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1997/1/13■月曜勉強会から

甘えが自立を妨げ、愛を見失わせる


@何でもアヤフヤにしゴマかしてしまう日本人(サナンダ)


今晩は。私はサナンダ。ビクッとしたひとが何人かいました。今日は別の観点から愛を見てみましょう。今までは皆さん方はある特別の見方から愛を見てきました。自分が何かをしてあげる。こういう形態の愛をずっと考えていました。私たち、宇宙から見た場合に、ある人がある人に愛を渡すということがあまり意味がなく、またそういう状況も存在しておりません。

私たちが表現している愛というのはお互いが喜びを感じ、お互いの間で愛というエネルギーが流れている。愛は片方からいくというものではなく、お互いの間でやり取りされているものを愛といっております。したがって片方が愛を与えているのに、片方は感じていない。ということはあまり意味がありません。愛ではないのです。

先ほどの話の中でも、これにまつわることがたくさんありました。自分は親切のつもりでやってあげた。相手からみたら、お節介である。これは単なるエゴとエゴのぶつかり合いであり、愛とは程遠いエネルギーとなります。では、お互いが喜びを感じている愛というのはどういうものであるのだろうか。

自分が相手に適切なアドバイスをしてあげたとしましょう。相手がそれによって迷いから抜け出ることができ、確実に歩くことができた。アドバイスを相手が良く理解でき、いろんな発展をすることができた。アドバイスをくれた人に感謝を送っている。これは愛の一番基本のレベルといえましょう。相手の成長のためを願って、自分が相手に必要と思われることをしてあげる。相手はそれを確実に受け取り、自分の成長のために使うことができた。そして、感謝を返す。

これが、何故か自分の側からだけみて、相手に与えたことだけで、愛という風にいつの間にか勘違いされるようになってしまいました。本来は、相手がそれを受け取った後、さらに自分を成長させるために有効に活用し、そして感謝をおろしてきた、ここまでなければ愛とはいえません。お互いの中でやり取りが行なわれたという証だからです。片方から片方に渡しただけでは愛ではないのです。でも、日本人の愛という言葉の使い方が、どうしても片方から片方に渡すという意識がとても強く感じられます。

愛をあげるという言葉自身が宇宙から見ると、おかしな言葉であるというのに気がつく必要があるでしょう。お互いに愛し合う、これが適切どうかは分かりませんが、お互いにそれを理解し合うということが最低限、必要となります。自分は相手の本当の成長を願い、相手に最適と思われるアドバイスやいろんな仕組みを造って相手に渡してあげる。しかし、相手はそれを受け取らなかった。必要としていなかった。皆さん方はこれを、愛を受け取ってくれなかったと表現しています。

私たちからみたら、そもそもそこには愛は存在していなかったということです。したがって愛というのは、結果としてお互いの間に美しいエネルギーのやり取りが行なわれればそれは愛になります。結果としてお互いの間でエネルギーのやり取りがなければ、はじめから愛は存在しておりません。そういう関連で皆さん方の愛という言葉をもう一度分析し直すと、日本語の愛という言葉の使い方と、私たちの世界の愛の間で、かなり大きなギャップがあるというのが分かってくるでしょう。

皆さん方は相手のために思ってやった、というところをかなり強調する傾向があります。いかにも自分が相手のために何かをしてあげる。日本語では、親切で思いやりがあり、相手のためを思って行なった行動という風に、映るでしょう。欧米人はそのほとんどを余計なお節介と受け取るでしょう。欧米人は自分のことは自分でやるというのが基本になっております。むしろ、余計なことまで干渉してはいけないというのが暗黙のうちに造られております。

日本人は人の分まで手伝ってあげたり、人が困っていると、すぐ手助けをする傾向があります。これは欧米人には通用しません。職場でやるべき仕事があり、それが困っている場合でも、それは本人の仕事であり、そこにほかの人が手助けをするということはまずありません。人の仕事を奪うことであり、人によっては給料を取られるのではないかと思って、怒ってくる人がいるでしょう。日本人は隣りで困っていると、すぐ何か、助けてあげようとする。

これをすべて否定するのも難しいのですが、ただ相手が本当にそれで良くなるかどうか。結局、日本人の場合には初めから手伝ってもらうのを前提にして、わざとサボったり、遅く引き伸ばしたりする人間が出てしまう始末です。結局、甘えている人間を単に増やしているだけに過ぎないこともあります。日本人の自立が中々、進まないのもそういうところからきています。

