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1997/1/7■月曜勉強会

愛といってもまずは良き人間関係から


@愛の原点は良き人間関係から

今晩は。それでは今年初めての勉強会を始めることにします。今度からは月曜と金曜で、内容を少し変えるということなので、私たちもそれに合わせてここにやってくるメンバーを調整してみようと思っております。月曜日はなるべく宇宙のいろんな惑星の仲間たちや、いろんな生命、新しい時代の担い手たちの言葉を中心に、皆さん方が生命というものとのやり取りや愛について学ぶことができるような機会を造ろうと思っております。

そして、今日、あなた方の先ほどの話を聞いていて、いろんなことが私たちにも分かってきました。さっそく、いろんなコメントをしたいという惑星の人々がたくさん、名乗り出ています。今、調整をとっております。少しずつ、皆さんに紹介をしていきましょう。まず、私の方から是非とも、話をしたいことがありますので、先に話をさせていただきます。

本当に、日本人にとって愛というのを教えるというのは、ある意味でとても難しいことです。それはやりにくいとかそういうわけではなく、別の意味があります。ほかの国々における愛というのは別の感覚で捉えております。いかにも自分と他人を結びつける一つのエネルギーとして愛というものを捉えております。したがって自分とほかの人間たちがうまくいくためには愛が必要、愛がなければ人間関係がスムーズにいかない、そういったことを本能的に感じております。ただ、その愛というものの価値観が人それぞれ違うために、その微妙なところで争いが起こったり、自分の都合の良いように持っていかせようとする働きが起こってきます。

それに対し、日本人の場合、どうしても男女間のイメージが先に出てしまい、愛という言葉を口に出すことが何かとても恥ずかしく、素直に表現できないところがあります。愛という話をするにしても、ほとんどの人が男女間での話を持ってきます。男同士の愛についての議論をする人がほとんどいないのは、また日本人だけの特徴かと思われます。これがほかの国々における愛とかなり本質的に異なる言葉遣いだということに、まず注意しておく必要があります。

人間関係という一般的な言葉ではなく、どうしても何か特別な状況におけるエネルギーを愛という風に捉えております。こういう状況の中で、日本人が本当の愛を学ぼうとするには、どのような状況が必要なのか。先ほどの話にあったのと同じですが、日本人の場合はどうしても押しつけようとするエネルギーを先に出してしまいます。何か伝えよう、分かって欲しいとか、この程度やって欲しい、こうあるべきだ、こうしなくてはいけない。こういうエネルギーを本質的に持っていて、それで行動をとるケースがあります。

つまり人間関係という根本のところが、相手をコントロールする、というところから先に造られてしまいます。子供は親の言うことを聞いて当然、会社では上司の言うことを聞いて当然、公共施設においてもルールを守るのが当然でその管理人や関係者の言うことを聞いて当然。こういった風に、コントロールを前提にして人間関係が造られております。そしてその通りに進んでいくと、すべてがうまくいく、だから良いことであり、それが正しいことと言う風に解釈しております。

したがって造られた上下関係のルールさえ守っていれば、すべてはうまくいき、それが常識であり、当たり前のことである、という構図が出来上がっております。そこにおいて、愛というのを説こうとしても、どうしても自分が相手をコントロールするというエネルギーが根本に入っているために、愛したのに分かってくれないとか、あの人は愛してくれないとか、この愛の見返りとしてあの人は何もしてくれていない、という風に判断をすることになります。

したがって初めの根本からして、正しい人間関係が造られていなかったということ、まずはこれを理解する必要があります。愛する、愛さないという以前に、正しい人間関係ができていないということ。家族においても、職場においても、ごく普通の隣りの家の人々との間でも、もうそこには正しい人間関係が存在しておらず、見返りを求めたり、あるいは自分をごまかしてただうまくいくことを考えてしまう。

