。そこから自分は何を学んでいくか。今、自分の抱えているエネルギーを正しく分析し、必要なものはさらに成長させ、必要でないものは手放していく。これを行なえるかどうか。これが皆さん方にとってのごく普通のやり方といえます。

ただ、皆さん方は無条件の愛という言葉を理解しようとして、余計に混乱に陥るケースがあります。無条件の愛と普通の愛との違いがどこにあるのか。隣りの人がとても可愛く、人間性に親しみを持ち、心から尊敬をしている。これは普通の愛なのか、それとも無条件の愛なのか。相手からわざわざ非難され、それに耐えていることだけを無条件の愛と呼ぶのか。小さな子供から文句を言われ、ニコニコとしてそれを受け止めている。これは無条件の愛なのか。

普通の愛と無条件の愛を区別すると、このようにいろんな問題が起こってきます。したがって無条件の愛という言葉を学ぶときに、それまでの愛と違うという観点で無条件という言葉を使うと、それは逆に学ぶ人間に対し、いろんな好ましくないエネルギーを造り出してしまいます。

多くの人間たちが、今、ごく普通に身に着けている愛は、お互いに好感の持てる者同士が喜びを分かち合い、あまり好感の持てない人はそのままにしておく。不快な言動を自分に持ってくるものは拒否する。これが一般的な行動となっているでしょう。こういう状況における愛というのは、ある意味では自分に都合の良い表現形態をとっているだけであり、必ずしも自分の心を解放させ、相手を成長させる愛にはなっておりません。

でも、ほとんどの人はこれを愛という風に定義しております。お互いに好感の持っている人間同士が近くにやってきて楽しいことをやっている。これは単に何もしなくてもただ楽しいという状況がつくられるだけであり、自分そのものの魂から強い愛のエネルギーが出ているわけではありません。自分のハートから愛のエネルギーが出ているかどうか。

これは本当に相手を思う気持ちが出ているかどうか。相手がつらい立場になっている。でも、直接、手を下すことは自分には許されていない。何とか、今、耐えて頑張って欲しい。そう思ってひたすらその人がやり遂げるのを見届けてあげる。これは愛のエネルギーが出ております。自分の子供が事故に遭ったり、病気になったりして苦しんで耐えている。それをじっと近くで見届け、勇気づけてあげる。これは愛のエネルギーが出ております。でも、ただ自分の子供が可愛いからといって、ニコニコして遊んであげたり、ただ一緒に居てあげようというだけでは必ずしも愛のエネルギーが出ていないことがあります。

私たちの観点から見た場合に、その人自身のハートから愛のエネルギーが出ているかどうか。これは明確に区別されます。ただ、皆さん方にはまだその区別はついておりません。一般に、人間関係はほとんどすべて、愛を身に着けるために造られております。お互いの言葉の一つひとつ、いろんな状況の一つひとつに愛を学ぶための状況が造られております。それを自分が理解して、自分が今、学ぶべき愛の表現は何であるのか。自分が今、身に着けるべき愛はどういうのが望ましいのか。常にこれを意識しておくと、必ず現象の一つひとつにその意味が分かってきます。

無条件の愛というのは、どのような人間関係においても、その区別をせずに、常に何らかの意味があり、自分を成長させるために相手が役割を演じているということに意識を向けておくということ。そこでこの人はこうとか、友達だからとか、偉い人だからとか、そういう価値観が入ってしまうと、もう無条件ではなくなってしまいます。人間関係で、そういう何らかの概念が入ってしまうともう無条件ではなくなってしまいます。

つまり、私たちが考えるに、無条件の愛というのは、相手がどのような人間であろうとも、自分に対して行なわれた行動にはすべて意味があり、それは自分の気づきのために行なわれたものであるということ。これを常に理解している。自分の家族の場合、友人の場合、知らない人の場合、そういう考えが入ってしまった段階で、もうその行動は無条件ではなくなってきます。