最後は誰かが助けてくれる。何とかしてくれる。このまま放っておかないだろう。皆が助けてくれるさ。こういう気持ちが奥底に残っております。だから、責任を最後まで自分一人で全うせずに、誰かほかの人に援助してもらうことを前提としてしまう。日本人の自立が中々進まないのはこういうところからきているのでしょう。一人ひとりが自分の行動に責任を持ち、そしてほかの人の行動をそのまま認めてあげる。まずはこれをしっかりと身に付けることも大切です。

日本人は何でもあやふやにし、ごまかしてしまう。そしてそれを使い分けてしまう。自分に都合が良いように、巧妙にごまかしていく。責任をなるべく取らないようにしたり、他人の所為にしようとしたり、ほかの人に移そうとして、常に責任をごまかし、あやふやにしている。今までそれで済んできた人もたくさんいるために、むしろそれが当たり前であり、処世術のように思っている人もいます。

いかに他人の所為にするか。それに長けた者が優秀な社会人。賢い生き方。そうとらえている人すらもいます。そしてその原点が家庭の中にもあります。いかに責任をあやふやにし、相手にやってもらうようにもっていくか。ルールを作ると面倒臭くなる場合、なるべく曖昧にして、お互いに相手の所為にできるように残しておく。言わなくても分かるべきだ、というのもこういう責任のあやふやなところからきております。言ってくれればよかった、というのも同じことです。

では、どういう風にしてこれからの新しい時代を皆が造り上げていくか。最低限、自分の人生は自分でしっかり選択して、生きていくということ。これが前提になります。そしてほかの人の人生はその人の選択であり、自分は一切、そこに介入しないということ。これもしっかりと守る必要があります。自分のやるべきことは自分で行ない、人のやるべきことはその人に任せる。押し付けたり、無理矢理決めつけたり、無理矢理ある方向に持っていかせることは決してしないように。

自分もすべて自分で選択し、人の言われた通りにそのまま行動したり、他人に判断を任せてしまうようなことはしないようにする。これが基本になります。自分自身がそういう生き方を進めるようになってくると、どの人間もそういう生き方の方が自分に満足し、イキイキとしてやっていけるというのに気がついてきます。今までは自分と同じやり方をほかの人にもやってもらい、それによって自分の行動を正当化しようとしていました。

自分と同じやり方をやっている人が多いのを見て、自分の正しさを確認する。自分のやっていることが正しいかどうか分からないために、同じようなやり方をやっている人を見ると、自分がそれを見て安心する。その度が過ぎて、自分と同じやり方の人間を無理矢理増やそうとして、他人に押し付ける。そして自分が安心する。これが繰り返されてきたのです。自分と同じ選択肢をたくさんほかの人にも選んでもらって、自分の正当性を主張していく。

でも、もうそれは通用しません。一人ひとりやり方が違い、自分は自分で、自分だけのやり方があるということに気がついていく必要があります。自立するということ、自分一人でも大丈夫だということ、これがまずは原点になってきます。自分を認めるということが一人ひとりを認めることにも繋がり、ほかの人の人生を尊重してあげることにもなります。これがまず、愛の大切な要素の一つであるということも理解しておいてください。

これがアヤフヤなうちは、何度も何度もお節介をして、相手から怒られて反省をする時間が続くでしょう。一人ひとり、家庭の中でもいろいろ学ぶことがたくさんあります。相手を尊重するということ。自分自身の人生は自分で造っていくということ。これを家庭の中でも学んでいってください。


A感情のコントロールがテーマ

私たちは別のところから今、やってきました。皆さん方の話を聞いていて、地球人の夫婦のやり取りがとても面白く感じられてきました。私たちからみたら、どうでも良いところで皆が苦労しているのをとても面白く感じておりました。基本的には感情のコントロールもその中に入っているように思われます。言葉だけではなく、自分の思いや感情的なものがそこに介在し、何とかして自分のやり方や思いを相手にも分かって欲しい、やって欲しい、そういったのを少し感じました。