こういう交流の上で愛を考えても、所詮、正しい愛というものは育まれてきません。まずは人間関係そのものを納得できる関係にもっていく環境を造ることが必要とされます。コントロールしない、見返りを要求しない、押しつけない、こういったことがごく普通に行われる環境があって、初めて愛というものが実践できる環境ができるということ。したがって、もし正しい愛を実践しようとするのであれば、その人との関係において、まず正しい人間関係を先に造るということが必要とされます。

家庭の中、職場の中、隣りの家庭との中、親戚、その中でまず正しい人間関係を造るということを目標にする必要があります。親子の間で、必ずしも親のやり方を押しつけない、お互いに尊重し合う、正しく人の意見は聞く、自分の意見は言うけれどもそれを押しつけることは一切しない。こういった正常な人間関係が造られた中で、初めて愛というものが流れていきます。

そしていたわり、思いやり、見返りを要求せず、押しつけることもない愛、これを育んでいくことになります。ですから、皆さん方、日本人の場合には、確かに愛が必要ですが、それ以前に人間関係そのものを改善していくということにもう少し目を向けてみる必要があるのではないでしょうか。

それでは別の存在の方に話をしていただきます。


A愛の捉え方が違う(ある宇宙船から)

今晩は。私たちはある宇宙船から話をしています。宇宙船から話をするというのは久しくなかったようですが、またそれが可能になってきたようです。でも、先ほどの皆さんの話を聞いていて、今、私たちもいろんな思いを持っております。確かに今、地球人は愛を学ぶことが必要であり、それを課題として皆さん方が生まれてきています。

でも、どう見ても宇宙があなた方に期待している愛ということと、皆さん方の言葉から出てくる愛というものの内容がまるっきり違うのでないかという感じがしています。私たちの観点から見て、これをどうしたら良いのか。非常に困っているのですが、ただ違うということだけははっきりと言えると思います。少しずつ、それを整理していきたいと思います。

私たちや宇宙が愛ということを口に出すときには、それはそれはとても素晴らしいエネルギーで、隣りの人と一緒に居ても、愛があるともう気持ちよく、楽しく、隣りの人が今生きているのをこちらも嬉しくなってくる、ここに存在していること自身が喜びであり、宇宙からも絶大なる愛が届けられ、それがこちらにも伝わってくる。また隣りの人はいろんな生命に喜びを感じ、いろんなエネルギーを流してあげている。あぁ、この花は本当に綺麗だね、今日はとても良い雰囲気で、地球が喜んでいるようだね、いろんな動物がお互いに楽しい会話をしていたね。そういったところ一つひとつに注意がいき、自分も楽しくなってくる。こういったことが一瞬のうちに伝わってくるのです。

そして隣りの人と自分が一瞬一瞬、お互いに喜びを感じ、満足感を得て、あぁ、宇宙っていいねぇ、やぁ、今、生きていて楽しいねぇ、そういう状況になっていること自体が私たちは愛があるという感じに使っております。愛がある人間、愛があるというのはそういう感じで、それ自体が満足であり、喜びであり、楽しいものであり、十分に至福の状況に至っております。

で、皆さん方の愛の話を聞いていると... 説明が難しくなってしまうのですが、何かをすれば愛とか、そういうものではないのです。初めから自分はもうすでに満足していて、楽しくて、喜びがあって、あぁこんなに良いことばかりで、これをほかの人にもそのまま波動として伝えてあげる。私はこんなに楽しいよ、というのをただ見せてあげる。これが愛を広めていく私たちのやり方です。

皆さん方の場合は、そこから見ると、まだかなり違う次元で話しているのではないかと思ってしまいます。先ほどの話で、まず根本に人間関係というのが話されました。これはまさしく私たちの愛を実現するための最低条件だと思います。まず、皆で何も制限がなく、何も裏に細工をしたりする必要がなく、ご機嫌を伺ったり、反応を確かめたり、結果を求めたりしないで、ただ、今、素直にお互いが一緒にいて、表現し合う。これが一番初めに必要な人間関係です。そして自分の喜びが自然と隣りの人に伝わっていく。隣りの人の喜びも自然と自分に伝わってくる。これが愛なのです。

