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1997/5/14■水曜瞑想会から

自分を正しく表現する能力を身につけるように

@宇宙は必要に応じてエネルギーを調整する器械を与えている

私たちは先ほどの皆さんのワーク(富士山にエネルギーを流す瞑想)をすべて管理していた仲間たちです。皆さん方の思いにより、それぞれが貴重な体験を為されました。それらはそれぞれの体の中にしっかりと体験として残り、いずれは自分が宇宙になったときにとても大切な働きを行なってくれるでしょう。皆さん方は本当に素晴らしい体験を為されたということを理解してください。

さて、先ほどの質問の方から先にお答えをしていきましょう。喉に碁盤の目のようにいろんな光を感ずるということですが、私たちはこういうことを時々やります。それぞれのエネルギーの調整をするためにわざとある種のエネルギーの変換装置をそこに置き、それによって一時的にその機能が回復するような状況にもっていきます。

Hさんの場合は、そこの場所にエネルギー的にかなり痛んでいるところがあり、それがある種のエネルギーを常に阻害しておりました。それを癒すために特別な仕組みがつくられ、それによって山炊いた奇な調整がとられていくような機構をつくっておきました。今まではそういうことはあまりやらないようにしておいたのですが、これからはそれぞれの表現の一つひとつがとても大切な意味をもってきますので、私たちは表現をいかにうまくコントロールしていただくかということに注意をもっともっと向け、それらがうまくいくように調整をとっております。

人間は表現力というものを身に着け、それによってほかの人に自分の意思を伝え、自分を素直に現し、自分の存在感を認めてもらいます。しかし、ここの表現力を正しく使っている人間というのがあまり多くなく、ほとんどの人は自分をよく見せようというエネルギーで表現をとっております。つまり、喉の表現力のところに常に本来の自分よりも良く見せようとする変換の作用、必要以上に自分を大きく見せてしまおうとする働き、少しでも周りの人よりは良い人間であるという風に思わせようとする働き、こういう働きが喉のところに作用し、本来の自分とは別の自分が表現されるように変換されております。

こういう自動的につくられた表現のメカニズムを本来の素直なものに変えるためにはまず自分自身の変換のその作用を自分で認め、自分でそれを取り除いていくことが必要とされます。しかし、ここに来ている何人かの人々で、もうそれの時期がかなり間に合わなくなっている場合には少しでも早くそれが処理されるように器械をそこに埋め込み、速い速度で自分の癒しが行なわれるようにつくられております。先ほどの特別な器械はほかの人にも時々つけられております。それぞれだまっていたら間に合わない、という人につけられていると思ってください。

これはかなり特殊なやり方であり、誰にでもすぐに許されるというわけではありません。確実に宇宙の方で許可した者たちだけが行なわれているやり方です。だからといって、黙っていて自分の表現が良くなるかというと、そういうわけではありません。それに応じて、本当に自分がそれに気づき、素直であることの重要さを認識し、自分の力でさらにそれを改善していくという努力が必要とされます。それを理解した上で、これから表現のところを工夫していってください。


A自立が必要とされる日本人

私はラジニーシといわれているエネルギーの一つとしてやってきました。今の話の最中に私を呼ぶ雰囲気が伝わってきたので、ここにやってきました。私自身は必ずしも日本の人々の一人ひとりとは深い関係をつくることはできませんでした。したがって日本の方々と私自身はそれほど強い関係をつくってはおりません。

ただ、今、日本の中で、私の思いを向けている人はたくさんおります。そのためにこれまで日本の人々に対しての思いは常に持っておりました。日本の人々はかなり特殊な状況に置かれており、必ずしもほかの国で作られた教えがそのまま日本人の心に入っていくことが難しいように創られております。

本来、日本人は別の教えから確実に自分に目覚めていくようにつくられております。西洋で作られた教えが必ずしも適応できないということが何度もあります。日本人は日本人だけに通用するやり方というのが存在しているからです。私は日本人には深く関与できませんでした。これからは少し、これが変わってくると伝えられております。日本人自身が今までの考え方を改める時期に入っており、日本人自身がいろんなところに意識を拡大していく時期に入ってきております。

これまでは日本人だけが一つの特殊な民族であり、日本人の中だけで交流し合っていれば十分という雰囲気で活動してきました。これからは日本という分類にこだわらず、世界へ世界へと意識を拡大していく時期に入っていくでしょう。その時に、私たちやいろんな教えが入ってくることになります。

日本の人々は日本人だけで何かうまくいくというやり方を常に身に付けております。何をするにしても、日本人だけでとりあえず固まっていればとりあえずうまくいくというのを持ち合わせております。ほかの国の人々、ほかの民族の人がそこに入っている場合に、それを合理的にうまく、問題が一切ないように進めていくというやり方、こういうことには日本人はあまり適しておりません。どこかで妥協したり、諦めたりするエネルギーが常に入り込んでおります。

これは日本人自身の今後の学びとしてとても大きな鍵を握ってくるでしょう。何度言っても通じないときに、結局、諦めてしまい、やはり日本人だけで固まってしまうか、それとも相手が納得するまで何度も何度も説明し、本当にお互いに妥協することなく、理解し合って先に進んでいくのか、これがこれからの日本人の海外へ向かう状況において大切な鍵を握ってきます。

海外では本当に自分というものをもっともっと大切にし、その中でお互いにどううまくやるか、常にこれを考えております。日本人は自分が妥協することなしに、周りが何とか合わせてくれる、自然にうまくいく、こういうやり方に慣れております。したがって自分の方からわざわざ合わせるとか、お互いに協力し合うということがあまり得意ではなくなっております