黙っていてもやってくれる、これは特にその例でしょう。自分の思いがあり、これが確実に相手が理解して当然だという前提の下で行なわれているようです。確かに、私たちはテレパシー的なものでコミュニケーションをとっており、いちいち言葉というものを介さなくても相手の気持ちは分かります。でも、その場合に、不快な感情のエネルギーはあまり私たちは受け取りたくはありません。エゴが入って、どうしてもこうして欲しいとか、自分のためにこうして欲しいとか、そういうエネルギーは私たちはあまり受けたくはありません。

したがってそういうところにまで私たちはエネルギーの感受能力を持っていかないために、そういう波動はほとんど感じないようにしております。でも、皆さん方の場合は、今、それをテーマにしている人が多いために、どうしても相手の行動から何らかの不快感を感ずることでしょう。それを言葉でわざわざ説明して、分かってくれなかったとか、あぁすべきだったとかいう風にもっていきます。でも、基本は言葉以前に感情そのものに何か深いなエネルギーが入っているということ。それが相手に伝わってしまい、相手から反対の言葉が戻ってくる。そういうことも少し意識しておいてください。

あなた方がいつの時点で感情をコントロールし、素直に表現できるようになっていくか。私たちもとても興味を持っております。今のほとんどの人は感情的なものを身に付けており、それによって人間関係を議論しております。あの人はこうだとか、この人はこうだとかいう風に、話を進めます。でも、そこでいろいろ評価されている雰囲気は必ずしも適当なものではなく、かなり感情のエネルギーでごまかされております。

一般に、相手を悪く言ったり相手を否定するような言動がとられた場合には、自分自身の方からすでに否定的な感情のエネルギーを放っている方が多いというのを理解しておいてください。自分が出した否定的な感情のエネルギーが相手にも反応し、そして相手からそれが戻されてくる。そしてまた自分がそれを不快に感じる。自分の方から先に良いエネルギーを出しておけば、相手から否定的なエネルギーが戻ってくることはほとんどありません。自分の方から先に感情のエネルギーを出しているということにもっと意識を向けてください。

B皆、同じ孤独感、疎外感を抱いている

私の方からも話をさせてもらいます。人間関係をうまくもっていかせる。それをテーマにして、皆で議論をする。私たちからみたら、そこまでしないと人間関係が良くならないのかと思うと、地球人って大変なんですね、とつくづく思ってしまいました。これだけたくさんの人間がいて、家庭という単位を造って、毎日のように同じ人と顔を会わせながらも、心の中では辛いとか、面倒臭いとか、顔も見たくないとか、そういうエネルギーを毎日のように出しているんです。

それをわざわざ良いエネルギーに変えようとして勉強をする。とても不思議な人種ですね。おそらく、この広大なる宇宙の中でも、同じ生命同士がうまくやるのにいちいち会議をしているというのは地球人ぐらいじゃないですかね。まぁ、ほかにもあるかのしれませんが。どうしてこのような状況になるのか。やはり自分とほかの人、同じ人間だけども自分とは違うという意識がお互いにあるのでしょう。同じ人間という風には考えが中々いかないようです。違うところにばかり目がいき、同じところに中々目が届かない。

人間が一人で歩き出したときに、完全にほかとは違うという意識ができてしまい、まるで一人ぼっちのように行動するようになってしまいました。お互いにそれを感じているにもかかわらず、お互いに否定し合う。協力し合うという姿勢がなかなかできてこない。一見、協力し合うという場ができても、途中でどんどんエゴが入って、自分の思うように持っていかせようとし始める。そしてまた離れていく。

これを延々と繰り返しております。いつになったら自然に皆が一緒にうち解けるようになるのか。何の準備も打ち合わせも予定も計画もなしに、出会ってもすぐになごやかに話を始める。初めての人でもとても気持ちよく元気よく会話を始める。これがいつどのようにして実現されていくのか。皆さん方一人ひとりから考えると、とても難しいかのように思っている人がいます。でも、実に簡単なんですよ。

皆さんは自分だけがおかしいとか、できないとか、合わないという風に感じております。皆がそう感じているんです。自分だけおかしいという風に、皆が感じている。結局は自分は皆と同じなんですよね。皆が同じ孤独感を味わっています。皆が同じように、疎外感を味わっているんです。皆は自分だけが孤独で、ほかの人は仲がよいかのように感じているんですが、皆がそう感じているんです。結局、皆が同じなんです。皆さんの隣りの人も同じように孤独感や疎外感を持っています。皆さんの目の前の人も同じように悲しみをいっぱい抱えているんです。皆、自分だけが落ちこぼれで、ついていけなくて、分かっていなくて、ダメな人間という風に勝手に思い込んでいるんです。