ですから、まず皆が共有できるような人間関係を造り、そして自分の愛のエネルギーが自然と皆に伝わっていく。こういう関係になって、初めて愛に満ちた人間関係、社会、家庭、そういった表現がとられるのです。確かに皆さん方はここに至るまでにいろんな経験が必要でしょうが、今までの人間関係を前提にして何かをしてあげるとかしたしたところで、それは私たちの考えている愛とは次元が違うということを少し、理解していただきたいと思います。

でも、私たちは皆さん方がそういった話を真面目に、この場で議論し、真剣にそこに目指していくという姿勢はとても大切だと思います。そういったことを何もしない、それどころか逃げていったり、わざと無視する、という地球人が圧倒的に多いというのを宇宙船の中で教えてもらいました。ですから、皆さん方のように、ホンの些細なことでも議論して、そして改善していこうという気持ちはとても良いことです。

ですから、まず、皆さん方、人間関係を良くするというのを基本にした上で、お互いに裏表なく、本音で素直に話していって、そして自分の思いが自然と伝わるように、相手の思いが自然と自分に感じられるように。そういったのを造り上げていくように、していっていただきたいと思います。私たちからの感想でした。


B日本人の仲間意識と欧米人の個別主義(サナンダ)

私はサナンダ。先ほどの皆さん方のお話と、今の宇宙からのお話。皆さん方それぞれ、思うことがあると思います。それと、私が昨年、何度も説いた正義を基本にした愛、これとの関連について、少し話をしていきましょう。確かに、去年の段階ではほとんど理解してもらえませんでした。愛という言葉自身が受け入れられず、ましてや厳しく、真面目な愛といったものがほとんど日本人には通用しなかったということ。

でも、私もここの場において、いろんな人がやってきて、話をするのを聞いていて、改めて、日本人の意識レベルというものを学ぶことができました。私は必ずしも、日本人を理解していなかったとか、そういうわけではありません。当然、何万年も前から日本人の進化を見てきました。それでも、それぞれの時代ごとに考え方や愛に対する思いが違ってきており、いつの時点においては日本人が愛というものをどう感じているか、ということを特定することができません。

何万年か前と何千年か前では日本人の愛の表現がまったく違っていました。そして今、また違っております。ただ、いつの時代においても、共通点はあります。日本人はほかの民族と比べて、同じ仲間という意識を強く持っております。したがって自分の思っていることは隣りの人も当然同じように思っている、私が欲しいものは隣りの人は自然と感じてそれをくれるはずだ。こういったような感覚で、同じような環境を経験していくことにとても優れた特徴を持っております。

その日本人が最近、かなり変わってきております。自分は自分で一生懸命やっているのですが、必ずしもほかの人と同じという感覚を前提にはしていないで、自分だけ良ければよいとか、あの人はあの人、かなり身勝手なところが少しずつ出てくるようになってきました。これは欧米人における個別主義とはまったく別のものです。

欧米人の個別主義というものは、ある意味では相手を認めております。相手の考え方、相手の選択、それを認め、そして相手の人間性といったものをしっかりと認めております。でも、日本人の場合には、自分と違う場合には相手がおかしいとか、変な人間、仲間ではないという意識をかなり過剰に持つことになります。日本人特有の反応の仕方といっても良いでしょう。

したがって逆に自分がそうならないために、先手を打ちます。自分と他人が違っている場合、先に相手が違うという風に、早い者勝ちで言ってしまいます。自分がおかしいと言われないために、自分の方から先にそう表現してしまいます。そして相手が違うという風に論理を持っていくことで、自分が正しい、自分はマトモであるというのを正当化しようとします。