世界において、日本人が役割を演じていくためにはこういうやり方は通用しません。とことん話し合い、お互いに納得するという状況をつくり上げる必要があります。日本人はホンの少しでも否定されたり、相手から非難されると、もうすべて相手との縁を切ってしまうという態度が目に付きます。でも、これでは海外で本来の役割を演ずることはできないでしょう。

しっかりと自分の思いを伝える、相手がどう思っていても自分はこう思うというのを何度も何度も説得する、お互いに何度も何度も話し合い、そしてそこでの共通点を見い出す。こういうやり方を日本人はこれからしっかりと身に付ける必要があります。

日本人の多くは人が良く、人間性もどちらかというとよい方向に進化しており、私たちからみてとても良い印象を与えます。ただ、残念なことに、自分で自分の生き方を確立するということが得意ではなく、ほかの人に合わせてしまう、誰か有名な人に合わせてしまう、皆がやる方向に合わせてしまう、こういうやり方が身についております。自分なりの生き方を自分で確立するというやり方、これを早く身に付けていただきたいと思います。

いずれは、日本人ももっともっと成長し、自分をしっかりと主張する人間が増えてくるでしょう。そういう新しい日本人たちが活躍を始めると、世界の評価も変わってくるでしょう。できれば、あなた方もそういう先駆者となって自分の人生に責任を持った生き方をしていただけるのを望んでおります。

私たちは高い次元から、皆さん方を見ております。でも、実際には私たちは日本人やほかの民族を特別に分類して見ているわけではなく、地球人類全体という観点でまず見ております。地球人類全体の中で、日本人が特別な役割をもって生存しております。これだけ多用な民族が地球上に存在し、お互いに非難し合い、自分たちのやり方を相手に押し付けようとしていろんな文化を築いてきました。

その中で、日本人だけはかなり特殊な成長の仕方を経験してきました。あまりほかの民族との対立を経験していないために、自分たちがほかの民族の中で共存してやっていくという手法にそんなに長けているわけではありません。ほかの民族は逆にほかの民族を征服するというエネルギーを身に付けております。

今のままで、日本人とほかの民族を一緒にすると、日本民族はすぐにつぶされてしまうでしょう。日本人自身がしっかりと自分に責任を持って行動するということが本当に必要となってきます。もし、日本人があまり主張せず、ただ流れに任せていたら、ほかの民族にどんどん消されてしまうでしょう。自分たちがもっともっと自信を持って、しっかりとこの地球上で役割を演じていかれるのを望んでおります。


B創造主のエネルギー

私はあなた方の父であり、私たちがあなた方のすべてを創り出した大元でもある。あなた方に私のエネルギーを感じていただき、しっかりと繋がりをつくって欲しいと思っております。

私たちはこのエネルギーをミカエルとして以前に流したことがありました。しかし、今はもっともっと根本に近い波動で流しております。それぞれの心の中にある光の根本、ミカエルの根本の意識、そこからやってきております。ミカエルは常に自分が中心であり、光の大元であるという意識を持っております。一人ひとりの心の中にある神の本質、この核がミカエルの本質と思っておいてください。

自分は創造主である。このエネルギー、一人一人が確実に自分のものとして使えるようにしておいてください。

私たちはここまでにいたします。


C忘れ物や落とし物の意味

私たちは、忘れ物や落とし物などについて少し説明をして、終わりにいたします。実は、これについては非常に複雑な状況であるために、一言で話すにはとても難しい問題です。例えば、ある物事をやろうとしていて、それをつい忘れてしまう。もっていこうとしてつい忘れてしまう。こういうときは、本来予定した出来事に元々そのあるものが必要とはされていなかった場合、そのエネルギーを必要としていない場合、そういうときにはそれを持っていかせないような働きが起こってきます。人間の価値観で忘れたという表現をとりますが、 元々それが実現する状況が用意されていなかったという現実から起こされます。

それとは別に、あるところに行って帰ってきたり、別のところに行くときに、自分のものをつい置き忘れてしまう。こういうときはそこにおいて、そこの場所自身がそのエネルギーを必要としていたこと。つまり、それを誰かが見つけて、その人がその後、何らかの行動をとる。自分のものにしてしまったり、どこかに届けたりと、その人がそういう経験をします。その経験をさせるためにわざわざそこに置いてきたということ。これをあなた方の言葉で置き忘れたと表現しております。その人の経験のためにわざと置いてきてあげたと理解しておいてください。

何か自分のやるべきことが常に決まっていて、いつもそれをやるのに今回に限ってつい忘れてしまった。こういうときは、今までずっと繰り返してきたことがその時だけ別のエネルギーを必要としていて、それによって次の展開を必要としていたこと。何らかの変わり目であるという意味でもあります。いつもやっていることが今回、行なわれなかったことにより、新たな展開に向かっていきます。そのシンボルであるということが時々あります。

こういう風に、忘れるという表現をしている現象でも、実際には一つひとつ個別の意味があり、それぞれ忘れられたことを必要としている現象が用意されているということ。それを理解しておいてください。したがって、これからは忘れたという表現ではなく、必要なところに必要なものを置いてきてあげた。たまたまエネルギーを調整するために、何も思い出せないようにしてくれた。そういう表現で現実をとらえておいてください。

それでは私たちからはここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1997 CentralSun
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