今まで、その他人の辛さや苦しさに中々意識を向けることができなかった。自分だけが辛いと思っていた。およそこの地球上に生まれている人で、苦しみを味わっていないという人は存在していません。皆さんは苦しみとか悲しみとかいうと、何かとても辛いという思いをもって余計に落ち込んでいきます。楽しく苦しいという話をしてみませんか。笑いながら辛い経験を言ったり、楽しんで疎外感を公表するというのも面白いものですよ。

結局は単に自分は同情してもらいたがっているんです。そのためにわざわざ、わざと自分を苦しくもっていったり、わざと一人であるというのを強調したり、孤独感を増幅させて一人で落ち込んでいるんです。自分でそう仕向けている、それに気がついていないのと、全員がそれを行なっている。私たちからみたら、どのような経験でも楽しく受け取っていれば、一人ひとりが皆、輝いていくんです。ニコニコしながら、あぁ辛い辛い辛いという、それでも良いじゃありませんか。

生かされてるんです、この地球で。いろんな宇宙の存在たちが協力しているんです。皆さん方の見えないところで、いろんな存在たちがカゲで応援してくれています。皆さん方は本当に愛されているんですよ、宇宙から。いろんな存在から愛されている。この地球からも愛されているんです。ただ、皆がそれを受け取ろうとしない。目の前にいる人から何かをしてもらうことだけを考え、見えないところから愛がいっぱいきていることに気がついていない。

もっともっと意識を楽にして、いろんなところから愛されているというのを分かって欲しいと思います。あまり深刻になる必要はありません。楽しく、面白くやっていきませんか。辛さというのは自分で造ってしまっているんですよ。楽しくすれば、それで良いんです。ごまかしていると言われても、実際に楽しいときはそれで良いじゃありませんか。辛いというのを強調して他人に押し売りしても、宇宙は誰も喜んでくれません。周りの人も喜んではくれません。

これからはなるべくそういう思いを無くしていき、常に楽しいという観点で人生を進めていきましょう。それだけでもかなり変わっていきます。そして本当にそれが楽しくなってくるんですよ。皆さん方は不思議と思うかもしれませんが、本当にそれが現実になってきます。どんなことが起こっても、すべて楽しく受け取ることができるようになってくるんです。

一見、辛いような経験でも、楽しいことがあるんです。あぁ、今までの辛さとは違う辛さだ。あぁ、こういう風にしてこういう現実がやってくるのか。苦しみのやってくるパターンにも、新しいパターンが見つけられ、面白さが分かってきます。あぁ、宇宙の法則はこうなっているのか。あぁ、あの人にこういうことを言うと、ここからこう戻ってくるのか。面白い。そういう観点でどんどんと見ることができます。気づいていなかった感情とかがどんどん見えてきます。

こういう見方は今の皆さんにとても必要なように思えます。皆さん方はいかに自分を卑屈にし、情けなくし、価値観を無くし、憐れにし、他人から慰めてもらおうとしている。それ自体がもう情けなく、惨めです。そんな思い自身を吹き飛ばしてください。私たちもそんな中にわざわざ入りたくはありません。まずは自分からそういうエネルギーを吹き飛ばしてください。そして楽しくやっていきましょうよ。そうやって新しい時代を引き寄せてください。楽しいエネルギーを皆から引き寄せてください。

皆が引っ張っていかないと、楽しいエネルギーは届かないんですよ。皆が引っ張っていって初めて楽しいエネルギーがいっぱいやってくるんです。ほら、楽しいエネルギーを皆で引っ張ってください。 ...ほら、楽しくなってくる。いろんな人がいるじゃないですか。皆、同じような人が経験をしてきて、自分と分かち合える人がいっぱいここに来ていますよ。いろんな経験をしてきて、皆楽しい。これからそういう気持ちをどんどん強くしていってください。

私たちからはここまでにして、休憩にしてくださいとのことですので、ここで休憩にしてください。ありがとうございました。

C何か根本的に違う愛の議論(蟻から)