いろんな仲間たちが居て、一人が違う反応をした場合に、ほかの多くの者が全員でその違う一人の悪口を言います。それによってほかの全員が正しい選択をしているという安心感を得ることになります。こういう感じで、日本人は少しずつ少しずつ、相手を認めず、非難する方向へ進んできました。本来、日本人は、少しは変わっていても、基本は同じ仲間であるという意識を強く持っていました。

今は、同じ仲間という意識が薄れてきて、違う人間、あるいはおかしな人間という風に意識が完全に移っていっています。こういう世代が増えてきた中において、愛というものがどういう方向で身についていくか。今までは同じ仲間という意識があったために、情といったものがありました。違ったことを行なっていても、同じ仲間だから助けてあげよう。まだ、見守ってあげよう。同じ仲間なんだから、そんなに失礼なことはできない。やっぱり何とか手助けしてあげよう。これが日本特有の情となって現れてきました。仲間意識が造り上げた感情と思っても構いません。

欧米人で、情が発展しなかったのはこういうところに差があります。欧米人は先に個別主義が発達し、でも相手の人間性を認めるといったことがそこに造られていました。日本人は仲間意識が先に存在し、違っている人がいると、情でそれを救ってあげていました。今、日本人はその仲間意識が薄れ、個別主義が台頭してきていますが、相手を重んじる思いがなくなってきているために、イジメとかそういった方向になってしまい、情が入ってこなくなってきています。

したがって最悪の人間関係といっても良いでしょう。情がなければ、相手の人間性を認めるという思いも入っていない。そして、相手を完全に否定してしまう。これが今の日本人の状況なのです。ですから、私たちが先ほど、最近、日本人のことが分かった、と言ったのも、こういう特殊なことが最近、日本で急激に出てきたということに気がついたのです。

そのチョット前までは、まだ情があったために、救いようがあったのです。でも、最近、それが救いようがないぐらいに情が薄くなり、また逆に相手を思いやるエネルギーもなくなっているということ。情がなくなっても、欧米人と同じように、相手を尊重するエネルギーがあれば、何も問題はありません。相手を認めるエネルギーがあれば、それはそれで十分なのです。相手を認めず、情もないと、これは単に相手を切り捨てているだけなのです。

でも、この日本人が最近、増えてきているということ。ここに改めて、今の日本人に愛を教えることの難しさを痛感しています。そういった意味で、先ほど話されたように、まず人間関係を正常な方向に持っていき、そこからスタートする。これはこれでとても良いやり方でしょう。ですから、家族や職場、隣りの家とのやりとりやあるいは親戚との関係において、まずは上下関係やあるいは年齢的なものによるしきたりとかそういったものをすべてあまり否定的には捉えないようにして、新しいものに変えていく。こういった努力から始める必要があるでしょう。

ただ、これは口に出すのは簡単ですが、おそらくそういったのを本当に実現しようと思うと、おそらく何十年かかるか、あるいは何世代かかるかという、そういった事態になってくるでしょう。でも、だからといって何もしないのではなく、とりあえずはできる範囲内で家族やパートナーのところからお互いに始めていく、親子の関係から始めていく。こういったことがとても必要と、私たちは思っております。

さて、そういった流れとは別に、良き人間関係の上で、愛をさらに身に付けていくときに、先ほどテーマにあった日本人特有の情というエネルギー、これをどのようにしてうまく統合していくか。本来、情というのは仲間意識があり、そしてその中でこれに付いてこれないものがあっても助けてあげるというのが情として働いておりました。これが良い方向にいくのであれば、情は情で正しい働きをするでしょう。

でも、実際には先ほど話されたように、見返りを期待したり、押し付けであったりする情に変わっております。したがって情自身が良いとか悪いとかいうのではなく、情に含まれているエネルギーが否定的なものか、あるいは愛に満ちたものか、そこにもう少し、目を向けてみたらどうでしょうか。情だからといってすべてを切り捨てるのではなく、情でも本当に相手を助けてあげたい、何とかしてあげたい。でも、押し付けにはならないように、うまくそれをもっていく。