そういう判断が入ってしまうと、結果を期待してしまうところが出てきます。裏切られたら、困る。仲が悪くなったら、困る。反対されたら、困る。そのような思いが無意識のうちに働き、それによってほかの人の場合と違う行動をとる場合があります。そういう意味で、どのような人間にでも一様に自分の学びのための演出を皆が行なっているということに理解を示す。これがいわゆる無条件の愛と私たちは認識しております。

こういう認識の下で、皆さん方の先ほどのワークを眺めてみた場合に、それぞれにいろんなテーマが残されております。Hさんの場合には、自分に一番影響を与えた人間や、常に思いの沸いてくる人間がテーマとなっております。こう人々はあなたに本当に無条件の愛を教えようとして、いろんなことを仕組んできます。

あなたから見れば、どうしてそこまで徹底的にやってくるのか、どうしてしつこく、そこまでするのか。そう思うかもしれません。でも、本当に、人間に区別をせず、無条件の愛を身に着けるためには、一人の人間から徹底的に次から次へと、いわゆるいやな思いを受け取る必要があります。これがどこまで自分で解放できるようになるのか。それによって自分なりの成長の仕方が変わってきます。

一人ひとり、無条件の愛を身に着けるための練習の仕方がかなり違っております。したがって自分だけの経験の仕方、不快感を得る仕方が用意されており、それを着実に学ぶことによって愛を身に着けていく。それを実際に行動できるようにしていってください。

Hさんの場合の無条件の愛の学び方は、あなた自身が過去に造ったいろんな思い、これを必ず誰かが演ずるように造られております。自分がほかの人に対していろいろと放った感情のエネルギー、これが必ず戻ってきます。それを一つひとつ、自分で経験していき、自分のエネルギーであるということにまず気がつくということ。

それによって、それを返している人間は本当に、単に役割を演じているに過ぎないということが分かるということ。そのうちに、結局、誰でも構わないという風になってきます。単に自分のエネルギーを戻す鏡の役割をそれぞれが演じているに過ぎない。たまたまその人が演じているに過ぎない。誰でもいいんだ、ということに気がついてきたときに、その人への恨みや憤りはほとんどなくなってきます。

単に自分のエネルギーをたまたまその人が戻してくれているに過ぎない。そうすることによって、人間一人ひとりへの個人的な感情が薄れていき、それによって無条件の愛を身に着けることができます。あなたの場合はそういう経験の仕方を選択しております。したがってこれからはいろんな状況に出会ったときに、本当にその人は単に役割を演じているに過ぎない、たまたま演じているに過ぎない、誰でも本来は構わなかったということをしっかりと意識しておいてください。


さて、本質的なことですが、無条件の愛という言葉を本当に使って良いのかどうか。先ほどと同じような話に戻りますが、もし普通の愛と無条件の愛を区別するのであれば、あまりこれからは使わない方が良いかもしれません。どのような人間に対してでも、常に同じように愛の勉強をしていく。そういう意識を確立できれば、無条件という言葉を使わなくても、皆さん方は身に着けることができるでしょう。

ただ、一般的にまだこういう学びをしている人がとても少なく、多くの人は執着をともなった愛の中で人間関係を学んでおります。そういう人たちがテーマにしている愛と、皆さん方がテーマにしている愛では質的にかなり違うものがあります。したがって言葉としては同じ愛であっても、それぞれの持っている状況により、その愛の学ぶべきテーマやエネルギーはかなり違っているということを理解しておくことが必要です。

したがって自分が今、テーマとしているのはどういう愛であるのか。まずはそれだけに意識を向け、自分がどのような人間にでも同じように許し、認めていくというエネルギーは必要とされます。こういう意味で、必ずしも、明確にこれが良く、これが悪いとか、そういう切り分け方はできないかもしれませんが、常に今の自分がこれからの新しい時代に向けてより強く、より光に溢れた愛を身に着けていくように、学びを続けていく。それだけは明確に意識を向けておいてください。