今晩は。私たちは蟻です。久しぶりですね。面白い話をいろいろと聞いていました。私たちと人間とはやっぱり違うんですね。人間もやっぱり蟻とは違うんですね。私たちはいろんな生命が全部つながっているというのを暗黙のうちに知っているから、ほかの動物とでもなんとなく自分と同じような感じがしているんです。牛とか馬でも、ひょっとしたら蟻じゃないかなとか思うこともあるんです。同じような発想だし、皆、神に繋がっているから。でも、人間は蟻じゃないんですね。

今の皆の話を聞いていた中でも、アチャーっと思うのがいっぱいありました。こういう人間たちに、愛を身に付けてもらう... アチャーと思っちゃいますね。大変ですね。何か、言葉でいっても、ほとんど無理な感じがしてきました。言葉で言うと、また皆、言葉で考えているんです。裏の本質を探ろうとしないで、言葉だけで別の言葉の回答を持ってこようとしているんです。言葉の世界だけでの遊びのように思えて、本質の愛に一向に近づいていかないんです。

単に言葉のやり取りだけで終わってしまって... 本来、こういう議論をして、皆が愛を話して、良い方向に進んでいくと、本当の愛のエネルギーがどんどん周りにやってきて、いつの間にか、皆が愛の中で至福感を感じてくるんです。そして、そうそう、これが愛なんだよね、あっ、これこれ、これが愛だよ、と普通はこうなるんです。でも、皆の愛の話を聞いていても、全然やってこない。つまり、愛の話になっていない。どっか違いますね。そう思いませんか。

どうしてなんでしょ。この根本がとても大切です。こういうのを間違って何カ月も何カ月も議論しても、意味がないことが分かるでしょう。どっかおかしい。本来、議論するというのは、それなりに皆で納得して、あっそうだそうだ、と分かって、メデタシメデタシで帰りますよね。本来、この場でも、愛について皆で話しているのであれば、どんどんその愛に近づいていって、最後は少しでも愛に近づいて、あっそうそう、これだよこれだよ、これが愛だよ、と言って、皆で帰っていくと、チャンチャンなんですけど...

全然、そういう傾向がなかった。不思議ですね。やはり人間は蟻じゃないのかな。 (蟻じゃないの) ふぅ〜ん、あなたは今、重大な言葉を出してしまった。蟻です、と僕たちは期待していたのに。皆、繋がっているんだから。 (気がついていないの) また、そういう言葉を出してしまって。もう、何も話さない方が良いと思いますよ。 (話してください) あなたに言ったのですよ。楽しくやりましょうね。

でも、愛について議論するという本当の宇宙の意味を少しずつ少しずつ理解してもらいたいのです。最終的に、あっ、これが愛なんだ、というのを皆に感じてもらいたいんです。さっきの宇宙の人も、どう言っていたか。皆、同じだよ。皆、同じ孤独感。それで、皆で同じのを感じて、あぁ、本当に皆同じなんだ、というふうにくるはずだったのに、中々こなかった。

本当は、あの段階で、そう、皆同じだね、と隣りの人同士で手を握りあって、涙を流すのをある程度考えていたんだけれども、やっぱりならなかった。どこか違う。何か違う。あまり苦しく考えないでね。楽しくやりましょう。 ...あぁ、いちいち説明するのが... 人間と話をするときは頭を使わなくちゃならないから、疲れるね。僕ら、こんなにいろいろ考えながら話すのって、初めてだなぁ。100年分ぐらいのエネルギーを使っている感じがする。でも、今は大切なときだから、しっかりやりなさいって言われてしまった。

でも、愛について議論するというのを、雰囲気でも良いからもっともっと感じてもらいたいと思います。言葉だけの解釈で終わるのではなくて、本当に実感してもらいたいのですよ。毎回、最後は皆で、あっそうそう、こういう愛、こういう愛。毎回違う愛があるんです。毎回のテーマなんです。今日は皆の孤独感を皆で味わって、皆で慰め合う、この愛をテーマにするはずだったんですが... いかなかった。どこでこうなったのだろう。

まだまだ皆の観点が違う。どこか違う。本当に、隣りの人のことを思って、繋がろうという意識がない。まだ、自分が上に居て、自分よりも苦しい人に何かをしてあげるというのを愛と思っている。そうじゃない。それは愛とは違う。そんなの関係なしに、すぐ隣りの人と分かち合う。一体感を感じる。 ...皆、蟻からお説教されて、面白いですね。