つまり、相手が自分で気づき、自分で前に歩くことができるようなやり方を自分で工夫し、それを自分が何か、蔭ながら手助けしてあげるというやり方、目の前に行ってわざわざ見せつけたり、声を荒げて話すのではなく、相手が分かるような仕組みを工夫して、自然とそれを行なえるようにやっていく。これはこれで良いエネルギーとして現れてくるでしょう。

そういった意味で、皆さん方が人間関係を改善させた上で、愛を身に付けていくときに、ただ単に自分が知っているからといってそれを、まるで学校の先生のようにとくとくと説いたり、ただ単にこの本を読みなさいと言って冷たく本を投げ捨てたりするのではなく、本当に自分が宇宙と一体になってどれだけ楽しかったか、自分の魂とコミュニケーションをとることにより、自分がどれだけ充実した人生を送れるようになったか、心の中に神のエネルギーを感じたときの素晴らしさはどうだったのか。そういった体験をもとに、ただ単に自然に話す。それで興味のない人は、それはそれで十分です。

興味のある人がいたら、また自然に、でもマスターのエネルギーはまた別で楽しいよ、天使のエネルギーはもっとこうだよ。ごく自然に、できる範囲内で、少しずつ、自分の体験してきたことを話してあげる。それで十分です。興味のない人には、いくら説得したところで、途中で心が変わるということはほとんどありません。初めから、そもそも聞こうとしていないからです。そういった人に、無理矢理これを教えようとしても、そういう思い自身がかえって否定的になってしまいます。

ですから、聞こうとしない人には、その姿勢を尊重してあげることが必要です。あなた方に必要なのは、あなた方に興味をもって近づいてくる人間、それを的確に自分で理解し、察して、そして自然に言葉を発してあげるということ。まずはそれを身に付けていただきたいと思います。初めのうちは、まだその辺が混乱するかもしれませんが、これを何度かやっていくと、自然に身についていきます。

そして、話さない方が良かったという経験を30回ぐらいすると、身についてくるでしょう。ですから、皆さん方もそうした経験なんかをここで話していただくと、お互いに情報が共有でき、そして自分があえて経験しなくても済むような場合には、本当にそれを経験しないで、自然にカルマはなくなっていったりすることがあります。

ですから、こういう場で、こういう人間にこういう風に言ったけどダメだったとか、あるいはこういう言い方をしたらうまくやってきたとか、こういう宗教の人にはこういった表現はしない方が良いとか、そういった情報交換もしてみたらどうでしょうか。そうやって、自分たちがせっかく30回苦しんできたことをほかの人は15回で済むように、10回で済むように。それをおしげもなく、出してあげることも愛であるということを覚えておいて下さい。

それでは、ここで一度、休憩にしますので、また、皆さん方で話してみてください。ありがとうございました。


C日本人の抱く仲間意識(マリア)

今晩は。私はマリアです。皆さん方のお話をとても面白く聞かせていただきました。まず、私たちからのいろんな感想を少し、話したいと思います。

確かに、日本人というのは、仲間という特別なエネルギーを持っております。これは欧米人で使われている仲間とは、違う意味が入っております。本当に、自分と考え方や趣味、そういったものまで同じような状況であるのを仲間という風に思っております。ですから、行動の中で、何か少しでも違ったことをするともう仲間ではない。

例えば、食べ物を注文するときでも、誰か一人が違うものを注文したらおかしいとか、たまたま一人だけ服装が違っていたら、この人は違うとか、そういった感覚で使ったりします。出身地がたまたま一人だけ違っていたら、もう仲間ではないとか、そういう風にも使ったりします。こういう意識は欧米人にはほとんどありません。日本人特有の思いと思ってください。