A見返りを求めない愛と無条件の愛

私の方から説明をしておきます。無条件の愛というのは英語における"unconditional love"、これを単に日本語に訳したにすぎません。英語の"unconditional"、これが無条件という風に訳されているのは、西洋の場合はどのような関係においてもそこには必ず何らかの制限や条件が付けられていることが前提となっております。いわゆるルールのようなものがお互いの間にできていて、お互いはそれを守ったり、その制限のモトで人間関係を続けていくという状況が暗黙のうちにできております。"Give and Take"、あるいは金銭での見返り、何かをしたらそれ相応のものを必ず受け取る。こういうお互いのやり取りがかなり確立されております。与えっぱなしとか、もらいっぱなしというのはあまり彼らの社会には存在しておりません。

日本では一方的に何かをただ渡してあげるとか、贈り物をするとかいう習慣があります。でも、これが無条件に与えるものかというと、実際にはそれの見返りを必ず含んでおります。したがっていくら相手にいろんなものを渡したり、送り届けても、何も見返りがないときには、それは怒りや恨みに変わって、相手にぶつけられることになります。

ただ、日本においては、そうはいっても、本当に欧米ほど明確に対等に行なわれるというのではなく、かなり漠然とした領域の中において、お互いのやり取りが行なわれております。そういう雰囲気的にアバウトな関係、大まかな関係というものはかなり存在しております。

それは愛においてもいえることができます。これだけ愛したのだから、それに匹敵するものを必ず戻して欲しい。ここまで厳密に考えている日本人はそれほどおりません。ただ、大まかにこれをしてやっているのだから、何かして欲しい。こういう雰囲気だけのものが造られております。

つまり、日本における無条件の愛というのは、見返りを期待しない愛、ただ何かをしてあげる愛、こういったニュアンスがかなり強く入っており、自分はただひたすら何かをしてあげる。自分は見返りなしにただひたすら愛する。これが無条件の愛という風に理解されております。

さて、先ほどの話では、人間に依存せず、どの人間にでも同じように愛するということが無条件の愛という風に言われております。これが西洋における考え方の無条件という意味であり、日本人が考える見返りのない愛とはかなり違うということがここで証明されます。では、日本人の考えている見返りを要求しない愛、これは何であるのか。実際には、日本人の考えている愛そのものが常に見返りを含んだものであり、つまり何かをしてあげる、何かをしてもらう、こういう構図が明確にできております。

愛をあげる代わりに、愛が欲しい。したがって、愛してくれないという表現がものすごく頻繁に使われます。本来の宇宙において、愛してくれないとかいう言葉に、愛するという意味はそんなに入っておりません。愛は喜びを分かち合うものであり、お互いがそこで何らかの良い反応を感ずる必要があるからです。

成長のために、何かアドバイスをしてくれる。これを愛と思って感ずる人もいるでしょう。ただ、一方的に何かをしてあげる。一方的に愛してもらう。これは本来はあり得ないのです。見返りをなしに愛するという感覚をもっている以上、その人の愛には必ず見返りが伴っております。

これからは、まず見返りということを一切、本当に頭に入れない。お互いに愛し合うということ。ただ、相手が成長のために喜びとなることを自分がサポートする。相手の暖かさや思いやりをよく理解している。そしてそれがもっと輝くように、いろんな手助けをする。自分と相手が一緒になって、楽しいことをするためにはどういったことが必要か。それを常に考えていく。そういう思いを持っておくことが必要となります。

皆さん方は、先ほどのような話から分かるように、人間関係そのものが愛を学ぶために造られております。そしてそれは今の自分の学ぶべきテーマにしたがって、人間関係が繰り広げられていきます。もし、見返りを求めたりしている場合には、それに気づかせるような人間関係ができてきます。

今、自分がどういう愛を学んでいるのか。自分が身に着けるべき愛はどういう愛であるのか。常にそれが分かるように、現実が造られていきます。したがってこれからは現実の人間関係の中で、今、自分が何を学んでいるのか。どういう愛を今、身に着けようとしているのか。常にそういう意識をもっているだけで、確実に成長していけるでしょう。


B挨拶

皆さん方が確実に愛に目覚め、成長していかれるように、それぞれに一番必要となっているエネルギーを流しておきましょう。

それではここまでにいたします。ありがとうございました。



(c)1997 CentralSun
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