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1997/2/19:水曜瞑想会

相手がどんな言動をとってもそのまま受け入れるように


質問
−自分を癒すということ、イヤな人を愛するということに関して、コメントが欲しい。


@愛は相手を成長させ、強くさせるエネルギー

私はマリアと呼ばれているエネルギーです。皆さん方に祝福をお与えいたします。さて、今、ご質問がありました。毎日の生活で疲れて、苦しみ、悲しくなっているときに、どう自分を癒し、また相手をどう愛していくか。いろいろと迷いがあるようです。私たちは人間を本当に一人ひとり愛して、そして力強く成長していただきたいと思っております。

人間一人ひとり素晴らしい輝きを持ち、美しく、そして奉仕できる逞しさも持っております。でも、人間生活のほとんどはお互いに傷つけ合い、悲しみを共有し、お互いに不満を発する人間関係がたくさんあります。

中々、人を好きになれない。どうしても自分だけを考えてしまう。一人ひとりを愛するというのは、自分にとってはまったくできない課題のように感じられてくる。ほとんどの人はそういう感じで生活をしております。確かに、身近な人は好意を持ち、愛すべき人間として喜びを感じることができるでしょう。でも、私たちが言う愛は自分とはまったく違う価値観の人や違う国々の人、自分を否定している方々、そういう人々にいかに愛を流してあげるか。そういうところが私たちの願いです。

そういう人々に出会うと、まず心がいらついてきたり、ムカムカしてきたり、不信感や恐れが出てきたりします。そういう人々に対し、愛するという行為はどういうことでしょうか。ただ単に相手が何をしてもただ許せば愛になるのか。相手が望んでいることを全部やってあげれば、愛であるのか。ここのところはほとんどの人々が勘違いをしておられます。

確かにその人が望んでいることをやってあげなさいという言葉は存在しております。でも、皆さん方がやって欲しいと願っていることのほとんどは、我欲から出ているものであり、いわゆるお金が欲しいとか、物が欲しいとかいうのと同じような願望が出ております。それをただ満たすことは、愛ではありません。その人のエゴを増長させる行為は愛にはなりません。そのエゴがいかにその人に影響を与え、自分の成長を留めているのか。それに気づかせるのが愛になります。

自分の我欲がどういう我欲であったのか。それを知らせてあげるのが愛になります。なぜならば、愛は成長させる一つのエネルギーであり、相手を強くさせていく。逞しくさせていく。これが愛です。ただ単に物を与える。こういう行為は愛にはなりません。その物によってその人が自分の心を見ることができ、気づいて成長することができる。ここまでいけば、愛になるでしょう。でも、ただ単に欲しいものを与えるというのは愛にはなりません。

自分が失敗をしたり、ほかの人から非難されて、ものすごく苦しい状態に陥ってしまう。そんな自分を何とか許し、力強い自分に切り替われるように、自分でしっかりとした力強さを身に付け、自分自身を確立させていく。こういう逞しさは当然のことながら、全員が必要とされております。しかし、ほとんどの人は自分が逞しく生きるというよりは、落ち込んでしまった場合に、誰かに慰めて欲しい、分かって欲しい、同情して欲しい、苦しみを取って欲しい、という感覚を身に付けております。

これも先ほどのエゴと同じエネルギーになります。誰かに何かをして欲しい。これは何か物が欲しいというのと同じ我欲のエネルギーです。自分が落ち込んでいたときに、ほかの人から何かをしてもらうのを考えるのではなく、自分の力で自分が力強く元気を出していく。これはとても大切なエネルギーです。

癒しという場合は、自分自身の体の中に何らかの不調和が生じ、それによってエネルギーの流れがうまくいかなくなり、体の状況が活性化されなくなってくるのを、根本のエネルギーの流れを調整し直し、スムーズに流れるように変えていく。こういうやり方を癒しといっております。一般にエネルギーの流れを止めている原因は自分を否定しているエネルギー。まだできないとか分からない、あの人に比べて私はまだダメ、あの人の方がうまくできる、こういったエネルギーが心にある場合に、自分のエネルギーの流れを止めてしまいます。

自分自身の価値観を否定したり、自分の存在感を否定することにもなります。こういうエネルギーを取り除くためには自分自身が素晴らしい人間であり、価値があり、ほかの人にいくらでも奉仕できる強さを持っている、自分は完璧である、というのを理解している。したがって自分がもう大丈夫であるという思いを持ち、それを妨げているエネルギーを取り除き、エネルギーの流れを良くしていく。これが癒しの方法です。