こういう仲間という意識。これがもっと高いレベルで本質的に備わっていたのであれば、地球人類が本当に初めから一つであり、お互いに共感し合うところがあり、助け合うという人間関係を造ることができるでしょう。でも、そこに情が入ってしまい、また差別的なエネルギーが入ってしまうと、やはり争いが起こり、仲間外れという現象が起こってきます。考え方が違うと、もう仲間にはいれない。そして考え方の似たような人間だけで、また一つのグループを作っていきます。

結局、仲間というのは一見、良い言葉ですが、仲間に入れない人間を造り出すというエネルギーにしか今は利用されていないのです。仲間意識は仲間外れにする意識と同じエネルギーであることをまず理解する必要があります。高いレベルでの仲間というエネルギーには仲間外れという意識はないということ。でも、今の日本における仲間というエネルギーは仲間外れにするエネルギーとまったく同じであるということ、まずはそれを理解していただきたいと思います。

そして、五体満足な人間が仲間であれば、そうでない人間は仲間ではないといって仲間外れにしてしまうエネルギーなど、こういったところでいろんな日本の社会の仕組みが成り立っているということも覚えておいてください。

さて、先ほどの話の中で、もし、不自由な人がいて、子供が素直にその理由を聞こうとしたときに、その母親はどのような態度をとるのが望ましいのか。日本人はいろんな意味で、今のように、相手のことを考える習慣がついております。相手が変に思わないだろうか。こういうことを言って、相手を傷つけないだろうか。こういった思いをかなり持っております。

これが良い方向に働けば、確かに思いやりがあり、いろいろ相手のことを考えてあげるとても親切な人となるでしょう。これが逆に自分の都合の良いように持っていかせようとして、思いを出し、相手の反応を伺っているときには否定的な反応になりますが、純粋に相手が喜ぶようなことを自分で考え、そして自然にそれを行なっていく場合には、相手のことを思いやるのはとても良い反応として出てきます。

それで何も思いを入れていない無邪気な子供が、自分の純粋なる質問を自分から投げかけた時に、母親がまず思いを抱きます。どうして思いを抱くのか。それは子供が初めに発した純粋な思いとは別のエネルギーを心の中に持っているからです。子供はその相手が不自由といったことをあまり真面目に考えておらず、ただ単なる現象面として質問をしております。

でも、母親は単なる現象ではなく、相手の人が普通の人よりはどこか可哀想なところを身体的に身に付けている。ほかの人よりも、少し不自由なエネルギーを身にまとっている。そこまで母親が感じております。したがって素直に質問したところで、相手が苦しいと感じているのをさらに強調させてしまうといった状況が感じられるときには、普通は質問はしないでしょう。ただ、子供は純粋にそれを聞こうとしている。そこで母親の葛藤が始まります。

まず、子供自身が母親の居ないときにその質問を本人に直接したときには、その相手の人は素直に答えてくれる時があるでしょう。純粋に、例えば事故でこうなったとか、生まれながらの病気でこうだったんだよ、という風に教えてくれるでしょう。その時に、子供を相手にかんかんになって怒るという人は、いくら日本人といってもほとんどいないでしょう。むしろ、外国の方が怒ってくる人はたくさんおります。

では、逆に、母親の方から質問にいったときに、どう受け答えするか。ほとんどの人は知らないふりをするか、返事をしてくれないでしょう。母親がそんなことを聞くなんて、失礼ではないか。見れば分かるだろう。そういう気持ちがどうしても相手の心の中に生じてしまいます。したがって母親と子供が一緒に質問をするというのは、基本的には母親が一人で質問にいくということと、相手にとっては同じだということを理解する必要があります。

したがって、もし、どうしてもその子供が理由を知りたいというときには、母親は居ないかのように、自分はその席から立ったり、トイレに行くなりにして、そして子供に素直な質問を相手に持っていくようにさせる。そういったやり方を工夫してみる、といったことが一つの方法として考えられます。あるいは、またほかにもいろんな方法があるかもしれませんが、基本的には子供と母親では価値観が違い、受け取り方も違う。母親と子供が一緒の時には、母親がそれを代表しているといったことをまず理解しておいてください。