でも、やはりこういうのを一つひとつ、自分たちで気がついて克服していく。今、そういう時期なんでしょうね。だから、今まで、皆、ほとんど愛について何も考えていなくて、漠然と考えていたのをやっと真面目に考えようとしたときに、いろんな見方があり、いろんな観点があり、いろんなアプローチがあるというのがやっと見えてきた。その一つひとつにいろんな解決策があり、努力が必要だということに気がついてきたところです。ですから、これからも本当に頑張ってください。

逃げたりしないで、自分を否定したりしないで、これからも確実に自分を成長させるためにもっともっとお互いに協力し合っていきましょう。でも、少なくとも、言葉で解釈しようとはしないでください。体で、体で愛を感じるように。蟻のお説教でした。

D自立を妨げる人間関係

先ほどの皆さんの話の中で、いくら自立しようとしても周囲から阻害されるケースがあり、うまくできそうもないというのがありました。もう日本人の場合は、お互いに影響し合うというのが暗黙のうちに設定されており、そういうエネルギーの中で日常を過ごしております。これが先ほど初めに出ていた、言わなくてもある程度やってくれるという範囲の世界でしょう。

黙っていても、朝起きたら誰かが何かをするようになっている。お互いにルールを決めたわけでもないけれど、いつもこうすることになっている。こういうことがあります。そして急にそれを止めると文句を言われる。約束したわけではないのに、それを止めると相手が怒ってしまう。こういうことが日本の社会では良く起こっております。

今までのやり方を急に止めると、確かに混乱が起こるのはやむを得ないでしょう。まずはできる範囲内からやるとして、新しい人間関係ができたときにはやはりそれをしっかりと宣言しておく。私はいつもこういう風に、自分のことだけをやりますので、あなたも自分でどうぞ。お酒を無理に注ぐことはしない。だから私にも注がないでください。無理にあなたにこれをすることはしないので、あなたも私にそんなことする必要はありません。まずは、初めて出会った人と関係を作るときにそういう了解を取っておく。これが出発点となるでしょう。

これまで永い間、付き合ってきた人でも、何らかの変化の時期とかタイミングを見計らって、私は今度からこういうやり方に決めたので、よろしく。そういうような感じで持っていくことは可能でしょう。どちらにしても、今までのやり方を変えるときには、それなりに相手に伝えていくことが必要です。何も伝えないで自分で勝手にやり方を変え、それを分かってくれなかったと言って相手の所為にしても、それは通用しません。やはり、人間関係を途中で変えたときには、それなりに伝えることが必要となります。

それだけを注意しておけば、あとは自分のペースで少しずつ進めていくことができるようになるでしょう。少なくとも、自分の人生は自分で造り上げていく、こういう意識を持ち、なるべく他人に頼らず、そして自分と魂とで喜びを見い出せるような選択をどんどん作っていく。これによって自分自身の楽しみをどんどん増やしていくのを望んでおります。

ただ、今までの話において、日常の生活の仕方、行動のとり方と愛ということがとても複雑に絡み合っているのが、皆さん方に混乱を招いているように思われます。まずは、愛を行なう以前に人間関係そのものをうまくもっていくというやり方を先に作り、そして愛をもって接していく。お互いに楽しくなるような方向に次はもっていく。そういう風にして、少しずつ、人間関係を変えていくのをやってみたらどうでしょうか。

いっぺんに、何もかも変えてしまおうとすると、混乱が起こります。やはり初めは理解できる人間から少しずつやってみる。一番自分にとって相応しいと思う人から、変えていってみる。友達の中で、お互いにお酒を飲んでいる場合でも、もうお酌はしないことにしようとか、そういう身近なところから変えていく。そういう風にして、少しずつやってみたらどうでしょうか。 無理して、いっぺんにすると、それは混乱が起こるでしょう。したがって、少しずつ少しずつ変えていくというやり方、それで工夫してみてください。

それで、先ほど話されたように、あくまでも愛について議論をしているときには、何らかのテーマが宇宙から与えられ、それを皆が体で感じてくれるようになるのを望んで、こういう場を設定しているということも頭に入れておいてください。それでは、今日はここまでにいたします。ありがとうございました。

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