したがって自分を癒すためには、ただ大丈夫、大丈夫とか、頑張る、頑張るという言葉だけではなく、自分を不快にさせている原因は何であるのか。人に嫌われるというエネルギーを持っていたからか。恐怖感で心を小さくしたのか。劣等感で自分が落ち込んでいるのか。それぞれの原因をよく調べ、それを取り除いていく必要があります。それによって初めて自分の心が癒されます。自分を癒すということ。自分を愛するということにも繋がっていきます。

自分自身を常に愛している。どのような状況にあっても、自分を否定することなく、そういう状況を造り出した自分をもそのまま許す。どのような間違いをしても、相手から非難されても常に自分を認めている。大丈夫という風に認め、強い存在であるというのを認めている。自分に価値がある。これは自分を愛することにつながります。自分を愛し、自分を癒す。ほかの生命を愛する。毎日毎日、これを実践していただく必要があります。

ほかの人は中々、日常生活で常に愛を具現化するのが難しいと考えております。でも、実際には毎日、いろんな人々と顔を会わせ、コミュニケーションをとっております。その時その時に口から素晴らしいアドバイスを出してあげる。相手が参考になるようなメッセージを出してあげる。これは愛に繋がっております。

毎日の生活の中で、いかにほかの人を愛していくか。あるがままのその人の姿をまずは認めてあげる。自分で価値観を勝手につくって、こうすべきだとか、こうしてはいけないとかいう概念をつくるのではなく、ただそのまま愛する。どのような状況になろうとも、そのまま愛する。それをよく覚えておいてください。


A相手を許す、というのを真剣に身に付ける時期が来た

私はアシュタールコマンドの仲間から、今やってきています。皆さん方の体の調整を少し行ないます。それぞれエネルギーを感じやすいようにしておいてください。

私たちからも少し話をしておきます。これまでのいろんな体験の中で、それぞれが自分なりの愛の観点を身に付けております。こういう行ないをしたら、愛に繋がり、こういう行ないの場合は愛ではない。そういうことを本能的に理解しております。でも、その愛すべき対象が常に親しい人や身近な人の場合には問題なく愛を行使できるでしょうが、初めての人とか、日ごろほとんど出会わない人、あまり仲の良くない人、そういう人々を目の前にしたとき、愛という観念がまったくなくなってしまいます。

そういう人たちを愛するという状況そのものがつくられなくなってしまいます。皆さん方がそういう愛という概念がなくなったときには、私たちも愛という波動をつくり出すのが難しくなってしまいます。その人の頭の中に愛するという状況がつくられない限り、その人に愛が流れていきません。でも、何とかしてその人に愛を伝えようとして、魂は高い次元で高いレベルの愛を送ろうとします。ほとんどの人はそれに気づくことなく、毎日を過ごしております。

自分と合わない人々にどのように愛を伝えていくか。三次元的な解釈では難しいかもしれません。でも、愛するという言葉にとらわれることなく、ただ単に人間を愛し、成長させるエネルギーを流す。これはやってみる必要があります。相手がどのような人間であっても、まずは相手が生きているという状況を認識し、経験している状況を喜びをもって迎え、さらに良い経験ができるようにいろんなエネルギーを流してあげる。

ほかの人々がどんなに批判的な行為を行なってきても、すべて受け入れ、拒否したり反発することなく、相手の言動をそのまま許してあげる。こういう愛を皆さん方が身に付ける時期に入ってきております。今までは自分というものに対して中々理解が進まず、不満や恐れを感じておりました。でも、少しずつ自分に目覚め、成長していくと高いレベルの愛に変わっていきます。

皆さん方もいずれは四次元的な宇宙愛、五次元的な宇宙愛へと発展した愛を身に付けていくことになるでしょう。その時には自分の好みや周りの人間だけを愛するのではなく、地球全域で活動しているいろんな生命と愛を分かち合う。いろんな生命と愛し合う。そういう状況になってくるでしょう。自分たちの思いによってかなり世界も変わってきます。愛を皆さん方が自分のものにして美しい社会に造り上げるのを望んでおります。

私たちはここまでにいたします。ありがとうございました。

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