D自分たちの手で素直な人間関係を造っていくように

私の方からも、少し、お話をさせてもらいます。日本人という人種が世界でこれだけ高く評価され、良き人間として思われているにもかかわらず、いざこういう場で議論をすると、まるでいかにも世界中で一番劣っている人種であるかのように思えてしまうのがとても不思議です。日本人が、良い面として世界に貢献しているものはたくさんあります。確かに真面目で、勤勉で、あまり暴力的ではなく、純粋に生きようと皆が考えております。

で、過ごしやすいかと思って、一緒に生活すると、本音と建て前があり、しつこく、いろいろとガミガミ怒鳴ってくるし、コントロールしようとする。外国人がいざ日本人と働こうとすると、ほとんどの人が途中で逃げてしまうでしょう。こんな環境では、とても住むことはできない。やっていけない。こういう外国人がたくさん存在しています。時々、とても良い会社だといって永年住んでいる外国の人もおりますが、それは日本人が良いのではなく、たまたまその会社が良かったという特別の事情からくるものです。

最近、少しずつ外国人が会社にも増えてきておりますが、まだまだ会社の習慣としては日本の習慣が前提となっており、外国人から手放しで評価されるようなシステムにはなっていないということは理解しておく必要があります。

こういう状況の中で、今、日本人がいろんな意味で迷っております。今までのシステムが通用しなくなってきている。家族においても会社においても、今までのやり方が通用しなくなっております。父親の権威がほとんどなくなっている。会社においても、今までのように、そのまま永年ただ黙って勤務しているだけで給料がもらえるという時代ではなくなり、自分の能力が重要な鍵を握るようになってきている。そういう中で、日本人一人ひとりが、これからどのようにして生きていくのか。今、とても大切な時期に入っているといえるでしょう。

年輩者の人々は、何とかして今までの日本のシステムで生き抜こうと考えております。政治家や官僚が、自分たちの一度造った権威にしがみつき、それを手放そうとしない。何とかして、一度手にした特権を死ぬまでそれにしがみついて、楽をしようと考えております。会社にいる人でも、やはり偉い人ほどそういった欲望で自分を執着させており、中々若い人の台頭を認めようとはしません。若い人は若い人でそういう企業には興味がなく、自分の能力をいかに仕事に結びつけるか、それを評価してくれる会社を探しております。このギャップがだんだん大きくなってきております。

いずれ、年輩者の考えによる日本的なやり方が日本人自身に受け入れられることがなくなってきて、混乱の中に入っていくでしょう。そうしたときに、皆さん方、新しい日本を造り出す役割を持っている人々がどういう役割を演じていくか。私たちはとても興味があります。今日の話を聞いていて、ちょっとまだ不安が残っておりますが、多少は期待も持っております。

新しい日本を造るというときに、まず身近な人間関係から変えていき、そして必ずしも欧米主義ではなく、必ずしもどこかの国のやり方を真似るのではなく、純粋に皆さん方の魂同士が喜びを前提にして交流できるような環境をどのようにして造っていくか。私たちはとても今、興味を持っております。これは皆さん方が自分の手で造り上げる必要があります。私たちが何かシステムを提示して、その通りやるという風にするということは許されておりません。

皆さん方が自分の手で、コツコツと築き上げていく。でも、新しい日本が素晴らしい国になるためには、これがとても必要です。今までの概念にとらわれず、今までの愛の定義にとらわれず、今までの情にとらわれず、素直に人間関係を造っていく。そうやって新しい時代ができていく。それを本当に、理解していただきたいと思っております。

今日は皆さん方とこういうお話ができたこと、私たちはとても嬉しく思っております。これからもこういう話をいろいろと皆さん方の方からしていただけると、私たちもいろんなことをこれから考えに入れて、テーマに持っていくことが可能になってきます。これからも私たちと一緒に学びを続けていかれるのを望んでおります。それでは今日はありがとうございました。


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